ソリュシャンとルプスレギナは戦慄した。ここまで来ると最早ナザリックへの叛意ではないだろうか。しかし、事の起こりはシャルティア様によるアルベド様への侮辱。叛意ではなく報復である。だとしても限度というものがあるだろう。これは軽くぶっちぎっている。
ミラとジュネは恐怖に震えた。彼の御方は敬愛と尊敬の対象であるが、それはそれとしてナザリックの全ヴァンパイアブライドにとってシャルティア様はとても大切な御方である。そのシャルティア様へこのような仕打ちを平然と行うとは、純粋に恐ろしい。何が起こっているかシャルティア様が知ったときの反応も恐ろしい。
シクススとシェーダは怒りにわなないた。若旦那様はアルベド様を美の体現にして美を司る女神であると崇拝しているので口には出さないが、シャルティア様だってとても可憐でとてもお綺麗でとてもお美しい方だと思っている。だと言うのに、シャルティア様の可憐な美しさを微笑すら浮かべてこうも汚すとは。
「シャルティア様を私の従者然と連れ回すわけには参りません。このように変装すればどなたもシャルティア様だと気付かないことでしょう」
「……おかしくありんせんか?」
シャルティアは、くるりと回ってスカートをなびかせた。
双子忍者(本当は三つ子だが)の調教競争で負けたペナルティとして、シャルティアはこの男の命令に一日従わなければならなくなった。
どんな命令をされるのかとビクビクしていたら、ナザリックを案内して欲しいと言う。但し、一つだけ条件があった。変装しろと言うのだ。
シャルティアはとっても偉い階層守護者だ。相手が守護者統括の相談役だとしても、人間の男に付き従うのはいささか体裁が悪い。ならばシャルティアでなければいい。正体を隠すのは筋が通っている。
シャルティアはあれやこれやと衣服を渡され、着替えを終えたら輝く銀髪で正体がバレると言うのでダークブラウンのかつらをかぶり、美しく透き通った肌も化粧で隠され眼鏡を掛けて、身長を変えるためにシークレットブーツを履く。駄目押しとばかりに頬の内側に詰め物をさせて変装完了。
一同が集っているのは帝都のお屋敷の書斎である。
室内に鏡はなかった。夜であることから全ての窓はカーテンが引かれている。姿を映し見れるものが一つもない。
衣服や装飾品はどれも真っ当なものだ。しかし、それらを合わせるとどうなるのかよくわからない。
変装なので常のシャルティアから遠ければ遠いほど良いわけだが、コーディネートが気になるのは女の性。
「とても良くお似合いですよ」
ソリュシャン達がぎょっとして男を見た。
どうしてあんなにも自然な笑顔で真摯な声で、真っ赤な嘘が吐けるのだろう。まさか本当に似合っていると思っているわけではないと思いたいがこの男の感覚は本当によくわからない時がある。
「折角ですから偽名を考えましょう。シャルティア様が一日だけ召還したインスタントなヴァンパイアガールと言う設定で、略してイバルにしましょう。名前はイバルですが、今日は威張ってはいけませんよ」
「イバル、でありんすか。変な名前でありんす。まあ、半日くらいならよしとしんしょう」
ソリュシャン達は呆れて男を見た。
レイナースからチラと聞いた友人の子の名付けに、健やかに育つことを願ってゲンキもしくはゲンキ子と挙げたとか。ネーミングセンスがマイナスに振れている。弟子のヴァンパイアブライドにジュヌヴィエーヴの名を与えたのが奇跡に思える。長いので略してジュネとなったわけだが、たまにジュヌヴィエーヴと呼んでいるようだ。
「ソリュシャンはどう思いんすか?」
水を向けられたソリュシャンは硬直した。
ここで言葉を間違うと、この場の全員が惨殺されかねない。
「見事な変装でございます。これならば何方もシャルティア様であると気付かないのではないでしょうか」
「ほむほむ。ルプーは?」
「はい。相談役殿の申します通り大変よくお似あぐぇっ!?」
「ほえ?」
ルプスレギナの横っ腹に目にも止まらぬスピードでソリュシャンのスライムエクスパンドズームパンチが刺さった。常人が貰えば貫通しかねない威力だ。割と高レベルなルプスレギナでもかなり痛かったらしい。よろめいて刺さった場所を押さえた。
(ルプーのバカ! シャルティア様がご自分の格好を知ったら似合ってるなんて言ったルプーをどうすると思ってるのよ!)
(そ、そうっすね。ソーちゃんありがとっす。すっごく痛かったっすけど)
「どうしんした?」
「申し訳ございません。少々咽せてしまいました。そのように変装するなら相談役殿の従者として通用すると思われます」
さて、と男が手を打ち鳴らして注目を集めた。
「シャルティア様はここまでにしましょう。ここからはインスタントヴァンパイアガールのイバル。わかったかな?」
「わかりんした」
「それじゃ駄目です。今の貴女はインスタントヴァンパイアガールのイバルです。威張ってはいけないイバルです。よろしいですか?」
「わかりん……、わかりました」
「よろしい。それでは早速移動しましょう。よろしくお願いしますよ」
男は、ポンとイバルことシャルティアの背を叩く。
ソリュシャン達は目を剥いた。
非道だ。余りにも非道すぎる。人間というものは誰かを貶めるためにここまでするものなのか。それともこの男が特別なのか。アルベド様のお気に入りでデミウルゴス様も一目置いているだけはある。間違いなくカルマ下限の極悪。
これは止めるべきではないだろうか。
逡巡している間にゲートの魔法が発動し、二人は暗い扉の向こうに消えてしまった。
書斎には何とも言えない空気が漂った。
「これは?」
ソリュシャンが机の上に一枚の紙切れを見つけ、居心地の悪い沈黙が破られた。
表には「みんなへ」と下手な字で書いてある。
ルプスレギナもソリュシャンの手元を覗く。ソリュシャンは紙切れを裏返した。
二人の沈黙が深くなった。わなわなプルプルと震え始めた。
「何と書いてあったのでしょうか?」
プレアデスの手元を覗き込む無礼者はこの場にいない。代表してシクススが問いかける。
ソリュシャンが皆に見えるよう紙切れを翳す。しかし、字が下手すぎて誰も読めない。
「何かあったらおまえ達も巻き添えだ、って書いてあるんすよ」
ルプスレギナの顔はひきつっていた。
シャルティア様の変装と言う名の仮装は若旦那様が主導したものであるが、この場の全員が止めなかった。
見ていながら見過ごしたのだから全員同罪理論である。
「お兄様の…………………………バカっ!!」
ソリュシャンはお兄様からのメッセージを破りたくて仕方ないが、こんなものでも取っておけば証拠になるかも知れない。それでシャルティア様が納得するかどうかは別問題だ。
もしも同罪と見なされたら、殺されはしないと思いたいがシャルティア様である。過度な期待は禁物だ。死を免れたにせよ、気性の荒いシャルティア様をあれほどに侮辱してしまったのだから相当な厳罰が下ると思われる。
シクススとシェーダも険しい顔をする。
平常運転なのは二人のヴァンパイアブライド。
「私見になりますがよろしいでしょうか? よろしくなくても共有すべき事柄だと思われますのでお話いたします」
じゃあさっさと話せと、プレアデスの二人は睨みつけた。
「マイスターは独立独歩の気質が強く、何事も自己完結したがるきらいがあります。先日の愛についての話がまさにその通りでした。ご自分で結論を出したら私どもを気に掛けず、次の事柄に興味を移しておいででした。そのマイスターが事あらば私たちを巻き込むと仰るのはそれだけ私たちに気を許している証拠であると推測できます」
「それは違います。ご主人様は完璧です。ご主人様が立てた計画が崩れるわけがありません。失敗するわけがないのにさも失敗するかのようなメッセージを残したのは、私たちをからかいたかったからです」
「ミラはマイスターを過大視しているようですね。マイスターも時には間違うことがあるはずです」
「ジュネはご主人様を知らないようですね。ご主人様にとってシャルティア様を…………、失言でございました」
シャルティア様を言いくるめて誤魔化すくらい簡単なこと、と続けようとしたのだが流石に不遜が過ぎる。それでも言わんとすることは全員に伝わった。
安堵したような、やはり心配なような。心配なのは若旦那様ではなくて、間違いなく笑い物にされるであろうシャルティア様である。
若旦那様は何が起ころうと自業自得。たとえ死んでも生き返らせてもらえることだろう。
「傍にいるのが長ければ良いと言うものではありません」
「私が言ってるのは長さより深さです。下手にわかった気でいると判断を誤ります」
「己の裁量如き承知しています。過ちは取り返せばいいんです」
「そもそも過ちを犯すなと言っています」
お兄様への理解度は新入りのヴァンパイアブライドたちに劣るのか。ソリュシャンたちがもにゃっている間に、当の二人はつまらない論戦を繰り広げていた。
「……それならベッドで勝敗をつけますか?」
「……いいでしょう。受けて立ちます」
「いいんですか? 私は先日、マイスターから両穴責めを伝授していただいたのです。」
「私がご主人様にされていないとでも?」
「…………」
「…………」
「「失礼いたします」」
そういうことになったようだ。
ミラとジュネが退室する。
シャルティア様と若旦那様の見送りは波乱の予感を残して終了した。
事態がどう転ぼうと、この場の誰の手にも余る。後は野となれ山となれであった。
▼ ▼
ナザリックツアーは地下大墳墓ナザリックの表層部から始まる。
以前は内部への入り口と詰め所を兼ねたログハウスにプレアデスの長女ユリ・アルファが詰めていたものだが、今はエ・ランテルにいるらしい。
本来なら、プレアデスたちが交代で詰めることになっていた。現在は、長女のユリはエ・ランテル。次女のルプスレギナは帝国。三女のソリュシャンも帝国。同じく三女のナーベラルはモモン様のお供でエ・ランテル。五女か六女か争いをしているシズとエントマはどちらも聖王国で活躍中。
代わりに一般メイドが交代で詰めることになっているようだ。ただし、彼女たちに戦闘能力は皆無。万が一にも悪意ある存在が現れたときの為に各種トラップやら身を潜めたアンデッドやらがいっぱいいる、らしい。内部に知らせるアイテムだって勿論常備している。
仮面を着けてないデスナイトが不寝番をしているので滅多なことが起こっても何の心配もないと思われる。
ログハウスの内部にある転移の扉を潜ってナザリックの内部に移動。
扉を潜る際、後ろで風船から空気が抜けるような音が響き、シャルティアは怪訝に振り向こうとしたのだが、答えを得る事叶わず周囲の景色は荘厳なナザリック第九階層ロイヤルスイートのものとなっていた。
ナザリックを訪問したのならば、何を差し置いてもアルベド様にご挨拶しなければならない。
先日のお食事日では帝都のお屋敷でお会いすることが出来なかったが、シャルティア様にナザリックを案内してもらう際は挨拶に伺うと前もって伝えてある。
イバルとなったシャルティアに威張るんじゃないぞと言い含めてから、アルベド様の執務室に案内して貰った。
「執務中よ。出て行きなさい」
広い執務室では多数のお骨の方達が慌ただしく立ち回り、アルベド様は大きな机に向かって山と積まれた書類を読み進めつつペンを走らせていた。
来訪の挨拶を告げたところ、言い終わる前に出て行けとの言葉。
時間はとれないと聞いていたので落胆はないかと言ったら物凄くあった。
せめてお顔を上げていただきたいと思うのだが、執務中で大変お忙しいアルベド様へ斯様な我が儘を言えようものか。
「ご多忙なところを失礼いたしました」
深く頭を下げて退室を伝える。
踵を返そうとしたところで、声が掛かった。
「もうじきアインズ様が聖王国からご帰還されるわ。留め置いておきなさい」
「はっ、かしこまりました!」
アインズ様が聖王国にて魔皇ヤルダバオトを打ち倒し、お戻りになられる。
魔導国の宰相でありナザリックの守護者統括でもあられるアルベド様が多忙を極めるのは当然である。アインズ様をお迎えする準備に、聖王国と結ぶ条約やら荒れた国土を復興させるための支援やらで、すべきことは幾らでもあるだろう。
先日のお食事日にアルベド様がいらっしゃらなかったのはお忙しかったからなのだ。
この事を知れただけでもナザリックに来た甲斐があった。
シャルティアへの罰ゲームはもうこれでいいかなと思わなくもなかったが折角始めたのだから完遂するべきだろう。
アルベドの言葉に跪いて返事をした男が、再度退室の挨拶を述べる。
男がいよいよ退室する段になって、アルベドはようやく視線を上げた。
思うところがあって男の顔は見ないようにしていたのだが、すぐそこにいるのだ。自制しきれなかった。
愛しい男の表情は、自身への敬愛と尊敬と、巧妙に隠しているが愛欲もある。おそらくはそれ以外も。
下から上へ向ける忠誠以外に、実に多くの物が含まれているのを見て取った。
アルベドはエルダーリッチたちに気取られぬ程度に唇をほころばせ、男の隣を見やって目を細めた。
「それは何?」
男の隣には、ひょろ長いアンバランスな女らしきものが立っていた。スカートを穿いているので多分女である。
女だとしたら壊滅的だ。
腰だけは細いのに、上半身と下半身は丸く膨らんで、まるで膨らませた風船を捻ったようだ。
体型がアンバランスなら服装はもっと酷い。色とりどりと言えば聞こえは良い。実際に目にすると、幾つもの原色が散らばって統一感がなく、実に見窄らしくみっともない。物だけは上質に見えるので、頑張って高価な衣服を身に着ければ上等な存在になれると勘違いしている典型である。
顔は、酷い。
これは冗談ではなかろうか。それとも、澄ました顔をしているのを見ると本気なのか。
白粉がゴテゴテと、ヘラで塗りたくったようにコッテリと厚く盛られ、その上に施された化粧は道化の方がまだしもまともだ。口紅は明らかに唇からはみ出て、ぷくりと膨らんだ頬には頬紅がまん丸に塗ってある。色の選択もかなり酷い。どうして原色を使うのか、もっと自然な色はなかったのか。服装と合っていると言えば合っているかも知れない。強調するのは滑稽さだが。
目も凄い。顔の半分はある大きな眼鏡は瓶底のように厚い。どのようなレンズを使っている物か、目がレンズと同じ大きさまで拡大されて見える。顔の半分が目になっているのだ。目の色は両方とも赤いので、吸血鬼らしいのがなんとかわかる。
体が壊滅的で顔が酷ければ、髪は汚かった。
色も艶も悪い焦げ茶色。ちらほらと付着している白い物は、まさかふけなのだろうか。そうは思いたくないがそうとしか思えない。不潔である。自身の執務室はおろか、ナザリックに立ち入っていい存在ではない。
「ナザリックを案内していただくために、シャルティア様が召還したインスタントヴァンパイアガールのイバルです。安易な名前ですが、一日経てば消滅するらしいのでご容赦ください」
「……シャルティアが召還?」
シャルティアは吸血鬼だ。吸血すれば眷属を増やせる。そのようにして手に入れたシモベだとしても、こんな薄汚い女をあのシャルティアが吸血するだろうか。一日で消滅するというのも疑問である。
気配はナザリックのシモベのものなので、シャルティアに由来する存在と言うのは確かなのだろう。いや、由来すると言うよりも、むしろこれは。
「イバルと言う名ですが威張らないように言い聞かせております」
「…………そう。一日で消滅するのならいいでしょう。何かあったらシャルティアに責任を取らせるわ。行きなさい」
「はっ、失礼いたします」
今度こそ男とイバルは踵を返した。
「う゛っ!」
イバルが背を見せた瞬間、アルベドは咽せた。
二人が怪訝な顔で振り返る。手を振って追い払った。
「く……く……、くぅうぅううううぅ!! ぷぷっ……!」
アルベドは、堪えきれなかった。二人の姿が扉の向こうに消えるなり吹き出して、大きな声で笑い始めた。
お骨の方々は困惑している。
笑っているアルベド様にも、仮装しているシャルティア様にも。
イバルの背には張り紙があったのだ。
こう書かれていた。
『シャルティア様変装中。気づかない振りをしてください』
ナザリックにて、シャルティアの権威を地に落とそうとする男の卑劣な罠であった。
アルベド様を侮辱したのだから、この程度の報いはあって然るべき。
唯一の誤算は、この程度でシャルティアの権威は揺るがないという事である。
見方を変えれば、既にそこまで落ちてると言えなくもなかった。
そろそろアルベド分が足りなくなってきたのでなんとか補充せねばと思います