※この作品はR-18です。

アルベドのお食事   作:dolph

175 / 268
たった一つの生存ルート

 シェーダは生も死もない虚無の海に囚われていた。

 天がなければ地もなく、上下に意味はない。光がなければ闇もなく、空間すら存在していない。

 時間すらなかった。いつからいるのかわからない。そもそも自分自身が存在しているかどうかも定かでない。

 唐突に、或いは始まる前か終わった後か、自我すら認識出来ない果ての世界に一条の光が差し込んだ。白い光は心身を焼き、己には肉体と心があることを思い出させた。

 

 気絶していたシェーダが意識を取り戻す。うっすらと目を開き、霞がかった視界に見知った男の顔が映った。

 

「ごしゅじんさま……?」

「良かった。気が付いたようだな」

 

 凛々しい美貌が柔らかくほどけ、朗らかな笑みを浮かべる。

 美しい男の顔が間近に迫り、シェーダは恍惚と見入ってしまった。

 直後、意識を失う寸前に何が起こったのか思い出す。この男が何を口にしたのかも思い出す。あれを食べてしまった口が間近に迫っている。

 赤く染まった頬は瞬く間に血の気が引いて、シェーダは叫んだ。

 

 キャアアアアアアアアア! パァン、イテッ。

 

 

 

 

 

 

 屋敷の内部は地獄になったが、歓迎パーティーがナザリック式ガーデンパーティーだったのは不幸中の幸いだった。メイドたちの大半は最初から屋外に出ており、外から窓を閉めるだけで封じ込めは完了した。一番大変だったのは、地獄の源泉にいた三人の女である。エントマは女以前の少女であり、死の河の上を悠々と歩いて渡ったらしい。

 

 屋敷がどうなったかは一先ず忘れ、当初の予定通りに歓迎パーティーを始まらせた。

 広い中庭に幾つものテーブルを並べ、けども持て成すのが若旦那様とお嬢様、それと神官殿にお客人の四名だけでは一つのテーブルで事足りる。

 実のところ歓迎パーティーは建前で、メイドたちの実戦演習の意味合いが強いらしい。メイドたちの四分の一はヘッドドレスを外してテーブルにつき、残りがメイドとしての仕事を担う。役割は順番で交代する事になっている。メイド教官の企画立案である。

 

 なおエントマについては、「魔皇ヤルダバオトに支配されていたが、アインズ様が魔皇を打ち破った際に呪縛から開放され、現在はアインズ様に絶対の忠誠を誓っている」と紹介された。

 かつては恐ろしい悪魔メイドであったようだが、若旦那様と和気藹々と話しているのを見せられれば警戒も解けてくる。

 

 若旦那様は美味しい料理を楽しみながら新顔のメイドたちを紹介されて大層なご機嫌である。

 しかし、若旦那様を囲む女たちは目が死んでいた。

 

「お兄様、一体どうなさるおつもりですか?」

「何のことだ?」

「何のこと!? お屋敷のことです。あの惨状を一体どうなさるおつもりなんですか!」

 

 お兄様の優先順位が限りなく高くなってしまってお兄様の幸せを第一に考えてしまうソリュシャンであっても、譲れぬ一線が存在する。現状は、その一線を大股で踏み越えている。

 

「俺がどうにかするのか?」

「当然です。お兄様がお屋敷の責任者なんです!」

「俺が?」

「お兄様が、です」

 

 以前はお嬢様の遠縁として屋敷に滞在していた男である。その頃は客分扱いであり、賓客ではあっても屋敷で振るえる権限は何も持っていなかった。

 しかして現在、魔導国宰相閣下の相談役に取り上げられた。ナザリック内での序列は命令系統が並列して交わらないため不明であるが、魔導国においては商家のお嬢様よりも宰相閣下の相談役の方が確実に上になる。

 偉くなったのだから責任を取れと言うことだ。

 

「戸締まりは完了して厨房も封印した。隙間からも出てきてないだろ?」

 

 元はエ・ランテルの貴賓館の一つであったお屋敷だが、アルベド様のお食事処になる際に世界一の技術力を誇るナザリックの手が入っている。気密性は完璧だ。隙間風がなければ、小さな虫が入ってくる事もない。

 特にコックローチというやつは上から押し潰したように薄い体で狭いところにも容赦なく侵入してくる。そんな奴らが相手でもナザリックの技術力なら完封出来る。

 

「出しっぱなしにしてる飲食物はないはずだ。水は少しくらいあるだろうけどあの数だからね。絶対的に足りないだろう。一週間も放っておけば餓死するよ」

「駄目です」

 

 間髪入れずに却下。ソリュシャンの顔は怖いくらいに真剣である。

 封じ込め案を実行するにせよ、屋敷で起居している見習いメイドたちが一時避難する場所が必要だ。第一に虫にありがちな共食いを忘れている。

 

「そうすると、駆除するか、捕まえるか。エントマさん、あの虫たちは召喚したって言っていましたね。操ることが出来ますか?」

「恐怖公なら出来るけど私にはむりぃ。ごめんなさい……」

「それなら恐怖公さんをお呼びして」

「絶対駄目です」

 

 またも間髪入れずに却下。

 恐怖公とは二足歩行する巨大なゴキブリなのだ。姿を見せるだけで純心な乙女たちへ回避不可の狂乱のバッドステータスを付与してしまう。

 

「それなら……」

 

 男はワイングラスを傾けながら屋敷の窓に目を向ける。

 屋敷は無人であるはずなのに白いカーテンが揺れている。耳を澄ませば、バチバチと何かしらが窓に激突している音が聞こえてくる。

 全ての窓がそうなっていないのは、常日頃からドアを開けっ放しにしないからだ。メイド教官の教育が光っている。

 

「エントマさんが持っていた袋は目算で容量が6リットルほど。あれの大きさは個体差が大きかった。俺が持ったやつは大きさの割に薄くて体積は2ccくらいだった。これを平均だとしよう。袋に目一杯詰まっていたと仮定して、ざっと3000匹」

「さんぜん…………」

 

 1000ccで1リットル。どちらも体積の単位である。

 

 ソリュシャンがくらりとよろめき、椅子から落ちないようシェーダに支えられた。

 ソリュシャンの隣に座っているルプスレギナは、死の河を渡った際に心を死なせてしまったようだ。虚ろな目でぼうっと虚空を眺めている。そんな様でも回復魔法で男を癒やしたのは称賛に値する。

 二人はショックで死にそうなのに、男は容赦なく追い打ちをかけた。厳しすぎる現実を告げたのだ。

 

「三千にしては数が多すぎる。ここから見える窓だけで二百匹はいる。あの密度で屋敷中に広がっていると軽く万を超えるはずだ」

「えぇっとぉ……、それはぁ…………ね?」

「エントマさんは何か知ってるんですか?」

「あの袋はマジックアイテムでぇ……、いっぱい入っちゃうのぉ」

「どのくらい入るんですか?」

「見た目の十倍くらい……かな?」

 

 エントマは可愛らしく小首を傾げて答えた。

 エントマは可愛いが、三千の十倍は三万である。

 

 周囲のメイドたちは話の内容がわかってないから幸いである。

 わかってしまった者達は、口から魂が抜けてしまった。

 

「三万ですか。しかも、召喚されたモノなわけですよね」

「そうだよぉ」

 

 恐怖公がこうも頑張ってエントマに眷族を提供したのは、アインズ様のお言葉があったからだ。

 

『エントマを街に出すが絶対に間違いが起こらないように携帯食を提供してやってくれ』

 

 アインズ様の思いやりと恐怖公の献身が実を結んだ結果、お屋敷が地獄になってしまったのは皮肉である。

 

「召喚された存在は通常の存在とは違う可能性がありますね」

「どういう事?」

「エントマさんは死の螺旋をご存知ですか?」

「知ってるよぉ」

 

 死の螺旋とは、多数のアンデッドが集まることによってより強力なアンデッドが発生してしまう現象である。

 かつてエ・ランテルの墓地にて発生した死の螺旋を解決に導いたことが、漆黒のモモンの名が広く知れ渡るきっかけとなった。エ・ランテルの住民で彼の偉業を知らない者は一人もいないことだろう。

 

「それと同じです。多数の召喚存在が集まることによってより強力な存在が生まれてくるかも知れません。すなわち、Gの螺旋」

「Gの螺旋!?」

 

 死の螺旋に濁点が付いただけなのに酷い変わり様である。脅威度が下がると共に正気度も下がっていく。

 

「今はただのコックローチばかりですが、その内にジャイアントコックローチやシルバーコックローチが出てくる可能性があります」

「ええーーっ! それじゃアトラスコックローチやプラチナコックローチも?」

「ステーキに出来るくらいの大きさになってくれたら嬉しいですね」

「ギガントスコックローチより大きかったら大きなステーキになるよぉ!」

「ビーストコックローチだったら歯応えもありそうですね」

 

 ゴールドコックローチ、プリズムコックローチ、レインボウコックローチ、エンシェントコックローチ、ニュークリアコックローチ、ドラゴンコックローチ、ユニバースコックローチ、トロピカルコックローチ、カタツムリコックローチ、ワイルドコックローチ、レジェンドコックローチ………………。

 

 ソリュシャンが切れた。

 

「このバカどもを黙らせて!」

 

 ピギィ!、イテッ。

 エントマにはルプスレギナが渾身のボディブローを、男にはシェーダがシクスス直伝お盆チョップフェイント脛キックを食らわせた。

 

 椅子から転げ落ちた二人を、ソリュシャンは蹴り飛ばしたくて仕方なかった。如何に愛しのお兄様と可愛い妹であろうと許してはいけないことがある。

 こいつらは屋敷に地獄を現出させた大罪人。むしろ地獄の住人である悪魔ではなかろうか。悪魔の罪を裁くのはナザリックの価値観的にどうなのかと考えてしまったソリュシャンは相当に煮詰まっている。それでも蹴飛ばさないのは、一応はお屋敷の若旦那様とお客様であるからだ。

 椅子から叩き落した時点で手遅れかも知れない。こんなだから若旦那様はメイド見習いたちに軽く見られるのだ。

 

「急に何だ」

 

 男が文句を言いつつ起き上がろうとしたその時である。

 

(キャアアアアアアアアアアアアア!!)

 

 ルプスレギナの耳にすら朧気な悲鳴が屋敷の内部から響いてきた。

 ソリュシャンたちには聞こえない。しかし、あの方の悲鳴をこの男が聞き逃すわけがなかった。

 

 男が目の色を変えて跳ね起きたのを見て、ソリュシャンは事態が致命的に進行してしまったことを悟った。

 

「ルプー!」

 

 ソリュシャンに呼ばれたルプスレギナが男に手を伸ばす。

 しかし、さっきまで心が死んでいたルプスレギナだ。男は後ろに目がついているかのようにルプスレギナの腕をかわし、駆け出した。

 

 何事もなければ根は悪かろうと温厚な男である。如何なる時でも冷静を失わない。頭の回転が非常に速く、貪欲に知識を貪り続ける。何事が起ころうとも自信と余裕をもって対処する。

 エントマと質の悪い冗談を交わしていたが、もう少しすれば有効な対策を提案してくれる、はずであった。その場合、ご主人様の後ろで物言わぬ彫像の如く佇んでいたミラが有効に活用される可能性はそれなりに高かった。

 

「アルベド様! 今参ります!!」

 

 しかし、何事にも例外がある。

 アルベド様が関わってしまったが最後、何が起ころうと全ては些事に成り下がるのだ。

 

「誰か……、誰かお兄様を止めて!」

 

 メイド見習いたちは何が起こっているかわからない。メイド教官が屋敷を見ないように触れ回っていた。

 彼女たちの行動は遅く、それでも男の前に数人が立ち塞がった。

 

 アインズ様しか知らないことであるが、漆黒の英雄モモンが開眼したモモンズ・ブレイドアーツの開祖はこの男である。

 目前に迫るメイドたちを、重力と慣性を無視した立体機動めいた動きですり抜け、お屋敷の正面入口にたどり着いた。

 

「開けるなーーーーーーっ!!」

 

 それはルプスレギナの怒声だったのか、ソリュシャンの悲鳴だったのか。

 男が扉を開いた。

 地獄が口を開いてしまった。

 

 男に追いすがったメイド見習いたちがわけが解らぬながらも扉を閉める。二階級特進に相応しい偉業である。

 しかし、漏れ出た地獄は更なる悲劇を求めて飛翔した。

 蠢き続ける黒い霞と黒い水は、生者の世界を塗りつぶす死の具現。

 

「あ……ああ…………!!」

 

 ソリュシャンは膝をつき、ルプスレギナの目からは涙が流れる。

 自分たちの不手際でエ・ランテルに地獄を開放してしまったのだ。

 人間たちが苦しむだけであればプークスクスで済ませる性悪姉妹であるが、エ・ランテルは魔導国の首都。アインズ様の街なのだ。

 そこへ、癒えない傷がつこうとしている。

 

 二人の悲哀と絶望を糧に、死の飛翔がお屋敷の外に通じる大きな門を壊そうとして、眩いばかりの光が炸裂した。

 光が消えると、死の具現めいた茶黒い昆虫たちは全てが地に落ちていた。どれもこれも動かない。死んでいるようだった。

 

 屋敷の扉が開く。

 

「アイツはァ!!」

「エンちゃん駄目っす! 気持ちはわかるっすけど今は本当に駄目っすから!」

 

 猛るエントマをルプスレギナが羽交い締めにする。ソリュシャンは新たな来訪者に一条の光を見出した。

 

「一体何が起こっている?」

 

 一番前に立っているのが赤いフードに白い仮面を着けた小柄な人物。

 

「久し振り」

 「やっと帰ってきた」

 

 同じ顔が二つ続き、

 

「随分賑やかじゃねえか」

 

 オーガの如く巨大な戦士が殿を務め、

 

「モモン様にお目通りをと思ったのだけど」

 

 壮麗な女剣士が来訪の目的を告げた。

 屋敷の主人代理として、ソリュシャンが一行を迎え入れた。

 

「冒険者チーム蒼の薔薇の御一行ですわね。緊急依頼をいたします。屋敷内の害虫を直ちに駆除してください。報酬は言い値をお支払いしましょう」

 

 言うなれば白紙の小切手。後から何を書かれようと文句は言えない。

 

「おいおい、そんな事言っていいのか? 幾らになるかわかんねえぜ?」

「よっぽど困ってる?」

 「荒稼ぎのチャンス!」

「よくわからないけど困ってる人を放ってはおけないわ。イビルアイ、いいわよね?」

「ふむ……」

 

 五人の中で一番小さなイビルアイが蒼の薔薇の主戦力である。特に昆虫類を相手にした場合は、イビルアイが習得している殺虫魔法が特効する。害虫駆除には持って来いの人材であった。

 

 イビルアイは足元に散らばる動かなくなった虫たちを見て、中庭中に広がっているメイドたちを見て、見覚えのある悪魔メイドに目を留めた。

 

「彼女は魔皇ヤルダバオトに支配されていました。アインズ様が魔皇を打ち破った際に呪縛は解かれています。今はアインズ様に忠誠を誓っており、危険はありません」

「そうか」

 

 かつて魔皇が王都を攻めたゲヘナ作戦の折り、蒼の薔薇と対峙したエントマはイビルアイから痛打を浴びた。そしてそれ以上の因縁もあり、イビルアイを殺す際はぜひ私に、とアインズ様に申し出るほど敵視している。

 今は何としても抑えて貰わなければならない。ルプスレギナが一生懸命言い聞かせた甲斐あって渋々と椅子に座り直した。エントマの表情が変わらないのは幸いだった。

 

 エントマから視線を切ったイビルアイは、ソリュシャンに向き直った。

 

「わかった。その依頼、引き受けよう。報酬は言い値。違えるなよ?」

「勿論ですわ。私の誇りに掛けて必ずお支払いいたします」

 

 イビルアイは深く頷き、小さな足で前に進む。

 屋敷の正面入口にイビルアイが立ち、両開きの扉をそれぞれティアとティナが受け持つ。

 ラキュースとガガーランは害虫駆除の役に立たないので静観の構え。

 

 仁王立ちしたイビルアイの両手に魔力の光が迸る。

 イビルアイはティアとティナに向かって顎をしゃくった。

 

 ティアとティナが扉を開けると同時に溢れ出る地獄へ、

 

《ヴァーミンベイン!》

 

 蟲殺しの魔法が炸裂した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。