※この作品はR-18です。

アルベドのお食事   作:dolph

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始める前から病んでると言ってはいけない


黄金の病み始め

 誤解を解かなければなりません。当初の私は兄の顔を灼くつもりも囚えるつもりもありませんでした。

 

 私はリ・エスティーゼ王国の第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフです。私は幼いながらも王族としての責務に囚われています。

 会う人を選ぶことが出来ません。言葉を交わす人を選ぶことが出来ません。一人で王宮の外へ行くことが出来ません。それ以前に外へ出ることが叶いません。出る時は然るべき然るべき。食事の時間は決まっています。食事の場所も決まっています。この日はここへ、次の日はここへ。学ぶべきは極々限られて人である前に女である前に王族の一人として然るべき。

 お姉様が二人おります。物言わぬ美しい彫像として夫に仕えるべきと教えられるのは人ではなく女でもなく娼婦として育てられているとしか思えません。

 他におります二人のお兄様はご自身の権力欲に沿う何者かに至るべき教育を施されているようなのでまだしも私やお姉様たちよりも不満も不安も少ないことでしょう。それとて自由があるわけではありません。王族の名のもとに敷かれる道を歩まなければなりません。目に見えない落とし穴が空いてる事に気付かないで歩き続けるのは不思議でなりません。

 お姉様とお兄様たちはどうでも良いことでしょう。私のお姉様とお兄様であっても、兄と血の繋がりはないのです。

 兄は私だけの兄であるにも関わらず自由です。私は王国に囚われているのに兄は自由です。

 兄の自由を失くすだけのつもりでありました。手足のいずれかを落とすか、元通りに癒えない傷を与えるだけで良かったのです。

 私は自由に外へ出ることが叶わないのですから、兄も自由に歩くことなく這いずるべきです。私は好きな時に好きなものを食べることが叶いませんから、兄も手を使って食べられなくなればよいのです。

 兄は私だけの兄なのですからたった一人の妹と苦しみを分かち合うべきでしょう。

 

 幼い私に出来ることはたかが知れておりますが私なりに周到な準備をいたしました。兄はその全てを退け避けてしまいました。

 私を取り巻く刺激に飢えた女官たちは王都に出没する不思議な妖精に夢中になっています。噂話には事欠きません。私には兄がどの道を通ってどの窓を開けてどの部屋のどのベッドで眠ってどこで食事を手に入れて手に入れた食事をどこで摂るのかすらも手に取るようにわかっていました。それでもこの目でその場を見ることは叶いませんから手抜かりがあったとしても仕方ないことでしょう。

 一度目は仕方ありません。二度目は偶然です。ですが、三度目はありません。それなのに兄は四度五度と危険をかいくぐります。

 有りえない事でした。

 

 例えるなら、何気なくいつも通っていた道に何の前触れもなく大穴が空くのと同じです。昨日は何の問題もなく通れた道でした。他の者達も何の問題もなく通り過ぎます。兄が上を歩いた時にだけ陥没するのです。それを避けられました。それを、六度も七度も。

 先の大火の前でしたら奴隷商から来た人攫いたちが陰に陽に兄を狙っていたでしょう。しかし人員も拠点も何もかも焼き払われた現在では元通りの活動が出来るまでに年単位の時間が必要となります。きっと姿形は美しい兄でしょうから付け狙う者は多いはずです。それとて奴隷商が活発だった以前とは比べ物にならないほど大人しいものです。現在の王都で兄を狙う者はいないのです。

 私の存在を知られている可能性はありません。私という妹がいることは知っていてもおかしくありませんが、私が兄へ手を伸ばしていることは知り得ないはずなのです。

 それなのに兄が私の手を尽くすり抜けるのは、私の理解を越えました。意味がわからない事ばかりを口にする全く理解が出来ない不気味な小娘、と陰に言われる私が理解出来なかったのです。理解されない私の理解すら超える兄ならば私の言葉を深く理解してくれる事でしょう。言葉を交わしてみたいと思ったのはこの時が初めてだったように思います。

 

 機会はあっけなくやってきました。

 

 その日は上のお姉様に強く請われて侯爵家の町屋敷を訪れました。お姉様がいずれ嫁ぐ家です。妹を連れて未来に傅く夫の機嫌を取りたいようです。私には関係のないことです。未来の義兄に興味はありません。そうは思っても王国を動かす複雑な政治力学を把握するには無為とは言えません。兄の手かがりを失ってしまったので失意を慰めるのに気晴らしが必要だと感じたのもあります。

 こうも兄が私の手を逃れるのは、噂話がとても儚いものに過ぎなかったからです。本当の妖精のように噂の上を軽やかに飛んでいます。妖精の元となった事実は兄一人だけのものではないのでしょう。兄ほどの者が幾人もいるわけがありません。兄が子どもたちを使って噂の種を撒いているのです。たったそれだけの事に気付くまでどれほどの時間が掛かった事でしょうか。まずは無数の噂話から確実に兄であるものを選り分けなければなりません。今日まで私にそれと気付かせなかった噂話を選り分けなければならないのです。始める前からとても大変な作業であると感じましたが、同時に遣り甲斐もありました。ここまで深く物事を突き詰めて考えるのは初めての事でした。

 

 侯爵家の町屋敷へは動きやすいドレスで参ります。庭園で午後の紅茶を楽しんだら次のドレスに着替えます。晩餐の時にはまた別のドレスに着替えます。王侯貴族の女たちの仕事は着替えることと言って差し支えないほど着替えます。二度目の着替えの時でした。気付いたのは私だけでした。

 閉じられようとするドアの隙間から一瞬だけ見えました。

 一人の少年が堂々と長い廊下を歩いていました。

 他でもない侯爵家の町屋敷の廊下です。市井に暮らす子供がいるわけがありません。然るべき仕事を持っている使用人や、はたまた使用人たちの子供が歩いているわけがありません。侯爵家の町屋敷を歩いているのですから、誰しもが然るべき血筋のご令息と思うに違いありません。

 使用人たちが王国貴族全員の顔と名前を知っているわけがありません。普段はそれぞれの領土で住み暮らす何々家のご子息ともなれば尚更です。私であっても「あの方はどこのご子息なのでしょう」と思ってしまったくらいです。

 一瞬後には兄であると確信しました。

 

 王国と帝国がまだ一つの国であった時代から伝わる古い民話があります。人の心を読む化け物を退治したのは偶然飛んできた薪でした。化け物は偶然によって倒されるのです。

 

 胸が高鳴ります。

 初めて兄の姿を目にしたからなのでしょうか。兄の姿がとても秀でていたからでしょうか。どうしてこんなにも兄に惹かれたのかを知るのはもう少し先のことです。その時の私はどうやったら兄を自分だけの物に出来るのだろうとしか考えられませんでした。

 全力で走ったのはこの時が生まれて初めてのことでした。お姉様も未来の義兄も着替えを手伝う女官たちも目を白黒させます。

 走りながら兄の目的を考えます。屋敷の構造を頭に浮かべながら兄が通る場所を予想します。道中に厨房があったのが幸いでした。

 大きな虫が出たと訴えます。熱した油を水を汲む手桶に注がせます。足の速そうなキッチンメイドを走らせます。彼女は何も知らず、誰にも会わず、私が言った通りの場所へ言われた通りに油を撒きます。

 

「ああ! ご子息のご友人が!」

 

 迅速に適切な手当を施せるよう王宮へ運びます。その時、回復魔法を使えるものがいなかったのは幸いでした。王国が魔法を軽視していることを感謝することになるとは思いませんでした。

 運んだ者達へは手遅れだったと伝えます。

 治療を施した者達へは快癒して別のところへ移ったと伝えます。怪しまれるのは困りますから、その時王宮に滞在していた子供の名を挙げます。

 最終的には、侯爵家から領土を与えられその領土を侯爵家に返上した騎士のご子息が領地で親しくしている育ちの良い子供が王宮で一時療養していた、と言うことにしました。侯爵家から運ばれたのでしたら王宮で一時療養しても不思議ではありません。侯爵家の町屋敷に侯爵家に仕える騎士がいてもおかしくありません。各々のご子息が父に同行することもないことではありません。その友人がどうしてもと乞い願えば王都に連れてくることも有りえないことではありません。そんな事をわざわざ公言してしまうのは恥の上塗りです。

 確かめようがない上に関係していると思われる者は口を閉じざるを得ない事柄ですから、遠からず「そんな事があったかも知れない」と落ち着くのは目に見えていました。

 

 兄が入った箱を運ばせたのは私の部屋の真下にある空き部屋でした。運ばせた者は隠し倉庫か何かと思ったようです。幼い私に兄を運ぶことは出来ませんから仕方のないことでしたが、他者の手を借りて良いことではありません。公言させないために然るべき処置が必要となります。

 特別な用途はなく意識の空隙をつくようにしているその部屋は、代々の誰それが某方を囚えていたのです。密かに王宮から抜け出すための出入り口であったこともあるようです。生憎、外へ通じる道は完全に塞がれています。補修の跡から推察して、百年以上経過しているのは間違いありません。本来はそのような用途であったため、私の部屋から直接兄の部屋を訪れることが出来るようになっていたのは僥倖でした。以降、私は自分の部屋を死守しなければなりません。

 

 たった一人の私だけの兄です。私は心を尽くして看病しました。

 醜く爛れた火傷に薄い被膜が現れて体液が浸潤しなくなるまで一週間も掛かりました。

 兄は口を開くと火傷が引き攣れて痛むらしく、はっきりとした言葉を発するまで更に二週間も掛かりました。

 私に介護される兄はとても大人しいものでした。この頃になりますと、兄を一目した私がどうして執着したのかわかりました。

 兄の穏やかな佇まいとか優しげな風貌だとか、そのようなものかも知れないと思っていたのですが全く違いました。兄が火傷を負った瞬間に強く刻まれたものがあります。

 煮えた油を顔に浴びせられた兄は、驚きに小さな声を上げました。顔の半分を灼く大火傷です。火傷の痛みに小さく呻きました。ですがそれだけです。けっして大きな声で泣き叫ぶことはありませんでした。

 痛みに強いとか、意思が強いとかではありません。そのいずれかであれば痛みに呻くことはないでしょう。

 叫ぶことの機能を考えれば答えが出ます。

 叫び声は人の耳を引きます。自分が叫んでいることを強く知らしめるためです。叫ぶ原因があると強く訴えているのです。危険の在り処を教えるためです。危険に晒された自分を助けてもらうためです。

 兄は叫びませんでした。危険を教える相手も、自分を助ける者もいないからです。そんな者は何処にもいないと、心の底から確信しているからです。兄は独りなのです。孤りなのです。

 兄はたった一人で完結していました。己以外の何者も必要としていないのです。兄は完全に完成していました。

 その兄に癒えない傷をつけたのです。兄の顔を知るのは最早私だけです。私だけの兄は私だけが知る物となりました。

 

 幾ばくか時が流れます。兄は発音が不明瞭なところがあれど不自由なく喋れるようになりました。

 私に感謝を伝えます。己の身を鑑みて私に頼る以外に生きる術がないと悟ったのです。

 

 兄は穏やかで優しい人物でした。

 兄が穏やかで優しい為人だからではありません。興味がないからです。だから一人で完結出来たのです。私は周囲の無理解に身も心も細る毎日を送っていたというのに兄は全く意に介さず生きているのです。私が相手であっても。

 

 思うところは大いにあるのですが、兄の存在は驚くほどに私へ心の安寧をもたらしました。

 兄は私がいなければ生きていけないのです。私の気まぐれで兄は死ぬのです。私が支えなければなりません。私を頼りにする存在がこうも私の心に力を与えてくれるとは思ってもみないことでした。

 兄はもっと私に感謝をするべきなのです。もっと卑屈に私へ媚びへつらうべきなのです。

 兄は私が思う通りに感謝を口にします。爛れた唇から引き攣った言葉を放ちます。

 ですが、言葉だけです。私を見る目は変わりません。

 

 毎日毎日兄の介護に尽くしながら私は兄の関心を買うために色々な話をしてあげました。私が日々習わされていることから女官たちの噂話にそれらから推測できる王国の行く末まで。

 倣い覚えた歌を聞かせたことだって何度もあります。

 覚えたばかりのダンスのステップを披露したこともあります。

 私が得られるありとあらゆる事を兄に伝えました。

 兄が私を見る目は変わりません。

 爛れた顔に潰れた左目。右目だけが美しい形を残しています。私だけが兄の美しい顔を幻視する事が出来るのです。

 兄の美しさを知るのは私だけなのに、兄の存在を知っているのも私だけなのに、兄の命を握っているのは私だと言うのに、それ以上のものが欲しくなってしまったのです。

 異常と恐れられ遠ざけられた私も所詮は欲深い人間であると兄が教えてくれたのです。

 

 無限とはとても言えませんが、時間はあります。

 私は焦ることも急ぐこともなく兄に伝え続けました。

 それが二年も経つと、伝え方が間違っていたのかと思うようになりました。或いは兄に異常があるのかも知れません。どこにも行けない狭い石の部屋に閉じ込められて、話し相手は私だけだと言うのに、兄が私を見る目は変わらないのです。

 私では絶対に堪えられません。唯一の話し相手に何もかも話してしまうに違いありません。誰であろうとそうなるに違いないのに、兄は穏やかで優しい顔をして感謝を口にするばかりなのです。

 しかし今更違うやり方は出来ませんしわかりません。

 これまでと同じように、けども心に湧きつつある焦燥を隠して兄へ語り続けます。

 その時話したのは王国と帝国との会戦についてでした。王国軍の編成と想定される被害について。その後にどの貴族家にどのような報奨が贈られるか。

 兄の青い目が少しだけ違った光を放ちます。一瞬を逃さず、何を思ったのか聞かせてくださいと訴えました。

 三度繰り返して兄が口を開きます。

 

「帝国は皇帝が代替わりした。どうして今までと同じなんだ?」

 

 驚きました。それはとっておきの話だったからです。

 王国にも帝国の皇帝が事故死して新皇帝が即位したとの伝わっています。事故です。偶発的なものだったはずです。兄は私以外から話を聞くことは出来ません。それなのにどうして知っているのでしょうか。兄が知っているのは私が噂から推察したものだけなのです。

 それなのに兄が知っているということは、私が気付かなかったことを兄は気付いて帝国の先帝は謀殺されたのだと推察したのでしょう。私にもわからないことが兄にはわかったのです。

 私は兄の推察が正しかったと伝え、どこからどのようにしてその結論を導いたのか尋ねました。

 

「聞けばわかることがわからないのか?」

 

 私の胸が熱くなってきます。しつこく食い下がりました。

 兄は、わかるだろう、どうしてわからない、と繰り返します。

 それでもなお私はしつこく食い下がりました。

 動悸が激しくなっていくのを感じます。

 兄の顔は爛れていますので表情はわかりません。右目の光だけが兄の心を伝えてきます。目は心の窓であると初めて知りました。

 

「お前が馬鹿だからわからないだけだ!」

 

 私の顔は真っ赤になっていたに違いありません。鏡を見なくても顔が熱く火照ったのを今でもよく覚えています。

 兄は私を馬鹿と言ったのです。

 

 私の頭脳は王国一優れている自覚があります。

 王宮には王国内で殊に優れた頭脳が集まっているはずです。中でも私の教師たちや父王に近い者達は権力闘争を勝ち抜いた実績もあり、王国内の上澄みとも言えます。

 そんな彼らですら私から見ればあまりにもゆっくりであまりにも視野が狭くあまりにも頭が固くあまりにも頼りない記憶力でめしいているのに崖の縁を歩いている愚か者を通り越して無謀と蛮勇しか取り柄がないように思えてなりません。

 その私を指して、兄は馬鹿と言ったのです。

 

 私は言葉の限りを尽くして汚い言葉を口にした兄を窘めました。

 兄の目は変わりません。私を馬鹿にした目付きです。

 ですから私は兄の食事を減らしました。

 その夜はとてもよく眠れました。

 兄と出会ってからというもの、よく眠れる日が確実に増えていきました。

 




使おうと思って使わなかったネタです

今でも根っこは変わらないでしょうが、米ソ冷戦にてスパイ合戦華やかなりし時代、騙し裏切るのが仕事だったスパイはどうやって傷ついた心を癒やしたか
ソ連の元スパイが「小動物を飼うことだ」と言ったのを読んだことがあります
闇金ウシジマ君がウサギを飼ってるのも同じです
非情を強いられる本業ですり減った心を癒やすためにウサギの世話が必要なんです
超人や異常者ではなくまともな人間であるアピールです
鬼が人間でないアピールに角が生えてるのと似たようなもんでしょう

ラナーの回想は3まである予定(3が終わったらラナーが出てくるわけではない)です
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