レイナースが剣を振るい続けてきたのは生きるためと、矛盾するようだが女に戻るためだった。
貴族の令嬢であったレイナースが、女だてらに剣をとり領地のモンスターを駆除したことが呪いの始まり。呪われた剣であるが、生家を放逐されたレイナースが頼れるのは剣の腕だけだった。
剣を振り続け、その末に帝国最強の四騎士の一となっても剣を振り続けた。地位を得た。財を築いた。己を捨てた者たちへの復讐も果たした。
それでも剣をとり続けたのは、己の価値を保つためである。皇帝の覚えをよくし、その長い腕で呪いを解く術を見つけてもらう。
女を失ったのが剣故なら、女を取り戻すにも剣が必要だったのだ。
呪いを解き、醜い顔を癒して美貌を取り戻し、女に戻る。
それが、レイナースが生きている理由と言って過言ではない。
しかし、呪いを解かなくても自身を女と扱ってくれる殿方に出会えたならば、存在するのか定かではない呪いの解き方を探す必要は、なくなってしまうのではないだろうか。
明くる日も、レイナースは魔導国の公館を訪れた。
魔導国の学士殿と軽く言葉を交わした後は、剣を交わすのがいつものこと。
学士と言うのだから文官なのだろうが、文官とは思えないほど剣が冴えている。
無論、帝国最強の一であるレイナースが本気になれば、防御ごと一刀両断にすることは容易い。逆を言えば、本気を出さなければ仕留められないほど手強い。
力に頼らない玄妙な技はレイナースにも得るものが多い。今日はどのような妙技を見せてくれるのかと期待するも、美貌の男は椅子から立ち上がらなかった。
「どうかなさいまして? 今日はお顔の色が冴えないようでございますね」
「……私の顔色はそんなにわかりやすいですか?」
「よく見ていれば気付きますわ。よろしければ何が学士殿を悩ませているのか、お聞かせ願えませんか?」
「レイナースさんに相談するまでもないことですが……、無用な心配を掛けるわけにもいきませんね。エ・ランテルの友人から手紙が届いたんです。子供が産まれたから名付け親になって欲しいと」
「それはそれはおめでたいことでございます」
「めでたい……。めでたいことではあるんですが、名付け親なんて初めてでして、いったいどんな名前がいいものやら」
「学士殿がその子にどのようなことを願うか。それ次第でございましょう」
「健やかに育つことを願うばかりです。……男ならゲンキ。女ならゲンキコ。如何でしょう?」
「絶対ダメです。もう一度言います。絶対にお止めください。そのような名前を贈ったら縁を切られてもおかしくありません」
「そ、そこまで、ダメですか?」
「ダメです。本当にお止めください」
「わかりました。……ああ、いったいどうすれば……」
「安直かも知れませんが、過去の偉人から名を頂くのもよいかと」
「それです!」
男は勢いよく椅子から立ち上がったかと思うと、しおしおと座り直して頭を抱えた。
「候補を千個くらい思いついたんですが、今度はどうやって絞れば……」
「ふふ……、学士殿のセンス次第でございますね」
レイナースの主である皇帝がこの場にいたら目を見張ったかも知れない。
いついかなる時も無表情を張り付けているレイナースが、声を立てて笑ったのだから。
「それにしても、一瞬で千個も思い付くなんて」
「本を読むのが私の仕事みたいなものですからそれくらいは。どのみち、その子に会うのはエ・ランテルに戻ってからになります」
「……いつお戻りになるのですか?」
「時期を自分で決められるほど私は偉くありませんよ」
「学士殿は……、命令一つでお戻りになってしまわれるのですね」
「ええ」
少女のように思い続けられれば、それはとても甘美なことだろう。
しかし、いつか必ず帰ってしまう。
立場もある。
己の地位はとても軽いものだ。誰もが羨む帝国四騎士だろうと、皇帝とは解呪の情報を対価にした契約だけの関係。恩はあっても忠誠はない。帝国四騎士の座など目的を果たせばその日に捨ててしまえる。
己は軽くとも、相手はそうもいかない。
魔導国から遊学に来た学士であるが、その実、魔導国宰相閣下の相談役。彼の魔導国の中枢に直接声を届けられる立場。軽い己とは雲泥の差。
想いを告げて想いを果たせても、遠からず終わりがやってくる。そんなことになってしまえば、確実に未練となる。
思い出を胸に抱いて生きていけるほど強くなれそうにない。
だったら、始めから。
「ふーん、ちょっち意外っすね。そっちを選ぶんすか?」
「はい。学士殿はいつか必ずお帰りになってしまわれます。今ならまだ…………、断ち切れます」
「まあ、全然気付かないおにーさんも悪いんすけどね。じゃ、そーゆーことで手配しとくっす。明日もこの時間に、誰にも知られずに。門番には黙って通すように言っとくっすから」
「承知いたしました。ルプスレギナ様に感謝いたします」
「約束はきっちり果たしてもらうっすよ?」
「当然でございます」
▼ ▽ ▼
「これから何が起こっても絶対に口を開かないように。目も開かないように。私も結構きつい橋を渡ってるんすから!」
「かしこまりました」
「いらっしゃいました。レイナース殿はその場でお待ちください」
「………………」
「ルプーと、そいつはなんでありんすか?」
「わざわざのご足労、まことにありがとうございます。この者がペストーニャ様にお願いした者でございます」
「ふーん? ま、どうでもいいでありんすね。それじゃ私はちょーーっと遊びに行ってくるでありんすから、1時間……2時間後に来ればいいでありんしょう?」
「今日はいらっしゃらない日でございます」
「よっしゃ!」
「解呪は一瞬で……、行ってしまわれましたね、わん。ですが私も折角来たのですから、シクススたちの様子を見てこようと思います、わん」
「シクススたちもペストーニャ様にお会いしたい様子でした。今は隣室に待機させております」
「そうでしたか。それでは早速…………。ふむふむ、女の顔にこれは……とても辛かったでしょう、わん。……ルプスレギナ!」
「はっ!」
「私、感動しました!」
「はっ?」
「まさかルプスレギナが誰かを思いやって傷ついた顔を癒そうと考えるなんて……思ってもみませんでした、わん! あなたの心にも優しさが芽生えてきたのですね、わん」
「は……はっ、光栄でございます!」
「これからも神官に相応しい優しさを抱き続けてください、わん」
「……はっ、かしこまりました」
「……解呪は終了しました。以降、あなたの顔を呪いが蝕むことはありません、わん」
「…………」
「この者には口を開かないよう伝えておきました」
「そうなのですか? いずれエ・ランテルに来れば会うことがあるかも知れませんね、わん。それでは私も席を外します。時間になったらこの部屋に戻りましょう、わん」
「承知いたしました。………………目を開けていいっすよ」
銀仮面はテーブルに置かれている。
手鏡も置いてあった。
恐る恐る手を伸ばして覗き込む。
右目を隠す髪をかき上げた。
肌には僅かな傷もくすみもなかった。
視界が歪んでくる。
声を立てずに泣き始めたレイナースを前に、ルプスレギナの心には柄にもなく良いことをしてしまった心地よさが訪れていた。
▼ ▽ ▼
決意をしてしまえば、驚くほどあっさりと呪いは解けた。
飽くことなく鏡を眺める。
次の瞬間には呪いが力を取り戻して、またも爛れた顔になってしまうのではないか。鏡を見る度に恐怖を覚えるが、そんなことは一度もない。肌は美しい輝きを放ち続けている。
呪いが解けたら、してみたいことが幾らでもあった。あれをしたいこれをしたいと、わざわざ日記につけていたくらいだ。
それなのに、どうしてこんなに空虚なのか。
呪いが解けた喜びを分かちあえる人がいないからだと気が付いた。
「こんな時間に珍しいな。奴のところへは行かないのか?」
「そうしたいのは山々ですが、ルプスレギナ殿を怒らせてしまったようです。しばらくはバジウッドとニンブルにお願いいたしますわ」
「いずれ魔導国に行くつもりだろう。それまでに神官殿のご機嫌をとっておくんだな」
「……そうでございますね」
皇帝は、レイナースはいずれ魔導国に移ると踏んでいた。レイナースもそのつもりだった。
帝国では解呪の方法が得られないからだ。帝国の伝説的な魔法使いであるフールーダ・パラダインであっても呪いを解くことは出来なかった。しかし、魔導国にはフールーダが神を崇めるアインズ様がいる。アインズであれば、と思われた。
呪いを解くために、レイナースは魔導国へ行きたかったのだ。
呪いが解けてしまえばその必要もない。
レイナースは呪いが解けた美しい顔を晒すことなく、今日も銀仮面で顔を覆っていた。
▼ ▽ ▼
久し振りにドレスを着た。
仕立てるだけ仕立ててそのままだったドレス。
レイナースの緑の瞳に合わせてグリーンを基調としたドレスは、ふんだんにフリルとリボンが付けられて、大きく開いた袖の部分には繊細なレースがあしらわれている。
偶に眺めることがあった。
このドレスを着て夜会に出て、と日記に書いたこともある。
しかし、一度も袖を通したことがない。
美しく着飾っても、醜い顔の女に寄ってくる男はいないからだ。
パートナーもいない。
レイナースが夜会に出るときは、全身鎧を着て皇帝の近辺警護を担うのが常だった。
ろくに帰らない屋敷のメイドに着付けを手伝わせ、化粧もしてもらった。
銀仮面を外して見せたメイドが驚きに目を見開く。レイナースは、屋敷を買ったときから長く仕えているメイドへ、初めて微笑みかけた。
パーティーの会場では、色とりどりの花のような貴婦人達が美しさを競い合っている。
花々は男達の間を渡り歩いているので、花よりも蝶と呼ぶべきかも知れない。
仮面舞踏会なのだ。
男も女も、特定のパートナーを連れていない。
日頃の身分を忘れ、現世から離れて夢のような時間を楽しむ乱痴気めいた貴族の戯れ。
ドレス姿のレイナースに近付こうとする男はいなくもなかったが、声をかける前に誰かが「あの女は……」と忠告する。あの女であるレイナースには、結局誰も声を掛けない。女達の嘲笑が耳に届く。
醜い顔を隠せばどうにかなると思って?
仮面舞踏会なのだから、レイナースも仮面をつけていた。
他の参加者達のように目だけを隠すものや、いっそ顔全体を隠すものを着ければ良かったのに、レイナースが着けているのは右目だけを覆う銀仮面。
仮面に彫られた翼の意匠は羽の一枚一枚すら見事に表現された精緻な逸品で、帝都の名のある職人であってもあれだけの仕事が出来るとなれば限られる。
そんな仮面を、レイナースは常日頃からつけている。今も同じ仮面をつけている。
長い髪を結い上げていようと、あの女がレイナースであるのは明らかだった。
美しい女に見えようとも、仮面の下には醜く爛れた肉が隠れている。悪心を催させる悪臭を放つ膿が垂れ流れていると、貴族であるからこそ知っている。
レイナースに女を見て、近付く男は一人もいなかった。
顔が癒えたら絶対に行きたいと思っていた夜会なのに、いつか着ることを夢見て仕立てたドレスを着ているのに、レイナースの心は驚くほど晴れなかった。
醜さへの中傷は慣れたものだ。全身鎧を着ている時なら真っ二つにしていたかも知れないが。
そもそも、単に男を見繕いたかったのなら違う仮面をつけるだけで良かった。
それなのに、わざわざ足を運んだ仮面舞踏会で己は己であると主張している。
もしかしたら、醜い顔をしても気にすることなく己を選んでくれる男がいるかも知れない。心のどこかで、そんな少女めいたことを思っていた。理性では絶対に得られないと思っていた。案の定だった。
何年振りかに、呪いを受けてからは初めて、美しく着飾っているのに、レイナースは壁に背を預けて男達と女達を眺めている。
舞踏曲が幾度も流れ、男と女がくるくる踊っている。一夜のパートナーを見つけて抜け出す者もちらほらと。
その気になれば皆の注目を浴びることは可能だったが、どうしてもその気になれない。
憧れた舞踏会なのに心は沈んだまま。虚しい限り。
なんとなく手にとってそれきりだったグラスを煽り、空になったグラスを給仕に押しつける。
帰ろう。
そう思った矢先だった。
「…………………………え?」
下を向いた視界に映る手が、細く長い指が、自分へ差し出された手だと気付くのに時間が必要だった。
「私と踊っていただけますか?」
髪は黒い。
仮面はレイナースと真逆で、左目付近を覆っている。大きく違うのは、穴が開いていないこと。目が完全に塞がれている。それ以外はレイナースと同じだ。目がある部分を包むように一対の翼の意匠が彫られている。羽の一枚一枚を繊細に表現した見事な逸品。
「あなたは……、がく…………」
言葉は続けられなかった。
男が立てた人差し指が、レイナースの唇を押さえている。
「仮面舞踏会ですから、それはいけませんよ。さて、お嬢さん。お手をどうぞ」
「……はい……」
夢見心地に、レイナースは男の手を取った。
男の仮面が、どうして左目を完全に塞いでいるか。レイナースは理由を知っている。
左目は赤いからだ。あらわな右目は深い湖のように澄んだ青。
赤い左目と青い右目をしている男は、現在の帝都には一人しかいない。
「どうしてここに?」
右手と左手を合わせ、もう一方の手は互いの腰に回している。
「ここ数日いらっしゃらなかったので、探したんです」
「まさか」
レイナースが右足を踏み出す。男は軽やかなステップで、レイナースに合わせた。
「当家のお嬢様に怒られまして……。今まで何を学んできたのか、女の思いを無下にしていいと思っているのか、とね。まるで悪人のように扱われましたよ」
「……お嬢様の仰る通りでありませんこと?」
腰を抱く力が強くなったのは作法と違う。
くるりと素早くターンして、前後が入れ替わった。
周囲から感嘆の声が漏れたのを、レイナースの耳は捉えた。
「それはひどい。ただ、実際的で切実な理由もありまして……」
「……それは?」
曲調が変わった。
ゆったりとしたメロディに合わせて体を寄せ合い、囁き声が耳朶を舐めた。
「剣の練習で衛兵を斬り殺すところでした。あなただったら簡単に受けてくれた一撃だったんですが」
「ただの兵士と一緒にしないでくださいませ。これでも私は四騎士なのですから。そもそも学士殿が強すぎるのです」
「まさか。私の剣は軽かったでしょう?」
「そういう問題ではありませんわ」
「ではどういう問題なのか、次にいらしたときに教えていただけますか?」
「それは……」
ステップを間違えた。
危うく男の足を踏みそうになったが、すんでのところで避けてもらえた。
そのまま男の腕を頼りに一回転。
差し出された腕に腕を絡めて歩き出す。
「神官殿と何かあったようですが、お嬢様が説き伏せていましたよ。出来るならばこれまで通りにいらっしゃってください。陛下からもそのように命じられているのではないですか?」
「………………、一つ」
「なんでしょう?」
「私、殿方に唇を触れられたのって初めてなんですの」
会場から一方ならぬどよめきが湧いた。
レイナースが仮面を外したのだ。
それだけでなく、男のかつらもむしり取る。輝く銀髪は艶やかとしか表現できない。
男は苦笑して、諦めたように仮面を外した。
皇帝主催の夜会に一度だけ出たことがあるので、男の容貌を覚えている者は多かった様子。
「参りましょう♪」
童女のように笑うレイナースに手を引かれ、男は会場に残る面々に一度だけ手を振ってからその場を後にした。
次回、魔導国に移ってから解呪すれば良かったことに気付きます