お屋敷の若旦那様が無事に帝都のお屋敷に戻って翌日。
若旦那様の書斎に主要な顔ぶれが集められました。
「エ・ランテルに戻れることになった」
若旦那様の重大発表にルプスレギナが歓声を上げて拍手します。ソリュシャンはおめでとうございますと祝福の言葉を述べました。
その他の面々はよくわかっていないながらも良い事であるらしいと察して拍手します。
若旦那様が帝都にいるのは、人類絶滅とか馬鹿な事を主張したので再教育の必要があったからです。つまり、左遷です。その若旦那様がエ・ランテルに戻れると言うことは左遷が解除されたのだと察せられます。お祝いして然るべきでしょう。
「と言うわけで俺はエ・ランテルに戻る。ついてくる者は準備しておくように。ルプーは強制だな」
「ま、当然っすね♪」
ルプスレギナが若旦那様の傍にいるのは、事あったときに回復魔法を使うためなのです。帝都で遊ばせておく余裕はなく、常に若旦那様の傍にいなければなりません。ちなみに、事の半分以上はルプスレギナが起こしています。
「ソリュシャンは好きにしていいぞ」
「……私はお兄様のお側におります」
ソリュシャンが若旦那様の傍にいるのは、身分が不確かだった若旦那様は商家の令嬢であるソリュシャンの遠縁であると外へ知らしめるためでした。ですが現在の若旦那様は、魔導国宰相閣下の相談役となりました。今やソリュシャンお嬢様の存在は不要となってしまったのです。
と言うことをわかっているソリュシャンですが、そこは自分についてこいと言って欲しい乙女心。お兄様は自分の自由意志を尊重してくださっていると思わなければやってられません。
「ソリュシャンお嬢様がエ・ランテルに向かわれるのでしたら私も同道いたします」
シェーダはソリュシャンお嬢様の専従メイドとして帝都に来たのですから、ソリュシャンお嬢様の傍に侍っていなければなりません。
「カルカは帝都に残れ。こっちで友人も出来たんだろう?」
「は、はい。…………私はこのまま帝都に滞在し続けるのでしょうか?」
「ん? エ・ランテルに行きたいのか?」
「そういうわけではありませんが……」
「どっちにしろいずれは、だな。折角帝国の社交界に名が売れだしたんだ。エ・ランテルに呼び寄せることもあるだろうが先の話だ。当面は今まで通り。俺の代わりに魔法学院の生徒たちと付き合ってやれ」
「……かしこまりました」
魔法学院の生徒会長と仲良くなったらしいカルカです。
帝国が誇る魔法学院には何度か訪問している若旦那様です。が、あっという間に興味を失ってしまいました。若旦那様の目に映る魔法学院は「魔法使い養成所」に過ぎなかったのです。
魔法使いを育てるのは大いに結構なことです。だからと言って、魔法を使えない者に門戸を閉ざす必要はありません。けっして自分が魔法の才能皆無だから拗ねてるわけではないです。研究者と実践者が同一である必要はないと思っているのです。
例えるなら、帝都の宮殿を設計したものと実際に石を運んで組み立てたものは違います。理論と実験の分離と言い換えてもいいでしょう。これについては、帝国で研究している魔法はまだまだ稚拙なものだから両者を分離する必要がないと言えなくもありません。
そこのところをどうにかなりませんか、といずれアインズ様に上申するつもりでいます。
「カルカが残るのは良いっすけど、カルカだけってのはちょっとあれじゃないっすか?」
ルプスレギナの茶々入れは真っ当なものです。
カルカは、言わば外様です。それを言えば若旦那様もそうなのですが、こちらはあちらと違って実績と信用を積み重ねているので問題になりません。
外から来たばかりのカルカには実績と呼べるものは何もありません。社交を少々頑張りましたが、それだって絶対に必要不可欠とまでは言えません。当然、ナザリックからの信用はあんまりありません。
そんなカルカに魔導国の公館を任せて良いのでしょうか。
「シクススも残るから問題ないよ」
ナザリック出身のメイドでありお屋敷のメイド長を勤めるシクススが残るのなら、お屋敷の権力がカルカに偏って変なことになる心配はないでしょう。
妙案に思えた若旦那様ですが、室内の空気がちょっとおかしくなりました。
ソリュシャンとルプスレギナはちょっぴり眉を顰めていますし、シェーダは露骨に厳しい視線を向けてきます。
一番の原因はシクススです。顔色が真っ青になりました。
「私は帝都に残れ、と。ご主人様はそう仰るのですか?」
「シクススはメイド長だ。連れていけるわけがない」
「……他の者に仕事を引き継ぐことも可能です」
「一日や二日で出来ることじゃないだろう? それこそルプーが言った通りだ。カルカだけを残すわけにはいかない」
「………………いつまででしょうか?」
「未定だな。誰かにメイド長を引き継ぐにせよナザリックのメイドたちに頼まなきゃならないし、そうするとそっちに都合もあるからペストーニャ様にお伺いを立てる必要がある」
つまりは本当に全くの未定。予定もないと言うことです。
シクススは当面の間帝都のお屋敷に勤めていて欲しい、務めなければならない。そう言うことです。
シクススは栄えあるナザリックのメイドです。苦しくてもみっともなく癇癪を起こしたり叫んだりしません。ですが、感情を制御できる閾値を超えてしまいました。
しっかりと見開いた目には涙が溜まり、頬を伝っていきます。
どうしてシクススが泣いてしまったのかさっぱりわからない若旦那様は、慌てて周囲を見回します。
はあぁぁとクソバカでかいため息を吐いたルプスレギナがそっと耳打ちしてあげました。
「シクススは当分おにーさんと会えなくなるのが悔しいんすよ」
若旦那様とシクススはご主人様と使用人の無味乾燥な関係を越えて深い仲にある、とシクススは思っています。思っていました。
それが単なる一方通行なものに過ぎなかったと突きつけられたのです。
射精管理をしてあげて、手や口をいっぱい使ってあげて、処女まで捧げて、請われるままに胸まで使ってあげたのに、事務的に関係断絶を告げられたのです。
一途な乙女心と淡い恋心を一蹴されたのです。
別れが悲しければ、そんな男を好きになってしまったのも悔しいのです。
シクススの気持ちは他の者達にも伝播して、けども今更離れられるわけがなく、誰もが苦いものを無理矢理飲み干して何とかいつも通りに振る舞おうと努力しているのに、若旦那様はこんな時でも正常運転でした。
「会えなくなるって言っても毎日来るだろうし、週に一日はこっちで過ごすつもりなんだが」
「……………………へ?」
またもルプスレギナが代表して呆けた声を上げました。
エ・ランテルと帝都は、疲れ知らずのアンデッド馬が引く馬車を使っても一昼夜かかる距離です。
転移の魔法を使えば一瞬で移動出来ますが若旦那様は使えません。使える方々が毎日若旦那様に協力してくれるとも思えません。
皆の疑問に答えるべく、若旦那様は得意げな顔をしてジャケットの内ポケットからとあるアイテムを取り出しました。
「じゃーん!」
効果音付きで取り出したアイテムは金属製の六面体。表面には不思議な文字や記号が無数に彫ってあります。
若旦那様が六面体を捻ると、二つの三角錐に分かれました。
一つをジャケットの内ポケットに仕舞い、もう一つは書斎の机の上に置きます。三角錐の文字が順々に光り始め、全ての文字が光ると眩しいほどの光を放ちます。その一瞬後に光は落ち着いて、無数の文字列が淡い光を漏らしています。
どう見てもマジックアイテムです。
「アインズ様から下賜されたマジックアイテムだ。狩り場直行君と言うらしい。見たとおりに二つに分かれて、狩り場直行君を設置した場所同士を瞬時に移動できるようになる」
アルベド様とお揃いのアイテムです。若旦那様のテンションは有頂天でした。
狩り場直行君は通称で、正式名称はなんとかポータルとあるらしいのですが若旦那様は知りません。
言うまでもなく、ゲームであったユグドラシル由来のマジックアイテムです。
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ユグドラシルはMMORPGでした。
たくさんのイベントや未知のワールドもいっぱいで、とても楽しいゲームでした。そのあたりの楽しさは、アインズ様に聞けばこれでもかと語ってくださることでしょう。
楽しいユグドラシルですが、プレイヤーには避けて通れぬ道があります。
レベル上げです。
効率よくレベルを上げるには、自分のレベルの適性レベルとなるモンスターをやっつけて経験値を重ねなければなりません。適正レベルのモンスターがいる場所まで行かなければならないのです。
移動手段は豊富なユグドラシルですが、それはある程度レベルが上ってからのこと。
ガチ初心者には適正レベルのモンスターがいる狩り場に行くまでが一苦労です。帰るのも一苦労です。だったらずっと狩り場に居れば、と言うわけにはいきません。獲得したアイテムの処理が必要ですし、拠点に戻ってこなさなければならないことだってあります。
そこをお助けするアイテムが狩り場直行君でした。拠点に片方を設置してもう片方を狩り場に設置すれば、双方を簡単に行き来出来るようになるのです。
しかも初心者お助けアイテムであるだけあって、無制限にもらうことが出来ました。
もらったとしても、ある程度レベルが上がれば移動手段が豊富にあります。それに初心者用の無償アイテムなだけあって使用制限があります。同時に一対の場所しか登録できないのです。初心者を脱するとほぼ使わなくなるアイテムでした。
しかし、使い道がないアイテムであろうと、もらえる物はもらっておく方もいます。我らがアインズ様です。
無制限にもらえるとは言え、一度にもらえる数には限りがあります。
それを何日も何年も続けるとどうなってしまうのか。
ナザリックを去ったアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーたちが残した物も含めると、五桁に届いてしまいました。
五桁です。
ナザリックがこの地に転移してからたったの三個しか使ってないのに五桁も残っています。
補充不可であるとは言え、まだ五桁残っています。このペースで使い続けると使い切るまでに一万年は掛かることでしょう。
■
「若旦那様はいつも言葉が足りなすぎるんです! 空気が読めないんですからせめてちゃんと伝えられるように努力してください!」
真っ青だったシクススが真っ赤になりました。
どうしてシクススが怒っているのか若旦那様にはわかりません。ですが、ここで反論するとろくでもないことになるのは流石に学習しています。だから言ったじゃないか、との言葉はぐっと飲み込みました。
狩り場直行君のもう片方はエ・ランテルのお屋敷の書斎に設置することを宣言して次に移ります。
「はーい! それじゃソフィーもこっちに残ります!」
背中の黒翼を羽ばたかせてふわりと浮いたソフィーが若旦那様の首に腕を回します。長い黒髪は重力に逆らってなびいています。
「お母様が折角ソフィーのお部屋を用意してくれたんですから。お父様は……、コホン! マスターは毎日こっちに来るんですよね?」
「確約は出来ないけどね」
「最低でも週に一日はこちらにお泊りするんですよね? 週に二日や三日になったりもしますよね?」
「そのつもりだ」
「えへへ♡」
ソフィーは笑み崩れて若旦那様に頬ずりすると、ソリュシャンを睨みつけました。睨まれたソリュシャンは薄く微笑み返します。
ソフィーは今になっても若旦那様から一度も吸精出来ていないのです。
夜討ちしても誰かしらが先んじています。朝駆けしようもソリュシャンが先んじています。ならば日中と行きたいところ、ソリュシャンに邪魔されてばかりです。ならばソリュシャンがいなければ、と考えました。
大好きなお母様はお父様がエ・ランテルに向かう以上、もう帝都のお屋敷には来ないことでしょう。お母様としばらく会えなくなるのは残念ですが、この間きつく叱られたのが少々堪えています。
「お母様なんて嫌い!」とまでは行きませんが、「お母様のバカぁ」くらいにはなっていました。
反抗期がやってきているのです。
実のところソフィーが一度も吸精できていないのは、先日の寸止めを恨めしく思っている若旦那様が警戒しているのも大いにあるのです。
爆発して死にそうだったところを止められてしまい、その上アルベド様へ奸計を企てたらしいので然るべき対応なのです。
「ミラは?」
「ご主人様の仰せに従います」
「それならエ・ランテルだな。向こうに運ぶものをリストに上げるからまとめておいてくれ」
「かしこまりました」
まだまだ朝なので、ミラはヴァンパイア・ブライドのエロ衣装ではなく白いドレスです。
スカートを両手で摘み、恭しく膝を折りました。
「あとは……」
一同の視線が最後の一人に注がれました。
彼女は最初から今に至るまで、一言も発していません。朝の挨拶だって頭を下げるきりでした。
服装もおかしいです。
同じくヴァンパイア・ブライドのミラは仕立てたドレスを着ているのに、彼女はヴァンパイア・ブライドお仕着せのエロ衣装です。
夜だったり、ここがナザリックだったりするならばそれでもいいのですが、帝都のお屋敷の書斎で朝からそんな服装をしてしまうのは些か以上に相応しくありません。
「ジュネはどうする? 何か希望があるか?」
「…………」
若旦那様に水を向けられているのに、ジュネは口を開こうとしません。やや俯いて、表情が強張っています。
「ああ、シャルティア様からお声が掛かったか」
「っ……」
ジュネが若旦那様の所にいるのは、研修のためなのです。若旦那様的には、必要な技能を全て教授したと判断しています。左遷が解除されたので、ジュネがナザリックに戻るには丁度良いタイミングでしょう。
ジュネは、私が愛し忠誠を捧げているのはシャルティア様、と言うくらいなのですからシャルティア様の元へ戻れるのは嬉しいでしょうに表情が冴えません。
空気を読まず感情の機微もわからない若旦那様ですが、記憶力は確かです。今のジュネを見たことがありました。それは、ジュネがジュネの名を持つ前のこと。26番目のヴァンパイア・ブライドに過ぎなかった時のことです。
その頃のジュネは、最弱のヴァンパイア・ブライドであることを苦にしていました。早々に命を散らし、次に発生するヴァンパイア・ブライドに己の役割を引き継いでもらおうと考えていたほどです。
今のジュネはその頃と同じ顔をしているのです。
ジュネは自信をなくした暗い顔で口を開きます。
「私はどうすればよいのでしょうか?」
「それを聞いてるところだ。そろそろシャルティア様から召還命令が出たんじゃないのか?」
「…………………………シャルティア様は、…………戻らなくて良いと仰りました」
アインズ様の祝勝会にて言われたことでした。
ジュネと同じくヴァンパイア・ブライドであるミラは、最近のジュネの様子が不審であることに気付いていました。帝都では唯一の同種族であるため心配することしきりでありましたが、ついとジュネが理由を話すことはありませんでした。
理由を聞いて、納得すると同時に胸が痛みます。
敬愛する主から要らないと言われた悲しみと苦しみは、胸が張り裂けるほどでしょう。
意外すぎる言葉に若旦那様の顔も真剣なものとなります。
「シャルティア様が本当にそう仰ったのか? 何を言われたか一字一句正確に言え」
若旦那様に非難の眼差しが集中します。主人から不要を宣言されたシモベの悲哀は推して知るべしです。
「シャルティア様はこう仰りました。『用が足りんした。お前は戻らなくても構いんせん』と」
若旦那様には察するところがありました。
ジュネが研修のために選ばれた理由は、爪を短く切ることが出来るからです。爪が長いままだと繊細な部分を傷つけてしまうものですから。
ですが、世界一のナザリックの技術力により、鋭い爪の影響を封じるドレスグローブ型スキングローブが開発されました。これにより、最弱であるため爪を短く整えられるジュネの利点がなくなります。
別の要因もあります。
ナザリック上層部にしてシャルティアの守護階層である「墳墓」の警備には、多数のヴァンパイア・ブライドは不要であるとシャルティアが気付いたのです。若旦那様が墳墓の警戒態勢に口出しした結果でもありました。
「シャルティア様は流石にシャルティア様だな」
「お兄様、その物言いは少し……」
若旦那様はソリュシャンの苦言に胡乱な目を返します。
シャルティア様に初めてお会いする以前のこと、おバカの担当はシャルティア様と叫んだのはソリュシャンなのです。
過去を忘れているらしいソリュシャンは置いておき、若旦那様は机の上の上質紙にペンを走らせます。
十数秒で書き終えた紙面をジュネに見せて、
「これ通りに書け」
「…………あの……。読めません」
ルプスレギナが若旦那様の手から紙面を抜き取り、目を丸くしました。
「マジっすか?」
「おかしなことじゃないだろう?」
「まあ、そりゃそーっすけど」
ルプスレギナは若旦那様の字を読めるように書き直します。
そこには、シャルティア様から戦力外通告を受けたので守護者統括相談役殿の部下になることを希望します、と言うようなことが簡潔に記されていました。日時と署名と押印欄もあります。
「ソリュシャンはこっち」
またもすらすらと書いた紙面には、ジュネの希望を受け入れて部下にします、と形式を整えて記されています。
最後にはちゃんと自分で署名しますが、文章を書くのはソリュシャン任せです。
若旦那様の崩し文字を読めるのはソリュシャンとルプスレギナだけなので、二人は実務的な理由から若旦那様から離れられないのです。
どちらかが離れてしまうと、若旦那の出力速度が単純に半減します。頑張れば読める字を書ける若旦那様ですが、そうすると出力速度が十分の一以下になります。
喫緊の事態にならない限り、二人には傍にいて欲しいと思っている若旦那様です。ソリュシャンへそうと言わなかったのは、ソリュシャンがそう思いたかったようにソリュシャンの自由意志を尊重したからです。
ですので、若旦那様はシャルティア様が考えていることもわかりました。
空気を読まず感情の機微もわからない若旦那様ですが、論理ならわかります。
シャルティア様はジュネへ戻らなくていいと言ったようですが、戻ってはいけないと言ったわけではありません。不要と言ったわけでもありません。ジュネだけが担っていた役割を他のものでも足せるようになったと言っただけです。
つまり若旦那様がソリュシャンへしたのと同じ、ジュネの自由意志を尊重しているのです。
と言うことをわかっている若旦那様ですが、わざわざ説明してあげません。根は悪い男なのです。
ジュネは近接戦闘に必要なあらゆるステータスが最下限のぶっちぎりの最弱ではありますが、それ以外は違います。
シャルティア様が異常個体認定したベッドテクニックではありません。頭の回転が速いのです。
基本的には空転しているので日常会話でルプスレギナを煙に巻いたりします。そこへ適切な教育を施してきちんとギアを入れればシャルティア様の参謀だって立派に勤められることでしょう。
ジュネが沈んだ目で署名します。
若旦那様はソリュシャンが作った書面に署名します。
「よーし、仕込むぞー!」
今までのジュネはシャルティア様から研修のために派遣されていた身の上だったので、余計なことは出来なかったのです。
「何仕込むつもりっすか? エロテク?」
「それはもう完璧に仕込んだ」
「うわぁ……」
自信満々に答える若旦那様に、ルプスレギナは引きました。
「外交儀礼と言いたいとこだけどそのあたりはカルカがいるし、帝国の所領や紋章を教えても帝国が滅んだら無駄になる。百年二百年で滅びるとは思わないけど五百年先まで使える事を仕込む予定だ。とりあえずは数字の扱い方だな。これも数百年もしない内に色んな計算機が生まれるだろうしと言うかナザリックには既にあるんだろうが、何を計算すればいいかわからなきゃ話にならない。数字の意味も把握する必要がある。統計学は完璧に教え込む。デミウルゴス様のご質問に答えられるレベルを目指す。並行して論理だ。こっちも抑えれば千年先まで使える。俺もまだ完璧には程遠いから、今度ナザリックに行ったらティトゥス様に適切な参考書を教えてもらおう。ジュネの勉強用に複製してもらうのもいいな。大丈夫、時間はある。今はわからなくても出来るまでやればいいだけだ。ああ、ついでにソフィーも……」
ソフィーの姿はありませんでした。
「ソリュシャン様とルプスレギナ様はエ・ランテルに向かうための準備に向かわれました。私も業務に戻らせていただきます」
シェーダはソリュシャンお嬢様についていったようです。
残っていたシクススも一礼して退室します。
「カルカは……、神聖文字の読み書きを覚えてからだな」
「は、はい……」
ソフィーとソリュシャンとルプスレギナが逃げ出したことから、若旦那様が言ってることはかなりの無茶振りと察したカルカです。
ですが、カルカは守護者統括相談役殿の正式な部下なのです。逃げられません。
それを言えばソフィーもそうなのですが、アルベド様のご息女でもあるのであまり厳しいことは言えません。尤も、父と母があれなのでやれば出来るはずです。
最後の一人、ミラは微妙な顔をしていました。
「私はどうなのでしょうか?」
「うん?」
「ですから、その……。ジュネがご主人様の配下となりました」
「なる予定、だな」
作った書類を然るべき方へ送ってサインをもらったら正式決定です。
「私もご主人様の配下、と言ってよいのでしょうか?」
「いや、ミラはシャルティア様の旗下だろう。ここにいるのはシャルティア様が派遣したからで」
「私もご主人様の下につくことは出来ないのでしょうか、いえすべき事は今までと変わりませんが現にシャルティア様のお側よりご主人様のお側にいることが多くなっておりますからそうした方が形としてもすっきりするのではと愚考しておりますだけで…………、けっして他意があるわけではございません。ましてシャルティア様への反意はけしてけしてございません!」
「…………まぁ、今までと同じで肩書がちょっと変わるくらいだろう。シャルティア様からお言葉があれば元通りにする。それでもか?」
「はい!」
ミラが顔を輝かせて食い気味に返事をします。
ジュネが黒いのに白い目で見ているのは気付かない振りです。
実質は何も変わらないのに肩書がちょっと変わるだけで何か意味があるんだろうかと思う若旦那様は、ミラが随分と熱心に希望するのでささっと申請書を作ります。
今話した通り、ミラを自分の部下に、何かあったらシャルティア様のところに戻します、と記します。
ミラは出来た申請書を清書してもらうために書斎を飛び出しました。
清書した申請書にはやっぱり若旦那様の署名がいるのをわかっているのでしょうか。
カルカも退室して、書斎には若旦那様と儚げな表情をしているジュネの二人きりとなりました。
「マイスターはこれからも私のマイスターでいてくださるのですね」
「そうなる。多分、一年や二年じゃ終わらない。長い付き合いになるだろうがちゃんとついてくるように」
「…………かしこまりました。では早速、一つ申し上げても良いでしょうか?」
「なんだ?」
ジュネの目が光ります。
自信のない儚げな顔は変わらないのに、黒い眼球に赤い目が爛々と光っています。
天に至る細い糸を見出したように見えました。
「マイスターはルプスレギナ様へ虚偽を仰りました」
「虚偽?」
「マイスターは私にエロテクは完璧に仕込んだと仰りましたが、私には仕込まれた記憶がございません」
これには若旦那様もジュネが何を言ってるのかわかりません。
ジュネの研修内容は、爪を短く整えてフィンガリングを覚えることだったのです。ミラの貢献もあって、ジュネには完璧に仕込んだ自負があります。
ティアとティナで実践もしています。
後は相手によって適切に調整するだけです。そのあたりも教えてきたつもりです。残すところは実践を重ねるだけで、シャルティア様がお相手ならば万全と言えましょう。
「マイスターが私に教えてくださったのは女性を相手にした時の手法です。殿方へ、つまりはマイスターへご奉仕する技は皆様がしているのを見て覚えただけに過ぎません。マイスターからご指導を受けたことはありませんでした」
「……ああ。そう言えば、そうだったな」
研修の目的が目的だったのでそちらはおざなりだったのは確かです。
それ以前に、ジュネは素質が著しく、殊更に教えなくても十分だったのも事実です。
口にはしませんが、ジュネは覚醒したサキュバスの転生体と信じて疑わない若旦那様です。
それなのに色々教えてしまったらどうなってしまうのか。
と、少しだけ考えて、こちらがとても気持ちよくなるだけと結論付けました。
「マイスターから様々なご指導を受けられることを楽しみにしております。ですが、まずはマイスターにお悦びいただける術を教えていただけないでしょうか?」
両手を胸の前で組むジュネは、若旦那様に祈っているようにも見えました。
否があろうはずがありません。
若旦那様は椅子から立ち上がり、ジュネを抱き寄せて口付けを送ります。
「マイスターから接吻をいただけるのは久し振りな事と思います」
若旦那様は早速痛いところをつかれてしまいました。今までいいように使ってきたことがバレているようです。
まずはジュネに色々教え込む前に、色々とサービスしなければならないようでした。
夏バテてました_(:3 」∠)_