遠いところにいる妹から想われている兄は長い旅路を馬車に揺られていた、と云うのは比喩でナザリック製の馬車は抜群のサスペンションが搭乗者に揺れを伝えない。
帝都からエ・ランテルに向かう馬車である。帰還の日が来たのだ。
普通の馬車なら丸三日は掛かる道程となるが、アンデッド馬が引く馬車は昼夜を問わず走り続け一昼夜でエ・ランテルに着くことが出来る。
御者はミラである。ジュネは帝都の屋敷に残った。
『ジュネはこれからマイスターに様々なことをご教授いただきます。手始めとしましてまずはマイスターの文字を読むことが出来るよう自主学習いたします』
帝都には男がナザリックへ報告した各種文書が原本と写しのセットで無数に残っている。原本を写しに照らし合わせて解読を進めていけば、いずれは読むことが出来るようになるはずである。まるきり古文書解読のノリである。文法は常日頃使っている口語と変わらないので古文書解読より難易度は低い。文字と認識出来れば、であるが。
一行が乗る馬車はシャルティアが用立てた馬車だ。内部は空間拡張の魔法により、外見より広い。今は純粋に移動のために使用しているので大きなベッドは片付けられ、代わりに大小のチェストが空間を狭めている。
乗っているのはナザリック守護者統括にして魔導国宰相閣下の相談役、ソリュシャンとルプスレギナ、ソリュシャン専従メイドのシェーダの四名である。
帝都で購入した双子幼女はカルカの専従と言うことにしたので置いてきた。生きてる抱き枕を置いてくるのは少々惜しいと思った男だが、春を迎えて日毎に暖かくなっていく季節。使用頻度は確実に減っていく。どうせこまめに帝都に戻るつもりでいるので、使う機会はまだまだある事だろう。
車上の人となって、始めの内はソリュシャンたちのお喋りに付き合っていた男だが、じきに口を開かなくなった。
ソファの肘掛けに頬杖をつき、何処を見ているかわからない遠い目で車窓を眺めている。
自身の内面世界に潜り、考えなければならないことを考えているのだ。
帝都に滞在している間、魔導国への報告書は毎日作っていた。つまらないプライベートを書いた日記ではなく、帝国の公人との接触記録が主である。帝国で得た情報も報告している。ジュネが解読を始めたのがこれらである。
だけれども報告しきれていないことは無数にあった。
ジルクニフが切れそうになった帝国の戦力などは触りも触りである。それを取り囲む事象が無数にある。
将の一人を上げる。彼の出生、出身、経歴は序の口ですらない。現在の血縁、交友関係。率いる隊の練度、演習頻度、輸送能力、行軍能力、一両日で用意できる兵員数から最大数。皇帝から下賜された領地、父祖から引き継いだ領地、それらの食糧生産能力、消費量、余剰生産の輸送先、足りない食糧の購入元、他の産業、それらの生産量、併せて外貨獲得能力。領地内の人口、年齢分布、戸数。地質や河川等の地理的要因。領土争いなどを主とした建国以来の争い事の履歴、それらから推測できる他の領土との関係。城塞の有無にそれらの防衛力、収容可能人数。
兵を率いる貴族一人で最低でもこれだけある。
帝国の貴族はジルクニフが大鉈を振って大いに減ったが、百や二百ではない。
そして報告すべきが貴族のことだけであるわけがない。言うまでもなく、個人で報告する内容ではない。最低でも数十人単位で組織的に取り掛かるべきことである。
報告内容を頭の中でまとめ終わっても、書類に出力するだけで三日は掛かるだろう。
と言うことは、男の文字を読めるソリュシャンとルプスレギナが清書するのに寝ずに頑張って一ヶ月は掛かると言うことである。二人が、ジュネが色々マスターしてエ・ランテルに戻ってくることを切望しながら悪夢に叩き落されるのはもう少し先のことである。
流石に一度で清書するのは無理がある。分野毎に優先順位を設けて順々に報告書を作ることになる。それでも最終的には全ての書類を作らなければならないのは変わらないので、やはりソリュシャンとルプスレギナが書類の海で溺れ死ぬのは決まっていた。
まとめるべきは他にもある。アウラ様からの御要望は優先しなければならない。帝国と竜王国を含む地図のことだ。
上空から眺めた景色を平面に落とし、情報を書き加える。これについては以前もしたことがあるので手間は掛かっても難しいことではない。地名や都市名を読める字で書くのはやはりソリュシャンとルプスレギナの手を借りる事になる。二人が泣きそうになることを男は知らないでいる。
同じことを繰り返すだけでは芸がないので、少し工夫を凝らそうと考えている。
当たり前のことだが、アゼルリシア山脈の西に降った雨は西に流れ西の大洋を目指す。東に降った雨は東に流れ内陸へと向かっていく。水は河川となって流れるわけだが、必ずしも全ての水が地表に現れるわけではない。地中に染み込み、地下水となって流れる水も相当にある。地形や地質を読みとけば地下水の流れを把握できるはずなのだ。
最古図書館で借りた大人向けの辞書に「水文学」と言う項目があった。水の循環を対象とした研究であるらしい。そこからヒントを得て地下水脈の把握を思いついた。
尤も、水文学についてはお遊びの域を出ない。まずは精細な地図を作ることが最優先だ。
借りると言えば、シズから借りを押し付けられているのを忘れていない。
シズは地下大墳墓ナザリックの様々なギミックを把握しているようで、情報漏洩防止のため基本的にはナザリックの外に出ることが出来ない。聖王国で活躍出来たのは外出許可を出してくださったアインズ様の温情がとても大きい。さすがはシモベたちへの思いやりを忘れないアインズ様である。
外に出られないシズちゃんなので、放置しておけば借りを取り立てられることもない。と言いたいのだが、ナザリックには最古図書館がある。行かない選択肢はないのだ。
放置したとして、もしもシズちゃんが利子の概念を知っていたら大変なことになる。
『借りたものには利子がつく。利子はトイチ。十分で一割』
とか言われた日には丸一日で元本の85億倍になってわけがわからないことになってしまう。
シズちゃんが利子の概念を知らないことを祈るばかりである。
今度ナザリックを訪問する時は、足が遠ざかっているカルネ村を訪れたいと考えている。ンフィー君にお土産を渡すのだ。
ンフィーリア少年はカルネ村の村長にしてゴブリン大軍団を束ねるエンリ大将軍の夫となった。
処女にも関わらず一晩で三回も絞ってくれたエンリ大将軍を是非にも満足させてあげて欲しい。そのための精力増強剤を開発したのである。アルベド様のミルクがヒントになった。
女性に放たなければならないとの魔法的な効果は付与できていないが、五回も出して頑張れなくなっても服薬すればもう二回は行けるようになる。副作用がないことは自分で試して確認している。
片手間に作ったため三回分しかない。天才錬金術師と言われるンフィー君なら同じものを作ることが出来るだろう。
ナザリックに行ったら最古図書館に行くのは当たり前として、何とかアインズ様に拝謁願わなければならない。
部下にはめられて不老不死になりたくなったなんて余りにも情けなく恥ずかしい。
不老不死になりたいわけではないのでならなくて良いのではと思わなくもない。しかし、退路はもうなかった。ジュネがあの時宣言したのと同じことをソリュシャンとルプスレギナとシクススとシェーダとミラに話したのだ。皆大いに驚き複雑な感情を覗かせながら賛同した。
あの時ばかりはこのアマどうしてくれようと思ったものである。しかしながら言葉は矢の如しなのか汗の如しなのか知らないが放たれた言葉は取消せない。
もっと先のことも考えている。クライムのことだ。
いずれラナーに会わなければならなくなるのは確定している。その時にラナーを性的に封じ込めるため、クライムに頑張って欲しいのだ。
ンフィー君と違って、こちらは精力増強以前である。まずは女を教えなければならない。
近くにいる女たちを上げると、ソリュシャンはエ・ランテルでお嬢様として知られているので不可。
ルプスレギナも回復魔法のエキスパートと知られカルネ村では守護女神扱いされてるので不可。
ミラとジュネは直属の部下になったので良いように思えるがどちらもヴァンパイア・ブライドであるため体が冷たい。美しい女たちなのだが初心者には厳しいと思われる。
ソフィーは自分の娘であり部下でもありアルベド様のご息女でもある。つまりサキュバスだ。男の精は大好物である、はずだ。何の問題もないように思えたが、ソフィーは処女。その上帝都に残っている。色々と論外である。
シクススなら優しいしおっぱいも大きいしソフィーと違って熟練だし、最適だと思われるのだが帝都残留。その上帝都のお屋敷でメイド長を務めているので、そんな裏仕事をさせるわけにはいかない。
消去法によりシェーダが残った。シクススほどの熟練ではないが、やはりおっぱいが大きい。
シェーダに頼もうと考え、その前にルプスレギナの意見を聞くことにした。シェーダもすることは好きだろうから問題ないと思われたが、もしかしたらデリカシー云々に関わる事柄なのかも知れない。ルプスレギナは、デリカシーについて色々教えると言ったことがあった。少々口が滑ってもルプスレギナなら大丈夫と甘えたのもある。
その結果、
『ルプーの意見を聞きたいことがある』
『なんすか?』
『シェーダに他の男と寝』
ボッ、グハッ。
ナザリック特製スーツを着ていたので血反吐を吐くだけで済んだ。
『それ脱いでもっかいっすね』
『何故だ?』
『おにーさんに必要だからっすよ。鈍感なおにーさんにはちょーーーっとわかりにくいかもっすけど。私、かなり怒ってるから。シェーダのためにもおにーさんをぶっ飛ばさなきゃならないんすよねー』
『ルプーの怒り解消にどうして俺が殴られる必要がある?』
『じゃあ授業料と思えばいいじゃないっすか! ほら早く脱ぐっすよ!』
ヌギヌギ、ボッ、パァン……。
男のボディに刺さったルプーパンチは背中に抜けて、見事に脊椎を粉砕した。
『それじゃ説明してあげるからよーーーーーーーーーーーっく聞くんすよ? 本当に大事な事っすから。間違ったら死人が出る話っす。死ぬのはおにーさんじゃないっすからね?』
『ソノマエニカイフクヲ』
『おにーさんは自力で止血出来るの知ってるっす。反省のためにそのまま聞くんすね』
ルプスレギナのとてもためになるデリカシー講習が始まります。
『最後まで聞かなかったけど他の男とエッチしろってことっすよね? あー、言わなくていいっす聞きたくないっすから。
男ってエッチの時は突っ込んで出すだけっすけど、女は体の中に入られて出されたのを受け止めるんすよ。わかるっすか? 体の中に自分のものじゃないものを入れるんすよ。
おにーさんだって口に入れるものはちゃんと食べれるものだけを選んでるっすよね。それと一緒で体の中に入れるんだから超厳正な審査が必要なんすよ。
それを全く知らない男って…………………………………………。そこらへんの道端に落っこちてるものを食べるんとまっっっっったく一緒っすから。そんなの食べれるわけないっす。
あーあー、言いたいことはわかるっす。知らないなら知ればいいって言いたいんすよね?
でもダメー。女って中に男が入ってくるとドアを閉めて鍵を掛けるんすよ。他のは完全シャットアウトっす!
それなのに他の男とって…………、アホっすか? バカっすか? 十回くらい死んだほうがいいんじゃないっすか?
おにーさんが言ってるのは、ドアも鍵もぶっ壊してよくわかんないばっちいのを食えって言ってるのとおんなじなんすよ!
壊れたら治るもんじゃないっすからね? ずっと壊れたままっすからね? そんなの死んだほうがマシって女はかなりいると思うっすよ? シェーダは間違いなくそっちっすね。おにーさんがシェーダに言おうとしてたのはそういうことっすからね?
おにーさんはそーゆー事がよくわかってないみたいっすから今回だけは注意するだけで勘弁しとくっす。
でもそーゆーのってホントーーーーーーーーーーーーーーーーに大事なことっすから間違ってもものの試しでも絶対に言っちゃダメっすよ!
この程度で済ませてあげてるのは私だからなんすよ? もうマジで本当に死人が出るレベルの話っすから』
更に二度三度と瀕死にさせられてから詳しく聞くと、ドアと鍵は開きやすかったり閉まったままだったりと個人差があるらしい。開きやすかったのが閉まってしまったり、閉まっていたのが開くようになったりと色々あるらしい。
ルプスレギナは、ナザリックの女性は例外なく一度閉まったらそれきり開かないと断言する。それなら精を糧とするサキュバスであるアルベド様はと思ったが、ご本人からあなた専用と何度も言われたのを思い出す。
貞操とは女が孕んだ子は自分の子であると信じたい男たちが作り出したアイデアだと思っていたが、女の生理も無関係ではないと知って驚かされた。
どのような理由があっても、そのようなことをナザリックの女性に頼むのは絶対に駄目であることはわかった。
これはまたしてもエ・ランテルで秘薬を扱うお店の世話になるしかないだろう。
▼
男が遠い目で窓の外を眺めているのを、三人はうっとりと鑑賞していた。
シェーダは注視しすぎると非礼だと思うのか視線をあちこちに泳がせるも、最後には男の顔に縫い止められる。
ソリュシャンは隣に座って手を握る。溶かしたりはしない。顔を伏せて愛おしげに頬ずりし、唇に含むこともあった。
ルプスレギナも同じように鑑賞していたが、何を思いついたものか、ソファから立ち上がると積み重ねてあるチェストの山を漁り始めた。
「何かお探しでしょうか?」
「ペンがどこにあるか知らないっすか?」
「ペンでしたら……」
シェーダは怪訝に思いながら筆記具が仕舞ってあるチェストからペンを取り出しルプスレギナに渡す。
「この前凄い発見したんすよ! ソーちゃんはおにーさんの腕を持ち上げてくれないっすか? 右手がいいっす。腕を上げて手首から先は自由になってる感じで」
「これでいいかしら?」
「……ソーちゃん……」
ソリュシャンはソファから降りると男の前に膝立ちとなり、大きな乳房を下から支えた。突き出された乳房の上に男の腕を乗せる。タオルやコップや色々なものを乗せられるおっぱいスタンドによるおっぱい肘掛けである。
ルプスレギナは、ソリュシャンが遠くに行ってしまったように思えてちょっとだけ寂しくなった。
「こーするんすよ」
男はいまだ思索に耽っている。何を聞いても生返事で、体の反応も似たようなもの。ソリュシャンに腕を溶かされても気付かないレベルで体を忘れている。
そんな男の手に、ルプスレギナはペンを握らせた。するりと落ちた。
手のひらを下に向かせ、親指と人差し指の間にペンを挟む。しばらくは保持されていたが、やがて落ちる。
次は親指と人差し指の間に挟むのは同じで、ペン先を人差し指と中指の間に挟んだ。今度は安定している。落ちる気配はない。
何をしているのか意味不明である。
安定しているペンを、ルプスレギナはペン先の方を少しずつ引っ張った。
ペンの尻が親指と人差し指の股から抜け、ペンはペン先の重さに引っ張られ中指を軸に半回転して落ちると思われたが、中指を一回転した。
中指を回り薬指を回り、小指で二回転したら跳ね上がって落ちたところを親指で受け止めそのまま今度は横回転。
親指をくるくる回っていたのがいつの間にか人差し指も回っている。かなりの高速回転で、シェーダにはペンが回っているのはわかるがどの指を軸に回っているのかまではわからない。
男は手首を振り、或いはペンを指で弾いて加速させ、ひたすらペンを回し続けている。
「あ、逆回転入ったっすね。どうっすかこれ。スゴくないっすか?」
「……凄いには凄いけど」
「若旦那様は奇妙な特技をお持ちなのですね」
ルプスレギナは興奮しているが、ソリュシャンとシェーダの反応は微妙だった。
「ほっとくとずっと回し続けてるんすよ?」
ソリュシャンとシェーダは顔を見合わせる。
立場上、上位にあるソリュシャンが言った。
「凄いとは思うけど誰かに見せるようなものじゃないでしょ」
凄いのは確かだ。
しかしペン回しだ。
超絶技巧であってもやはりペン回し。芸としてはどうしても地味である。
「そーいうじゃなくてあれっすよ、コマ回しみたいな。なんかちょっと暇つぶししたい時にさせると面白いじゃないっすか。こーいうのって見てて飽きないんすよねー」
飽きてない時は飽きずに見ていられるのであって、飽きたときにはペンを叩き落とすのである。
高速回転するペンの行方を見切れる二人がそんな会話をしていたものだから、異常に気付いた時には手遅れだった。
「キャッ! ソリュシャン様ルプスレギナ様、若旦那様を止めてください!」
シェーダが叫び、二人は数瞬遅れて事態を把握した。
その数瞬で大惨事になった。
キャップが外れ、回転し続けるペンはインクを方々へ飛ばしてしまったのだ。
縦横斜めに回転していたペンである。顔に衣服に天井に床に壁に、ソファに積まれているチェストも例外ではない。高速回転が仇になった。
「……皆その顔はどうした? 随分変な遊びをしてたんだな」
現世に戻ってきた男が、顔をインクで汚した女たちを見てそんな事を言う。
インクを飛ばしたのは男であるが、悪いのはルプスレギナである。
兎にも角にもどこかで汚れを落とさなければならない。
昼夜を問わず走り続け翌日にはエ・ランテルに着く予定だったが、途中で一泊していくことになった。
次回、54話(二年以上前)で登場を予告したエントマとついに邂逅、の予定!