「ユイ、忘れ物はないわね?いい?すぐに新堂先生の所に行って、昨夜のお礼を言うのよ?分かった?」
「分かった分かった!行って来ま~す」
雪がまだ積もっているから、母に学校まで車で送ってもらったんだけど、道中ずっとこの話。
町の人達の中で新堂先生は、まるで神様のような存在らしい。神様のお手を煩わせた私は、バチでも当たるって?
「もう!何で朝っぱらから、あの人の顔を見に行かなきゃいけないのよ……」
それでも、母の言い分も頷けるのでお礼を言いに医務室へ向かう。
ドアの小窓から中を覗く。
カーテンが閉まっていて誰もいない。ドアには当然鍵が掛かっている。
「あれ……まだ来てないのか。昨日確かに、また明日って言ってたよね?」
あれはやっぱり夢だったのかも。
一人でブツブツ言っていると、後ろから隣りのクラスの担任がやって来た。
「おお朝霧、おはよう。こんなとこで突っ立って、どうした?」
「おはようございます。あの、新堂先生は?」
「ああ、さっきちょうど電話が入ってたみたいだ。何でも隣町で緊急の手術があって呼ばれたとか。昼には来るそうだよ」
「そうですか……」まだ会えないと分かって、驚く程がっかりしている自分がいる。
「何だ、新堂先生に何か用か?」
戸惑っている最中に、突然問いかけられて慌ててしまう。
「あ!いえ、えっと……ほらっ、私、保健係になったので!」
何とか納得してくれたようだ。早く教室に行きなさいと言い放って、去って行った。
目的を果たさないまま教室へ向かうと、知子が元気いっぱいに手を上げて手招きしているのが目に飛び込んだ。
「あ!来た来た。ユイ!こっちこっち!」
「おはよう。知子、多香子。昨日は楽しかった。それと、ごめんね」
「何謝ってんの!それより、ちゃんと聞かせなさいよ、カレの事!どこまで行ったのか」
「っ!カ、カレって誰の事?」
興味津々の知子は、ちょっとやそっとじゃ解放してくれなさそう。
助けを求めて多香子に目を向けるも……。
「うんうん。ウチら、知る権利あるよね?」ダメだ。止める気ゼロ!
どうやら二人の中では、私と先生はすっかり付き合ってる事になっているらしい。
「ねえってば!だけどさ~、あんた達いつの間にそんな仲に?」知子が続ける。
「私はユイが保健係にご指名って聞いて確信したけど」多香子は相変わらず冷静だ。
「ちょっと待ってよ!付き合ってなんてないからね?大体私、好きな人いるから」
最後の部分が一番重要なのに、二人とも聞いてないし!「ねえ聞こえた?好きな人いるの、私!だからあの人とは別に……」
「先生がユイを見る目、違うのよね~。羨まし~い!あんな超絶イケメンに愛されるなんて!この果報者!」
やっぱりダメだ。天地がひっくり返っても、この二人の考えは覆せそうもない。
それにしても先生が私を見る目って、どういうの?最初の敵意剝き出しの視線しか思い当たらない。あまりに強烈だったから!
未だに私に優しくしてくれている事がウソみたい。血がお目当てじゃないとしたら、一体私に何があるっていうのか。
「白状しなさい、朝霧ユイ!」知子が席に着いた私の方に身を乗り出した。
「別にカレじゃないってば。昨夜は晩ご飯ご馳走してくれて、家まで送ってもらっただけ」
具合が悪くなって、姫抱っこされて部屋に運んでもらった事は当然伏せる。
「それをデートって言うのよ?」と多香子。
「言わないでしょっ!」
こんな私の言い分は無視される。
「相手はあの新堂先生なのよ?分かってる?ねえ!」
だから。デートじゃないしカレでもないってば!もう反論は諦めたけど。
「それでそれで?帰り道で、キスとか……した?」恐る恐るといった様子で知子が聞いてくる。
「バっ、バカ言わないで!する訳ないじゃない!」
別の意味でなら、今後あるかもしれないけれど。あれ?血を吸う時って唇じゃないか。首筋がスタンダード?
「その慌てよう。怪し~い!」
二人があんまり騒ぐので、クラスの女子が集まり出した。
もう……やめて!
「朝霧さんたら、やるぅ~!あの新堂先生と二人っきりなんて?それだけでも、物凄い勇気いるよね~」周囲が一同に頷き合う。
「それ、……どういう意味?」
本当はこの子達も町の人もお母さんも、あの人の正体を知ってるんじゃ?
了解の上で共存とか……。
「だってぇ~!ほら、カッコ良過ぎて近寄りがたいじゃない。面と向かったら、口利けなくなる子だっているよ?」
なんだ、そういう事か。それはきっと先生お得意の催眠術よ。
「そうは言っても、皆だってあの人の事見る時、目がハートになってるじゃない。親衛隊でもいそうな勢い!少しでも近づきたいとか思わないの?」
「そりゃ~憧れの的よ?映画スターに憧れてるみたいな感じね。しょせん雲の上の人って割り切ってるワケ。それで皆納得してるのよ」
「付き合いたいとか、思わないって事?」もう一度聞いてみる。
「そんな!!恐れ多くてムリムリ!」一斉に悲鳴が上がる。
そこへ男子達が、冷めた視線を送ってくる。それを気にしているのは私だけみたいだけど!
恋の話ってつい盛り上がってしまうのよねぇ。騒がしくてスミマセン……。
「だから朝霧さん、安心して先生と付き合ってね!じゃ!」
「……ってちょっと、違うったら!」私はあくまで一般論を語っていただけなのに!
とんだ勘違いをされたまま解散となり、一時限目の授業が始まった。
これで私はクラスメイト公認で校医とお付き合いができるって?ちっとも嬉しくない!
授業は淡々と進み、午前中最後の三時限目体育の時間がやって来た。
「よ~し。じゃ、軽~く柔軟体操をしてから、順番に飛んでもらうか!」
え~!という非難めいた生徒達の声が、体育館に響き渡る。
今日の種目は器械体操。私の得意分野!げんなりする周りと違って、一人生き生きとする私。
「ユイ、何だか楽しそうね。もしかして、こういうの好きなんだ。ゲェ~!」
「朝、あ~んなに元気だった知子こそ、元気ないじゃん?張り切って行こっ!」
私はここぞとばかりに知子の背中を勢い良く叩く。
ウゲッ!とわざと言って、知子は前のめりになった。
順番が来て、颯爽とスタートを切る。
ロイター板を思い切り踏み込んで高く舞い上がると、跳馬の台に手をついてさらに飛び上がる。
ピタリと着地した私に歓声が上がった。
「お見事!朝霧、前の学校で体操部だったのか~?」
「いいえ。弓道部です」
「って、違うんか~い!それなのにスゴイじゃないか~。今度からお手本、先生に代わってやってもらおうかな」
「構いませんよ!」
まるで男子に向けるような、黄色い女子の悲鳴が私に浴びせられる。こういうので注目される方がよっぽどマシだ。
これで新堂先生との事が帳消しになればいいのに。
その後もポンポンと様々な技を披露して見せる。
「ユイ!新堂先生呼んで来ようよ!きっと褒めてくれるよ!」
バカ知子!一番集中すべきところで、そんな合いの手を入れないでくれる?
たちまち私の集中力は散漫になり、体勢を崩して頭からマットに落下した。
「痛ったた~……っ」
起き上がって顔をしかめる私に、体育教師が慌てて駆け寄る。
「大丈夫か?朝霧!」
「はい。何ともないです。ちょっと雑念が入りまして……」
手を取ってもらい立ち上がると、着地失敗にも関わらず拍手が巻き起こった。
「もう!知子のせいだからね?変なこと言うから!」
「だって、恋人に勇姿を見てもらいたいだろうと思って、つい。さっき駐車場にベンツ停まってたからさ……」
昼にはって話だったのに、新堂先生、もう来たんだ!
それだけで気分が高揚してしまう……って何なの、私?愛しの師匠が、まだ行方不明だっていうのに。不謹慎すぎる。
頭の中で葛藤してると、知子が泣きそうな顔で訴えてきた。
「そんなに怒んないでよぉ~。ユイってば!ゴメン」
私が今不機嫌なのは知子のせいじゃないよ。こっちこそ、ごめんね。
着替えを終えて更衣室から出た時、後ろから声がかかった。
私を含め、周囲の女子生徒達が一斉に振り返る。
「朝霧さん。体育の授業で頭を打ったと聞いた。ちょっと医務室へ来なさい」新堂先生がどこか心配そうに私に言う。
その顔は今日もギリシャ神話の神のように美しくて、その場の全員が釘付けになる。
「情報収集が早いですね、新堂先生は」私だけは催眠術に負けずに切り返す。
「まあね。これから昼休みだろ?ついでに昼食をこっちで取りなさい」
振り返って友人二人を見ると、行って行って!と手で合図している。止めてくれる気は毛頭ないらしい。
「それでは皆さん、ごきげんよう」
クラスメイトの女子達に眩い笑顔を振りまくと、先生は私の背に手を当てて誘導した。
後ろからは、何とも言えない感嘆の声が上がっていた。
「ちょっと。新堂先生?恥かしいから、こういう事はやめてください!」
「何が?だって本当に頭、打ってたろ。何もかも知ってるんだ。今さら隠す事もない」
「打ったけど、何ともありませんから!それに、私の方から出向くつもりだったんです」
先生は立ち止まって、大袈裟に手振りを加えて言う。
「俺に、会いに来てくれるつもりだったって?それはどういう風の吹き回しだ!」
「お母さんにっ!昨夜のお礼しろってしつこく言われたから……それだけよっ!」
勘違いしないでよね?斜め後ろの先生の顔を見上げ、きつく睨んで訴えた。
医務室に到着して中に誘導される。
診察用の椅子に座るよう促されて仕方なく腰を降ろすと、先生は本当に診察を始めた。私を誘い出す口実じゃなかったみたい。
「めまいとか、吐き気はないね?」私の眼球を覗き込んで聞いてくる。
今日の彼の瞳は、とても明るいブラウンだ。
「……はい」吸い込まれそうになりながら、何とか答える。
「首はどうかな。痛めてないか?」次に首を左右に動かされながら確められる。
「ええ、痛くないです」
「どうやら、本当に何ともないらしい……」どこか不満げだ。
「普通、喜ばないですか?それとも、私がケガしてた方が良かったとか?」
先生が、はっとしたようにパッと私から距離を置いた。
「そんなまさか!驚いているだけだよ」
時間がもったいないので、お言葉に甘えてここで昼食を摂る事にする。
母の手作り弁当を広げて一人黙々と食べる様子を、先生がじっと見つめて来る。
「あの。そんなに見られてたら、食べにくいんですけど!」
「ああ、済まん。つい」そう言いつつも視線は私に突き刺さったままだ。
諦めてお弁当を食べながら質問を開始する。「もしかして、さっきの授業、見てたんですか?」
「ああ。教師や生徒達の心を通してね。ユイは本当に運動神経がいいんだな」
今頃気づいた?勘弁して!この場で投げ飛ばしてやろうかしら?ムッとして向き直る。
「どうした?」
「いいえ。別に」力試しは次の機会に取っておこう。
「新堂先生、今日の瞳はやけに明るい色してますけど、お食事、済ませて来たんですか?」
当然固まる先生。表情は凍りついて、本当に彫刻になってしまったみたいに見える。
「そんなに驚く事ないでしょ。だって、手術して来た、って聞いたらそう思わない?」
「そういう事か。全く……。本当におまえは鋭いな!負けたよ」
先生はハハッと笑い声を上げて説明した。「ユイと会う時は、極力飢えを抑えておきたくてね」
それはつまりイエスって事だ。空腹で気が立って、私を餌食にしないように?
さすがにゾッとなった。
でも彼から血の匂いは全くしない。どこかエタノールの香りが漂ってはいるけれど。
「何だか、食欲なくなっちゃったなぁ」
「ダメだ、全部きちんと食べろ。ミサコさんがせっかく作ってくれたんだろ」
それをあなたが言う?散々生徒からもらったお弁当、ゴミ箱に入れてたクセに!
「震えているようだが、また寒くなったか?」
こう聞かれて、自分が震えている事に気がついた。「あ、いえ。大丈夫です」
「強がるな。俺がいると周囲より気温が二、三度下がるんだ。寒さを感じても仕方ない」
先生はそう言うと、ベッドから毛布を運んできて私に掛けてくれる。
「すいません……」
窓が曇るくらい室内は暖かいはずなんだけど。油断すると風邪引きそう!
そんな事を考えながら、見下ろして来る先生の表情を見て驚いた。
だってそれが、引き裂かれる痛みに耐えてでもいるようだったから。どうしてそんな顔するの?そんな顔も、この世のものとは思えない程の美しさで目が離せない。
先生が、躊躇いがちに手を伸ばしてくる。明るかった瞳に若干、影が現われている。
指先でそっと頬をなぞられた。その冷たさにビクリと反応してしまう。
「済まない」先生はすぐに手を引っ込めた。
「いいえ!……こちらこそ」
なぜか、触れられた箇所がみるみる熱を帯びてくる。
どうして私、こんなにドキドキしてるの?どうして、もっと触れてほしいって思うの?