一通り、観光スポットといわれる場所を一人で巡り、歩き疲れてホテルに戻る。
ベッドにダイブしてウトウトしかけた時、ドアが開いた。
「新堂先生!お帰りなさい、早かったね。私もさっき帰ったの。も~、疲れちゃったぁ」
やっぱり一人じゃつまんない!と彼に抱きつくも反応は薄い。
…………もしや何か、マズイ展開に?
「先生?」体を離して先生を見上げる。
無言で見下ろしてくる彼を見つめる事数分。固まった彼はまるでマネキン。
早く動きを取り戻して!
願いが届いたのか、最初に唇が薄く開いた。そこから美しい先生の声が零れてくる。
「ユイ。突然なんだが、一緒にフォークスへ行ってくれないか」
「うん。いいよ、大丈夫。いつ?明日?」
私の答えを聞いて、信じられない様子で確認してくる。「……えらいあっさりだな。本当にいいのか?あんなに怖がってたのに」
今日一日、一人で過ごして何度思ったか知れない。ついて行けば良かったと。一人では全然面白くない。何もかも!
でもこの本音は、まだ伏せておこう。
「ここまで来て会わずに帰るなんて、もったいないなって思ったの。そうそう来れないし。それに知ってる?恋人に友達を紹介してもらえるって、結構ポイント高いのよ?」
最後の部分はピンと来ていないみたいだったけど、彼がほっとした顔になった。
「度胸あるよな、おまえは。そう言ってくれると思ってたけど」
「どうせ、もう言っちゃったんでしょ、連れて行くって」
ご名答、と先生が苦笑する。
「一つ朗報だ。彼の子供達は今不在にしてて、エドワード夫妻しかいないそうだよ」
「なぁ~んだ、残念!」こんな事を言ってみたけれど、内心ほっとした。人数は少ない方がいい。さすがの私でも。
こうして翌朝、オリンピック国立公園を抜けて目的地フォークスへ向かう。
そこは自然がいっぱいで、とても空気が澄んでいた。でもあまり太陽は拝めない地域のようで、それがヴァンパイアの住処を連想させる。
カレン邸は、時代を超越した優雅な雰囲気を醸し出していた。ともて古そうに見えるのにとても美しい。
「すっごぉ~い……」
こんなありきたりの感想しか言えないのが恥かしいけれど、この一言が全て表しているのも事実。
ここへ来て、また気温が下がった気がする。
「なんか、寒くない?」両手を体に回して思わず呟く。同意してくれる人はいないけれど!
もう春だからなんて、油断したようだ。もっと厚着してくれば良かった。
でも、この震えはもしかすると武者震い?
先生が私の左手をそっと握ってくれる。ううっ、冷たっ……。
「覚悟はいいか?」腰を屈めて、気遣わしげに私を覗き込む。
私は気合を入れるために、繋いでいた先生の手を強く握り返す。「思ったよりマシね」
「またお化け屋敷想像してただろ」
悪戯っぽい笑みが向けられ、少しだけ気持ちが落ちつく。
「バレた?」
束の間、私達は笑いあって、深い木陰をゆっくりとポーチまで歩いて行く。
玄関に近づくと、ノックする前にドアが開いた。その隙間から室内が見えて、その明るさと広さに再び驚く。カレン家の人達は部屋の中央にいた。
「ユイに気を遣って、距離を置いて出迎えてるんだ。悪く思わないでくれ」耳元で説明される。
「そうなのね。お気遣いいただいちゃって悪いなぁ」
気もそぞろで言い返しながらも、目は室内と中の男女二人のヴァンパイアに釘付けだ。
にっこり微笑んで歓迎の意を表している。けれど近づいて来る気配はまだない。
「(カーライル、エズミ。こちらが私の婚約者のユイだ)」
「(初めまして、カレンさん。ユイです、よろしく)」
緊張しすぎて、何語か不明なイントネーションになってしまった……。
「(よく来てくれたね、ユイ)」
カーライルは計算された慎重な足取りで近づいて来た。
躊躇いがちに手を差し伸べられ、迷う事なく前に進み出てその手を握る。
「(お会いできて嬉しいです。カレンさん)」今度は完璧な英語で言えた。
「(どうか、カーライルと。こちらはエズミ、私の妻だ。こんなに早くお目にかかれるとは思わなかったよ。一緒にこっちに来ていたんだね。仲の良い事だ!)」
エズミも近づいて来て手を差し伸べてくる。髪は明るいブラウンで、瞳も同じ色。
その白雪姫みたいな人に、思わずうっとり見惚れてしまった。困らせたらいけないと、すぐに手を握って微笑み合う。
二人とも、先生と全く同じ冷たくて滑らかな肌をしている。
やっぱりヴァンパイアは、美形しかなれないらしい。
だってカーライルなんて、新堂先生以上にギリシャ彫刻よ?淡い色の金髪も真っ白の肌も眩しいのに、プラチナゴールドの瞳はそれを上回っている始末で手に負えない。
アングロサクソン(白人系)の純血だとこうなるのか。先生の半分は日本人だから?だからって先生が見劣りするって意味じゃないけれど。
もう、どこを向いても美しい顔が並んでいて、一向に落ち着かない。
これは予想外だ!別の意味でどうにかなりそう……。
「(ユイ、大丈夫かな……?)」カーライルが不安げに尋ねてくる。
私の混乱に気づいてしまったらしい。さすが鋭い観察眼をお持ちで……。
「(済みません、その、あまりにお美しいので……お二人が)いや二人だけじゃないか(私、その何ていうか場違いだなぁって……)」私は何を言ってるんだろう?今の英語、通じたかなぁ。
だんだん全てに自信がなくなって、新堂先生の方を見てさらに自信喪失。
何よ、何なのよこれは!何かの罰ゲーム?
こんな私に、カーライルは優しく微笑んで言った。「(そんな事はない。ユイも素敵だよ。とても可愛らしい。新堂が魅了されるのも無理はないな!)」
ウソばっかり!私がステキ?でもこれがどういう訳かお世辞にも聞こえない。
ま、いっか。ここは素直に喜んじゃおう。
再び新堂先生を見上げて様子を窺うと、彼は照れた笑いを浮かべていた。
その顔がまた可愛いらしいったらなくて!こういう表情はあまり見た事がないから、つい見入ってしまった。
年上男性にそんなコメントって?だって先生ったら急に若返って、まるで大学生みたいに見えたんだもの。
「(素敵なリングをしているね。新堂からのプレゼントかな?)」
カーライルが私の左手を見下ろして尋ねてきた。こういうのに気づくのって大抵女性だけど。やっぱり鋭いなぁ。
「(はい!エンゲージリングです)」私は堂々と答えた。だって本当だもの。
横の新堂先生を見て確認するも、彼は押し黙ってカーライルを見つめている。
「先生?」
「……ああ。何でもない」
「(さあ、立ち話もなんだから、中へ入りなさい)」
カーライルの誘導で私達は客間に通された。
並んでソファに落ち着く。
二人がキッチンで何やら話してる間に、こっちも先生と再度打ち合わせを始める。
「ねえ先生、私、ヘンじゃない?こんな感じでいい?」
先生は私を安心させる笑顔を浮かべて頷く。「緊張しなくていい。大丈夫、いつものようにしていれば問題ないから」
彼にこう言われてほっと一安心した。
もうすでに、ここへ来る前に抱いていたような恐怖心はない。今は普通に年上夫婦のお宅訪問って感じ。ただ一つは、あの美形に目が慣れるまでは落ち着かないってだけだ。
「ねえ先生。さっきの何だったの?婚約指輪って、言わない方が良かったとか……」
「違うんだ。気にしないでくれ」
だって気になるじゃない。……ねえ?結局何だったのかは分からず仕舞い。
「(さあ。どうか寛いでくれ。この可愛らしいお客様にお茶を)」先にキッチンから戻ったカーライルがエズミに言う。
「(あの、私の事はお構いなく!)」
だって、ここでお茶召し上がるのって私だけでしょ。申し訳ないです……。
「(まあそう言わずに。エズミの自慢のコレクションを是非使っていただきたい。ここの住人はお茶をする習慣がないんで、エズミが残念がっているんだよ)」
「コレクション?」
少しして、エズミがトレイに美しいティーセットを載せてやって来た。普通は聞こえるはずの、陶器とスプーンがカチャカチャいう音も一切立てずに!
「(お口に合うといいんだけど。あまり入れた事がないから心配だわ)」
私の前に綺麗なローズの花柄入りのカップとソーサーが置かれ、三人の目は一気に私に集まる。
どうしよう。飲めばいいのかな?
そっと先生を覗き見ると、小さく頷いてくれた。
「(いい香り。いただきます)」
カップを口元まで寄せると、フワリと花の香りが漂った。
「(ローズティよ)」エズミが教えてくれる。
「(美味しい!)」
お世辞とかじゃない。自然とこの言葉が出てきた。絶妙な甘みと渋み、そしてこの香り。ホントに初めて入れたの?
「(気に入ってくれて良かった)」カーライルも安心したようだ。
行き届いた接客。私(人間)を心から持てなしてくれているその姿勢に、逆に恐縮する。けれどその心遣いのお陰で、私の緊張は次第に解けて行った。
私の身の上話をちょっとだけした。先生と出会う経緯を話すために。続いて彼が私達の出会った頃の事を話してくれた。
「(なかなかに運命的と言えるね、二人の出会いは)」
「(ええ。とてもロマンティックだわ)」
こんな感想をもらって、そうかなぁ?との疑問を込めて先生に目を向けると、彼は嬉しそうに私と目を合わせ、最上級の笑顔で私を金縛りに掛けた。
「ボージェ・モーイ!」言葉にならずに、なぜかロシア語が自分の口から飛び出す。
二人が不思議そうに私を見ている。
「(……何でもありません)」説明が面倒なので諦めた。新堂先生のせいよ?
カーライルがふいにこんな事を言ってくる。「(ユイの英語はどこか、不思議なイントネーションの時があるが……もしかしてロシア語が関係しているのかな?)」
私が反応せずにいると、慌てて付け加える。「(気に障ったのなら許してほしい)」
私はまだ先生の金縛りから抜け出せず、まともに頭が働いていない。
そこへ助け舟を出したのは新堂先生だった。当然です、あなたのせいでこっちはこうなっているんですから!
「(彼女は多言語を話せるので、時に入り混じってしまうようです、ロシア語に限らずですが)」
「(おや、それは凄いね!てっきり新堂の母国語だから、ユイはロシア語を学んだんだと思ったよ。差し障りなければ、他に何語ができるのか教えてくれるかな?)」
「ウィ・セ・ポスィーブル」私はフランス語で返してみた。
カーライルが楽しそうに続きを促してくるので、次はドイツ語で質問する。
「ヴァス・フュア・ホビィス・ハーベン・ズィー」
「(新堂、通訳してくれ!)」カーライルが先生の方に身を乗り出して言うも、「(無理です)」あっさり断る先生。
こんな様子に私達は大笑い。とても和やかなムードだ。
「(ごめんなさい、今のはドイツ語で、ご趣味は?って聞いたんです)」
私の説明に、向かいの二人は関心した様子で頷き合っている。
「(ユイのマルチリンガルには私も驚きましたよ。そういえば、イタリア語もできたよな?)」先生が確認してくる。
「(ええ……。)ねえ、自慢話みたいになっちゃうじゃない。言わなくていいのに!」あえて日本語で先生にだけ訴える。
私がやや不機嫌になったのを見て取ったのか、カーライルが持ち上げてくれる。
「(多言語を解するのは強みだよ。ユイは優秀だね。今いくつといったかな)」
「(二十歳です。でも、できるのは会話だけですから)」ならばこっちは、とことん謙虚に行こう。
「(家ではエドワードがその分野を得意としているが、彼は習得にどれ位かかったんだったか……なあエズミ?)」隣りに座るエズミに話を持ちかける。
「(そうね、少なくとも二十年以上はかかってると思うわ)」
私がゼロ歳から学んで今に至る感じ?う~ん、いまいちピンと来ないなぁ。
「(カーライルさんは、どのくらいになるんですか?その……生まれてから)」そうよ、まずはここから始めなきゃじゃない?
「(年かね?聞いても卒倒しないでもらいたいんだが……)」
「(大丈夫ですってば!)ねえ新堂先生?」同意を求めて彼を見上げる。
「ああ、肝だけは据わってるからな」彼が日本語で返してきた。
それ、今回だけは褒め言葉って事にしておく!
「(私は一六四〇年代に、ロンドンで生まれた。計算すると……)」
「(三百七十八歳……!)」私はカーライルよりも早く答えを出した。
「(七十二歳くらいだよ)」それをカーライルが訂正する。
「(ごめんなさい、ちょっと間違えた?)」
慌てて謝ると、カーライルはにっこり微笑んで、気にしないでと言ってくれた。
「(その頃ってクロムウェルの時代?魔女狩りとかやってた!何だか雰囲気たっぷり……)」
興奮してはしゃぐ私に、カーライルは愉快そうに頷いた。「(だろう?)」
温かい笑いに包まれる室内だけど、室温はむしろ寒い。
ここで寒さを訴えるのも嫌味になりそう(考え過ぎ?)なので、二杯目のローズティをエズミにせがむ事にした。
早速入れてくれたその香りにもう一度酔いしれてから、ティーカップを両手で持ち暖を取る。
体の中から温まり、気持ちに余裕が出てきた私はどんどん質問をぶつける。
「(三百七十年近く、どうやって過ごして来たんですか?)」率直な疑問。
すると私以外の三人が硬直したのが分かった。……マズかった?
けれど、カーライルだけはすぐに平静を取り戻してくれた。「(最もな質問だね)」
ああ良かった……。
「(私は新堂と違って、始めから医者だった訳ではないんだ)」
「(そうだったんですか?)」元は映画俳優とか?モデルとか!勝手な妄想が膨らむ。
「(時間など、あってもあっても足りないよ。知的探究心の固まりだからね、私は!)」
この言葉に、新堂先生だけが同意の笑みを浮かべた。
そしてカーライルは続ける。「(最初は量子力学の観測に興味を持った。それを解すると次に疑問が湧くのは、時間の非対称性と意識の起源についてだ)」
こんな難解な話になり、今度は私だけが一人固まる羽目になる。
「(意味論の深淵にはとても心そそるものがある。だが私が最も注目したのはやはり、生命とは何かという大命題。医学を究める事にした理由だよ。ああ……、退屈な話だったね)」
「(いっ、いいえっ!何ていうか、やっぱりカーライルさんは偉大だなって。尊敬します)」
我に返って慌てて答えるけれど、横では新堂先生がクスクス笑っている。
「ちょっと?先生ったら何笑ってるの?」ムッとして彼を肘で突いて指摘する。
「おまえ、今のどれだけ理解した?顔にチンプンカンプンって書いてあるぞ」彼は私の方に体を寄せて小声で囁いた。
日本語だったので、何を話しているのか分かっていない向かいの二人は、笑顔を絶やさず穏やかモードだ。そんな笑顔を見ていたら、怒りすら忘れる。忘れてあげる!
気持ちを落ち着かせるために、一旦三人から顔を背けて窓の外を眺める。
どんよりがさらに深まって、雨が降り出しそうだ。
しばらくして視線を戻すと、カーライルが新堂先生を真剣な表情で意味ありげに見つめている。
やがて横で先生が微かに頷くのが分かった。
何かの打ち合わせらしい。ここは気づかない振りをしよう。
カーライルが後ろのドアに目をやる。
「(そろそろ息子夫婦が戻る頃だ。ユイ。よければ、是非紹介したいのだが……どうかな?)」
どこか控え目に聞かれて、私はすぐにお願いします!と姿勢を正した。
打ち合わせはこの事だったのか。ついにご対面の時が来たという訳だ。
力の入った私の肩に、先生がそっと手を乗せてくれた。リラックス、と声は出さず唇を動かして伝えてくる。私は少し微笑んで頷いた。
私が気になっているのは息子さんの方じゃなく、少し前まで人間だった妻の方。
もしかすると私の未来の姿が、そこにあるかもしれない。なぁんて……ないか。新堂先生は猛反対してるもの。あ~あ!とにかく、ケンカにだけはならないようにしよう。
ドアが音もなく開いて、二人の男女が滑るように入って来た。
大人っぽくて、一見どちらも成人していそうに見える。でも西洋人はフケて見えるっていうから年齢不詳だ。もしかしたら私と同じくらいかも。
「(初めまして、カーライルの一番下の息子、エドワード・カレンです)」
息子の方が最初に口を開いた。
「(妻のイザベラです)」続いて女性。
どっちもスラリとしていて生気のない顔。例えるなら西洋人形か。二人とも抜群のルックス!
エドワードはブロンドで、イザベラさんは赤毛。どっちも瞳は髪の色と同色系。
呆気に取られすぎて、ポカンとアホ面をしている自分が目に浮かぶ!恥かし~……。
「(新堂です。こちらが私のフィアンセのユイ。どうぞよろしく)」
先生が淡々と初対面の挨拶を進行する。フィアンセ……、どうも慣れないこの言葉!
「(お二人は、わざわざ日本から来てくれたんだよ)」カーライルが追加の説明をする。
「(そんなに遠くから!お会いできて光栄です、新堂先生。ユイさんも)」
エドワードが意味深な視線を私に送ってくる。何て魅力的な人!先生と出会っていなければ、絶対に好きになってる気がする……。
「(あっ!えっと、はい……っ)」舞い上がってしまい、もうどう答えていいやら分からず。
改めてにっこりと微笑むと、エドワードは私から先生に視線を移した。
「(ドクター新堂の事は、父から良く聞いていました。その節は父がお世話になりました)」
「(いえいえ。世話になったのは私の方ですよ。あなたのお父上は本当に優秀な方で、いろいろ学ばせてもらいましたから)」
「(よしてくれないか、二人とも!今は私の話をするところじゃないよ)」カーライルが照れた様子で二人を制する。
その姿がとても人間らしくて、思わず笑ってしまった。
ふいに皆の視線が私に注がれ、ドキッとして硬直する。今の、笑うところじゃなかった?
けれど次の瞬間、室内は一転して笑いに包まれた。
はぁ~……驚いた、息するの忘れたじゃない!どこで反応されるか予想できないところがツライ。
新堂先生が、そっと私の背中に手を当ててくれる。
変な汗をかいたから、ひんやりしていてとても気持ちが良かった。