新堂先生と別れた後、白ベンツから浅黒い長身の男が降りて来た。
とても会いたかったその人の姿を見て、私の表情筋はゆるゆるになる。
「キハラ!来てくれたのね!」
「ユイお嬢さん。今一緒にいらっしゃったのは、どなたです?」私とは違って、表情を崩さずにキハラが質問する。
もう!少しは再会を喜んでよね?
「あれは校医の新堂先生。私の家、学校から遠いから送ってくれたの」
ドライブに誘われたなんて言えない。
「そうですか……」
キハラは一言答え、どこか険しい表情で黒ベンツの去った方角を睨んでいる。もしかして、何かを感じたのか。それが私が始めに感じたものと同じだとしたら?
「ねえキハラ、あのさ……!」
ここまで言って遮られてしまった。
「ご無沙汰しています。お元気でしたか?母上様には先程、ご挨拶させてもらいました」
「あ、うん。キハラも相変わらずのようね」
「恐れ入ります。これでも、あなたが出て行かれてからは落ち込んでいたんですよ?」
「イジメる相手がいなくなって、でしょ」
「滅相もない!そうだとしてもそれは、父上様からの愛の鞭ですよ」
ふふっ!父上、の部分は聞かなかった事にして、キハラの愛の鞭ならいくらでも受けたい。
別に、その手の変な趣味はないけれど?
「それで。こんなド田舎までやって来たのは、単に私に会いに来たって訳じゃないんでしょ?」
用件なら電話でも事足りたはず。私は会いたかったけど。
「あなたのご実家で何かという訳ではありません。そんな心配はされていないでしょうけど」
「その通り。なら何?」
「……もう少し、早く来るべきだったかもしれません」どこか悔しげなキハラ。
「え?」
「立ち話も何ですから、どこかへ行きませんか」
こんな流れで、今度は白ベンツでのドライブが始まった。
キハラの運転は完璧で、私が前方確認をする必要はない。さっきとは違ってとてもリラックスできる。でもキハラは違うみたい。
何ていうか、見えない強敵に立ち向かう直前みたいな緊張感が滲み出ている。
「ねえ。何だか変よ?どうかしたの?これから何か起こるとか」
例えば強敵が迫っていて、師匠として弟子の勇姿を確認に来たとかならば、こっちも気持ちを入れ替える必要がある。
何しろ最近はめっきり動いて(暴れて)ないから、トレーニング不足がバレてしまう!それはそれでマズい展開なので。
「しばし、自分の話にお付き合いいただけますか。少々退屈な時間になってしまうかもしれませんが」キハラはいつものように丁寧な口調で口火を切った。
「分かった。話して」だから私もいつも通りに淡々と返す。
ありがとうございます、と恭しく頭を下げた後、キハラは前方を見据えたまま語り出した。
「ご存知か分かりませんが、こういった北の地方には時に、闇の世界の存在が秘かに潜り込み、住処にしていると言われます」
「闇の世界の存在?悪人って事?」
キハラが軽く頭を左右に振る。「もっともっと、忌まわしく厭わしい存在です」さらに続ける。
「厄介なのは、それがぞっとするほどの魅力を漂わせて、人を惑わせるところです」
何の話かさっぱり分からなかったのに、この時すぐに新堂先生を思い浮かべた。ぞっとするけれど魅力的な彼に、私は確実に惑わされているから。
「自分はあなたを、こちらに行かせる事には反対でした」
「私だって!キハラと離れて暮らすのは、正直イヤよ?」
愛しい師匠も、私を手離したくないと思ってくれていた!なんて有頂天になった私とは対照的に、キハラは無感情の瞳で私を見下ろして言う。
「そうは言っても、母上様の故郷を否定しているつもりはありません」
そのままの様子でキハラは続ける。「ユイお嬢さん。あなたはとてもお強くなられました。自分は本当に嬉しい限りです」
「あなたの訓練の賜物よ」
「ですが、この世の中には我々の力の及ばない未知の闇があるのです」
ふいに声のトーンを落として語る。
「それって!まさか怪談話?この真冬に。それとも悪魔とか宇宙人とか?キハラってそういうの好きだったんだ~。知らなかった!」
「ユイお嬢さん。自分の話にお付き合いくださるのではなかったんですか」
「っ……ごめん。だって、あまりに現実味がなくてさっ!」
「何も自分は遥々四時間もかけて、怪談話をしに来たつもりはありません。亡霊や悪魔の話でも。宇宙人の話でもありません」
外は次第に暗くなり始めていた。
曇り空では夕焼けも見えないから、このまますぐ夜になるだろう。
しばしの沈黙の後、キハラが再び口を開いた。
「自分の口からその忌まわしい存在の名を告げる事は、あえてしません。お嬢さんがご自分で判断し、導き出してください」
「私が?」
「そのものは亡霊でも悪魔でもありません。ですが安心してはいけません。邪悪さや恐ろしい特徴を兼ね備えているのも事実ですから」
「ねえキハラ、それって何なの?もういいから言っちゃってよ、気になるじゃない!」
「ダメです。人は先入観を持っては、正しい判断ができなくなる」
「……お母さんとか、この町の人も知ってるの?」
「大方の人間はご存知かと」
「それって、そんなにメジャーな存在なワケ?!知らないの私だけとか!」
「あなたも名前くらいは聞いた事があるはずです」
私はやっぱり新堂先生を思い浮かべていた。
その陶器のような肌と、恐らく尋常じゃない脚力(もしくは瞬間移動)を持っている彼を。
そしてパッとひらめいたのがこれだ。
「それ、ヴァンパイアとか!あれって一応、元は人間って設定だったよね」
亡霊でも、悪魔でもない。でも、人間でもない。れっきとしたモンスター。
「やはり、手遅れでしたね……。その答えを今導き出せる程に、あなたはその存在に近づいているという事ですから」
「キハラ、手遅れって何?私、どうかなるの。けどあの人が?ウソでしょ!」
もう言葉にならない。思い当たる節はいくつもあって、でもモンスターの存在なんて小説や映画の世界の話だと思っていたから。
「あの男には近づかないで下さい。これはお願いではありません。命令です」
せっかくのドライブだったのに、最悪な雰囲気での終了となった。
別に、新堂先生に近づくなと命令された事が理由じゃない。私はあの人の事なんて、何とも思ってないんだから。向こうが勝手に近づいて来ただけ。
キハラの命令は絶対だ。これまでも、これからも。彼が私の師匠である限り。
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翌日も、どんよりの朝を迎えた。
昨夜降り出した雪で、すっかり銀世界となった外を見渡し、自転車が使い物にならない事実に打ちのめされていた時、白ベンツが私の前に現れた。
「ユイお嬢さん。おはようございます。乗ってください、学校までお送りします」
「あらキハラ、まだこっちにいたのね!助かるわ~」
何しろ母の雪道運転は危うい。そんな事で朝から冷や汗をかきたくなかったので!
「帰りもお迎えに上がります」
「それは嬉しいけど……。もしかして監視してる?大丈夫よ?私なら」
「あなたがそう思っていても、向こうは違うでしょう」
「……うん。とにかく、助かるわ」
素直に送迎を受け入れた。断る理由は何もない。
元々母に迷惑をかけたくないし、だからといって交通機関もない。私の移動手段はこうして誰かに委ねるか、雪道を歩くしかないんだから。どこまでも不便極まりないけれど!
その日、学校にいるはずの新堂先生の姿は、一度も確認できなかった。あの命令が下った以上、不必要に自分から医務室に出向く訳には行かない。行こうとは思わないけれど!
「お帰りなさいまし、ユイお嬢さん」
放課後校門をくぐると、すぐ横で白ベンツの後部席ドアを開けてキハラが待っていた。
「ただいま。こっちでいいよ」
私は助手席のドアを自分で開けて乗り込む。
そんな私に深々と礼をした後、キハラは運転席に戻った。
「今日はいかがでしたか」
「何が?」
「何か変わった事はなかったですか」
「特に」こんなぶっきら棒な会話でも、とても懐かしさでいっぱいになる。
「
「お嬢さん。油断は禁物です。それに自分は、二十四時間お側についていられる訳ではありません」
「あら。ついててもいいのよ?」こっちは大歓迎だけど?
もしかしたらこっちでまた一緒に暮らせるかも!いや……無理だ。母が反対する。
母は昔からキハラをあまりいい目で見ていない。私を鍛える事自体に反対しているから。
「な~んて!大丈夫よ、もうお誘いにも車にも乗らないから!」
「あなたから近づかなくとも、向こうが動けば拒絶するのは難しいでしょう」
「なぜそう言い切れるの?断ればいいんでしょ。簡単よ」
「いいえ。決して簡単な事ではありません」
「どうしてよ。私の事信用してないのね、キハラったら」私はイラついた。
いくらモデルみたいにイイ男だからって、私がホイホイついて行くとでも?
私の怒りに気づき、キハラがぴしゃりと言い放った。「彼は人間ではないからです」
「あっそ!」
新堂先生がヴァンパイアだという過程を導き出してから、いろいろ考えてみた。
色の変わる瞳や、超人的な美しさと敏捷性(これにより私は命を救われた)、冷たく青白い肌。そういえば先生が来る日はいつも天気が悪い。太陽に当たれないとか?
そして彼との会話を詳細に思い返す。
知子のお弁当を捨てていた時、自分には必要ないと言っていた事や、精力をつけたと言っていたのが血液検査の後だった事。生徒達から集めた血を飲んだって事?!
それに外科医ならば、自然な形で血が手に入る。ケガ人は血を流しているし、手術ではどうしたって血が流れるのだから。だからって……。
何とかして確めたい。本当にヴァンパイアなんているのか。ここまで疑惑が募っているにも関わらず、そう簡単には信じられない。
キハラは間違いなく新堂先生を恐れている。私が餌食にされるとでも思っているの?絶対に違うとは言い切れないけれど……。
でも餌食にするなら、会ったその日にしているはずだ。それにあの人は私の命を救ってくれた。そうだ、その事はまだキハラは知らない。
すぐに携帯を手にして、登録してあるキハラの番号を呼び出す。
「あ!もしもし……っ」私の声はすぐに
夜も更けようというのに、どうして電話に出ないの?
窓の外を見るため、曇ったガラスをゴシゴシと擦る。
外は吹雪いて来ていた。今からキハラが滞在しているビジネスホテルまで行くには無理がある。仕方がない、明日にしよう。
けれどこの日以来、キハラの姿はどこにも見当たらなかった。