この日の帰りは、母のお迎えを断って新堂先生の車で送ってもらう事にした。
クラスメイト達には先生から、体育で頭を打ったので念のため、という言い訳を周知済み。まあ、そんな言い訳は今や必要ないだろうけど?
「明日から、今週いっぱい留守にする」運転しながら、先生が話を始めた。
「え……どこか行くんですか?」留守と聞いて、あからさまにガッカリしてしまう。
「ああ。この先、晴天が続くらしいからね」そう言って外に目を向ける。
今日はどんよりのお天気だけど。ヴァンパイアだから、晴れの時は外に出られないのか……。
「今ユイが、何を考えたかなら分かるよ」どこか楽しそうに先生が言う。
「太陽の光に当たったら、灰になるとか思ってるんだろ?」と続ける。
「当たり!だって定番のヴァンパイアはそうでしょ?昼間は棺桶で寝てるって」
私の答えに、さもおかしそうに笑っている。こんな顔は、どこから見ても人間なんだけどなぁ。
「ねえ。違うの?」
「今は昼だが、俺は棺桶で寝てないぞ?」
「それはまあ、確かに。でもほら、曇ってるし?」
「そもそも、我々は眠らない」
「眠らない?いいな~。なら、悪夢を見る事もない訳だ」
私の答えがあまりに意表を突いたのか、途端に人間離れした表情になる。でもモンスターではなく、彫刻の方ね。
「おまえと話していると退屈しないよ!」先生は目を細めて私を見た。
穏やかな、見守られているような気分になる。
「そういえば、ミサコさんが言ってたな。眠れてないって?今もか?」
「時々ね。悪夢にうなされて。時々よ」
「それでも、睡眠は大事だ。酷いようなら薬を出すから言いなさい」
大袈裟だと思ったけれど、先生があまりに真剣な顔で言うから断れない。
「ありがとうございます。じゃ、その時は是非」
これ以上心配させないように、私は話題を変えた。
「でもいいの?今週はもう学校に来ないなんて。まだ月曜よ?」
「もともと本業は町の外科医だ。他所からもお呼びがかかれば出向く。空いた時間でいいからと、頼まれて行ってるだけなんで問題はない」
「そっかぁ。あの学校には、保健の先生っていうのは元からいないの?」
先生は頷いただけでコメントはない。
もしかして、自分が医務室を占領するために手に掛けたとか……!大抵保健の先生って、若くて可愛らしい女の人だったりするし?
そんなシーンを想像してしまう。
「何だ?」
「っ!え?べ……別に」今私が考えている事が、この人に読めなくて良かった。
先生は、もうずっと人を殺めていないと言っていた。
これは単なる私の妄想だ。
「いもしない女に嫉妬か?言っただろ。俺の気を引いているのは朝霧ユイ、おまえだけだと」
「んなっ!何のことですか?」
嫉妬?その保健の先生に?あなたが餌食にしたかもしれない女に?意味わかんない!って、何で私の考えてる事が分かったの?
私の混乱をよそに、先生は自信たっぷりの顔で笑っている。それもなぜか嬉しそうに。
「気を引いてるだなんて!それ、何度言われてもイマイチ信用できないんですけど」
ああ、そうか。「それって、私の血が特殊なヤツだからでしょ。きっといい香りするのよ」
虫にもよく刺されるし?大勢集まっていても、なぜか私だけ刺されたりする。
先生の殺人疑惑も忘れてこんな結論に達し、一人満足する。
「そうかもしれない。だが、それだけじゃない」
またも先生は、前を見ずに私だけを見ている。
これでも安全運転ができているのは、周囲の人間の心が見えるからなんだ。安全確認の必要がないなんて、便利ね~。
思わず私は声に出して笑っていた。
「何がおかしい?今、笑うところじゃないと思うが」
「ああ、ごめんなさい。別の事考えてた。ほら、どうして先生が前も見ないで運転できるのかって。そのウラが分かっちゃったから」
先生は肩を竦めてようやく視線を前方に向ける。
「今頃か?おまえにしては遅かったな!」
この反応にほっとする。「良かった。また彫刻になられたら、どうしようって思ってたの」
「彫刻か!なるほどな」彼は鼻で笑って言った。「かなり上手いこと人間を演じていると、自分では思ってるんだが……なかなか難しいものだな。ご指摘感謝するよ」
「どういたしまして」
不思議だ。私は今、人間じゃない存在とこんなにも楽しい時間を過ごしている。それもキハラに禁じられた行為を。
でも、この人が危険な存在じゃないなら?きっとキハラも考えを変えてくれるに違いない。
まだこの人が完全に危険じゃないと、断言はできないけれど。
「ねえ?新堂先生は、太陽に当たるとどうなるの?」好奇心いっぱいに尋ねる。
「どうもならない。ただ、目立ちすぎるので出られないだけだ」
今だって十分に目立っている。人間離れした美しさや、優雅な身のこなしによって。
それなのに、もっと目立つって言うの?
「それってどんな?見てみたい!」
ワクワクしながら先生を見ると、彼の表情は何の感情も映していなかった。
「おまえはもう少し、警戒心というものを持った方がいい」ふいに声を低めて、とても重要な警告だとでも言うように語る。
「なぜ?」負けずに尋ねる。
「あまり俺を惑わせるな。どこまで踏み込んでも問題ないか、判断し兼ねているんだ」
「問題?大丈夫よ、新堂先生なら。私は怖くないもの」
「そうじゃない!俺だって、過ちを犯すかもしれないんだぞ?」
「そんな事ない」
「なぜ言い切れる?」
「だってこの町の人達、先生のこと神様みたいに崇めてるのよ。もし何かあったら、それこそ大事件になってここにいられなくなる。そんな事くらい先生はちゃんと弁えてる。するはずない」
どう答えるべきか考えあぐねているという感じで、彼は黙り込んだ。
やがてポツリと言った。「それを覆す程の魅力が、自分にあるって事を忘れるな」
「そんな事を思ってるのは、世界中で先生だけよ!」
私にそんな魅力があるなら、キハラはとっくに私のものになってるでしょ。フンだ!
「何だよ、急に不機嫌になって。何を考えてるんだ?」怒らせるような事は言っていないぞ、と先生は首を傾げている。
女心なんて、何百年生きても男には分からないって事ね。
大きなため息を、聞こえよがしについてみた。
そんな先生が気を利かせてか、こんな提案をしてきた。
「週末、どこかへ出かけないか?気晴らしにもなる」
「どこかって?それって二人でって事よね」
「ああ。すでにこうして、二人きりで行動している時間も増えた。問題はないだろう」
「あるわ。先生が安全確認の達人って事は分かったけど、スピード違反は大いに問題!」
これを聞いて、先生が声を上げて笑った。
「これは面白い!俺を怖がる理由はいくらでもあるのに、俺の運転を心配してる訳か!」
呆れて首を振って、次の瞬間には真剣な顔になる。
「行くなら、俺と一日過ごす事、ミサコさんにはちゃんと言っておけ」
この言葉には何か、別の意味が込められている気がした。
そんな事を話したら、また私に天罰が下るじゃない!だって神様を独り占めするって事でしょ?
「それはそうと、どこへ行くの?スピード狂のドライブには、あんまり付き合いたくないんですけど!」なんていうのはウソだけど。
「天気が良さそうだから、俺は一目を避けないとならない」
だから学校にも来ないんだった。留守にすると言っていた事を思い出した。
「なら、町中は無理ね。あ……でもそうすると、私も会わない方がいいんじゃ?」
当たり前の事にふと気づく。
「話の流れ的に、誘ってるおまえを置いて俺一人で行くのは変じゃないか?」
「そうだけど!」一目を避けるって、私も見ちゃいけないのかと思うじゃない?
「まあ……ユイさえ良ければの話だが」やや戸惑った様子で確認してくる。
いいに決まってる!「先生の秘密、余すところなく暴くつもりだから」
「お手柔らかに頼むよ」こう返した先生だけど、とても嬉しそうだ。
「でもミサコさんには、きちんと話しておいてくれ」
またその話?「それがそんなに重要?」
「ああ重要だ。ユイを無事に連れて帰らねばと、自分に言い聞かせるためにな」
先生と出かけて私が行方不明になったら、真っ先に自分が疑われる。疑惑の目は簡単には消せない。この小さな町ではたちまち噂が立つ。
そうなればここには住めなくなる。それは先生にとっても絶対に避けたい事。
自分を戒めて必死で踏み止まっているのか。私は本当に危険なのかもしれない。
ふいに、前方に目を凝らして(珍しく前方に気を取られて!)先生が呟いた。
「面倒だな……」手はハンドルの上で固まっている。
「どうしたの?」
先生の瞳には、動揺の色がはっきりと浮かんでいる。これから何か起こるの?
私は不安になって無意識に身構えた。
「思ったよりも早かったな。もう少し時間がほしかった。問題発生だよ」
「問題?」
「ああ。遠出はしばらく延期……いや。中止になるかもしれない」
「何で?!」そんなぁ!
ほんの一瞬だけ私を見て、すぐに視線を反らす。その目は相変わらず前方を睨みつけている。
日が暮れかかるどんより薄暗い前方に、私も目を凝らす。ヘッドライトの明かりが点っている辺りを。
そこには、見覚えのある白い車が停まっていた。
「あ、あれって、キハラじゃない?」私は思わずその名を口に出していた。
続いて先生が言う。「ミサコさんもすぐ近くまで来てるよ」
「送ってくれてありがと。それじゃ、先生またね!」
気もそぞろになって、急いで車から飛び降りドアを閉める。
この時はただただ、やっとキハラに会えたという喜びだけ。先生と二人きりでドライブしていた罪悪感なんて、すっかり頭にない。
こんな私の後ろ姿を、どこか悲しげに見つめる新堂先生に、私が気づくはずもなく。そしてキハラと彼の視線が激しくぶつかっている事にも、もちろん気づかなかった。
白い車の元へ走って近づくと、愛しの師匠が車から降りて来た。
「キハラ!どうして何も言わずにいなくなるのよ!とってもとっても心配したのよ?」
「申し訳ありません、ユイお嬢さん。緊急の要件で、どうしても行かねばならず」
「それって婚約者さんでしょ?何があったか教えてくれるよね」
「……なぜそれを?」
「あ、それは……」
新堂先生から聞いたなんて言えない。
でも、もうバレてるよね。だって今も一緒にいたところを見られてるし。
答えに困っていると、キハラが言った。「やはり忠告は無意味でしたね」
「あのねキハラ!新堂先生の事だけど!」
「とにかく、もう暗くなります。部屋に入りましょう」
キハラは私の話を遮って、アパートの方へ私を促した。
「ユイ、お帰りなさい。あらキハラ。あなたもいたの」先生の予言通り母も現れた。
「お母さんも今帰ったの?」
「ええ。お夕飯これからなら、良かったらキハラも食べて行って」
「恐れ入ります」
律儀に姿勢を正して深々と頭を下げるキハラを、チラリと見ただけで母は部屋へと入ってしまう。
まあ、夕ご飯を一緒に食べられるなら、文句は言えないか。
「ほら行こ!キハラ!」いつまでも頭を下げたままのキハラの腕を掴んで引っ張った。
こうなったら、新堂先生の良さをお母さんにもアピールしてもらおう。
キハラを何とかして説得しなきゃ。
こうして始まった夕食タイムは、もちろん和やかなムードとは行かない。
「ユイ。また新堂先生に送ってもらったの。ダメよ?先生は忙しいんだから」
「そうです、ユイお嬢さん。これからは自分がお迎えに上がります」
何よ、どうしてそう来るの?二人して!
「違うの。今日学校でね、体育の時、頭から落ちちゃってさ。それで先生は心配してくれて、念のためって……」これは墓穴を掘った。
「まあ!ケガしたの?どうなの、大丈夫なの!」母が騒ぎ出す。
「してない!どこも何ともない!念のためって言ったでしょ」
何とか母を宥めても、すぐに次の急襲がやってくる。「ユイお嬢さん。今日の授業は何だったのです?」
キハラの鋭い目線に思わず俯く。「体操。跳馬を少々……?」囁きに近い声で答える。
「さては、余計な事を考えていましたね」
図星だ。さすがは私の師匠。でも今は嬉しくない!「スイマセン……」
鋭さをさらに増した視線が私に突き刺さる。久々の感覚に胸が疼く私って、ヘン?
けれど、すぐにその視線は外された。
あれ?何だか呆気ないな。どうしたのかな。逆に不安になって、今度は私がキハラを覗き見た。
キハラは静かに食事を進めていた。
拍子抜けして自分も箸を進める。
「お母さんの料理は最高だわ!この煮物なんか絶品!ねえキハラ?」
「ええ。本当に。自分までご馳走になって恐縮です」
「いいのよ。遠慮せずに召し上がれ」
ようやく雰囲気が落ち着いてきた。
ここぞとばかりに話を切り出す。
「今日新堂先生ね、なかなか学校に来なくて。隣町の患者さんの手術してたんだって。本当に忙しいんだよね、あの人」
「そうよ。とっても優秀だから、時には外国にも行くみたいよ」
「ホント?!スゴーイ!」大袈裟なくらいに驚いてみせる。
「ありがたいわ。そんなお医者様がこの町にいてくれて」
「そうそう!ありがたい、ありがたい!」
チラリとキハラを見てみる。全く話題に乗ろうとしない。
ならばこっちから聞いてやるんだから。「ねえキハラ。そう思わない?」
「そうですね」
何?その返事は。ヴァンパイアだってもっと感情豊かに答えるわよ!
母を使って新堂先生の良さを伝える作戦は、どうやら失敗に終わったようだ。
「ご馳走様でした。それでは自分はこれで。また明日伺います」
「ご苦労様。よろしくね」
「ねえ、キハラ!話があるんだけど」
「ユイ。明日にしなさい。キハラもさっき着いたばかりで疲れてるんだから」
いいえお母さん、この人は全然疲れてはいないと思いますが!こう反論したかったけれどやめた。それは、キハラが目で従えと訴えているのが分かったから。
私は唇を真一文字に結んで静かに頷いた。
新堂先生が言っていた問題発生というのは、キハラが戻って来る事だった。これからどうなるんだろう。こんな不安が頭から離れない。
確かにこれじゃ、遠出デートは中止かも……。