私のケガも順調に回復し、年が明ける頃には薄っすら痕が残る程度になった。
けれど今でも、それらの部分はほんの少し熱を持っている。
ヴァンパイアの毒が本当に恐ろしいものだと、身を持って体験してしまった。
彼がいなければ、私はその毒に侵されて苦しみ続けるか、その場で血を全部吸われて死ぬかのどちらかだった。転生の際の痛みは、きっとあれに近いのだろう。……確かに試練だ。
毒を吸い出す行為は免疫を持つ者にしかできない。つまりできるのはヴァンパイアだけ。それも、魅力的な血の(特に私みたいな!)誘惑に負けない精神力を持ったヴァンパイア。
私を危険に晒したと落ち込んでいるけれど、彼が私の命を救ったのも事実だ。
その後新堂先生は、カーライルの予言について一部始終教えてくれた。
前に、私がもう長くない事は話してくれたけれど、訪問者の件は伏せいていた。怖がらせるような事を言う必要はないと判断したから。それは、自分がその危険を排除する自信があったからだ。
何にせよ、やっぱり先生は優しい。
まあ、こんな話を聞いていたとしても、私は単独行動していただろう。だから今回の事は、どこを取っても彼のせいではない。
そして、この訪問者の件がきっかけで例の病が再発する。薬が効かなくて助からない。なぁんて聞かされてもねぇ……。
今のところ私の体調には何の変化もないから、全く信憑性なしだ。
「ユイ、頼むからもっと安静に過ごしてくれないか!」
先生がこんな事を言ってきたのは、私が前にも増してトレーニングの時間を増やしたから。
「安静って……。病人じゃないんだからそんな必要ありません!」
あんな事があって、私がさらに強くなる必要性を実感したのは、言うまでもない。当然じっとなんてしていられない!
「たまには先生が相手になってよ。かなり理想の対戦相手なんですけど!」だって、襲ってくるのはヴァンパイアなんだから。
でも、彼が相手をしてくれる事は絶対にない。
「どんな時だって、おまえは無茶をせずにいられないんだな!」
「だから何が無茶なの?それを言うなら、新堂先生はマイナス思考過ぎるの。病は気からって言うでしょ?」
彼が人間でなくて良かったのかも。いろんな事を気に病んで、病気になり兼ねないもの!
こんな口論をしつつも、先生は私のトレーニングを黙認してくれている。
私がこうして無茶(?)をするからか、先生が無言で私を見つめている時間が増えた気がする。
本当に監視されている場合もあるけれど(!)、それが診察だと気づいた時は、なるべく動かないようにしたりとか、私も何かと気を遣っているつもりだ。
「新堂先生?診察したなら、結果、私にも教えてよね?」無言で見つめていたくせに、何も説明してくれない彼に不満をぶつける。
「診察?してないけど」
しらばっくれているのか、本当なのか判断が付かず。「だからしたなら、って言ったでしょ!」
先生から顔を背けて答えたのに、いつの間にか彼は正面にいた。
「うわぁ!ビックリした……っ、脅かさないでよ」
「ご要望があったから診察する事にした」
誰も要望なんてしてないけど!こんな反論は無意味なのでしない。
案の定この後、寝室に連れて行かれ服を脱がされ、あちこち眺められた後に採血されて悲鳴をあげる羽目になる。
「脈はやや速めだ。時折心拍に乱れがある。だが、血液には異常はなさそうだ」
今度はちゃんと説明してくれた。
「それなら文句ないでしょ?」彼がやや微笑んで頷く。
「しかし、俺がこんなに側にいるのに、最近、体温が高めなのが気になるな」
「だから!体も慣れたって事よ。いい事じゃない?」こう答えて先生に抱きつく。
彼は拒絶しなかった。
そして何事も起こらず、私は二十一歳になった。
「ユイ。ちゃんと薬飲んでるか?」
病が再発した訳じゃなく予防措置で飲んでいる。薬を飲むだけなら異論なしだ。
「もちろん。点滴注射、断固反対なので?」
そうは言っても、血液検査の時は容赦なく針を刺されるんだけど。
先生は徹底的に私の体調を管理している。食事、運動量、睡眠時間に加え、生理周期や基礎体温まで!それはやり過ぎなくらいに。もはや彼の趣味みたいになっているような気が……。
こんな人間離れした執着ぶりに、またも我慢の限界がやってきそうだ。
あくる日。
「ちょっと!何?何なの!」
ネヴァ川沿いを気持ち良くランニングしていたはずなのに、気づいたら車の助手席に座っている。
一瞬、軽いパニック状態に陥る私。
運転席の先生が、前も見ずに私を見つめている。
ようやく状況が飲み込めた。
「先生!私はあなたのオモチャの人形じゃないのよ?勝手に何かするのやめてくれない?」
「段々距離が長くなってる。これ以上はダメだ。昨日も言っただろ」
そう、昨夜そんな事を指摘された気がする。
だけど距離なんて一々計っていないし、気分でルートを選んでいるだけだ。
「とにかく、こういう事はしないで!誰かに見られたらどうするの?」
「見られる訳ないだろ。見える訳がない」
ああ、そうか。……って、納得してる場合じゃない!「先生ってば!」
あまりにも頭にきて、ドアノブに手を掛ける。「降りるっ!」
「おい。危ないだろ、開けるな」
私達の乗った車内はあり得ない光景となる。ドライバーは一切前方に目も向けず、助手席の私と揉め合っているのだから。
それを目にしたのか対向車が減速するけれど、私達の車は蛇行すらしない。
「その余裕っぷりなとこも、何だかイラつくのよ!」
何でも完璧にできる彼。対する私はどう
ドアノブに掛けた手に力を入れる。死にはしないわ!ここから飛び降りたって?
「ユイ。いい加減にするんだ」
心の奥底まで響くような声が、車内にこだました。それは決して耳を聾するような音量だった訳でもないのに、私はしばらく何も聞こえなくなった。
続けて瞳の魔力が久々に私を金縛りに掛ける。
「……先生、前、見て……ください」辛うじてこれだけ訴え、私の口はポカンと開いたままになる。
「そうだったな。俺とした事が!」
ふと我に返ったように言うと、ようやく彼は私から目を離して前を向いた。
途端に自分も冷静になる。「先生……私、何だかイライラしてた。ごめんなさい」
私はやっぱり子供だ。二十一歳になっても何も変わっていない。こんなふうに彼に当たるなんて……何て情けないの?
「新堂先生……いい加減、私の事嫌いになったでしょ?本当に私が先生の運命の相手なのか、もう分かんなくなっちゃった」
「どうした、急に。散々俺にマイナス思考はダメだって言ってたのはユイだぞ?」
「だって……。私、いつまでたってもこんなで!嫌われても仕方ない……っ」
「嫌いになる訳ないだろ。あり得ないよ。何があっても。それにこう見えて、普通の人間よりは打たれ強いはずだ」
こんなおどけたような答えにさえ、
「カチカチの氷のハートって言いたいんでしょ。固いように思えて、衝撃で粉々になるのよ?」
脈打つ事のない、氷のような冷たいハート。
「自身は決して傷つかない、ダイヤモンドのハートの方が正しいかな」悪戯っぽい目で言ってくる。
そう来たか。ようやく私にも笑顔が戻った。「それなら安心ね。もう少し痛めつけても?」
ドンと来い、と彼が答えた。
この言い合いで私の気持ちを分かってくれたのか、先生は過剰だった私の体調管理を見直してくれた。前にもこんな事があったなぁ。思っている事はちゃんと言わないとダメね。
先生は自分のハートを自身は決して傷つかないって言ったけれど、そんな事はないはずだ。ヴァンパイアのハートだって傷つくと思う。
そして私は、いっぱい彼の心を傷つけているに違いない。
・・・
その日、新堂は勤務先の病院から家には帰らず、南下してイタリア、ヴォルトゥーリの本拠地へと向かった。
[以下カッコ内英語]
「(早々に済ませていただきたい。彼女に何も言わずに来ているのでね)」
「(冷たい事言わないでよ、ドクター・シンドウ。私の事は知っているわね?)」
「(ヴォルトゥーリ唯一の女性ヴァンパイア、ミス・ジェーン。お噂は兼々)」
彼はヴォルトゥーリからの呼び出しを受け、この日の夕方面会に訪れた。対面するのは小柄のとても若い女。ユイと同年代か。
色素の薄い金髪に切れ長のアイスブルーの瞳が、冷たい印象を植えつけている。
片膝を立てて自分の前にひれ伏している新堂に向かって、威厳たっぷりに言い放つ。
「(なぜ呼び出されたか、分かってるわね)」
「(私の交際相手の事でしたら、すでに解決済みかと思いますが)」
「(どの辺が?)」
ジェーンは品定めをするような目で新堂を見下ろし続ける。
嫌な予感がした新堂は、あえて彼女の心を読まないようシャットアウトした。
「(ねえ聞いて!私ね、いい事思いついたの!あなた、とっても素敵。私のタイプ!そんな人間は放って置いて、私のパートナーになりなさい。そうすれば無罪放免にしてあげるわ)」
恐れていた展開となり固まる新堂。
微動だにしない彼に、顔を寄せて囁く。「(あなたの事、とても気に入ったって言ってるの)」
「(ご冗談を!)」
無罪放免には惹かれるが、ユイを手放す事だけはあり得ない。
「(お断りします。とにかくその件でしたらもう、カーライルの方から説明が行ったかと)」
「(ええ聞いたわ。ユイ・アサギリがもうすぐ死ぬって。だ、か、ら!そんな人間はどうでもいいじゃない?私とここで楽しくやりましょうよ、シンドウ!)」
ユイは死なない。そんな事はさせない!新堂は心で強く訴える。
「(あら。何?その目は)」
「(いえ、何でもありません)」
「(あなた、他人の心が読めるのよね?私の心、読みなさいよ)」
言われるまでもなく、新堂は彼女の心を探る。
――(例の件が解決したら、スカウトしろって言われてるのよねぇ。心が読めるなんて、この組織に打って付けの人材ってワケ!断っても、ムダな労力使うだけよ?)――
こんな彼女の明け透けな心が新堂に伝わる。
「(どうかしら)」
「(どうもこうも。どちらも辞退しますよ)」
「(あらぁ?ちゃんと最後まで読んでくれたのかしら。断ってもムダって!)」
「(とにかく、今日のところはご勘弁を。それと今後、あなたの単独の要請にはお答えでき兼ねますのでご了承ください)」
今回の呼び出しが組織からではなく、ジェーンの独断であったと確信した新堂は、有無を言わさずこう伝えその場を後にした。
「(残念だなぁ。可愛い可愛いユイ。可哀想なユイ!あなたを手に掛けなきゃならないなんて)」
どこか楽しげにジェーンは呟いた。
・・・
「ただいま」
「お帰りなさい!今日は遅かったね。お仕事、大変だったの?」
残業なんて珍しい。だって彼の手を煩わせるものなんて、この世に存在しないもの。
一体どんな理由だったのか凄く興味がある。もしかして〝お食事〟の方とか?
「まあね」
説明してくれる気配もない先生を見て、そのお食事に手間取った方の線が濃厚になる。
「ユイは食事は?」
「えっ!わっ、私の?」ビックリした……心、読んだでしょ!
「きちんと栄養を摂らないとダメだぞ」
「食べました!先生の献立通りに!お薬も飲んだし。ご心配なく」
先生が満足気に頷いて、一人掛けのソファーに腰を下ろす。
途端に彫刻と化した。全く微動だにしない。何か考え事に耽っているとみえる。私も真似して固まってしばらく彼を見つめていたけれど、バカバカしくなってあっさり降参した。
「ねえ先生。今、何考えてるの?」
「…………ん?」
「また心配事ができたとか」
「相変わらず鋭いな、ユイは」彼がほんの少し笑みを浮かべた。
「心配事なの?どんな?私に、何かできるかな」力になりたいと心から思った。
「いや。いいんだ、こちらの話だから。大丈夫、自分で何とかするさ」
こちらの話。それはヴァンパイアの話って事か。またカーライルさん達と何かあったのかな?
そう思ったから、これ以上は何も聞かなかった。
けれど、この日から先生は遅く帰る事が増え、固まる事も増えた。
そして帰宅後の先生の体は温かくない。つまり食事をしてきた訳じゃないという事だ。
じゃあ、この人は一体何をしているのか?
「先生?今、他の女の事なんか、考えてたりしないよね?」
「何だって?」どこか焦ったように彼が顔を上げる。
「何となくそう思っただけだけど…………そうなの?」
「あり得ないよ」
この答えを信じていいのか、私に判断する術はない。
「私は、あなたの事、どんな時でも独り占めしたい」
「してるだろ?第一、俺の目にはいつだってユイ以外入ってない。それはこれからもずっと変わらないよ」全ての生きとし生けるものを虜にしそうな笑みを浮かべて言う。
そしてそれが
「え?金髪?それ何の事?」まさか金髪女に口説かれたとか!
「あ……いや、何でもない」
絶対に怪しい。私は確信した。新堂先生に言い寄ってくる女が現れたのだと。それが人間かヴァンパイアかは分からないけれど?
「新堂先生……正直に言ってよ」
「何をだ?どうした、急に」
「隠し事は、もうしない方がいいって、お互い分かったはずでしょ?」
ここまで言っても、先生はまだ口を開かない。ただじっと私を見つめているばかり。
慌てて彼の瞳から目を反らす。こんなところで魔力を掛けられる訳には行かない。
「そうよね。新堂先生にはもっと、大人な女性がお似合いなんだよ」
「……なぜそんな事を言うんだ」
今度は私が口をつぐんだ。
「なあ。もしかしてユイは、俺が他の女と密会してるとか、思ってるのか?」
「なっ!何、密会って!言葉古いよ?先生…………」声の勢いが次第に萎んで行く。
「ユイ?」
「だって先生、最近頻繁に一人で外出するじゃない?帰りも遅いし……食事に行ってる訳でもなさそうだし?」意味深な目を向けて訴えてみる。
無反応の彼を前に、左手の指輪に目を落とす。それは変わらずに美しい輝きを放っている。
しばらくして、彼の大袈裟なため息が聞こえた。
「そうだったな。隠し事は悪い結果を招くって、学習したはずなのにダメだな。正直に話そう」
私は顔を上げて先生を真っ直ぐに見た。
どんな言葉が出てくるのか怖い。でも耳は背けない。背けたくない。
「少し前の、帰りが遅くなった日があったろ。あの日、女性ヴァンパイアに会った。ユイを狙っているようでね。それからずっと警戒している。ただそれだけだ」
「女のヴァンパイア……。きっと、物凄く美人なんだろうね……」その人が金髪なのか。
すぐに白雪姫のようなエズミを思い浮かべた。だとしたら、私なんかが敵いっこない。
「おいおい!しっかりしろよ、朝霧ユイ!誰がそいつを好きだって言った?」
「だって……っ!」
「俺が愛してるのはおまえだけだ。例え目の前に絶世の美女が現れても、それは変わらない」
先生は正面から私の顔を見据える。
いつの間にか溜っていた涙が、その拍子に流れ落ちた。それを綺麗な長い指が拭ってくれる。
「ああ、それと、その女ヴァンパイアは全然タイプじゃない。むしろ嫌いなタイプだな」
真剣な顔で先生が言った。
こんな事を言われたって、まだ涙は止まらない。
呆然と彼を見つめていると、口づけが頬にそっと落とされた。
「また不安にさせてしまったな。済まなかった」
私はブンブンと首を横に振る。「私こそ!やっぱり子供だね、変な誤解してヤキモチ妬いたりして……」
先生は優しく微笑んでから、私を抱き寄せた。
「ヤキモチを妬いてもらえるくらい、俺はユイに愛されてるって証拠だろ」
ああ、私は何てバカなんだろう。こんなにも深い深い愛を与えられていながら疑うなんて。
私は力いっぱい彼を抱きしめながら、そんな反省をしたのだった。