先生が出会った女ヴァンパイアは、私を狙っているらしい。
そんな事実を知って不安な日々を送りつつも、どうという事もなく一年が過ぎようとしている。
私ももうすぐ二十二歳だ。
そんな誕生日目前のある日、彼がこんな事を言い出した。
「ユイ、もうすぐ誕生日だな。お祝いも兼ねて、たまには旅行に行こうか」
「え!いいの?でも……私、狙われてるんじゃ」
「その事なら大丈夫だ。気晴らし、したいだろ?ユイも」
こんな状況なので、最近は必要以上の外出は控えている。そうは言っても、案外自由に街へ遊びに行ったりはしているんだけど。もちろん、先生同伴で。
「嬉しい!なら、イタリアがいいな~!お母さんとこ行った時、もっと他も見て回りたいって思ってたんだよね」
母の住まいはシチリア島のため、中心部のローマやミラノには行っていなかった。
「……あそこはダメだ!別の国にしろ」唐突に激しく反対されてしまう。
こんな事はとても珍しい。
「先生、イタリア嫌いだったの?」そんな剣幕で言うくらいに?
「そうじゃない。あの近辺は今、近づかない方が無難だ。パリはどうだ?ワインだって美味しいのが揃ってるよ」
もしかして、その女ヴァンパイアがイタリアにいるとか?
そんな事を聞いたら、母の事が心配になるじゃない……。
「ねえ、それって、イタリアにいるの?その……」
「まあ、何ていうか巣窟があってね。ああでも、ミサコさん達は心配ないよ。俺が保証する」
「巣窟って何!?」もしかして、たくさんいるとか!
変な想像をしてしまった。しかもその言い方だと、善良でない方のヴァンパイアって事?
「旅行なんて、大丈夫なの?」相手がヴァンパイアなら、どこにいても同じか。
「ああ。むしろ打開策が見つかるかもしれない」
先生の考えは、私にはさっぱり見当もつかない。
もしかして罠を張って敵を陥れるつもりとか?
「……ユイ、大丈夫か?」黙り込んだ私に、心配そうに聞いてくる。
「ねえ、罠を張るなら手伝うよ!」何だか楽しそうじゃない?
予想外の答えだったようで、彼は首を傾げて悩ましげだ。
「何の事だ?」
心からそう聞かれて、考え違いだったと分かる。
「……何でもないです」
「旅行は、やっぱりやめるか」
「いいえ、やめません!行こうよ、行きたいっ。パリかぁ。フレンチよりもイタリアンが食べたかったんだけどな~。まっ、先生が一緒なら私はどこでもいいんだ。パリ、賛成!」
先生にしがみ付きながら慌てて捲し立てた。んもう、すぐにやめるって言い出すんだから。
「ありがとう、ユイ」
先生は優しい笑顔で答えた。それはなぜか、どこか悲し気に見えた。
・・・
唐突に旅行を提案したのには訳がある。
ユイはまだ生きている。結論を出さないでいる新堂に、ヴォルトゥーリから呼び出しがかかったのだ。ヴァンパイは永遠の時を生きるため人間とは感覚が違って気長なのだが、組織もさすがに痺れを切らしたようだ。
それもユイを連れて来いと言う。
新堂にとってユイの生が長く続く事は願ってもない事だ。
だがヴォルトゥーリにとっては違う。ヴァンパイアが人間を側に置く目的は、食料にするためか仲間にするためかのどちらかしか許されない。そして新堂は、そのどちらでもないのだ。
「処刑されに行くようなものじゃないか!」
――もしや、目の前で転生させろとでも迫る気か?――新堂は自室にて一人凍り付く。
当初はジェーンの単独行動であったため警戒するくらいで済んだが、組織が動けばそうは行かない。どこへ逃げてもいずれ捕まる。そして逃げればもう、滅びの道しか残されない。
ユイを旅行に誘ったのは、ヴォルトゥーリに会わせるためではない。
取りあえずパリに彼女を残し、新堂は自分だけ乗り込もうとしているのだ。
彼には一つ秘策があった。全く乗り気になれないような策だが、背に腹は代えられない。
――何としてでも彼女だけは守らなければ。この身に代えてでも!――
・・・
こうして私の誕生日当日二月二十二日昼過ぎ、旅客機にてパリへと出発した。ここサンクト・ペテルブルグからなら、三時間程度で着く。
私達は並んで座席に収まる。もちろんファーストクラスなのでゆったりと!
「あれ、ユイ、いつの間にヘアスタイル変えたんだ?パーマ、掛けたのか」
「うふふっ!この間先生が出かけてた時に。ずっと束ねてたから、気づいてなかったでしょ」
私のロングウエーブに、先生が驚いている様子。
「ダメじゃないか、一人で外出するなとあれ程……」
「だって!せっかくの旅行よ?私だってオシャレしたい!」
それに、先生を驚かせてやりたかったの。
「……まあ、似合っているし、何事も起きなかったのなら良しとしようか」
先生はそっと私の左手を握って微笑みかけてくれた。
許してもらえて良かった~!
「ねえ新堂先生!最初にどこ行く?私ね、あの美術館には絶対に行きたいんだ!」
「ルーブルか?」
「そうそう!そこ!ねえ、一緒に行ってくれるよね?」
「ああ。もちろんだ。日中は混雑してるから、閉館間近になってからな」
「了解~!あとね、あとね!」
こんな調子でいつまでもプランを語り続ける。
楽しくて嬉しくて、すっかり女ヴァンパイアの恐怖なんて吹き飛んでいた。
けれど、先生は違ったみたい。
「先生、私に何か、できる事ある?」罠を張るなら……って、違うって言ってたか。
「ん?何の事だ?」
「考えてたんでしょ?打開策ってヤツ」
先生は驚いたように私を見つめたまま固まる。
「大体、狙われてるの私だし?自分で何とかし……」ここまで言って彼に遮られる。
「言っただろう。これは、俺の方の問題なんだ」
俺の方って……。そんな言い方はしてほしくない。私達の二人の問題。だから二人で解決したいと、私は思う。
でも実際はそうじゃない。私にはそんな力も権利もないのだから。
しばらく彼を見つめた後、私は笑顔で言った。
「大丈夫だよ、先生。私、悪運だけは強いんだ。キハラに似てさ!」
「……ああ、キハラさんか。確かに凄そうだな」
「キハラって見た目かなり怖いけど、いいヤツなんだよ。義理人情に厚いっていうか?」
「ああ、知ってるよ」軽く笑みを零しながら先生が答える。
少しの間の後に、彼は吹っ切れたように言った。
「それじゃ、その運に、懸けてみるかな」
「巣窟か何か知らないけど、そこから誰が来ようが、私と先生の仲は誰にも引き裂けないって事、分からせてやればいいのよ」
「頼もしい言葉だな」ようやく先生が、ちょっとだけ微笑んだ。
「誰かが先生を地獄に連れて行こうとしてるなら、私が追い払ってあげるんだから!」
力強い眼差しを向けて宣言する。
出会った頃に彼が何度も言っていた。地獄に落ちる覚悟、とか何とか。
その意味はやっぱり分からないままだけど、先生だけを地獄に行かせたりなんかしない。
「ユイさんに任せて?運命だって変えて見せるんだからね!」
私は新堂先生のためなら何でもする。先生がいれば何だってできる気がするの。何だって、乗り越えられる。だってその証拠に、カーライルの予言した未来だって変わった。
だから私は負けない。
何たって、新堂先生との愛は無限に広がる宇宙のように偉大なのだから!大袈裟じゃなく。
~第二部に続く~