夏も終わり、肌寒い季節がやって来た。これからロシアの厳しい冬が始まる。
今日は週に一度の食材を買いに行く日。私は昔からまとめ買い派だ。今の生活でその必要性も感じられないけれど、何となくそうなっている。
たまには違うお店に行きたいとねだり、ちょっと遠出して最近できた大型スーパーにやって来た。
広々とした店内を巡ってワインコーナーに差しかかる。そこには世界各国のワインが所狭しと並んでいた。
「先生も飲めたらいいのに。ほら!こ~んなに種類豊富よ?どれにしよ~!」
「世界中のワインが手に入るなんて、今の時代は何でも便利だな」カートを押した先生が、私の後ろから覗き見てこんな感想を零した。
ざっと見渡してから興味深そうに一本を手に取り、ラベルに目を通している。
私は彼が持っていたビンを奪って胸に抱える。「決~めたっ!これにしよっと!」
「おい、それは辛口だぞ?おまえには無理だ。こっちにしろ」
別の一本を差し出してくるけれど却下。
「いいの!これで。だって先生、これ真っ先に取ったもの。これが飲みたいって思ったんでしょ」
私の頑固さを知っている彼は、勝手にしろという顔で先に進んだ。
こうして買い物を終えて食材を袋に収納し、通路を歩いて行く。
「あ~楽しかった!やっぱ別のお店来ると楽しいね。でも、ちょっと買いすぎたかなぁ」
「俺はいつもと変わらず、ユイを見てて楽しかったよ」先生はまだおかしそうにしている。
私の何がそんなに?ちょっとムッとしながらも彼の腕に絡みつく。
「おい、離せ」
両手が荷物で塞がっている彼は今、動きを封じられている。つまり絶好のチャンス。
「いいでしょ、駐車場までよ」
こんなたった一時でもダメなの……?
先生の冷たい視線に見下ろされて、絡ませた腕を離した。
「……私、ちょっとトイレに行って来る」
別に行きたかった訳じゃないけれど、少し距離を置きたかった。こう拒絶されちゃ、こっちだってテンション下がるわ!
「ここで待ってるよ」お店を出たところで彼が言う。
駐車場は少し離れた所にある。
「いいよ。車停めた場所覚えてるし。荷物重いでしょ?先行ってて。すぐに行くから」
「別に重くはないが。それなら行ってるよ」
あまり人目につきたくないはずだから、当然イエスと答えると思っていた。
良かった。たまには一人の時間がほしい。まあ、本当にたまにでいいけど。
彼と別れて宣言通りトイレに向かう。
洗面で手を洗って、髪を梳き身だしなみをチェックしてから外に出た。何だか雨が降りそうで変な天気だ。さっきまで晴れ間が見えていたのに。
そんな事を思っていると、急に異様な寒気に襲われる。
次の瞬間、何が起きたか分からなかった。
ただ、どこからか冷気と共に甘い香りが漂ってきて、気がついたら私はいつの間にか閑散とした別の店舗の駐車場にいたのだ。
「どういう事?!」私は辺りを見回す。枯れ葉がカサコソと音を立てて風に舞い上がる。
そして冷気の正体を見つけた。
ほんの五メートル先に、そいつは立っている。真っ白い陶器のような肌の、背の高い銀髪の男。
「(ようやく一対一になれたね、ユイ・アサギリ。噂どおり、何とも可愛らしい!)」
良く通るフランス語交じりの英語が、静まり返った駐車場に響き渡る。
「(誰……?何で私の事を知ってるの。何の用、ですか?)」恐怖に声が上ずる。
なぜ恐怖を感じたかは簡単だ。目の前の男から殺気が感じられたから。新堂先生からもカレン家の人達からも感じた事のない、ヴァンパイアの殺気が!
新堂先生、来て…………っ!!!
「(今、誰を思い浮かべた?シンドウか。残念だがヤツがここを特定する頃には、お前さんはもう手遅れだろうよ!)」愉快そうに、歪んだ笑みを浮かべて言う。
「(っ!そんな事ない、私だって簡単にやられる気はないし)」頼ってばかりじゃないんだから。
あんたみたいなのに、こっちはバリバリ免疫あるのよ!こう自分を奮い立たせて男を見据える。
「(ああ……何という甘美な香り!堪らないよ。未だかつてないご馳走だな!)」
男が私ににじり寄る。
そして次の瞬間には、目と鼻の先に接近している。
驚くべきスピードだ。攻撃される!そう直感して後ろに大きく飛び退いた。
「(おっと…………)」男の手は何もない空間を過ぎった後だった。
「(見た目によらず、すばしっこい小娘だな)」
一度で仕留められなかった事に不服そう。舌打ちが聞こえた後、男の姿が消えた。
見えない!気配もない!やはり人間の私には無理か。
諦めかけた時、体に衝撃が加わってバランスを崩した。「きゃっ!!!」反射的に受け身を取って、コンクリートを転がり体勢を起こす。屈んだまま、瞬時に前方を確認した。
「(いってぇ……どういう事だ?)」男が自分の手を仕切りに確認している。
そこには赤色に混じって、何か銀色の液体が滲み出ていた。
状況が飲み込めず呆然とする私を、男が見下ろす。
「(厄介なモン持ってやがるぜ。もう少し遊んでやりたいが……もう限界だな)」
そう言って、男は赤色の方の液体を長い舌で舐め取ると、恍惚とした表情になる。
それは私の血?私、今ケガしたの?
慌てて自分の体を確認する。左半身にいくつか傷がある模様。中でも左の二の腕がじわじわ熱を帯びて激しく痛み出す。
「えっ……!いつの間に?」悔しいけれど、どうしようもない。
左足のふくらはぎにも同様の痛みが現われて、たちまち動けなくなる。
「いっ、痛い……っ」無意識に左手で首元に触れると、そこからも血が出ていた。
中指の指輪が血に染まる。
「新堂先生……助けて……!」声にならない声でか細く叫んだ。
「(ご馳走に敬意を表して。いただきま~す!)」
男のこんなふざけた声が聞こえた後、背後から恐ろしい咆哮がこだました。
今度は何!?俯いたまま動けずにいる私。
「ユイ!」
鋭い声が聞こえて顔を上げる。私の前には新堂先生が立ちはだかっていた。
「新堂先生……来てくれたのね!」私は泣きながら彼に縋り付く。
「もう大丈夫だ。少しだけ待っててくれ、始末してくる」そう言いながら私の状況を確認する。
彼に殴り飛ばされた例の男は、駐車場の隅で倒れている。その口元には血の赤に混じって、さっき見たのと同じ銀色のドロドロが大量に流れ出ている。
吐しゃ物、の訳はない。ヴァンパイアは物を食べないから。もしかしてあれが……。
「ねえ先生、あれって何……?あの銀色の」
「我々の血、つまり毒だ」
この言葉が私の耳に届いた時には、すでに先生は男の元にいた。
「……おのれ、許さん!」
その後二人は早口の英語で何やら話していたが、男の言葉は良く聞き取れない。
「(減らず口を叩く力が残ってるんだな。良かったよ、存分に苦しんでもらおうか!)」
先生がこんな事を言った次の瞬間、見た事もない緑色の不気味な炎が、天に届きそうな程高く燃え上がって男を飲み込んだ。
あれが、強い恨みを持った者が熾した火、なのか……。痛みに朦朧としながらも、その炎が目に焼き付いた。さっきにも増して甘ったるい蝋のような香りが、辺りに充満する。
迷わず息を止める。このまま死んでやろうか。だって私が死にそうになったら、さすがに先生だって気が変わるでしょ?
「ユイ!傷を良く見せてくれ、どこをやられた?」
先生はすぐに戻って来て、私の元に屈み込んで体を支えてくれた。
「先生!腕が、とっても痛くて……熱いの。私も燃えてるみたい……あの緑色、怖い!」
私の訴えた箇所を順に診ていた先生が、ふいに私の顔を覗き込む。
「おまえ、あの炎が見えるのか?」
「見えるけど何?ニオイも最悪!痛いしクサいし、もうイヤ……っ」
彼は一瞬不審そうな顔をしたけれど、すぐに傷口の確認を再開する。
「燃えたりはしない。毒が入ったんだ。すぐに吸い出さねば手遅れになる」切羽詰った声で言う。
毒が?毒ってあの銀色の液体がって事よね?
「先生、あいつの手、血塗れだった。咬まれたんじゃなくて引っかかれたんだと思うけど……」
引っかかれただけでも感染するの?
私の疑問に気づいた彼が答える。
「牙だけが武器ではない。どんな形であれ毒は入るんだ。傷口さえあれば。さあユイ、気をしっかり持て。これからおまえに入った毒を吸い出す」私の目を強く覗き込み、彼は言った。
それ、大変な事なの?「何でもいいから早くして!熱くて痛くて、……もうムリ!」
私がこう返した瞬間、一番痛みの酷い左腕に冷たい感触が広がる。先生が唇を強く押し付けているようだ。
段々感触がなくなって、凍りそうに冷たくなる。
「済まない、我慢してくれ……。すぐに終わらせるから」先生が合間にこう囁く。
「冷たすぎて、痛みがどこかへ飛んじゃったみたい。っ!……ああ!!い、イヤぁ!!」
痛みが去ったと思ったのは気が早かった。さらに猛烈な痛みが襲って、意識が遠退きかけた。
けれど、今の私には意識を失くす事も許されないらしい。今度は左足に同じ衝撃が走って、またも悲鳴を上げる。必死に先生の腕にしがみ付く。最後にその痛みは首元にやってきた。
生まれて初めてのこの猛烈な痛みに、私は本当に死を予感する。
「ユイ!ああユイ、どうか……頑張ってくれ!」
こんな彼の悲痛な叫びが、遠くの方で聞こえた。
・・・
いつからか雨が降り出していた。幸い周囲に人影はない。
すでにおぞましい炎は消えている。新堂は怒り覚めやらぬ様子でその焼け跡を睨む。
先程、男が口にした言葉が甦る。
――「(なぜ人間があんな物を持ってる?唯一ヴァンパイアの皮膚を傷つける事ができる鉱物だぞ。凶器を渡したようなモンだろ!お前、気でも狂ってるのか?)」――
「お前なんぞにそんな事を指摘される筋合いはない」
もうすでに消滅した存在に向かって、吐き捨てるように呟く。
「こんな事をしやがって!これだけで済むと思うな?地獄の果てまでも追い回して、何百倍の痛みで返してやる。地獄で首を洗って待っていろ」
痛みで意識を失ってしまったユイをそっと抱き上げ、新堂は悲痛な表情でその場を後にした。
訪れていたスーパーの駐車場に戻ると、彼の車だけが取り残されていた。
遠くから警備員らしき男が走り寄る。
「(アンタ!どこに行ってたんだい?もう閉店時間だよ。すぐに車を出して!)」
抱きかかえたユイには目もくれずに、訛りの強いロシア語で捲くし立てて来る。
「(申し訳ない。すぐに出る)」
新堂は答えると、助手席に彼女を乗せてシートベルトを締め、運転席に滑り込んだ。
そのあまりの素早さに警備員が呆然とする中、瞬く間にスーパーを出た。
もうすっかり暗くなってしまった。隣りで眠るユイを見つめながら、新堂は車を走らせる。
応急処置を施した傷口に変化はない。この程度でヴァンパイアに変化する事はない。転生の過程はもっと複雑だ。心配なのは毒の成分が体内に残る事。それはつまり、痛みと熱が限りなく続く事を意味する。
彼女の規則的に鳴る心音にひたすら耳を澄ます。
その音が幾分落ち着いてきた事が分かると、新堂は大きく息をついた。ヴァンパイアには必要のないこんな仕草を、なぜか無意識にしていた。
だが、まだ怒りは冷めやらない。森に差しかかると、アクセルペダルの右足にはどんどん力が入り、ついにスピードメーターの針は限界値を振り切った。
「眠ってて良かったな。今日の運転が知れたら、おまえに即免停を言い渡されそうだ」
こんな軽口を飛ばしながら気を紛らすしかなかった。
こうしてあっという間に家に着く。
ガレージに車を停め、ユイを抱いて家に入る。
出会って初めて彼女の血を吸った。毒に侵されていたとはいえ、とてつもなく魅惑的な味だった。そして彼女の苦しむ顔と絶叫が脳裏に甦る。
超快楽と絶望の淵。その対極の二つを同時に味わったのだ。その悲壮感たるや想像に難くない。今の彼にいつもの軽快さは微塵もなかった。
ユイをベッドに横たえると、そのままその場に座り込む。
カーライルの予言を思い返し、これからの事態を想定した。これがきっかけとなり、再発。そして死。
ここで彼はミサコの言葉を思い出す。〝何があっても、娘の幸せを願っている〟
彼女が幸せだと思える未来を、選択すればいいのだ。それが死なのか転生なのか、選ぶのは自分ではない。自分の自己満足の中に、ユイの幸せはないと。
「んん、新堂、先生……」固く目を閉じていた彼女が口を開いた。
「ユイ?起きたのか。痛みはどうだ、どこが一番辛いか教えてくれ」すぐさまベッドサイドに体を寄せて問いかける。
ぼんやりとだが、ユイは目を開けた。
何度か瞬きを繰り返してから大きく息を吸い込む。その表情は苦しげだ。
「私、生きてるんだね」
「当たり前だ。この俺がついてて、死なせる訳ないだろ?」彼がユイの手を握った。
「先生、やっと私に触ってくれた。……嬉しいな」
何とも幸せそうな笑顔だ。つい今しがた死にそうな目に遭った人間とは思えない。
「そっか、ケガしたら触ってもらえるんだね。あんなに熱烈に……!」
何を思い出したのかさらに微笑む。
そんな彼女に新堂は言い放つ。「バカ野郎……!二度と、二度とこんな事はない。させない!済まなかった、ユイ。おまえを一人にするべきではなかった」
訪問者の件。事前に分かっていたのに防ぐ事ができなかった。悔やんでも悔やみ切れない。
そう自分を呪う新堂に対し、彼女はサラリと言った。「違うの。私が一人になりたかったの」
彼女には何も話していない。もし知っていれば、自ら一人になろうとは思わなかったはず。隠し事はするもんじゃないと、彼は改めて思う。
「ユイ。今回の事は全て俺の落ち度だ。どんな事をしても、償えないくらいの罪だ」
「どんな事をしても?してみなきゃ分かんないわ」くぐもった声だが、はっきりと言う。
「それくらい深い罪だって事だ!そのくらい分かれよ!」
声を荒げる新堂に負けずにユイは言う。「してみてよ。償う気があるなら。ねえ、新堂先生?」
耳を疑う新堂だが、彼女が望むものが何か分かるかもしれないと考える。
「おまえは、何を望むんだ?」
彼女は痛みに顔を歪めながらも、体を起こそうとする。
「手を貸そう」新堂はすぐにその体を支えた。するとユイが言った。「そういう事よ」
新堂にはまだ意味が分からない。
「私は、前みたいにあなたに触れてほしいの。触れられるくらい側にいてほしい。キスしてほしい。できるなら……エッチもね」最後の部分は恥かしそうに口にする。
ヴァンパイアとの関わりが病を誘発したのは、ほぼ間違いない。人間の体には悪影響しか及ぼさないのだ。それを分かった上で彼女に接近するのは気が引けた。
ここまで来てしまったとしても、これ以上悪化させないためにも。
「ユイ。おまえだって気づいてるんだろ?俺と出会ったせいでこうなった事を。ヴァンパイアとの接触による汚染を、ユイの体が自ら防衛しているんだ。生命維持に必要なホルモンを多量に分泌する事によって」
「だから?」彼女はショックを受けた様子もなく答える。「新堂先生に会わなければ良かったって、私が思ってるとでも?」
「そうだろ。少なくとも、もっと元気に長生きできるはずだ」
「分かってないのはどっちよ!」ユイは声のトーンを上げて叫んだ。
「ホンットに分かってないんだから、女心が!何度言ったら分かるの?先生がいない人生なんて意味ない。私は、新堂和矢に出会うために生まれたの!」
一瞬、新堂の思考が停止した。
「……俺に、会うために生まれただって?冗談はよしてくれ!だったらなぜもっと早く生まれてこないんだ?遅いだろ、俺は二世紀も待ったんだぞ?」
冗談とも本気ともとれない口調で訴える彼に、ユイは俯く。
「……それは、待たせてゴメンとしか言えない」
この言葉の後、長い沈黙が流れた。
新堂は肩から力を抜いて、吹っ切れたように語った。「そうか。俺は、ずっとユイを待っていたのか。ふふ!いい加減待ちくたびれてたところだ」
「私達、やっと巡り合えたのよ」
潤んだ瞳でこう返す彼女を、新堂は堪らずにそっと抱きしめた。
「ねえ先生、あの時に言った言葉、忘れた?私に近づかないようにするなんて無理って自分で言ったじゃない。なのに、触れてもくれないなんて酷いわ」
新堂から体を離して言い返すユイだが、痛みを感じたらしく体が硬直した。
「……大丈夫か?」
「うん、平気。ケガしてる事忘れるくらいだから、平気でしょ?」
新堂は彼女の体を、順を追って見回した。ヴァンパイア式の診察開始だ。
「腕の傷が一番深い。五針ほど縫ったが、内部組織までの損傷は見られないから、すぐに良くなる」
包帯を巻いてある傷口を見つめながら、新堂が説明する。
「その割には、異様に痛かった。死ぬかと思ったわ」
あの痛みを思い出して肩を震わせる彼女を、今度は後ろから優しく抱き寄せる。
「もう大丈夫だ。良く耐えたな、偉いぞ」
「子供扱いしないで!」こんなユイらしいコメントに、新堂は小刻みに笑う。
「ねえ?そんな事よりもっと、褒めるとこあるでしょ?」後ろの新堂を見上げ、ユイは不満気だ。
「そうだ、よく俺が到着するまで持ち応えた。この程度のケガで済んだのは、ユイの対処が良かったからに他ならない」
普通の人間ならばとっくに餌食になっていたはず。ユイはそうはならなかった。
一つには、新堂が贈ったリングの力もあるのだが、それについて彼女は知らない。
「でっしょ~!だけど気配が読めないのはイタイなぁ。冬じゃなければ、あの冷気を読むって手も使えそうだけど。キハラだったらできるんだろうな」
真顔でこんな事を言うユイに、新堂は動揺する。キハラへの絶大な信頼、そして彼女の大いなる度胸に対して。
「キハラさんに感謝だよ。ユイを鍛えておいてくれたお陰で、俺は大事なものを失くさずに済んだ」
「だけどアイツ、何だったの?私の名前知ってた。噂がどうとか……。ねえ、どういう事かな」
背を向けたままの彼女が質問する。
新堂は口を閉ざした。どう答えるべきか悩んでいる様子。
「先生?」反応がない事に不安を覚えたユイが、顔だけ振り返る。
「……安易に連れて行くべきではなかったな」新堂は独り言のように言う。
「もしかして、カレン家の人達が噂を?」体ごと彼の方に向け直して聞き返すユイ。
「いや。それはない。ただ、彼等はある意味、とても注目されている人達だから。目ざとくあの日あの付近で、誰かがユイの香りを嗅ぎ取ったとしてもおかしくはない」
「それって、アイツみたいなのが、また襲って来る可能性があるって事に……」眉間にシワを寄せて、身を強張らせならが呟く。
「心配するな。あんな雑魚は俺が一瞬で消せる」さっきのように、とウインクして言う。
これを受けて、たちまちユイはぼんやりと恍惚の表情となる。
こんな時、新堂はいつも思う。自分の言葉はちゃんと伝わっているのだろうかと。
「まあ頼もしい!」ユイがようやく反応した。
新堂は彼女を見つめ続けた。
「また……そうやって魔力使う気ね」ユイは顔を赤らめている。
「は?」新堂は我に返って聞き返すも、彼女は再びぼんやりとている。
「……でもいい。何もかもが最高。大好きよ、新堂先生」
ユイを抱く腕に少しだけ力を込めて、新堂は答える。「俺も、ユイを心から愛してるよ」
「出会った頃は、自分がユイを殺してしまうんじゃないかと恐れていた。だが実際は、俺の存在自体がおまえの体を蝕んでいる。皮肉なものだな……」
「蝕んでなんかないよ。他のヴァンパイアはどうか分かんないけど、新堂先生だけは違う。こんなに心が安らいで幸せを感じるのに、蝕まれてるはずない」
言った後にさらに体を新堂の方に寄せる。
彼は拒む事なく、逆に抱きしめ返して尋ねた。「寒くないか?」
「うん。今はむしろ暑いの。だからとても気持ちいい……」
ヴァンパイアの毒の影響か、彼女の体はまだどこか熱っぽい。
「さあ、もう少し休むんだ。ずっと側にいる。安心してお休み」
ユイの額に手を乗せ、改めて熱を測る。この熱がやや気にかかる。心音もまだ早い。
「先生、点滴はいらないからね?」新堂の考えを読んだようにユイが言った。
「おっと、先を越された。仕方ないな……。了解だよ」新堂は肩を竦めて答えた。
今だけは、彼女の嫌がる事を、これ以上の痛みを与えたくない。新堂は強く思った。