誰かに対して恋をする機会もなければ、姉上以外の女性と話すことなどなかった。産まれた頃に母親が病気でこの世を去り、厳格だった父からは愛情ひとつ注がれず、幼くして僕は姉上と共に「咲良家」を出た。
それ以降はただ己の力のために生きてきた。
ある日姿を消した姉を追い、累お嬢様に拾われエルエリア国軍の軍人となってからもそれは変わることは無く、このまま無縁の人生を送るんだろうな、と勝手に想像していた。
そう、あの人に出会うまでは。
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ある冬の夜、僕は修練場に居た。
「ふっ……はぁっ……っああっ!!」
凍えるような板張りの床を踏みつけ、目の前のサンドバックに蹴りを与える。
「……はぁ……はぁ…………っ。」
汗ばみ、熱を帯びる身体を床に預ける。身体が床の冷気でクールダウンされていくような気がした。
……気が落ち着いてきたせいか、急激な眠気に襲われた。いや、ここで寝たら確実に凍えてしまう。雪中訓練で学んだじゃないか__。
だが、寝てはいけないと脳がシグナルを発してるにも関わらず、身体はどんどんと睡眠を求めていく。
いつしか、僕の意識はどんどんと闇の中へ落ちていってしまった。身体が凍えているのは分かっていたが、それでも疲労が溜まりきった身体を制御するのは不可能だった。
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ふと、数時間後に目が覚めた。しかし硬く冷たい修練場の床ではなく、暖かいベッドの上だった。
「……んぅ…?あれ……ここは……?」
「ようやく起きたか……いくら明日が非番だからってお前、わざわざこんな深夜までトレーニングしなくてもいいだろうに…」
キッチンから声がした。この声、間違いない。
僕が所属する第368特殊警護部隊、通称''カラス''の隊長。
「天衣……さん?」
「体冷えてるだろ、インスタントだけどココア……」
そういうと天衣さんはリビングの机の上にマグカップを置いた。
僕はベッドからよっこいしょ、と降りてリビングのカーペットにちょこんと座り、向かいに天衣さんが座る。
「いただき……ます……」
僕はココアをそーっと飲んだ。五臓六腑に優しい熱が染み込んでいく。
「…確か、うちの隊に来てから……ようやく3ヶ月か。」
「はい……。」
「ここ3ヶ月の働きを見て、お前のことは十分に評価しているよ。戦闘だけじゃなく、人格としてもな……」
天衣さんは自分のマグカップを傾けながらそう言った。
「……ありがとう、ございます……」
すると、マグカップを丁寧にテーブルの上に置いて、天衣さんは改まったように僕を見た。
「………………教えてくれ。お前の過去。お前の生い立ち。」
「……?どういうことですか……?」
「いつもお前がよそよそしくて静かな理由を知りたくてな。それに、私はお前が笑っているところを1度も見た事ないんだ。何か……何がお前をそうしたのか教えて欲しい。」
突然の質問に意図があるかどうかは分からない。でも僕は、全てを話してみようと思った。
「……僕が幼い頃に母上がこの世を去りました。まだ僕が物心着く前です。……厳しかった父上と違い、母上は優しかった……らしいです。」
「…親からの愛情を…感じるほど受けられなかった、と。」
「……はい。」
僕は愛情などというものを知らない。甘えたことなどなければ、施しを欲したことも無い。
「全てを剣に授けた身です。甘えなどもってのほかだと……父上は言っていました……」
「…子供らしくないな………お前はまだ16なんだよ。もっと子供らしく、小さい頃に甘えられなかったんなら……今でも構わないさ。」
天衣さんは、優しく僕に語りかけた。
「……寂しくなかったのか?お前は。愛情っていう感情を知らないまま……育って。」
全てを見透かしているような天衣さんの言葉に動かされ、僕は思いの丈を吐露した。
「……寂しかった………何を信じればいいのか分からなかった…愛とか恋とか感情とか、知らぬままに身体と胸が苦しくて……っ!」
無意識に胸が苦しくなる。これが……愛という感情?
「そうか……苦しかった……だろうな…」
天衣さんは少し立ち上がると、僕のことを横から抱きしめた。
「天衣……さん……っ。」
「辛かったろうに、苦しかったろうに……」
僕を優しく抱きしめた後にそっと頭を撫で背中をさすった。
「もっと甘えて構わないんだぞ…?……そうだ、何であれば…私がお前の母親になってやるから……」
穏やかな口調で、包み込むような温もりが僕の凍てついた心を溶かしていく。
「あま…ぎ……さん……っ……」
嗚咽が漏れ、眼から零れた僅かな雫は一筋の涙へと変わっていく。
天衣さんは何も言わず、ただ僕のことを撫で続けていた。まるで泣きじゃくる子供をあやす様に___。
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