※この作品はR-18です。

トキヨジセツ~第一部・愛した人はヴァンパイア~   作:氷ユリ

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7 あなたの正体

 

 食事を終えた私は、再び先生の車に乗せられて家路を急ぐ。

 

「あの、ご馳走様でした。払ってもらっちゃって済みません」

「お構いなく」

「だって先生、何も食べてないのに私だけ……」

「俺は必要ない」

 

 車内の薄明かりに青白く輝く先生の顔を、まじまじと見つめてしまう。

 食事は必要ない、人間の食事はって事?

「お腹、空いてないんですか?」こんな事を聞くなんて、地雷を踏んだかもしれない。

 

 先生が一瞬、ピタリと動きを止めたように見えた。

 ここはもう思い切って、私の血、欲しいですかって聞いてみる?

 

「新堂先生?」一向に答える気配のない彼に呼びかける。

「ああ。そんな事より、聞いてもいいか?」

「何ですか」

「なぜ君は、自らトラブルに巻き込まれるような行動を取る?理解に苦しむ!」

「別に、そんなつもりありませんけど!」

 私は単に困っている人を助けたくて、悪人を倒したいだけです!

 

「例えそうだとして、先生には関係ないでしょ」どうして私に関わるの?

「ああそうだ。そのはずだった」

 

 こう答えた後、しばしの沈黙が流れる。先生は左右の安全確認もせずに、信号のない交差点を通過。通り過ぎた直後(!)横から車が飛び出して来た。あと数秒遅かったら、ぶつかっていた。

「危な…………っ!」

 

 文句を言おうとした時、先生が口を開いた。「特定の人間の命を守ろうなどと思った事は、これまで一度だってないんだ」

 何それ?「医者なのに?」不思議に思ってつい聞いてしまう。

「知ってるか?医者は物事が起こった後に動くんだ。警察が事件が起こってから動くようにね。事前に命を守ったりはしない」

「ああ、はいはい!」私、今バカにされた?

 

「思ったよりもずっと厄介だ。だがそれは、相手が君だからだろうな」

「どういう意味よ!」

 この間から厄介厄介って、人の事厄介者呼ばわりして。ムカつく!

 

「君を追跡するのはかなり難しかった。そんな人間も初めてだ」小声で呟く。

「追跡?今、追跡って言った?」私はこの人につけられていたっていうの?

 先生は何も言わずに私を見つめた。

 

 段々ぼうっとしてきて、どうでも良くなる。

 それを振り切って質問する。「それは、私の心が読めないから?」

「そうだ」先生はあっさり認めた。「君の周囲の人間に探りを入れて、そこから推理するしかない。今だって……」

 急に話すのをやめてしまった。突然湧き上がった怒りからか、表情が歪んで行く。

 

 どうしたんだろう?落ち着いてくれるのをひたすら待つしかない。

 

 やがて先生が口を開いた。「あのガキ共の考えている事が見えたんだよ」

「それは?」ここは話を合わせよう。

「それを、言わせるのか?」散々私が言ったセリフを、今度は先生が口にした。

 この流れで行けば、それは間違いなく卑猥な内容だろう。先生は私が乱暴されかけているのを知ったという事だ。

 

 他人の心を読んで私を追跡していたとか、私が乱暴される事を予知したとか、信じられない話だらけだけど、今の先生の様子を見ていたら、そんなの問題じゃなくなった。

 私をすごく心配してくれている事が伝わってきたから。

 この人は嘘をついてはいない。なぜかそう思えた。

 

「あのね、新堂先生。私、本当に平気なの。とても鍛えられてるから、その辺の不良達なんか簡単に……」こんなコメントは逆効果だったらしい。

「そういう考えが厄介だと言ってるんだ。おまえのような小娘が!どうして大人しくできない?もう少し命を大事にしろ」

 小娘って!……またバカにされた?間違ってはいないけど!

 

「なんてな。この俺が一番、おまえを危険に晒しているというのに。今のコメントは矛盾していた。だが、……本心なんだ」

「危険に晒してるの?あなたが私を」

 

 ふと窓の外を見ると、あり得ないくらいのスピードで景色が流れている。

 

「ヤダ、先生ったら何キロ出してるの!」スピードメーターは二百の値を示している。

「それがどうかしたか」

「どうかしたか、じゃないです!危ないじゃないですか!」

 ああ、そういう事か。こうやって私を危険に晒してる。……なぁんだ。途端にこの人の正体について自信がなくなる。

 

 私はついに黙り込んだ。

 

「そんなに怖いか?早く帰らないと、ミサコさんが心配するだろ」

「ミサコさん?私のお母さんと、名前で呼ぶような仲なの!?」

「一応、この町のドクターなんでね。住人のほとんどと顔見知りだ」

「はあぁ……」ため息のような返事が、無意識に口から漏れた。

 少しは心穏やかに過ごす時間をください、お願いだから……!

 

 行きはあっという間だったのに、帰り道がこんなに遠いなんて。一緒にいる人の問題?

 

「ユイ。大丈夫か?」

「少し疲れたみたい」もう黙っていよう。神経が持たない。持久力には自信あるはずなんだけど?この人の前ではそうじゃないらしい。

 私はまたも大きなため息を吐き出した。

「まさか、今頃ショック状態が襲って来たとか」好奇心でいっぱいの目だ。

「やめてください。違いますから」

 先生はお得意のハハッ!という乾いた笑いを一つ零す。

 

 でも次の瞬間には、真剣な声で言った。「とにかく無事で良かった」心からそう思っている事が分かる。

 そう言われて思い出す。自分が助けてもらった(一応!)のにまだお礼を言っていない事を。

 

「あの、新堂先生」

「何だ。本当に気分でも悪いか?」

「いいえ。その……、まだお礼言ってなかったと思って。助けてくれて、ありがとうございました」

「そんな事はいい。頼むから俺にウソはつくな。特に体調面ではね」

「それはもちろんです。だって、校医の先生だし?」

 本当に私の考えている事だけ分からないんだ。変なの!

 

 だけど、この人は根っからの医者だ。真面目すぎるくらいの。今、そう思った。

 

「助けてもらったの二回目ね」トラック事故を思い起こす。「あの時も、私を追跡してたとか?」

 返事はない。私は続ける。「私の事、どうして守ろうとしてくれるの?」

「おまえはとても、魅力的なんだ」

 そんなあなたの声の方が、ずっとず~っと魅力的だと思うけど?だから、すぐに催眠状態になってしまう。

「それは私自身じゃなくて、血が、でしょ?」

 

 先生は明らかにギクリとした。瞬きもせずに彫刻のように固まる。

 

 気にせず話を続けた。「これは私の妄想だから、適当に流して聞いてくださいね」

 まずは当たり障りなく。順を追って説明しよう。

 

「前に一緒に暮らしていたある人が、私の事を心配して来てくれたんです。でも、その人の姿が急に見えなくなって。その人は私に、新堂先生には近づくなと警告を残して行きました」

「その警告は正しいよ」

「破らせてるのはそっちでしょ!どうして私に関わろうとするの?自分は危険だって言っておきながら……」

「俺だってどうしようもないんだ…………!」

 彼の声が変わった。とても悲痛な叫びに。

 

「俺だって分かってる。君に深く関わるのは間違ってると。だが、どうしても抗いがたい魅力に、引き寄せられてしまう。人間だった頃さえ感じなかった感情が……」

「人間だった、頃?」さり気なく言ったわね!つまり今は、人間じゃないって事になる。

「ああ、また口が滑った」さも悔しそうに呟く。

「先生。もういいよ。大体分かってるから」

「何を分かってるっていうんだ」

「人間じゃ、ないんでしょ?私の中ではもう、あなたはヴァンパイアって事になってるから」

 

 彼は心底驚いた顔で私を見つめた。

 

「思っていたよりも遥かに、君の観察眼は鋭いな」

 こう言った後は、彼の表情は緩やかになっていた。どうやら観念したらしい。

「ヴァンパイアが外科医をやってるって知って、なるほどって思った」

「そうか」

 もう先生は反論しなかった。

「人間でない俺は、怖いか?」

 

 この質問には悩んだ。未知の部分が多過ぎて、怖がるべきかまだ判断がつかないっていうか。

 

「人を助ける仕事をしてるって事は、人を殺さないって事でしょ」私はこれだけ答える。

「例えどんなに礼儀正しいヴァンパイアでも、いつ飢えに負けてしまうか分からない。つまり、理性が働かなくなれば人間など簡単に八つ裂きだ。おまえの事もね、ユイ」

「新堂先生は、その……人を八つ裂きにした事、あるの?」

「あるよ。遠い昔に数え切れない程ね」

 ニヤリと笑った先生の唇の端から、怪しく光る鋭い牙がチラリと見えた。

 

 笑った顔はあまり見た事がなかったから、これまでこの例のモノは上手く隠れていたみたい。

 

「怖がっていいんだぞ?」

「別に!ちょっと犬歯が長いだけでしょ。そういう人だって……いると思うし」

 こんな姿を目にしてさえも、この人が計り知れない力で人を引き裂いている映像は、私には見えなかった。先生はいつも穏やかな動きをしているし、強い力があるようにすら見えない。

 

 私は気を取り直して質問を続ける。

「それじゃ、先生は何年生きてるの?確か今、二十七歳でしたよね」

「ああ。どれくらい二十七をやってるかって?」おかしそうに言う。「さあ、どうだろう。忘れてしまったよ」

 

 忘れるくらい生きているんだ。どうにも信じがたい……。

 

「大抵の人間達は俺と距離を置く。本能的になんだろう。だからこちらも、深くは踏み込まないでいられる。ただ自分のすべき事をしてね」

「それは、医療行為、でしょ?」血を飲む事ではなく、との意味を込めて。

「そうだ。他に何がある?お察しの通り、こんな仕事を続けているのはお零れにありつけるからだ。外科医には血が付きもの。多少血生臭くても違和感はないし、消毒用アルコールで誤魔化せるしな!」

 最後の方はジョーク紛いに語る。

 

 この人が、あの恐ろしいモンスターだなんて。やっぱり信じられない。

 

「でも、大量の血を見て、我を忘れたりとかしないの?」

「それも大昔の話だな。ここ百数十年近くそんな事態になった事はない。仕事の上では」

 今彼は仕事の上ではって言った。なら、プライベートでは別って事?

 

 先生は私の方を見る事もなく、ただ前方を(道路を見ているかは謎)見つめている。

 

 私の視線に気づいたのか、こっちを振り向いた。

「やっと怖くなってきたか」

「いいえ」

 即答した私を見て、わざとらしく肩を竦めて見せる。「まったく君はどうかしてるな」

 私もそう思う。

 

 だって、もしこの人がキハラを葬ったのなら、私には絶対に勝ち目はない。そんな相手と密閉空間に二人っきりでいるんだから。

 

 どうしてもキハラの事を聞き出さなければ。

「新堂先生。あなたもウソ、つかないでくれますか?これだけは……!」

「何だ」

「さっき話した、私に会いに来た人の事です」ついに本題に入る。

 

 急に空気が重くなった気がした。車内の温度が下がったのか、寒気が襲ってくる。

 

 私が震えているのに気づいて、先生がエアコンの温度設定を確認し始めた。

「設定は変えてないが、寒いか?」

「あ……、少し。でも大丈夫です、気分的なものかと……」

「顔色があまり良くない。ムダ話はもうよそう。もうすぐ着く」

 待って、これだけは聞き出さないと!「これだけ、教えてください!その、キハラの事……」

 

 先生は私を見つめて固まった。

 

 私にもこの人の考えている事が読めればいいのに。こうやって固まる時は、言いにくい事を隠している時だ。ここでほぼ確信に至る。

 震える声でそれを口にする。「キハラを、こ、殺したのね…………?」

 

 この人はなぜか私を助けるけれど、キハラは?ヴァンパイアの気に触るような事をして怒らせて、あっという間に……。

 この状況は私にとっては、この世の終わりも同然だ。私の最愛の師匠がやられたなんて!

 自分が殺される恐怖よりも、キハラがこの世からいなくなった恐怖の方が遥かに大きい。ずっと気づかないふりをしていた。そうじゃない、そんな訳ないと。でも、もう誤魔化せない。

 

 生まれて初めて感じるこのとてつもない恐怖に、息までが苦しくなる。

 震えているのが、寒さのせいなのか恐怖からなのか、もう分からない。

 

 私の様子がおかしい事に気づいた先生は、車を路肩に寄せて一時停止した。

 

「ユイ?大丈夫か?」

 声をかけられても答える事ができない。ただ小刻みに呼吸を続けるだけ。

「落ち着け。きちんと呼吸しろ。おい、聞こえてるか?ユイ、返事をしろ」

「どうして……?血が、欲しいなら、私のを、飲めばいい……なんで、キハラをっ!」

 お腹の底から、どうにか声を絞り出して訴える。

 

「俺がいつそんな事を言った?体が冷え過ぎだ。おかしいな、ちゃんと暖房入ってるよな……」

 私の肩に手を置いて様子を見ながらも、しきりに車のエアコンを操作する。

 暑いくらいの車内で、私はなぜか凍えそうになっている。

 

 そして肩に乗せられた先生の手が、さらに冷たく感じる。

 

「側にいすぎたせいか。申し訳ない……」

 ぽつりと先生が呟いた言葉は、すでに私の耳には入っていなかった。

 

 

 アパートに着くと、先生は私を抱き上げて部屋まで運んでくれた。

 

 驚く母の声が耳元で響く。

「まあ!どうしたの、ユイ!お友達と出かけたんじゃなかった?」

「向こうでバッタリ会って。家の方向が同じだったので私の車で一緒に。とても疲れているようですので、このまま休ませてください。食事はもう済んでいます」

「済みません、新堂先生。娘がご迷惑をおかけしました」

母が深々と頭を下げる姿が、ぼんやりと目に映る。

「いいえ。お気になさらず。少々体温が下がっていますので、十分に体を温めてあげてください」

 そして、何かあれば遠慮なく連絡をと言い残して、先生は帰って行った。

 

 

 母が湯たんぽを持って来てくれたので、布団の中でそれにしがみ付いて暖を取る。ああ……あったかくて落ち着く。

 けれど頭はまだ混乱中のまま。

 

 だって、真っ暗な私の部屋に、まだ新堂先生の姿が見えているんだもの。

幻が見える……。私、ヤバいかも。

 

「済まない。驚かせたよな」その薄闇に浮かぶシルエットがしゃべった。

「っ!!本物?!何でいるの?!」夢かうつつか分からない中、声を張り上げる。

「しっ……。ミサコさんには内緒でここにいるんだ。すぐに帰る。でもこれだけは伝ておかねば、こちらとしても気が気じゃないんでね」

 柔らかな笑顔で私を見下ろし、私の肌に触れないよう気を遣って、髪を撫でてくれる。

 

「君のナイトに、俺は指一本触れていない。今、彼は婚約者のところにいるよ」

「婚約者の?キハラは生きてるの!」

「もちろん。俺が殺したとでも思ったのか」

「だって…………っ!」

 声を上げようとしたところで、先生の長い人差し指が私の口を塞いだ。

「言ったろ?もう長らく人を殺めていないと。まあ彼が人でないなら、話は別だが?」

 

 悪戯好きの少年のような笑みを浮かべて話す彼に、不本意にも魅力を感じてしまう。

 

「キハラは人間よ!だけど、とっても強いんだから……」くらくらしながら訴える。

「ああ、そうか。さあ、もう眠るんだ。また明日な」

「……また、明日?私に明日が……来るんだ」私は殺されないんだ。

「当たり前だ。明日も明後日も、明々後日も、ずーっと来るよ」先生がウインクする。

 

 催眠術にでも掛けられたようにボーっとなって、いつの間にか眠りについたのだった。

 

 

 翌朝、私はすっきりした気分で朝を迎えた。もう今までのモヤモヤはない。

 昨夜、彼がこの部屋で語った事が夢でないという保障はない。彼がここにいたという証拠も。全部自分の勝手な思い込み(願望)かもしれない。

 それでも私は、確信を持って言える。キハラは生きていると。

 

 考えてみれば、私の師匠がそうそう倒されるはずがないもの!どうして今まで、こんな簡単な事に気づかなかったの?

 

 

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