クライム。
肉体的には健康な男子。孤児であり爵位等もないため、家名はない。孤児故に出生が不明で本人に覚えもなく、正確な生年は不明。推定で16から17歳。
物心ついた頃から王都の路上を住処としていたが、早々に限界が訪れる。そのまま誰にも知られず独り息絶えるところを王国の第三王女ラナーに拾われる。
以降、立派な騎士を目指し厳しい修練を己に課して来た。が、クライムをよく知る者たちからは秀でた才能はないと評された。
それでも折れず曲がらず腐らず、クライムはひたむきに修練を重ね続ける。
全ては王女のためである。
王女が自分に気を掛けてくれているのをクライムは強く自覚していた。何の功績も後ろ盾もないクライムにはとても有難い事であると同時に重責でもあり、陰に陽に揶揄されてきた。
ならば王女が気に掛けるに相応しい立場と実力があればよい。
クライムは生活全てを、王女の期待に応えるためだけに費やしている。
実力はさておき、心の有り様は騎士の鑑と言えた。
ところが、クライムが忠誠を捧げるのは王国ではない。
勿論国王でもなければランポッサ個人でもなかった。
貧しい孤児であったクライムに、国家だとか尊い血だとかはわからない。頭ではわかっても納得できないと言うべきか。クライムにとって王侯貴族は、民から収奪する偉そうな奴らでしかない。騎士見習いになって多少は見方が変わっても、無条件で尊ぶことは出来なかった。
そして実を言えば、王女に忠誠を捧げているわけでもない。王女が献策した政策でクライムの目にもわかる成果を上げて尊敬の念を深くすることはあっても、忠誠云々とは直接関わらない。
クライムが忠誠を捧げているのは、あくまでもラナー個人である。クライムが王国や王族を尊んでいるように見えるのは、それがラナーの属性の一つだからだ。
故に、もしも王国が滅びラナーが王女でなくなっても、クライムがラナーに捧げる忠誠心に変わりはない。
ラナーが全てのクライムに、女遊びをする心のゆとりは皆無である。色恋を知っているかどうかも怪しい。
但し、意識しているか無意識かは定かでないが、ラナーに思慕の念を抱いているのは確実だ。ラナーがクライムを憎からず思っているのも、ラナーのクライムに対する扱い、いわゆる贔屓を見れば誰であれ察する。
両者の関係が深まらないのはラナーとクライムの属性が邪魔をしている。
方や王女、方や騎士見習い。どうにかなって良い訳がない。
クライムには更に、色恋を知らないと追加される。
クライムについての情報を共有した後、男は改めてヒルマへ告げた。
「クライムに女の良さを教える。そのために娼婦を仕立てて欲しい。どんな女を選んでどう育てるかは任せる」
「そのクライムとか言うのに女をあてがって、それからどうなさるのですか?」
「あげるだけじゃないっすよね? 私が知ってるおにーさんはそんなプレゼント絶対しないっすから!」
ソリュシャンはともかく、ルプスレギナは酷い言い様だった。しかし全くもってその通りであり、全ての罵声を右から左への男なので目くじらを立てることはない。
傍で聞いているアルベドも薄く微笑んだままだ。
「ずっと遊ばせておくわけじゃない。ある程度の期間を置いたら引き離す。大任を果たした女は幸せに暮らしてもらおう。エ・ランテルで暮らすのもよし。カルネ村に行くのもよし。望むなら帝国でも聖王国でもいい。構いませんか?」
「ええ、構わないわ。そのくらいは私の権限を使うまでもない。あなたの好きにしていいわよ」
男とアルベドにはわかっていても、ソリュシャンとルプスレギナには何を狙っての事か不明だ。
が、ソリュシャンには察するものはあった。
「女を引き上げさせたらクライムってのもついてくるんすかね?」
「そして王女は別離に苦しむ。それが狙いなのでしょうか?」
男は癒えない火傷の痛みに苦しみながら長く監禁されていた。それをしたのが王国の王女ラナーであると、ソリュシャンは察していた。男はラナーの名を聞くのすら嫌がるのだから間違いない。
王女がクライムとやらに執着を越えた想いを抱いているとして。愛する人と別れ離れるのはとても苦しいと想像できる。もしも自分がそんな事になったら、と思ったところでソリュシャンは考えることを止めた。有り得ない事を想像しても意味がない。
かつて王都を火の海にしたゲヘナ作戦の折、クライムを傷つけるなと命じられた。今でも有効な命令であるが、クライムが自ら王女の元を離れるのは約定に反しないはず。王女からクライムを引き離すのはとても効果的な復讐に思える。
しかし、愛しのお兄様がそんな復讐を考えるだろうか。
以前、王女への復讐には興味がないと言っていた。それにとても陰湿なやり方だ。これがアルベド様のお考えであるなら頷けなくもないが、アルベド様は「あなたの考え」と仰った。
お兄様には聊か似合わないやり方。やるのならもっと簡単にするはず。
復讐をするのなら直接的に、いっそクライムを密かに処分して自ら遠くへ旅立った事にした方がよほど早い。
ソリュシャンは色々考えたが、どうやら的外れらしかった。
「二人はクライムを知らないからそう思う。あれはちょっと……いや、かなりバカなんだ。その程度で王女から離れることは絶対ない。ラキュースもクライムの事を知ってるらしいから、気が向いたら聞いてみるといい。俺と同じ意見のはずだ」
男がクライムをバカと呼ぶのは、ラナーの表面的な演技に惑わされ中身を全く知らないからだ。その基準で言うと、王国のほとんどがバカとなってしまう。
男に言わせれば、アダマンタイトすら石ころに変える大魔法が掛かっている王国。なので、バカばかりでも不思議はないと思っている。
「……クライムに女を教え、一定期間経ったら引き上げる。それだけでよろしいのでしょうか?」
滅茶苦茶な命令に思えるが、ヒルマは真剣に考え恐る恐る質問した。
「幾つか条件がある。手を出させるのはクライムから。女から無理やりは絶対にしないように。どんな状況でもいいが、ともかくクライムから手を出させること。それと、クライムに女の扱いを教える事。ただ、こっちは加減が難しい。クライムから初々しさがなくならない程度にしてくれ」
「期限はございますか?」
「早ければ早いほどいい。と言いたいとこだがすぐには無理だろう。どんなに遅くとも年内。出来れば冬の前に」
意味不明な命令に、ヒルマは真剣に向き合った。
目的やら真意やらを探ることなく、どうすれば命令を果たせるかだけを考える。余計な事を考えてもいい事はない。己は言われたことをこなすだけでよい。
以前からクライムの事は聞き知っていたヒルマである。今聞かされた人物像と遠くない。
どんな女をあてがうのが良いか、早速考え始めた。
黄金と謳われるラナーに近いなら、美しい女は不適。どんな女でも見劣りする。すぐそこにいるお三方ならけして見劣りしないが、考えるだけで不敬である。
美しさより可愛らしさや愛嬌。
一般的に男が好むタイプなら同情を買いやすい哀れな女。ヒルマは現役時代に作り話をした事が何度もあった。しかし、現在の王国で哀れな女は掃いて捨てるほどいる。余りにい過ぎて生き腐れている。クライムとて何度も目にしているはずだ。
それよりも行動的な女の方が良いかも知れない。
加えて、出来れば処女がいい。相手は女に手を出したことがない童貞の騎士見習い。処女なら前の男と比べられる事がない。変に委縮することもないだろう。
「女はどのように調達すればよいでしょうか?」
「それも含めて任せる。但し、手荒な事はしないように。金が必要なら必要なだけ出そう。その辺りの報告は口頭でも文書でもどっちでもいい」
攫うとなれば聊か手間が掛かる。しかし、金を使うなら問題ない。
王国は先の帝国との会戦で、男手を大きく失った。上から下まで、困窮しているところは幾らでもある。そこへ幾ばくかの金を放ってやれば、娘を売るのも自身を売る者も幾らでもいる。
そうして売られた女は娼婦として仕込まれ、仕事を少しばかりこなせば自由が待っている。魔導国宰相閣下であられるアルベド様がお認めになっているのだ。
これは間違いなくとても良い話である。叶うならば自分が立候補したいくらいに。
「クライムと引き合わせる場は俺が作る。で、経過報告だが……?」
男は最後まで言えなかった。
後ろから繊細な手で頭を包まれ、上を向かされる。この世に真の美をもたらした天上の光と目が合う。
次いで横を向かされソリュシャンと、反対を向かされルプスレギナと、最後に正面を向かされてヒルマと目が合った。
「経過報告はいいけれど、あてがう女にあなたは会ってはダメよ」
「私もそう思います」
「会った瞬間に計画がパーっすね」
「恐れながら、私も皆様と同じ意見でございます」
終始無言のミラを除き、全員が接触禁止を主張した。
男にはわけがわからない。
「まさか私がその女に手を出すとお思いですか?」
「違うわ。理由がわからないなら余計にダメ」
「……かしこまりました」
ともかく駄目であるらしい。理由が不明でも、アルベド様が仰せなのだからきっとその通りなのだろう。
ヒルマへ大雑把な方針を伝え、より詳しい話は後になった。
そろそろ夕食の時間なのである。
ヒルマは勿論、ソリュシャンとルプスレギナにとっても意味不明な命令である。アルベド公認と云うところが一層拍車をかける。
男と旧知らしいクライムへ女をあてがうのは、らしくないがプレゼントと言うなら理解できなくもない。
しかし、仲が深まったら引き離すことが決定している。それでクライムを引き抜くのかと思いきや、クライムが王国を離れることは絶対ないと言う。
女の味を知ったクライム。そこで強調されるのがラナー。騎士見習いと王女であるのに互いに憎からず思う仲であるとか。女を知ったクライムは、ラナーを前にして前と同じでいられるだろうか。切っ掛けがあれば何かが起こってしまうかも知れない。
見方によってはクライムとラナーの恋を応援しているように思えた。そんな事をどうしてわざわざ手間も暇も金もかけてするのか。意味不明で理解不能である。
アルベドもアルベドの相談役も非常に聡明な頭脳を持っていると、ソリュシャンとルプスレギナは良く知っている。二人が無意味な事をするわけがない。
自分たちには理解不能であるが、きっと重要な何かが裏に隠れているのだろう。
ところが、そんなものは全くない。クライムとラナーの仲を一歩も二歩も進展させるのが目的だ。
アインズ様のお言葉により一度は妹に会う必要がある兄だが、クライムがこれまで通り全てを妹に捧げてくれれば妹は余計な事をする余裕がなくなる。
どうか二人きりで愛欲の海に溺れて沈んで欲しいと願う兄である。
それはそれとして、男にとってクライムは大いなる謎だった。
真っ当に生きてきた十代後半の男子なら、異性への関心が強くなるはず。関心に正比例して性欲が高まり、体内で相応の精液が生産されるはずなのだ。
クライムは、一体どこでそれを処理しているのだろう。
自分で処理するのか、はたまた夢精してしまうのか。そうなるくらいだったら素直に女を買うのが手っ取り早い。騎士見習いと言えど多少の給金はあるのだから。
しかし、ティアやティナから話を聞く限り、そういった気配は皆無であるとか。
やはりクライムは謎である。
ヒルマは翌々日の早朝に、手下を引き連れてエ・ランテルを発った。
定期報告のため、娼婦候補の教育はエ・ランテル内で行う。昨日の内に小さいがしっかりした造りの家を確保した。資金はお屋敷の若旦那様提供である。
教育内容は素材を見て考える。今は一刻も早く候補となる女を見つけなければならい。
出発がこの日になったのは、アルベド様がヒルマ用に特製ドリンクを持ってきてくださったからだ。
その数、十二。
一日一本飲めと言われている。
すなわち、十二日以内に候補を確保してエ・ランテルに戻ってこいと云うことに他ならない。
金はあるので集めることは簡単だが、兎にも角にも時間がなかった。
移動の時間を考えるだけで眩暈がするようだ。
なお十二本なのは、アルベドがドリンクをもらいに行った時の在庫がそれだけだったからだ。常飲しているのはシズだけなのでその程度の在庫でも十分すぎる。
アルベドは、十二日以内にエ・ランテルに戻れ、と言うつもりでドリンクを渡したわけではなかった。ヒルマが忖度を過剰発揮しただけである。
ヒルマはそこで一言でも問いかければ良かったのがだ、余計な質問は自分の首を絞めるだけと思い極めていた。
なのだから、計画の目的を問うこともしない。
自身に与えられた役割を万全にこなすことだけに注力するのだ。
試験的に場面で区切って投稿してみる
次話は24時間以内に投稿予定
あくまで予定です