※この作品はR-18です。

アルベドのお食事   作:dolph

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本話12kちょい


悪魔の罠の攻略法

 クレマンティーヌは幼女である。年の頃は帝都に置いてきた双子幼女よりも上。背格好はアウラよりちょっと大きい。でも幼女である。アウラも幼女かも知れないが色々大人な部分があったりするのできっと幼女ではないはずだ。

 ウレイリカとクーデリカと違って、クレマンティーヌは働く必要はない。子供はよく食べてよく寝たら、よく学んでよく遊ぶのが仕事である。

 クレマンティーヌにお勉強が待っていた。

 

 

 

 

 

 

 アインズ様はクレマンティーヌについて「適正を見定めて育てよ」と仰せになった。しかし、会ったばかりで適正も何もわからない。よって、教育をしておいても損はないこと、普遍的なこと。読み書き計算から始まることになった。

 

 教室は書斎。先生は若旦那様。まずは現地語の読み書きからである。

 書見台に乗る本は、近隣に広く伝わる説話集。以前、若旦那様が要約してアインズ様に提出した本の一冊だ。

 若旦那様が本の中身を朗読し、続けてクレマンティーヌに読ませ、書き取らせる。と言ってもいきなりは出来ないと思われるので、一字ごとに文字の発音と形を教える。クレマンティーヌはとても覚えがよく、引っかかることなくページが進む。これなら文字の一覧表を用意せずとも、読み書きの習得は問題はなさそうだった。

 

 クレマンティーヌは幼女に見えて、中身は成人女性なのだから当然だ。しかも、法国にいた頃はエリートと云って差し支えない立場だった。神聖語こと日本語の読み書きも、表音文字までなら何とかなる。

 授業内容が日本語の読み書きに移行しても当分は問題ない。

 しかし、初日から音を上げそうだった。

 

「あの……、恥ずかしいんですけど?」

「字を書き難いわけじゃないだろう? ちゃんと書けてる。次のページに行くか、それとも今のページをもう一度書き写すか、どっちがいい?」

「……………………次のページをお願いします」

 

 男が本のページを捲り、内容を朗読する。続いてクレマンティーヌが同じように朗読し、本の中身をノートに書き写す。

 

 このノート、上質紙を何枚も重ねて細い紐で閉じ、冊子状にしたものだ。クレマンティーヌは割と驚かされた。

 法国でも帝国でもその他でも、製紙技術が未熟だ。こんなにも白くて薄くて丈夫な紙を作るのは不可能である。それを子供の落書きに消費させるのだから、魔導国の技術が如何に高いかを物語っているというもの。

 

 余談だが、帝都で売り始めた美容品の偽造防止にも紙が使われている。美容品が入った瓶の蓋を、細長い紙で封をするのだ。紙には接着剤を浸透させ固まらせる。紙を剥がそうにも固まっているので不可能。開封時には必ず紙が割れる。よって、押印された紙できちんと封をされている事が、純正品の証となる。瓶だけ回収して中身を詰め替えても、紙で封がしてなければ一発で偽造品と露見する。

 瓶の封印を監督するのはカルカの重要な仕事の一つである。

 

 帝都では今日も美容品の瓶詰めが行われていることだろう。

 カルカは紙をペタペタ貼るだけだが、こちらでは一生懸命にペンを走らせなければならない。書斎で紙面に向かっているのは、クレマンティーヌだけではなかった。

 クレマンティーヌ以外の二人は手元から顔を上げ、お勉強している二人を睨めつけた。

 

「二人ともさっき渡したのはもう終わったのか? 前回の経験のおかげかな。前と比べれば大分早い。まだまだいっぱいあるから頼りにしてるよ」

 

 若旦那様がペンから手を離すと、傍らに立つミラがすぐさま紙面を押さえる文鎮を持ち上げる。

 若旦那様の指先が紙面の端を弾けば、紙はくるくる回りながらデスクを滑り、離陸して、しばし滞空すると離れた位置にあるローテーブルに着陸して尚も滑り、途中で二つに別れて二人の前でピタリと止まった。

 どちらの紙も二人に対して正方向。無駄に冴えてる技である。

 

「アインズ様のご要望は可及的速やかに、だ」

「……わかっております」

「この前より少ないっすよね?」

「ざっと十分の一だから安心しろ」

「……前のは寝ずに一ヶ月コースだったんすけど」

「なんだ。それならたった三日で終わるじゃないか」

 

 軽く言ってくれた言葉に、ルプスレギナはイラッと来る。

 ソリュシャンは姉を目で制し、清書作業を再開した。

 

 二人が清書しているのは、若旦那様が作った帝国貴族の資料である。無論、前回とは違う。前回の資料は詳細極まる一次資料だった。今回のはそれを要約したものだ。

 一次資料は余りに量が多く、アインズ様から千分の一に要約しろと言われてしまった。しかし、数千枚、万に届きそうな資料を数枚にまとめるのは不可能。よって、段階を踏む必要があった。

 まずは資料の圧縮。

 少貴族は属する派閥にまとめて数を減らし、図やグラフを多用して文字情報を極力削除。基礎資料改は前回の十分の一ほどになった。

 次に、それらから読み取れる情報を箇条書き。ジルクニフをキレさせかけた帝国の最大兵員数や継戦能力に工業技術の度合いとそれらの生産能力などである。ここだけなら数枚に抑えることが可能だった。

 最後に、箇条書きした情報の根拠をまとめたもの。これらは一項目に付き数ページから十数ページ。量的には基礎資料改の一割強。

 合計して一千ページを少し超えるくらいの量となった。

 

 若旦那様は先日帝都でアインズ様とお会いした折に、あれはどうなってると催促されてしまったのだ。

 アインズ様に催促されては急がないわけにはいかない。早速資料を作って、翻訳係であるソリュシャンとルプスレギナに清書してもらっているのだ。

 

 なお、本当なら基礎資料改は不要である。あれば読みやすいのは間違いないが、なくても問題ない。情報を要約したものにはそれぞれ引用元を記入してあるので、詳細な情報を求める場合にはそちらをあたってもらえば良いだけだ。

 それでもあえて基礎資料改を作ったのは、二人への意趣返しである。

 

 ここのところずっと、アルベド様の安全をどうやって確保すべきかと考え続けていた。それを二人して「暇している」と言ってきたのだ。カッチーンと来た。

 アインズ様と違って器が小さければ度量は狭い男である。だったらわかりやすく忙しくしてやろうと、二人には資料作りを頑張らせることにしたのだ。

 

「クレマンティーヌは見なくていいことだ」

「……見てもわかりません」

「だったらこっちはこっちで進めていこう。また俺が読むから聞いてるように」

「はい、わかりました。……んっ…………。あ、なんでもないです読んでください!」

 

 若旦那様は右手でペンを走らせる。書きなぐる紙面は見てもいない。片手で書いても、紙は文鎮で押さえているのでずれたりしない。書き終えるとミラが文鎮を外し、出来上がった書類を性悪姉妹の元に届ける。

 左手は読み聞かせ再開の合図のつもりで、クレマンティーヌを抱え直した。

 

 若旦那様は、昨日の夜と同じように、クレマンティーヌを膝上に乗せて読み聞かせをしつつ帝国の資料を作っていた。左腕では、クレマンティーヌの小さな体を抱えている。

 性悪姉妹が睨んでいたのは、若旦那様に抱っこされるクレマンティーヌが妬ましかったからだ。二人から睨まれるクレマンティーヌは、堪ったものではなかった。

 

(こいつ昨日といい今日といい私にベタベタしてくれちゃって、幼女趣味の変態ってわけじゃないよね? もしもそーだったらどーしよ。こんな体で絶対ムリだから! つーか男のくせにいやに良い匂いさせてるのは何? タコさんのお友達? 見た目はいいけどもしかして中身はあんなん? だったら最悪なんだけど! …………チッ、また見られてる。お前ら仕事しろよ! お骨様からの命令なんでしょーが!)

 

 人間でないものから敵意を含む視線を向けられるのは精神的にきつい。

 人間だとしても、あれだけの美女が睨むと凄い迫力でやっぱりきつい。

 そのせいで、いやに体が熱くなっている。体がしっとりと汗ばんでいるのを自覚する。

 上は通気性が良い丈の短いシャツなのでいいが、下は膝まであるスカートなので中がじわりと蒸れている。太ももを擦り合わせれば明らかな水気があった。汗の臭いをさせやしないかと気になってしまう。

 

「そこ、書いてる字が違うぞ」

「あっ!? ごめんなさい!」

「字自体は違ってもちゃんと書けてるな。読み書きは問題ないようだが……、折角だしこの本は全部写すか」

「……はい」

「「…………」」

 

 やはり姉妹はじっと見てくる。

 クレマンティーヌは、とっくに習得してる読み書きで何度も書き間違えるのは、二人が見ているせいだと思うことにした。

 

 

 長時間作業を続けると段々と能率が落ちてくる。

 一旦休憩を入れ、授業再開。

 但し、読み書き練習をずっと続けても飽きる。クレマンティーヌとしてはぬるい授業なのでずっと続けてもらってもいいが、若旦那様は飽きるだろうと判断した。

 一休みの後は運動の時間だ。まだまだ発育途上のクレマンティーヌには、机に向かうばかりではなく、適切な運動をさせなければならない。

 体育の監督にはルプスレギナが手を上げた。

 

「ほらほら、全力で走らないと大変なことになるっすよー」

「クソクソクソーーッ!! こっち来んなーーーーーーっ!!!!」

「ガオータベチャウゾー」

 

 運動はお外の演習場。若旦那様が時々カタナブレイドで遊ぶ場所だ。

 そこでは、クレマンティーヌとビーストマンのケムキチが鬼ごっこをしていた。

 普通にするとケムキチが圧勝して当たり前なので、ハンディキャップ付き。足の指を左右一本ずつ、ルプスレギナがペキリとやった。ケムキチは痛みに耐えながらクレマンティーヌを追いかけなければならない。見事捕まえたらご褒美に腕一本である。クレマンティーヌの腕である。腕が取れても回復魔法で元通り。

 

 クレマンティーヌは必死に走った。

 クレマンティーヌは、法国の最強特殊部隊漆黒聖典の第九席次だった。本来の武装がなくとも、ビーストマンの十や二十はなんの問題なく処理できる。

 しかし今は無力な幼女。ビーストマンに捕まったら最後、抵抗する術なくむしゃむしゃされてしまう。

 

「あーいい顔っすねー。チビちゃんがずっとそんな顔してくれてたらちょっとは好きになれそうっす」

 

 クレマンティーヌにはルプスレギナを睨むどころか悪態をつく余裕もない。

 拷問や虐待には元々の所属柄そこそこの耐性があるつもりでも、好き好んで腕を食わせる趣味はない。食べるのが、数が多いだけのけむくじゃらとしか思ってなかったビーストマンとでもなれば尚更だ。

 

 走りながら咄嗟に首をすくめると、頭の上で豪快な風切り音が鳴る。

 

「ほとんど距離がなくなったっすね。チビちゃんちびだからケムキチだとちょっち捕まえづらいっすかね?」

 

 人より巨体なビーストマンの中でも体格に優れていたケムキチに対し、クレマンティーヌは幼女だ。頭の高さはケムキチの腰くらいしかない。追いかけるだけなら兎も角、捕まえるのは少々面倒だ

 

 クレマンティーヌは直感頼りに前へ飛ぶ。直感は出鱈目や当てずっぽうではない。膨大な経験から一瞬で引き出した最適解である。

 

「おお?」

 

 ルプスレギナはちょっとだけ感心した。

 

 クレマンティーヌは地面の上を転がって距離をとったはいいが、脚は止まった。

 ケムキチは足を庇いつつ、けども大股で幼女との距離を数歩で詰め、長く鋭い爪を振り下ろそうとして、

 

「ってーーーーーーーーーっ!?」

 

 転げながら方向転換したクレマンティーヌに、折れた足の指を叩かれた。

 

 ケムキチがもんどり打ってる間に、クレマンティーヌは十分な距離を取って荒れた呼吸を落ち着かせようと努めた。

 体中から滝のような汗が流れてる。頭からも額からもとめどなく流れ、目に入って痛んだ。

 吐く息は熱く、喉が焼けるようだ。

 立っているのも辛くなり、体を折って両手を両膝についた。

 息を整えようにも心臓が荒れ狂う一方だ。

 

(やば……)

 

 と思ったときには視界が暗くなっていた。

 

「ありゃ?」

 

 体力がない幼女が、炎天下で全力疾走を続ければこうなる。

 クレマンティーヌがパタリと倒れたのを見て、ルプスレギナはポリポリと頭を掻いた。

 とりあえず、クレマンティーヌを捕まえられなかったケムキチにはお仕置きである。ポキリポキリとやって、夜ご飯の時間になったら治してやった。

 

 ハード過ぎる体育の授業は、クレマンティーヌとケムキチにとって不幸なことに毎日続けられることになった。

 あれだけ動けば翌日は筋肉痛になるし、ポキポキやられれば数週間から数カ月は動けなくなる。

 そこで便利な回復魔法。寝不足解消から重傷の完治まで何でも来いである。

 

 

 

 

 

 

 遊びの時間は自由時間。

 クレマンティーヌは、屋敷内と敷地内のあちこちを散策する権利を得られた。但し、立ち入り厳禁の場所が幾つかある。アルベド様のお部屋がその筆頭だ。クレマンティーヌは絶対に近付かないことを誓った。

 

 当初の予定では、自由になる時間を利用して自由になる算段をつける予定だった。

 が、体育の授業で色々なものが削られて体力がなければ気力もない。与えられた一人部屋でぐったりしていると、いつの間にか日が暮れている。

 たっぷりのお昼寝で体力は回復しているはずなのに、気力が湧いてこない。数日過ごしただけで、ここから逃げるのは不可能ではないかと思い始めていた。屋敷の警護をかわす方法が全く思いつかないのだ。

 

 どうして伝説のアンデッドが何体も並んでいるのか。

 

 幾年か前にカッツェ平野で発生し、帝国兵に多大な損害を与えたという話を法国にいた頃に聞いていた。帝国の魔法狂が支配しようとして叶わなかったとか。

 そんな伝説レベルのアンデッドらしいデスナイトがずらりとしている。幼女になる前だったら容易く振り切れたろうし、一体や二体だったら相手取ることも出来たはず。今は叶わない話だ。

 それにミラと呼ばれた吸血鬼から、見えないところにも多数の警護を配置しているので絶対におかしな真似を考えないように、と釘を刺された。

 

 一人でこっそり抜け出すのが不可能なら、誰かの手を借りるしかない。

 しかし、これも難しい。

 住み込みや通いのメイドに使用人たちと話す機会があっても、あてにはならない。何気なく一緒に敷地から出ようとしたらあっさりと警護に止められ、上に話が行った。その時は話に夢中になって気が付かなかったと言い訳できたが、二度以降は無理だろう。同じことを繰り返したら何かしらの罰がありそうだ。

 そのメイドたちの中で王国の蒼薔薇に似た女を見たが、幾らなんでも王国のアダマンタイト冒険者がメイドをやってるわけがない。他人の空似と思うことにした。

 

 広い自室に私物は少ない。

 少々の着替えと、語学の練習ノートが数冊。それだけだ。花の一輪もない。

 殺風景過ぎる部屋を眺めていると心が荒んでくる。お前には何もないと言われているようだ。

 せめて窓の外を眺めようにも、日は落ちていた。

 壁のこちら側で青白い燐光が幾つか見えるのは、アンデッドたちの眼光か得体の知れない化け物たちか。見ているだけで滅入ってくる。

 

「はあ……」

 

 気分は落ちていても、体は欲求を覚えるようだ。お腹が減っていた。そう言えば夕食を取っていなかったのを思い出す。

 化け物ばかりで毎日死にものぐるいで走らされても、食事がとても美味しいのは数少ない美点だ。

 厨房で何かを摘ませてもらおうと、部屋を出た。

 

「…………? なにこれ? 音楽?」

 

 部屋を出て、数歩と歩かないうちに気がついた。

 どこかで耳に心地よい音が鳴っている。国を捨ててから久しく聴いていなかった音楽だ。聴いたことがない旋律。

 疲れと諦念が聞かせる幻聴ではなさそうだ。その証拠に、音に誘われて進むに連れ大きくなってくる。

 音の出どころは、自室の次によく来ているところ。

 いつもは閉まっているドアが少しだけ開いている。そっと開き、覗いてみた。吸血鬼がいた。

 

 

 

 ミラは、ドアの隙間に幼女の顔を認めると眉根を寄せた。が、出て行けとも入れとも言えない。ご主人様が演奏中である。演奏の邪魔をするなんて以ての外だ。幼女へは唇の前に人差し指を立て、静かにするよう伝えた。

 それをどう受け取ったものか、幼女は静かにドアを開けて、忍び足で中に入ってきた。幼女はぽおっとした目でギターを弾くご主人様を眺める。ギターの音色に心を絡めとられて自分を忘れてしまったようだ。ミラ自身も何度もそうなったからよくわかる。

 

 曲のテンポは速く軽やかだ。

 華やかさには乏しく、どちらかと言えば静かな雰囲気である。それはけしてメロディがない事を意味せず、静けさの中に情熱を秘めているようにも聞こえた。

 曲目は大聖堂。

 以前、セシルが男へ話した初心者向けの曲、の続きである。

 セシルが初心者向けとしたのは、「LA cathedral Preludio(プレリュード)」。男が今弾いているのは「LA cathedral Allegretto(アレグレット)」である。

 

 セシルが男へ一番初めに教えた曲はレイエンダ。これもテンポが速く、物静かで荘厳な印象を与える。

 レイエンダが好きなセシルなら大聖堂も好きだろうと思った男は、次にナザリックを訪問した時に聞かせようと考えた。そのために練習をしているところである。最近は忙しくて遠ざかっていたので、少し鈍っているのを修正しなければならない。

 譜面を読み込み記憶の宮殿で何度も練習し、実際に弾いても通しで弾けるようになった。次は音楽記号に注意して弾く。叶うならば何度も弾いて自分なりに曲を解釈して弾きたいところではあるが、自分の耳が信じきれない男なのでそこまでは踏み込めない。そこに至る前に、通しで弾いて十分聞ける音と思うので満足してしまう。これ以上を望むなら、それこそセシルの指導が必要だろう。

 

 大聖堂のアレグレットを弾き終えてしばし瞑目する。

 目を閉じたまま、今度は大聖堂のプレリュードをゆったりと弾き始め、プレリュードの余韻を残しながら情緒的なAndante(アンダンテ)に移り、最後にもう一度アレグレット。

 どれも短い曲なので、三曲全部弾いても十分と掛からない。

 ふぅとこみ上げてきた情熱を逃がし、目を開けて前を向けば、ミラは弾き始める前と同じ位置に。ドアの隣にはクレマンティーヌがいた。

 

 クレマンティーヌは昼食後の体育の後、ぶっ倒れるように寝てしまった。

 夕食を取ったか聞いてみれば、まだであるらしい。折角なので男も軽食を取ることにした。しかしギターの練習中。こんな時に活躍するのがシズちゃん専用甘々ドリンク。

 机の引き出しから一つ取り出し、付属のストローを刺してちゅうと吸った。

 

「食事がまだならこれでも飲むといい。後で食事を取りたいならほんの一口だけにしておくように」

「え。あの……はい……」

 

 男は手にしている飲み物をクレマンティーヌに差し出した。クレマンティーヌは、立場的に受け取らざるを得ない。ということは飲まなければならない。男が口を付けたものを。

 そんな事で恥ずかしがる年かと自嘲し、ストローに口を付けた。言われた通りに一口だけ。

 

「美味しいけど、すごく甘いです」

「それ一本飲むと一日食事をしなくても大丈夫だ」

「…………そんな飲み物を夕食の後で飲んで平気なんですか?」

「困った事はないな」

 

 クレマンティーヌの目から見て、男には無駄な肉がついているようには見えない。この前見てしまったお腹は、腹筋が見事に割れていた。

 

 男はクレマンティーヌから返されたドリンクを飲み干し、空になったカップをミラへ投げ渡す。

 簡易なくせしてインパクト抜群の軽食を終え、練習を再開しようとしてふと思った。

 食事がまだと言うクレマンティーヌがこの場に残るのは、ギターを聞きたいからだろう。聞かせるのは吝かではない。むしろ歓迎する。それよりも弾かせるのはどうだろうか。

 授業を終えた後のクレマンティーヌはいつもぐったりとして、楽しみの一つもないように思えたのだ。年の割に落ち着いているようでも、勉強と走るだけの毎日はつまらないに決まってる。そこでギターを覚えれば生活に彩りが出る事間違いなし。ギター仲間を作りたかったとも言う。

 ソリュシャンとルプスレギナは論外。聞く専門で弾くことは想像の外であるらしい。ミラは恐れ多い事ですと固辞してばかり。メイドたちに覚えさせるわけには行かず、お忙しいアルベド様には聞いて頂くだけで十分だ。

 消極的選択として、クレマンティーヌしか残らなかった。

 

「クレマンティーヌも弾いてみるか?」

「「えっ?」」

「ミラも触るだけ触ってみろ。折角二本あるんだから、持って構えるくらいいいだろう?」

「私も、でございますか?」

「とりあえず座れ」

 

 男は強引にミラの手を取り、椅子へ突き飛ばした。

 あうあうして目を白黒させるミラをよそに足台をセット。手にしたギターを押し付けた。

 

「南のソナチネの最初のコードなら何度も見てたな? そこだけでいいから弾いてみろ」

「え、ええと……」

「コードはこことここだ」

「そういうわけでは…………わかりました……」

 

 ミラは左足を足台に乗せ、ギターのボディを左太ももに乗せた。

 夜なのでヴァンパイア・ブライドお仕着せのエロ衣装。上半身はあれでも下半身は一見ロングスカート。深いスリットはひとまず置いておく。白いロングスカートでクラシックギターを構えるのは、正規の演奏会であるような品があった。

 

 ご主人様から何と言われても、ギターを弾くことを固辞してきたミラである。自分ではあんなにも繊細な演奏が出来るわけがないとわかっていたからだ。出来もしない事に手を出すのは無駄である。だが、憧れはあった。せめてギターに触れるくらいなら、構えるくらいなら、弦を掻いて音を出すくらいなら。

 演奏は出来なくても、音を出すのは弦を弾くだけでいい。しかし、ご主人様がとても大切にしているギターを、ものの試しでちょっと触らせてくださいと言えるわけがない。

 だけれども!

 ご主人様から無理やり押し付けられて鳴らすだけなら拒否する方が失礼である。

 内心で憧れていた事が形になろうとして、ミラの胸は高鳴ってきた。

 ドレスグローブを嵌めた左手で、言われた通りのフレットを押さえる。右手はサウンドホールの上で親指を突き出した。

 

「それでは……最初のコードだけを鳴らさせていただきます」

 

 ミラは緩みそうになる口元を引き締め、上から下へと親指を振り下ろした。

 

 バチバチバチチン!!

 

「「「…………………………」」」

 

 破裂音を響かせ、六弦から一弦までの全てが一発で切断された。

 

 ヴァンパイア・ブライドの爪はメインウェポン。とっても鋭いのだ。日常生活に不便はないので、爪を使うと意識すると鋭くなるらしい。

 

「………………」

 

 ミラは、すっと表情を消した。

 椅子から立ち上がり、全ての弦が切断されたギターを慎重な手つきで椅子の座面に乗せ、背もたれに立てかける。左手の薬指を抓みながらドレスグローブを外すと、丁寧に畳んでギターの裏に置いた。

 スカートの裾を払い、乱れぬよう手で押さえながら膝を折る。そのまま床に両膝をついた。普通の正座と違うのは、何故か両手を背中に回し、腰のあたりで手首を交差させているところ。

 そして、勢いよく頭を前に振った。長い黒髪が前に流れた。

 額が床に触れるまで頭を下げたので、普段は隠れている白いうなじがさらけ出される。

 

 クレマンティーヌには、何のポーズだかよくわかった。

 

「どうか……、ご主人様の手で、私の罪を雪いで頂きますことを。……お願いいたします」

 

 若旦那様は、はあとため息を吐いてこう言った。

 

「どうしてお前はすぐに死のうとするんだ。アインズ様だって死ぬなと仰ったんだぞ? 弦は張り替えれば済む。アトリエに予備があるから取って来てくれ。ついでにスペアのギターも」

「ただちに!」

「走るな!」

 

 男の声が聞こえたのかどうか、ミラは書斎から飛び出ていった。

 クレマンティーヌは、あの吸血鬼は結構間抜けだと思った。

 

「……クレマンティーヌなら、ギターを弾いても弦が切れる事はないだろう」

「普通は切れないですよね」

「普通はな」

 

 弦の張り替えはミラが戻ってくるまで後回し。男は本棚の一画に手を伸ばした。

 ミラにギターを教えるのは無理そうでも、クレマンティーヌはこれからだ。折角なので基礎から教えることにする。

 構え方、弾き方、メンテナンスなどは頭に入っている。基礎練習や様々なコードも把握済み。しかし、基礎練習だけでは絶対に飽きる。

 自分がギターに惹かれたのは、南のソナチネを是非にも弾きたいと思ったからだ。目標があったからこそ始められた。練習にも飽きなかった。飽きないためには、目標とする曲があった方が良い。

 初心者向けの曲も頭に入っているが、クレマンティーヌにずっと付きっきりで教えるのも難しい。曲を譜面に落とすのも面倒だ。

 だったら、既に譜面になっている曲から探せばいい。

 セシルから渡された譜面の中に、初心者向けの曲が一つや二つはあるだろう。

 

 ずっと楽しみにとっておいた譜面をこんな機会に開くことになるのは何だかおかしい、と男は軽く笑った。

 物事は切っ掛けがないと中々前に進まないものなのだと実感する。

 

「ご主人様、持って参りました」

「ああ、机の上にでも置いてくれ」

「はっ!」

 

 本棚に向かっているご主人様を邪魔しないよう、ミラは音を立てずにギターケースを机に乗せる。

 自分が弦を切断してしまったギターを見て壮絶な顔を見せつつも、ギターの裏に置いたドレスグローブを手に取って頬ずりをした。そもそもどうして左手だけドレスグローブをしているのか、クレマンティーヌには疑問だった。

 男はペラペラと譜面をめくる。最後のページまでめくると、無言で本棚に戻し、別の譜面を手に取った。

 今度は猛烈な勢いでページを繰っている。左手だけを上げ、何度か指を折り曲げた。

 

「はっ!」

 

 以心伝心、ミラはさっとご主人様の傍らへ。隣に立つなり、譜面を手渡された。

 男は次の譜面を読み始め、読み終えると本棚に戻す手間を惜しみ、ミラに持たせる。

 次の譜面も同じ。その次の譜面も同じ。

 男が譜面を読み進むにつれ、表情が強張っていくのを、ミラは見ていた。

 

「なん・・・だ・・・、これは・・・!!」

 

 焦燥に駆られ、絶望を突き付けられたような声だった。セシルの罠がついに発動したのだ!

 

 男はミラが持ってきたギターをケースから取り出すと、音叉を鳴らして咥えて素早く調律。

 椅子に座る手間すら惜しみ、机の上に座って足を組んだ。

 ギターを構え、読み取った曲の一つを早速弾き始める。

 

 コードがじゃらんと響き、続く音は単音がポンポーンと鳴るだけだ。コード進行は理にかなっているので曲に聞こえなくもないが、単音が続くだけで酷く単純に聞こえる。

 続けて弾いた曲は、さっきの曲とコードもリズムも同じ。ただし、やはり単音が鳴り続けるだけで曲としては不完全である。

 

 不完全なのは当然の事。

 男が弾いた曲はどちらも同じ曲である。

 つまり、二つの曲を同時に弾かなければならない。いや、それは正確な表現ではない。

 ギター二本で弾く曲なのだ。

 

 クラシックギターは小さなオーケストラと言われるくらいで、表現力に優れ、独奏曲がとても多い。それと同時に合奏向けの楽器でもある。

 音量の関係で他の楽器と合わせることは少なくても、ギター同士を合わせる曲は幾らでもあるのだ。

 セシルが男に持たせた譜面は、どれも複数のギターで弾く曲ばかりだった。

 

 セシルが見るに、男はとてもクラシックギターにのめり込んでいた。食事も休憩も忘れるくらいなのだから余程のものだ。

 そこへ、一人では弾けない曲を提示されたらどうなるか。今の男の有様がよく物語っている。

 ちゃんと弾けて音が出せているのに、曲にはならない。

 至高の宝物がすぐそこに、手の届く場所にあるのに、絶対に手に取れない。狂おしいほどにもどかしく、体が捻じれてしまいそうだ

 狂おしさを解消するには、完成した曲を聞ければいい。しかし、一人では出来ない。

 

 男が記憶の宮殿に籠って幾らギターを掻き鳴らそうと、音はしないのだ。

 

 男は血走った目で、録音機器を作ることを真剣に考えた。

 音を記録する原理はかなり単純だ。音は空気の振動であり、それを目に見える形にするだけでよい。極論を言えば、空気の振動を受ける紙と、振動を描く針と、針に描かせる蝋があれば録音機ができる。

 が、再生が難しい。

 それでは音の記録と再生が出来るだけで、音量が小さいのだ。どうにかして増幅させなければならない。が、自分が知る技術だけでは不可能だ。

 だったら両方のギターパートを録音して、二つの再生機で再生すれば。と云うところまで考えて馬鹿々々しいと却下した。そんな事をするくらいだったら、ナザリックに行ってセシルを拝み倒して一緒に弾いてもらう方がいい。

 

 それこそがセシルの狙いであった。

 

 氷の悪魔は、男が音楽に向ける情熱を評価していた。

 技術を修得する早さも中々だ。好きなギター曲のレイエンダを弾きこなしてくれたことも評価出来る。見た目は、まあそれなりと認めている。

 そんな男を手に入れる手段があるのならば、使わない選択肢はない。

 オーケストラのヴァイオリニストであろうと悪魔は悪魔。ナザリックのシモベに相応しく、カルマは負に振れていた。

 

 男は夜の予定を考える。

 アルベド様は遅いお帰りの予定。よって夜はなくても、朝には必須。

 今夜はソリュシャンと考えて、昼にその事を話してあった。が、延期は可能。今日は三度絞られてるので、一回くらい飛ばしても大丈夫、のはず。

 ここからナザリックまでは、急げば一時間で着く。今から行って帰って朝に戻ってくることは十分可能。

 

「ミラ、これから……」

 

 本棚を背にし、幼女が暇そうに座っているのが目に付いた。

 

「これからナザリックに行って子供用のギターを用意してもらってこい。なければないでいい。その時はセシルさんに「あれは何なのか!」と聞いてこい。ギターが用意出来そうなら生成コストは」

 

 棚を開ければ公金貨の山が何列何行にも積んである。

 

「公金貨でも交換できると聞いた。とりあえず千枚。余ったら置いてきてもいい。ああ、楽団長に迷惑を掛けたから進呈してこい。急げ。走れ。明日の朝にまでは戻れ」

「は、はっ! かしこまりました!」

 

 ミラはずっしりと公金貨が詰まった袋を受け取ると、再びドアから飛び出ていった。

 これから自分の脚で、ナザリックまで行って帰ってこなければならない。とても大変だが、罰を求めていたのでちょうど良かったとも言える。

 

 男は、唖然としているクレマンティーヌの肩を優しく叩いた。

 

「クレマンティーヌにギターを教えよう。読み書きはもういいよな? 出来るんだろ? 計算は……、四則演算までは教えるか。ルプーの体育もほどほどでいい。あとはギターの練習だ。大丈夫。やれば出来る。出来るまでやらせるから大丈夫だ」

「…………はい」

 

 クレマンティーヌはギタリストになる事が決定した。




二本で弾く曲はGolden Dawn
クレマンティーヌはいつかAmberdawnとか弾くと思います

警戒と幼女のどっちかだけだったらさくっと行ってたでしょうが合わさると長くなるようです
Cl編はあと3~5話くらい、かも知れない、気がします、たぶん
二進も三進もいかなくなってどこにも行けなくなったルートはなくなったはずです、たぶん

年内に次の投稿が出来るか怪しいのでひとまず、よいお年を
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