ソリュシャンが溶けている。形体がではなくて比喩である。ソリュシャンの体は美女の姿を保っている。
溶けているのは頭の中と思われた。
「そ……ソリュシャン、様……」
お屋敷三階の廊下で、カルカはばったりとソリュシャンに遭遇してしまった。
双子幼女が庇うように前に立つ。
子供に庇われるわけにはいかない。カルカは幼女たちの肩に手を置き、前に出た。
精一杯の努力で笑みを浮かべてみせるが、体が強ばるのは避けられなかった。
と言うのも、カルカはソリュシャンに会う度に苛められているからだ。無視なら良い方。皮肉に侮辱があらゆる形で飛んでくる。
形だけとは言え、ソリュシャンが想う殿方の妻に選ばれたことを忌々しく思われているとは想像に難くなかった。
カルカが自らの意志で勝ち取った立場ではなくとも、そんなことは恋する女に関係ない。
残念ながら、旦那様は庇ってくれない。自分にあまり興味を持ってもらえていないようで、必要最低限以外の接点がない。
自助努力でなんとか環境を改善したいのだが、どこから手を着ければいいのか全くわからなかった。
そもそもソリュシャンは人間全般を見下していることを、カルカはまだ知らないでいた。
ソリュシャンは、美しい微笑を浮かべた。
「お前は……。いえ、あなたは曲がりなりにもお兄様のパートナーとしてここにいるのよ? それなのに私のことを『ソリュシャン様』と敬称をつけるのはよくないわ。これからはソリュシャンと呼びなさい」
「……えっ」
カルカは思わず瞬きをして、ソリュシャンを見た。
自分の聞いたことが信じられず、確かめるように双子と、ソリュシャンの後ろに控えるシェーダへ視線を飛ばす。
「後でそんなことは言わなかった、なんて言わないわ。お兄様はとても整合性を気にかける方。言ったことを言わなかったなんて言ったらお叱りを受けてしまうもの」
言った言わないで、主神アルベドに食ってかかるほどである。
そして一端ブレーキが壊れると、ソリュシャンが感心するほどの毒舌が流れるようにいくらでも飛び出てくる。結果、心を折られる。
「シェーダが証人よ」
「たまわりました」
ソリュシャンのお付きにして、カルカと双子幼女を教育しているシェーダが恭しく頭を下げた。
「……せめて『さん』を付けてもよろしいでしょうか?」
「ソリュシャンさん………………、響きが悪いわ。呼び捨てで結構。早速呼んでみなさいな」
「それでは、その……、ソリュシャン…………。これでよろしいでしょうか?」
「固いわね。これまできつく当たることもあったから仕方ないかしら」
「それは……、ソリュシャンからの指導を得難く思っていました」
「その割には部屋に引きこもって、私に会わないようにしていたようだけれど?」
「…………」
図星である。
カルカは口をつぐみ、そっと視線を下げた。
「あっ!」
下げた視線はすぐに上げられた。
ソリュシャンに顎を掴まれ、上を向かされたのだ。
掴むと言っても指を添える程度。痛いようなことはなかった。
「あなた…………。まあそれなりに見れる顔をしているのよね」
言外に、人間にしては、と付け加えた。
以前とは違う気苦労を背負うようになったが、その程度でローブルの至宝と歌われた美貌は色褪せない。人間関係はともかくとして、住環境は一国の王であったときよりも良くなっている。
「でもお兄様とは何もない。そうよね?」
「は……はい。旦那様はアルベド様のお言葉を守り続けています」
「そうじゃないのよ」
「え……」
カルカが屋敷に来たその日に、アルベドも屋敷を訪れた。
その際、カルカをあてがわれた男へ「その女を孕ませては駄目よ」と言いおいた。
孕むようなこと、すなわち男と女の関係。
カルカは、旦那様となった男から手を出されたことが一度もない。
ソリュシャンはそのことを当てつけることもあって、「処女臭いからお兄様は手を出さない。下男たちに股を開いて男を教えてもらったら」と言ったこともあった。
「お兄様は多情な方だけれど、すごく受け身なのよ。女の方から迫らないと」
手や口で抜いてもらうことはよくあっても、最後までいくのは女の方からねだるのがほとんどだ。
そのくせメイドから迫られると手を出してしまいそうな危うさがあり、頻繁にシクススがしばいているのは余談である。
「私から? そんなことを……、ですがよろしいのですか?」
国王であったカルカに、男に迫った経験があるわけがない。
女たちの噂話も、そのたぐいのことはカルカの耳には届かず、劇や小説で見たり読んだりしたことしかない。それだって直接的な表現はない。非常にソフトな表現になっている。
迫り方は措いておくにせよ、あの方を想っているはずのソリュシャンからそのようなことを提案されるとは。
「それに、アルベド様のお言葉もあります」
する事をすれば出来てしまうかも知れないのだ。
「そこは私がどうにかしてあげられるわ。応援はしないけれど、背中を押すくらいは、ね。あなたはお兄様の対外的な妻。私は本当の妻になるの。いがみ合っても仕方ないでしょう?」
カルカはまたもパチパチと瞬きをした。
目の前にいる美女が本当にソリュシャンなのか、知らない内に幻術を掛けられたのか、瞬き程度で幻術を打ち破ることは出来ない。
「今の話はシェーダも聞いているわ。心配しなくても大丈夫よ。シェーダ、あとでお兄様に今の話を伝えておいて」
「……かしこまりました」
「それではご機嫌よう」
ソリュシャンは双子の頭を撫でて、その場を後にした。
カルカはしばらくの間、呆けたように立ち尽くした。
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「どういうおつもりですか?」
「どういうって?」
「なーんでおにーさんとあの女をくっつけるような事をするかってことっすよ」
「やだわ。ルプー姉様ったら盗み聞きしていたの?」
どこからともなくルプスレギナが顔を出した。
カルカとの会話を始終聞いていたらしい。
「同じ女として哀れに思ったからよ。他意はないわ」
「えーーーーー、うっそだぁーー」
ソリュシャンはにっこりと微笑んだ。
「それよりお兄様は? 今は何をなさっているの?」
「……お客さんっすよ。こっから見えるんじゃないっすかね?」
三階の窓からは屋敷の敷地内がよく見渡せる。
庭園の木々は葉を落としているが、春になればさぞ美しい眺めとなることだろう。
ルプスレギナが指し示すのは庭園から外れ、簡素な柵で囲われた演習場である。
先だってモモン様とナーベ様が剣を合わせた場所であり、アウラ様がドラゴンを着陸させることもあり、普段は若旦那様が剣の素振りをしている。
今日は剣の受け手があった。
「女?」
黒い軽鎧を着けた女が淡い金色の髪を靡かせている。
手にする得物は男が持つカタナブレイドとは違って、極一般的な長剣。あらゆる方向から飛んでくる剣撃を危うげなく受け、あるいは流す。
ソリュシャンたちが遠目に見る中で激しい動きがあった。上段からの切り下ろしを受けたはずなのに、大きく飛び退く。金髪が舞い、女の顔が露わになる。
女は右目だけを大きく覆う銀色の仮面を着けていた。
「帝国四騎士の一人で、レイ……レイ……、レイアースとか言う名前で」
「ルプスレギナ様、レイナースです」
「レイナースっすね」
「ふうん……」
年の頃は二十を幾ばくか過ぎたあたりか。
軽鎧を着けているので体つきはよくわからないが、顔立ちはそれなりに整っている。艶やかに笑えば騎士などより貴族の令嬢に見えることだろう。
「人間にしてはそれなりに見れる顔ね」
ソリュシャン的には、金髪と言うところもポイントが高い。
しかし、ルプスレギナは首を振った。
「元は良かったかも知れないけどあれはダメっすね。顔の右側に仮面を着けてるのが見えるっすか? あれ、初めて会ったときは着けてなかったっす」
「仮面の下に何かがあるの?」
「ドロドロっすよ」
帝国にとって、魔導国は非常に重要な国家である。魔導国から遊学に来た学士を公使として扱い、皇帝が直々に声をかけるほど。よって、魔導国の公館であるお屋敷へ遣わすのに下手な人間は使えない。
数多いる貴族や重職につく者たちでは、自国より自家や自分を優先するかも知れない。ゆえに、皇帝直属である帝国四騎士が遣わされることが多かった。
ある意味において魔境である魔導国の公館へ遣わすのだから、ある程度の強さは必須と考えたのもある。
帝国四騎士は、マーレ君がやんちゃしたせいで一人欠員が出てしまい、現在は三騎士となっている。
その三人が順番に学士殿の機嫌伺いに来ていたのだが、三人の内二人はとても嫌がった。
何でも、学士殿と顔を合わせると男としての劣等感が刺激されてしまうのだとか。
消極的な理由で、三騎士となった四騎士の紅一点であるレイナースが、小間使いのような伝令役を担うようになっていった。
レイナースは、ソリュシャンの目からしてまあそれなりに見れると評される女である。
女をあの男へ近付けることを、皇帝は無駄なことと思い極めていた。女をあてがったところで取り込まれるのが落ち。しかし、レイナースならそのようなことはないと判断していた。
「顔の右半分がどろんどろんに爛れてるんすよ。最初は髪で隠してたっすね」
レイナースが持つ本来の美貌は、モンスターから受けた呪いによって失われてしまった。
そこからレイナースの人生は転落し続け、帝国四騎士となった今になっても美しい者への憎悪と嫉妬は深くなるばかり。
間違っても美貌の男へ心を許すわけがないと思われた。
「でも、お兄様ならそんなことは気にしないのではなくて?」
ルプスレギナは呆れたような顔で両手を広げて見せた。
レイナースの顔を初めて見た時の男の反応は、「俺とは反対だな」であった。
ポーションで回復される以前の男は、顔の右目付近を除いて醜く焼き爛れていた。レイナースは呪いによって顔の右目付近が爛れている。
男にとっては、鏡でずっと見てきた己の顔より遙かにましで、多少爛れていようと気にならない。
思いも寄らない反応に硬直するレイナースを余所に、断りなく爛れた肉に触れ、指を汚す汚らしい膿を舐めて「苦い」と素直な感想を述べ、ルプスレギナに回復できるかどうか訊いてきた。
傷病ではなく呪いであるため、ルプスレギナにはどうにもならなかった。
ならば次善策と言うことで、老廃物を吸収分解する魔法のローションを塗ってやった。
レイナースが爛れた顔を髪で隠すしかできなかったのは、頻繁に膿が出てくるからだ。出てきた膿を拭うために、顔を仮面などで覆っていると邪魔になる。
しかし、膿が無味無臭な液体へ分解されるなら問題ない。以降、顔の右目を覆う銀仮面を着けるようになった。
なお、レイナースに使用した魔法のローションは、元々はシャルティアとのアナルセックス用に開発されたものであることはレイナースは知らない方がいい事実である。
「ルプー姉様でも回復出来ないの?」
「あれは怪我とかじゃなくて呪いっすから私には無理っすね」
「私には。でも、回復する方法はある。そういう事ね?」
「……そっすよ。そのあたりの話は私に任せたもらえないっすかね? 少しずつ話を進めてるとこっすから」
話は終わりとばかりにルプスレギナが歩き出そうとしたその時、涼やかな鈴の音がチリンと響いた。
「……いらっしゃったようですね」
「そうですね。私が奥の間へ参ります。ルプスレギナ姉様は相談役殿を呼んできていただけますか」
「わかりました」
お屋敷の三階にだけ鳴り響く鈴の音は、お食事部屋にいらしたアルベド様が呼んでいると言うこと。
ソリュシャンは足早に奥の間を目指し、ルプスレギナは三階の窓から飛び降りた。
一人残されたシェーダは、帝都に来てから一度も手を出されていないのは自分からアプローチしていないからだと気が付いた。
今度誘ってみようと心に決める。
▼
「相談役殿、本国から連絡がありました。お急ぎを」
「わかりました。レイナースさん、申し訳ありません。私はこれで失礼いたします。どうかまたいらしゃってください」
「お気になさらないでください」
駆け出す男を、レイナースは名残惜しく見つめた。
絹布に包んだ銀仮面をきゅっと胸に抱く。男の姿が屋敷の中に消えるまで、レイナースは動かなかった。
「邪魔をしてしまったようですね」
「そのようなことはございません。学士殿には重要な責務があると理解しております」
「そうですか。……これからいいとこだったみたいっすけど?」
「ルプスレギナ殿が懸念されるようなことは何もございませんわ」
「それ、外してるっすね?」
「……」
レイナースは、仮面を外して手に持っている。
ルプスレギナが来なければ、仮面の下にローションを塗ってもらっていたはずだった。
誰からも、自分すらも嫌悪する醜く爛れた顔。
それなのに、嫌そうな素振りを見せることなく、顔を見て、顔に触れてくれる。
学士殿から顔に触れられる官能は、言葉に表せない。
誰もが醜いと断じて、そのせいで婚約を反故され、実家に見捨てられ、万策を尽くしても癒せない顔を、何でもないかのように触れてくれる。醜さを気にしなければ、膿で手が汚れるのも気にしない。
学士殿の前では醜い顔を恥じる必要がない。醜いままでも許される。ありのままの自分を受け入れてくれる。
ローションを塗ってもらう一時が、レイナースにとっては何物にも代え難い至福となるのに時間は掛からなかった。
「見せてもらっていいっすか?」
「……どうぞ。ご覧になってください。ルプスレギナ殿もよくご存じの物です」
レイナースは髪が靡かないように手で押さえながら、絹布に包んだ仮面を渡した。
ルプスレギナが仮面を見ている間に、こっそりとローションを塗り直す。
一度塗ったら水で洗わない限り、半日は効力が持続する代物だ。ほんの少量でもよく伸びて、風呂の前に全身に塗り伸ばしてから体を洗うのが日課となっている。おかげでお肌が艶々である。
もらったローションは小瓶で二つだが、減り方から計算すると、毎日使っても一瓶で一年以上はもちそうである。
「字は汚いのに器用っすねぇ、ほんとに」
ミスリルなどではなくただの銀。魔法は掛かっていないため、防具としての耐久性はゼロ。サイズが着用者に自動で合うこともない。
ただし、レイナースの顔形にぴったり合うように作られている。表面には目を包むように一対の翼の意匠が彫られている。
若旦那様が手ずから作った仮面なのだ。
ルプスレギナがぼやいたように、あの男の字は下手を通り越して読めなくなった。
現地の文字はそれなりなのだが、日本語は壊滅的である。文字の修得を始めてから崩れ字になった現在までの経緯を見てきたソリュシャンとルプスレギナでなければ読めない。文字として認識できない。
二人は実務的な理由で男から離れられなくなったわけだが、それはそれで二人にとって嬉しいことなので不満はない。
しかし、下手な字を通り越して模様のようになってしまった文字である。同じ文字であっても、前後の文脈によって形が変わったりするため、暗号に使えるかも知れない。
字は下手なのだけど、物凄く器用なのだ。細い髪の毛を縦に半分に裂き、更に半分に裂けるほど。
造形を捉える観察力と記憶力は群を抜き、そこへ美的センスを加えればナザリックの守護者達の装飾品を任せてもいいレベルになるかも知れないのだが、本人はなろうと思っていないし、男の器用さを知るルプスレギナたちもそこまではと思っている。
「学士殿とは少しお話をさせていただきましたわ。アインズ陛下のことがあっても魔導国は変わりないようでございますね」
「そっちの話はおにーさんにお任せっすね」
ルプスレギナも知っていると、レイナースは直感した。
アインズが魔皇ヤルダバオトとの戦いで命を落としたとの報は帝国にも届いている。
それは真か偽かを探るのが、レイナースの重要な使命であったはずなのだが、命令を下した皇帝は些か以上に投げやりだった。
「それより例の話。どうっすか? 急がせるつもりはないっすけど、こっちの準備もあるから早い方がありがたいっすけどね」
「……もう少し待っていただけませんか?」
「いつまでも待つっすよー。時間切れになるまでは」
「っ!」
「わかってるはずっすよね。おにーさんがいつまでも帝国にいるわけがないって事を」
「……ええ。重々承知の上ですわ」
密かに想い続けるか。
ルプスレギナの提案を受けて想いを断つか。
これまでのレイナースであれば、一考の余地もない事だった。
それが今や、身を裂くような岐路となってしまった。
そろそろセバスにSEKKYOUを書かねば
そろそろ娘の名前を決めねばだけど重要キャラでもなしその時思いついた名前になりそうです
91話を修正
ゼロ次元と1次元を間違えてました