帝都のお屋敷に設けられたら演習場で二つの音が鳴っています。
一つは鐘よりは軽やかで鈴よりも厚みがある金属音。もう一つはドガァンとかボガァンとか云う爆発音と粉砕音を足して割らない爆音です。
豪快な戦闘音を背景に、若旦那様は演習場の近くにテーブルを用意させておやつを食べていました。
「うっ……、この葡萄は……」
「おかしい味がしまして? 甘くてとっても美味しいと思いますが?」
「アウラ様が持ってきてくれた葡萄っすよ? おかしな味がするわけないっす」
「……甘い。もっと酸味がある方が好き」
日が延び始めたとは言え、季節はまだまだ寒い盛りです。帝国でも王国でもその他の地域でも、葡萄の旬は過ぎています。
三人が楽しんでる葡萄は、先日遊びにいらしたアウラ様がお土産にと持ってきてくださったものなのです。
「そう仰る割にはたくさんお召し上がりになりますのね」
「酸っぱい方が好きだけどこれはこれで美味しいからね」
「だったら文句言わずに食べてればいいじゃないっすか」
美女姉妹に挟まれてたしなめられた若旦那様は、気分を害することなく次の葡萄に手を伸ばしました。房ごと持ち上げて下からかじり付き、数個の実を齧りとると口の中でモゴモゴしてからぺっと皮を吐き出します。お屋敷の敷地内で身内しかいないからいいようなものを、些か品がありません。
ソリュシャンお嬢様は皮ごと飲み込んでしまいます。なんでも溶かしてしまうスライムならではの食べ方です。
意外や意外に、一番上品な食べ方はルプスレギナでした。まず皮を半分だけ剥いて口に運びます。口元を隠すように食べた後は、皮をお皿の隅に置くのです。指先をナプキンで清めるのも忘れません。
「いい勝負に思えるけどレイナースが有利かな」
話の矛先が葡萄から演習場の内側へ向かいました。
「戦闘スタイルが噛み合ってないっすからねー。そもそもティアの方は真っ向勝負には向いてないっすよ」
「それ以前に、これは勝負ではなく訓練です。私たちからすればどちらも似たように思えますわ」
三人の視線の先で、対峙する両者が距離をとりました。
一方は忍者スタイルのティア。それは本当に忍者なんですかと問いたくなるような肌色部が多い装備です。特に今は胸甲と手甲を外しているので、夜のお店にいても違和感がありません。
獲物は短刀を一振り。本来のスタイルは投擲武器も使用するのですが、現在はあくまでも訓練なので使用禁止となっています。
キンキンと軽やかな音を立てていたのがこちらです。
対するはレイナース。ティアが軽装なら自分もと言うことなのでしょう。若旦那様の趣味に付き合うときは軽鎧を身に付けるのですが、今は外しています。軽鎧の下は割とお洒落です。短いスカートとレオタードを組み合わせたワンピースレオタードです。肩とか腋が見えてますし、スカート丈がとても短いのです。ティアとは系統が違う夜のお店にいても違和感がありません。
獲物は槍です。騎乗して使用する突撃槍とは違って、突いたり薙いだりするのに適した形です。レイナースが得意としている本来の武装です。
爆音を轟かせて演習場を凸凹にしてるのがこちらです。異名が重爆と言うだけはありました。
「中々やる」
「そちらこそ噂通りの腕前ですわ。噂以上と期待していたのですが、噂とは案外事実を伝えるものなのですね」
「これは錆落としだから。それに本気だしたら怒られる」
「私も学士殿から怒られたくありません。精々傷を付けないよう加減してみせましょう」
「即死しなければルプーがいるから大丈夫だ」
言われてしまいました。
言われてしまった以上、ギアを上げないわけにはいきません。
二人は何度目かの激突を始めました。
■ ■
ティアが戦闘訓練を行っているのは、ミラの進言があったからです。
『ティアは王国に戻った後、冒険者に戻ります。調教続きで腕が鈍っては問題ではないでしょうか』
これには一同、目から鱗のようなものがはらりと落ちました。極悪集団ナザリックの一員のくせして聖人になる資格があるのかも知れません。
初日の段階でティアの調教は十分と思っていたミラは、罰を覚悟で進言したのでした。
ご主人様に絶対の忠誠を捧げた以上、自分の命よりご主人様の利益を考えたのです。
拘束を解かれたティアはとても素直でした。
現在は、表向きはお屋敷の客人として扱っています。もちろん、勝手に出て行ったりおかしな事をしたりすれば斯くの如しです。
始めはミラが訓練の相手をしていました。
遊びに来たレイナースに訓練風景を見せると、自分から訓練の相手を名乗り出ました。レイナースは帝国では名だたる強者なので、音に聞く王国のアダマンタイト冒険者に食指が動いたようでした。
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訓練が行き過ぎないようにミラが監督しています。
ジュネは最弱なので訓練には関わらせず三人の給仕係です。メイドを使ってもいいのですが、昼とは言え寒いので外で働かせるのは可哀想です。
「レイナースは金髪ですわね。王国で金髪と言いますと、王女の名を何度も聞きましたわ。お兄様は王女を孕ませるつもりはございませんか?」
突然葡萄がめっちゃ酸っぱくなったようです。
若旦那様はスゴい顔をして葡萄の皮を吐き出しました。
「ない。無理」
「おつもりがないのはわかりましたが、無理とはどういう事でしょう? 男と女で成すことを為せば出来るのではありませんか?」
「………………」
若旦那様がソリュシャンを見る目が、ソリュシャンに化けた狐を見る目になりました。
ソリュシャンはどうしたんだあれは正気か? 正気みたいっすよこの前もカルカに変なこと言ってたっす。レイナースをどうにかしろって言い出したのもソリュシャンだったな。あったっすねーあそこらへんの調整で私は結構苦労したっすのに。変なもんでも食べたんだろうか。とりあえず答えてやればいいんじゃないっすか?
「出来るかも知れないが奇胎になる可能性が高い。と言うわけでやっぱり無理」
「どうしてそうなるのですか? 王女に異常が? それともお兄様に?」
「………………どっちも正常だろう。俺とあれの組み合わせが不味いってことだけだ」
「左様でございますか」
ソリュシャンは口元を拳で隠して考え始めてしまいました。
ソリュシャンからの追求が止んだ若旦那様は、逃げるようにして演習場に向かいます。コキュートス様から頂いたカタナブレイドは忘れません。ティアの現役復帰訓練に混じるつもりなのです。
(王女は駄目。……お兄様が以前仰っていたお兄様を監禁していた女と言うのはやはり王国の王女だったのかしら。そうだとしたら手が出せないわね。アルベド様にお任せしているというのも頷けるわ。王女が駄目なら王国には…………、蒼の薔薇の、ええっと……ラキュースとか言ったかしら? あれはまあ、見れた顔だったわ。王国に戻したティアを使えば誘導出来るはず。それより先にカルカね。折角この私がお兄様の傍に侍ることを許してあげたのにいったい何をやってるのかしら。まったく行き遅れた処女って面倒ね。どうやってけしかけようかしら? ……ルプーは何してるの?)
考え事をしているソリュシャンは、ルプスレギナが変なことをしているのを見て思考を中断させました。
ルプスレギナは、若旦那様が吐き出した葡萄の皮をじーっと見ていたかと思うと、ついと手を伸ばしたのです。
「ルプー姉様…………、お気持ちはわかりますが、それはちょっと」
「へ?」
「ですから、その手を引っ込めてください。お兄様が吐き出した葡萄の皮をしゃぶったり舐めたりしたいんでしょう?」
「そんなのするわけないっすよ! ってか気持ちがわかるって、ソーちゃんはしたいんすか?」
「したいです」
「!?」
「吐き出した皮だけではなく、お兄様が咀嚼してドロドロになったものを口移しでいただきたいと思っています」
「!?!?!」
近くで聞いてる者がジュネだけとは言え、ぶっちゃけ過ぎです。
何でもトロトロ出来ちゃうスライムならではの性癖でしょうか。ルプスレギナはどん引きしました。今のソリュシャンにはちょっと近付きたくないなと思いました。
若旦那様が訓練に参加してしまったので、素早く回復できるようにとルプスレギナも演習場の内側へ向かいます。
手の中には若旦那様が吐き出した葡萄の皮があります。
視線は剣舞をしている若旦那様とティアへ向けたまま、神経を手の中に集中させます。調べ終えたら地に放り、靴底でぐりぐりと踏みにじりました。
目視をしていないので確実なことは言えません。
ですが、神経を集中させた手指で調べた限り、葡萄の皮はどこも破れていませんでした。
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「ついにこの日が来たでありんすね」
「長いようで短い半月でございました」
「久し振り」
「そっちも久し振り」
「元気だった?」
「もちろん。とても良かった。……なに?」
「体調チェック。体温正常。歯並び変わらず。人間?」
「人間。シャルティア様からもお付きからも吸血されてない」
「ちょっとだけ味見をさせんした。飲めないでもないと聞きんしたが、そんなの飲むほど飢えてないでありんす」
シャルティア様は若旦那様より余程フェアでありました。
手段を目的化してしまって思い付かなかったのかも知れませんが、兎も角、シャルティア様が担当したティナは人間のままティアの前に戻ってきました。
ティアとティナが帝都のお屋敷にごめんくださいと訪問してから半月。
調教バトルの結果を出す日がやってきたのです。
「この扉の向こうにお前らが真の忠誠を捧げる偉大な御方がいらっしゃるでありんす」
一同が集うのはお屋敷の三階にある貴賓室の扉の前です。
主役はティアとティナ。それぞれの担当である若旦那様とシャルティア様。ナザリックからいらした賓客ですので、プレアデスのルプスレギナとソリュシャン。
以上、六名が扉の前に並んでいます。
「公平を期すために、どちらがどちらを教育したかは伝えていない。二人とも中に入ったらシャルティア様と俺の名前を出さないように」
「わかった」
「…………」
「何かな?」
ティアは素直に返事をしたのですが、ティナの方はじっと若旦那様を見ています。
「シャルティア様から聞いた。年増の大口ゴリラに仕えてるって」
そのとき、時空が歪みました。
時の矢は飛ぶのを止め、空間は分断し細分化し連続することを止めました。
時の矢が飛ぶのを再開すると、若旦那様はシャルティア様を睨みつけました。
ティナはアルベド様と直接の面識はないはずです。知らないのをいいことに、シャルティア様が出鱈目を吹き込んだのです。
そのシャルティア様は明後日の方向を見ながら、ピひゅーとかぺピーとか、下手な口笛を吹いています。
ルプスレギナとソリュシャンは覚悟しました。死者が出るかも知れません。少なくとも血を見ずには治まらないことでしょう。
シャルティア様の卑劣な盤外戦でありました。
ここで若旦那様がティアへプレッシャーを掛ければ緊張して失敗して、それだけ勝利が我が手に近付いてくるのです。
おバカ、おバカ、シャルティア様はシャルティア様だからと言われるシャルティア様ですが、決しておバカはないのです。知恵の使いどころが間違ってるだけなのです。
若旦那様は、傍らのティアに真剣な顔で言いました。
「ティアが勝ったら魔導国に戻ってからも会ってやろう」
「絶対勝つ。勝つためならティナを手に掛けてもいい」
「そこは自分の命じゃない?」
「私が死んだらもう会えなくなる。ティナ、私のために死んで」
「残念。勝つのは私。私はシャルティア様に勝利を捧げるためにここに来た」
ティナの調教度合いも中々のようです。
「時間です。御方がいらっしゃいました」
「くれぐれも失礼がないように。最大限の敬意を払いなさい」
両開きの扉をルプスレギナとソリュシャンが開きます。
扉の奥にいらっしゃったのは、偉大なる死の支配者。魔導王アインズ・ウール・ゴウン陛下でありました。
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聖王国に赴かれているアインズ様が帝都にいらっしゃるわけがありません。豪奢な椅子に座っておられるのは、アインズ様に扮するパンドラズ・アクター様でした。
パンドラズ・アクター様がいらっしゃったのは、シャルティア様と若旦那様がお願いしたからです。
魔導国と敵対していた王国の冒険者を取り込み適切な教育を施しましたので、成っているかどうか評価していただけないでしょうか?
忙しいパンドラズ・アクター様ですが、元敵対者を魔導国に受け入れるべきか否かを判断するのは重要なお仕事と言えなくもありません。
折角ですから、アインズ様の振りをして二人を見定めることにしたのです。
入室した六名の内二名は部屋の中程まで進み、跪きます。
静かに扉を閉めた二名は先の二名の斜め後ろに跪きます。
残る二名。ティアとティナは四名より更に先へ進みます。
二人はアインズ様の三歩前で跪きました。
「王国のアダマンタイト冒険者、ティアとティナと言ったな?」
「ティアと申します」
「ティナと申します」
「「偉大なるアインズ・ウール・ゴウン様に拝謁させて頂き、光栄です」」
最初の段取りくらいは練習してありました。
調教の真価が出てくるのはこれからです。
「失礼いたします」
ティナが先手を取りました。
発言するや否や、アインズ様からお許しを得る前に立ち上がったのです。
これはいけません。減点対象です。シャルティア様は一体何を教えていたのでしょうか。
ルプスレギナとソリュシャンが視線を鋭くして睨みつけます。アインズ様は軽く手を振り、美女姉妹を止めました。
ティナはアインズ様の一歩前にまで歩むと、行動しました。
アインズ様は絶句しました。
ルプスレギナとソリュシャンも絶句しました。
若旦那様はぽかんと口を開きます。
シャルティア様だけは満足そうに頷きました。
ティナは、脱いだのです。
双子忍者の装いは、忍者スタイルから胸甲と手甲を外してちょっとあれなものになっています。
その上、ティナは始めから脱ぐつもりでした。腰のベルトを外し、トップス代わりのさらしを解き、パンツごと網タイツを脱げばあっという間です。
恥ずかしげもなくぷりっとしたおっぱいとお尻をさらけ出し、その場に四つん這いになりました。
「どうぞ私の上にお座りください」
きっと誰かがタイムストップを使いました。
誰も動けません。アインズ様の顎の骨がかくってなっています。
「どうぞお座りください」
誰かどうにかしろ!
アインズ様の声なき叫びが届きました。
チェストォ! バキッ、グェッピクピク……。
ティアが飛び跳ね、ティナの首目掛けて渾身の蹴り下ろしを繰り出しました。
無防備なティナへ見事にクリティカルヒット。あれがあれな方になってしまったティナは、口から微量の血をこぼして痙攣しています。
「見苦しいところをお見せしました」
ティナを始末したティアは、嫌な汗をだらだら流しながら再び跪きました。
アインズ様は無言で立ち上がります。
ティアを素通りし、若旦那様の前に立ちます。
立ち上がらせ、若旦那様の右手を高く持ち上げました。
「優勝」
「なぜだ?!?!」
残念ではありません。当然です。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
アインズ様に扮するパンドラズ・アクター様は、ティナへ再教育を施すように言い置いてお帰りになりました。
ピクピクしていたティナはルプスレギナが回復させました。
「シャルティア様」
ぽんと頭に手を置かれ、シャルティア様は激昂しました。
理不尽な敗北を突きつけられて気が立っているのです。
「気易く私の頭に触れるな!」
乱暴に払いのけます。
ナザリックにて最強の一角を担う鮮血の戦乙女が遠慮なしに打ち払ったのです。
触れるなり砕け千切れ、勢いよく吹っ飛んで壁の染みになりました。
愛しのお兄様が傷つけば、それを為したのが上位者であろうと一言物申す気概を持つソリュシャンは直立不動です。
大好きなおにーさんが傷つけば、一も二もなく回復魔法を掛けるルプスレギナも直立不動です。
双子忍者は互いに抱き合っていました。腰が抜けてその場にへたり込んでいます。二人は空間が脈動しているのを幻視しました。
若旦那様を睨みつけたシャルティア様は、何かに跳ね返ったように前を向きます。
「シャルティア様」
「……………………」
若旦那様がシャルティア様の顔を覗き込みます。
シャルティア様は顔を背けました。
「シャルティア様」
「ひっ……」
ぽんと頭に手を置かれました。
なくなった方の手です。シャルティア様の艶やかな銀髪が真っ赤に染まります。
「シャルティア様」
「ななななななんでありんしょう?」
今度は顔を背けられませんでした。
冷たい汗を生温かい液体が覆い隠していきます。
「勝利したのは私です」
「そっっそっそっそうみたいでありんすね?」
とろとろと頬を伝う鮮血が100万匹の百足のようです。
目の前に迫る赤と青の瞳から精一杯目を反らして答えました。
「私はシャルティア様への一日命令権を手に入れました」
「……は……はひ…………」
帝国で最も希少な美酒の100万倍の価値がある血が唇を濡らします。
たった一口でシャルティア様ですら酩酊させる血液です。
「私はティナを再教育しなければなりません。それ以外にも抱えている案件が多々ございます。シャルティア様と過ごす日時は追ってお伝えいたします」
「………………」
シャルティア様は目眩がしてきました。
「よろしいでしょうか?」
甘い声が反響しています。
四方八方から聞こえてきます。
シャルティア様は紅い瞳を泳がせて、何度も頷きました。
頷く度に赤い血が滴り落ちました。
「わかりんした!」
答えた直後にゲートの魔法を発動。
シャルティア様は逃げました。