アインズ様は無闇に否定してはいかんと仰せだった。しかし、処刑とは想像力が逞し過ぎである。ここは否定しなければならない。
「クレマンティーヌが処刑される予定はないよ」
「それじゃなんでお骨様が来たわけ?」
「お骨様じゃなくてアインズ様とお呼びするように。魔導国はアインズ様のお力によって平和が保たれている。敬意と感謝の気持ちを忘れてはいけないぞ」
「ハイハイ。で、なんで?」
素直でお行儀が良かったクレマンティーヌに反抗期が来てしまったようだ。
面倒だが、男には義兄としての義務と、アインズ様からのお言葉がある。ちゃんと答えなければならない。
「俺はこの春まで帝都にいたからね。その時の成果を提出したんだよ」
「でも私の話もあったんでしょ? それは?」
アインズが来た前後で、ソリュシャンとルプスレギナの態度が180度変わった。何かがあったと思わない方がおかしい。
「クレマンティーヌに優しくしてやれと仰せだったよ。クレマンティーヌはアインズ様のご慈悲にちゃんと感謝するんだぞ?」
「悪いけど信じらんない。ここに来る前の私って、アインズ様とって言うかモモンの方だったけど殺し合いをした仲なの。それでどうして優しくなんて出てくるわけ?」
そう来たか。
男にはクレマンティーヌの心が薄っすらと見えてきた。
アインズ様は元より、モモン様だって大英雄だ。そのモモン様と殺し合うならば、相当の力量が必要となる。小っちゃくて可愛いクレマンティーヌにはどう頑張っても無理そうである。
だが、男には経験があった。自身の経験ではなく、付き合いがあった子供たちだ。
子供たちは自分たちを英雄に見立ててごっこ遊びに励んでいた。当時は帝国と王国との戦争は静かなものでガゼフのように名の通った英雄は少なかった。人気だったのは魔神を倒した十三英雄だ。中でも魔法使いより戦士が好まれた。
クレマンティーヌも英雄ごっごをして、自分をモモン様と対等の戦士であると見立てて遊んでいるのだろう。
しかし、その設定には無理があると指摘しなければならない。
「わかった。クレマンティーヌはモモン様と渡り合えるくらいの凄い戦士なんだろう。だから敵対した自分は処刑されるって考えたのか。だけどちょっと考えてごらん。クレマンティーヌはモモン様がアインズ様だと知ってるだろう? クレマンティーヌはアインズ様と戦えるほどの戦士だったのかな?」
「あれは無理」
クレマンティーヌが戦ったのは、あくまでモモン。
その時のモモンは膂力に任せて剣を振り回すことしか出来ていなかった。素早さと技術で勝るクレマンティーヌは隙をつき、痛打を浴びせることが出来た。結局は無効だったわけだが。
それがアインズが相手となると、勝負の土俵にすら立てない。存在を認識された瞬間に魔法でやられるのが目に見えている。
「そうだろう。アインズ様は帝国と王国との会戦に介入され、たった一つの魔法で王国兵数万を薙ぎ払ったそうだよ。クレマンティーヌがどんなに強くてもさすがに無理だったろうね。で、アインズ様にとっては何の脅威でもないクレマンティーヌをわざわざ処刑すると思うかい?」
「……でも敵対してたんだよ?」
「だったら俺にクレマンティーヌの面倒を見ろなんて命じるわけがない。ああ、命令ではなく頼みって形だったかな。すぐに処刑するんだったらそんな事をしても無駄なだけだ。アインズ様は無駄な事を好まれない」
無駄を好むどころか、真逆の吝嗇家である。以前敵対したから、と言うのは処刑の理由として弱すぎた。
だったら心配要らない、と思えるクレマンティーヌではなかった。
「危険だと思ったんじゃない? 私って、実は人殺しだし」
「む」
ごっこ遊びにしては刺激的な言葉が飛び出た。
男の知る限り、クレマンティーヌが誰かを殺した事はない。それでも一応の確認で、ドアの外にいるミラに声をかけ、クレマンティーヌが来てから屋敷のメイドや使用人たちに欠員が出たかどうかリファラかキャレットに聞いてくるよう命じた。
クレマンティーヌは、呆れてますと言わんばかりに渋面を作った。
「常識的に考えて屋敷の誰かなわけないでしょ。外の連中」
「それこそ無理だ。クレマンティーヌが外に出ないよう周知してある。まさかそれを避けて出たのか? もしもそうだったら、屋敷の警備体制を見直す必要が出てくる」
「だから、私がここに来る前の話だって」
「だったらモモン様がクレマンティーヌを連れてくるわけないだろう?」
魔導国で殺人を犯すと、極刑が視野に入る。
魔導国における極刑は死刑ではない。ナザリックでの研究材料である。
「だから……」
話の噛み合わなさに、クレマンティーヌは床を蹴った。そう言えば、どうしてここに連れてこられたのか未だにわからない。
真実はアインズの気紛れなのだから、クレマンティーヌにわかるわけがない。
「ともかくそうなの! もうザクザク殺してエ・ランテルでも殺して殺し続けて、最後にモモンにやられてここに来たわけ!」
「……そうか、すごいな」
「ああ!? なに? でたらめ言ってると思ってるの?」
「いやそうじゃなくてだな」
クレマンティーヌの膨らみ続ける設定に、ちょっと面倒くさいと思っただけである。
子供の話に整合性を求めるのは無茶と思っても、クレマンティーヌの話は飛び過ぎた。それでも投げ出してはいけない。どうしたらクレマンティーヌの話に筋を通せるかと考えて、一つだけ道があった。
「もしかして、エ・ランテルが魔導国の首都になる前の事か?」
「そーだよ。気付いたら王国から魔導国なんてのになっててさ。ま、他の国でも結構やったけどね」
「ああ、それだったら」
謎は解けたが、そうするとクレマンティーヌは今より小さかった頃にザクザク殺していたと云うことになる。それはそれで無理そうだが、現在のエ・ランテルで大量殺人より実現可能性がある話だった。
とりあえずそういうことにして話を続けようとしたところ、ドアが小さく鳴った。ミラが戻ってきたようだ。
「キャレットさんに聞いてまいりました。クレマンティーヌが来てから屋敷の使用人に欠員はないそうです。今年に入ってからですと、帝都勤めを拒否したメイドが一人辞めたそうです。率先して行動する者だったようで、その時の教官は惜しんだようです。それと……」
ミラは言いづらそうに口ごもってから、
「キャレットさんから伝言です。『明日も早いのにこんな時間に起こされて、若旦那様には相応の埋め合わせを要求します』とのことでした」
「…………そうか」
必要がない質問をしたせいで借りが増えてしまったようだ。悲しいがいつもの事である。
退室しようとしたミラを止め、男は言葉を続けた。
「どうやらクレマンティーヌは人を殺してはいけないって思ってるみたいだな。この際教えておくが、魔導国では人を殺してはいけないなんて法はないぞ?」
「うそ!? それほんと!?」
「本当だ。殺したら相応の罰が定められているだけだ」
「……あっそう」
それでは実質的に同じ事である。と、クレマンティーヌは思うが微妙に違う。
「ミラに聞こう。戦場で相対した王国兵士を殺してはいけないと思うか?」
「むしろ積極的に処分するべきかと存じます」
「ならエ・ランテルの民を殺してはいけないと思うか?」
「それは……場合によりけりかと。ご主人様が法に定められていると仰いましたし、アインズ様からも極力害さないよう仰せつかっております」
「ここのメイドたちは?」
「そんな事をしたらキャレットさんとリファラさんに叱られてしまいます」
「最後だ。シリーたちを殺していいと思うか?」
「そのように思う者共を率先して排除したく存じます」
シリーはミラの同僚であるヴァンパイア・ブライド・エリートシックスの一人である。
「と言うわけだ」
「何が?」
集団としての規模が小さいナザリックの一員であるミラは的確な答えを出してくれたのだが、クレマンティーヌにはさっぱりわからなかった。
「……アインズ様から詮索は禁じられてるんだが、クレマンティーヌはそこそこの名家の出だったりするのか?」
「そうだよ。ま、あんな家、こっちから捨ててやったけどね」
「やっぱりか」
だから高度な教育を受けられた。
と同時に、子供に十分な教育を受けさせられる余裕がある規模の集団と察せられる。規模が大きく、おそらくは歴史もそこそこにある。だから誤解とは言わないまでも、事の本質を知ることがなかったのだ。
「クレマンティーヌは勘違いしてるようだな。人を殺してはいけないわけじゃない。それは順序が逆なんだよ」
「逆?」
「殺人がダメってのは、人が集まって決めた事じゃない。前提として殺人をしないから人が集まったんだ」
男は軽く説明した。先日の王国攻略理論武装の件で、アインズに話したことと一部重なる。
人は弱いから集団を作った。自分たちの身を守るための集団である。その集団内で殺人が横行すると本末転倒であり、自分たちの身を守ることが出来なくなる。そのため、事前に殺人を行わないことに同意した者だけが集まった。戦争してる二国が和平を結んでから交流するようなものである。
言葉を換えれば、防衛のためのコストや経済合理性などが当てはまるかも知れない。が、それらは全て後知恵である。クレマンティーヌが思うのは順序が逆なのだ。
「人って大きく括るから変な話になる。それぞれの属性を考えればすっきりする。自分の安全を守ってくれる仲間とそれ以外。ミラに聞いたシリーは仲間だ。で、エ・ランテルの民やメイドたちは決まり事だから守ってる。クレマンティーヌだって、自分を守ってくれる仲間たちは殺さなかっただろう?」
「それは……まあ、そうだったけど……」
法国にいた頃、共に学んで仲間だと思っていた者たちを手に掛けたことはない。
法国を捨てた時、仲間だと思っていた者は仲間ではなくなった。気に入らなかった奴を片付けたりもした。追っ手を始末したことも数えきれず。
それでも新たな仲間たちを殺そうと思ったことはない。モモンと敵対する少し前に加入した秘密結社ズーラーノーンの事だ。仲間に愛称をつけて呼び、殺すどころか危険から守ってやったくらいだ。
「国家単位になっても同じだ。仲間だから殺さない。人であっても仲間じゃなければあっさり殺す。どの国だって戦争すれば似たようなものだし、死刑もある。人を殺してはいけないってのは勘違いだよ。それに楽しみで人を殺す連中なんて幾らでもいるしな」
男が言っているのは王国の腐敗、だけではなかった。ごく普通の大衆の事だ。
危険がなく罪に問われなければ、人々は楽しみのためだけに他者を殺める。
「と言うわけで、これからエ・ランテルの誰かを殺したりするなら法で裁く事になる。以前の事だったら関係ない。魔導国には遡及処罰の禁止っていうのがあるんだぞ? 簡単に言えば、昔やった事を今の法で裁けないって事だな」
「……もしかしておにーさまも結構人殺してきた?」
「うっ……。まあ、そこそこは。でも今言ったとおりだ。仲間は守るべきで、片付けたのは邪魔だったから片付けたわけだ」
「何人?」
純粋な好奇心である。
クレマンティーヌは、内心でお坊ちゃんと思ってたおにーさまなのだ。あのルプー様とソリュシャン様が妹であるにせよ、お坊ちゃんのおにーさまがどこまでやったか興味がある。ケムキチをあれだけ怯えさせるのだから、やる時にはやるのかも知れない。
「そんな事はいいじゃないか」
「私にあんなこと言わせておにーさまはダンマリするわけね」
自分から言ったんだろうが、と言いかけた男を止めたのは、アインズ様のお言葉だった。クレマンティーヌには優しくしてやらなければならない。
「数えたわけじゃないが、おおよそで推測できるところは……」
「そんなの私だって数えてないし。10人くらい? もっと多かったりする?」
「もうちょっと多いかな」
「それじゃ15人?」
「もうちょっと」
「……20いく?」
「いってるかなぁ」
「何人よ?」
クレマンティーヌが最初に上げた数字は多めに見積もっていた。
痛めつけるのが大好きそうな妹と違って、こちらは好んでいないように見える。ケムキチが随分と怖い目にあったのは怒らせたからだとか。
そういったことがなければ積極的に人を害するとは思えない。逆を言えば、過去に数人くらいはこの男を怒らせただろう。
20人以上が酷く怒らせたのだとしたら、思ったより短気な男なのかも知れない。
「……千人くらいかな」
「はあ!? それって全然ちょっとじゃないでしょ!」
「クレマンティーヌは知らないのか? 『ちょっと』には『ほんの少し』って意味のほかに、逆説的に『存外』とか『かなり』を意味することも」
「そんな事は聞いてない」
「……そうだね」
クレマンティーヌはザクザク殺してきたと言うだけあって、相当の数を殺してきた。確実に三桁はいっている。が、そこから更に一桁上。意外にもほどがあった。
実を云うと、千を超えるキルスコアはナザリックにて単独三位を誇っていたりする。
一位は当然アインズ。帝国と王国との会戦で万を超える兵を屠ったのは伊達ではない。
二位はデミウルゴス。魔皇ヤルダバオトをしていた時に相当稼いだ。ヤルダバオトによる被害が全てデミウルゴスのスコアに還元されるなら単独一位になっても不思議ではないが、大半はデミウルゴス配下の悪魔や、支配下に置いた亜人たちのスコアである。
「何で殺したの?」
「……邪魔だったから?」
「何で疑問形なのかな?」
クレマンティーヌが聞きたかったのは手段だ。返ってきたのは自信なさげな疑問形。
「過ぎた話なんだからいいじゃないか」
「でも聞きたい。おにーさまはその手で殺したの?」
「そんなことしたら手が汚れるし危ないだろ」
「うわぁ……」
クレマンティーヌは、少なくとも『人』を殺したと思っていた。
対するこの男は、動く障害物を片付けたとしか思っていない。この男の価値観によると、片付けたのは仲間ではなかったのだ。放置すれば自分たちに危険が及ぶ。そして片付ける手段がある。やらない理由がない。と、当時は思っていた。
振り返れば、犯罪組織とその周辺が鬱陶しくはあっても、差し迫った危険があったわけではない。自分を含む仲間たちに被害はなかった。それでもやってしまったのは若気の至りである。
あの時の大火が自分の存在をラナーに知らせる狼煙となったのだから、なおさら余計な事をしたと後悔している。別の手段で静かに片付ければ良かったのだ。
「おにーさまってすっごい悪人だったんだね」
「クレマンティーヌにはそんな事で善悪を測る狭量な価値観を身に着けて欲しくないな」
「うわぁ……」
人を殺した事を、本当に何とも思っていないようだった。
クレマンティーヌは自分の事を悪人だと思ってきたが、目の前の男には負ける。そんな事を思う内に、あれほど焦がれていた殺人がつまらないものに思えてきた。
クレマンティーヌのお気に入りは冒険者。冒険者が着けている身分証のプレートを集めるのが趣味だった。腕に自信がある冒険者を仕留め、自分は生きている。完全に不可逆的な形で優劣を証明するのだ。それは禁忌を破る事。人殺しは忌避され禁忌とされているからこそ、それを犯す事に喜びを覚える。
だと思っていたのに、この男に言わせれば人ではなく単なる障害物。人殺しと掃除の区別がついてなさそうだ。
「ともかく、過去の事を今の法で裁く事はない。だから安心するように」
「でも……」
そう言われても安心からは遠い。
人殺し云々は、アインズが知っている事。それをどこまで知らされているか知らないが、知っていてもおかしくない。
最大の問題は、ルプスレギナとソリュシャンの抹殺を提案したことである。
「妹のことが」
「だからそれは、クレマンティーヌが何とか出来る事じゃないって言っただろう? 詳しい説明はしてやれないが、あれは魔導国の戦略に関わってる。後の身分もアインズ様が保証なさっているようだ。基本的に手出しは厳禁だ」
「へ?」
「今の話は他でするなよ? ソリュシャンたちならある程度は聞いてるだろうが、メイドたちには絶対聞かせないように。それくらいは守れるだろう?」
「守れる、けど……。おにーさまの妹って何人いるの?」
「一人だろう。俺の知らないところで作ってたらわからないけどな」
「それって悪魔か何かですか?」
「あれが悪魔だったらアルベド様に、デミウルゴス様にも失礼だ」
「じゃあお兄様が悪魔?」
「俺は人間だ」
「うそぉ!」
「どうしてそこで驚く?」
「あはは……」
クレマンティーヌは、決定的な勘違いにようやく気付いた。
おにーさまの妹は一人。この時点で、ルプスレギナとソリュシャンの両方が妹である事はない。
魔導国の戦略に関わる。ルプスレギナとソリュシャンはそこそこの立場だろうが、そこまで大それた存在とは思えない。
疑わしいがおにーさまが人間と云うことは妹も人間である可能性がある。ルプスレギナとソリュシャンは明らかに人間ではない。
つまり、おにーさまの妹は、ルプスレギナとソリュシャンではないということだ。
自分は二人の抹殺を提案したつもりだったが、幸運な事にそうは受け取っていなかったらしい。
(うおおぉおおお、やっばーー! セーーーーーーーーーーーフ!!)
自分に処刑がどうのとは、本当にただの思い込みの勘違いだったらしい。
どうせなら妹が誰なのか聞きたいが、そうすると自分が勘違いしてたことに気付かれてしまうかも知れない。とりあえずは知った振りをして、いずれ誰かを巻き込んで聞き出すことにした。
「クレマンティーヌがどうしても不安だって言うなら、もしもアインズ様が処刑の判断を下すようなことがあったら俺が弁護しよう」
「……それ本当?」
「ああ。そんな事はあり得ないが、クレマンティーヌが安心するなら。証書でも作るか? 証人をつけてもいいぞ?」
「証書とかなくしそうだから証人で」
「それなら、ミラ。今、俺がクレマンティーヌに話した事の証人となって」
「待った。ミラはおにーさまの言うことなら何でも聞いちゃうでしょ? おにーさまがそんなこと言わなかったって言ったらミラは従っちゃいそう」
「そんな事はないだろう……。ミラ」
「はっ!」
証人になると聞かされ、ミラはいつも以上に背筋を伸ばして男の前に立った。
「俺の髪は黒いだろう?」
「……いえ、ご主人様の髪は輝く銀髪でございます」
「良く聞こえなかったな。俺の髪が銀色のわけないだろ。黒だよな?」
「いいえ、銀色をしていらっしゃいます」
「おかしいな。俺の目には黒に見えるんだ。俺は黒がとっても好きで、銀色の髪なんて虫唾が走る。俺の髪が銀のわけないだろう? 黒だよな? それともミラの目には黒に見えないのか? 俺の目がおかしいって言いたいのか?」
ミラは透き通った微笑を見せた。
「はい。ご主人様の髪は漆黒でございます」
「ダメじゃん」
「………………うん、ダメだな」
ミラは心で泣いた。
なお、今の男は明らかにパワーハラスメントである。アインズに知られたらちょっと叱られる。ミラが男の前に仕えていたシャルティアはパワハラどころではなかったが。
「キャレットを呼べばいいんじゃない? さっき起こしちゃったんでしょ?」
「もう遅いし明日じゃダメか?」
「ダメ。気が変わったとか言われるかも知んないし」
「……キャレットを呼んで来てくれ」
「かしこまりました」
ミラは一礼して書斎を出た。
色々面倒であっても、クレマンティーヌの心の闇がいよいよ払えそうなのだ。少々の手間は我慢しなければならなかった。
待つことしばし。
不機嫌そうなキャレットが、夜着にストールを羽織って現れた。
「こんな時間に何ですか? さっきも言ったように明日も早いんですけど?」
「すぐ済むよ。もしもアインズ様がクレマンティーヌに過去の事で罰を下そうとしたら、俺が弁護する。俺がそう言ったって事の証人になって欲しい」
「アインズ様だけじゃなくて他の方の時も」
「他の方の時も俺が弁護する。それでいいか?」
「うん」
「……若旦那様がクレマンティーヌの弁護をする。確かに聞きました。もういいですか?」
「ああ、こんな時間にすまなかった。明日、もう一度確認すると思うが、今はとりあえずそれだけでいい」
「はあ……、明日も早いのに……」
キャレットは深く息を吐く。とっても迷惑なんですけどアピールだ。
けども、上げた顔には悪戯な色が漂っていた。
「明日のお仕事は寝不足で大変かもしれません。ですけど、若旦那様が寝る前にマッサージしてくれたらよく眠れるかも知れません」
肩に羽織り、胸元で合わせていたストールを少しだけ開いた。
キャレットの夜着は、白のロングネグリジェだ。夏用なので生地が薄く、明るくして近くで見れば透けて見える。
寝ていたところなので、ネグリジェの下には何も着けていない。双丘が生地を丸く大きく盛り上げている。
「若旦那様の予定は聞いていました。でも、迷惑を掛けた私を労うべきじゃありませんか? …………あら?」
キャレットは、アルベド様がお一人でお夜食を取った事を知っている。時間的に、お夜食の後だ。と言うことは、今夜これからの若旦那様はもう寝るだけである。
何度もしてきたけれど、二人きりは一度もなかった。この機に、と思ったところで邪魔が入った。
「おにーさまは私に添い寝するの」
キャレットを遮るように、クレマンティーヌが割り込んできた。
「さっき一緒に寝ようかって言ったよね?」
「確かに言ったが……」
直後に「いらない」と言われている。クレマンティーヌの気分が変わったのだろうか。
それともキャレットにマッサージをして、快眠の手伝いをするべきだろうか。そうすれば明日のキャレットが寝不足に悩まされることはなく、後の埋め合わせをなかったことに出来るかも知れない。
男が迷ってる間に、キャレットが答えてしまった。
「先約があるなら仕方ないですね。若旦那様には後でよろしくお願いします。それではおやすみなさいませ。私は失礼させていただきます」
「……ああ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
ミラはきちんと挨拶したのに、クレマンティーヌは無言でキャレットを睨みつけた。
男がクレマンティーヌに挨拶を促す間もなく、キャレットは行ってしまった。
なお、翌朝のキャレットは眠い目を擦ってルプスレギナを起こし、回復魔法を掛けてもらって寝不足をすっきりさせる。そして朝早く起こされたルプスレギナは、心の帳簿に男への貸し一と付けることになる。
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「それじゃ寝るか。ミラは書斎を閉めたら好きにしてくれ」
「かしこまりました」
「クレマンティーヌ」
「……うん」
クレマンティーヌは、男が差し出した手を握った。
クレマンティーヌ自身も、自分の言葉が意外だった。反射的に口から出ていた。
男と女がこんな夜中にマッサージだなんて、何をするか決まっている。
それを邪魔したくて、添い寝と言ってしまった。この男を取られたくないと、強烈に思ってしまった。
アインズに連れてこられたこの屋敷を、無条件に信じることは出来ない。不思議な事にルプスレギナとソリュシャンは優しくなったが魔窟であるとの認識は大して変わっていない。
が、この男は自分を弁護すると言ってくれた。証人までつけた。始めに思ったのと少し違う形だが、自分の味方をしてくれる。自分が魔導国の法を破らない限り、自分が裏切らない限り、味方でいてくれる。きっと人情とか思い遣りとかではない。法の遵守に過ぎないのだろう。
どんな形だろうと味方なのは確かだ。味方との絆を強固にするのに理由は要らない。
とは全て後付けの理由であると、クレマンティーヌはわかっていた。
今まで膝に何度も乗せられた。ルプスレギナたちの視線がきつかったわけだが、あれがなければ悪くはなかった。
あの安らぎと安心を感じたいのかも知れない。
広いお屋敷にただ一人の味方なのだから、一緒にいたくなるのはきっと当然の事だ。
そんな取り留めのない事を思いながら歩くに連れて、苛立ちがこみ上げてきた。
書斎では窓が開いていた。話の内容が内容だったので、距離を取っていた。
それが、こうして手を繋いで歩いていると感じ取れる。
男と女の、情事の匂い。
おにーさまはこの顔だ。見とれたのは一度や二度じゃない。ミラなんて、何か言い付けられるまでずっと見入っている。
ソリュシャンとの仲を勘違いした一件でちらと見た裸身は、均整がとれて引き締まっていた。
そしてこの屋敷には女が幾らでもいる。
考えてみれば、そんな事をしてない方がおかしい。子供の体になっているから想像が及ばなかった。
それを汚らわしいと思うほど子供ではない。
男がいて、女がいて、なるようになっただけ。
そうとわかっていても、苛立ちが収まらない。
「クレマンティーヌの部屋は案外物がないな。欲しい物があったら用意させるぞ?」
「それは後でいい。着替えるからあっち向いて。…………おにーさまはその格好で寝るつもり?」
「そのつもりだ。脱ぐこともあるな」
アルベドもソリュシャンもルプスレギナも、大抵は全裸で寝る。何かを着る時は、男を誘う時くらいだ。
男はナイトガウン一枚が多い。
「着たままで寝て」
「わかったよ」
男はドアを向いたまま、衣擦れの音を聞いている。
ややあって、魔法の明かりが小さくなった。
「もういいよ」
クレマンティーヌの夜着はいつものシュミーズ。
キャレットたちに対抗意識を抱いても、今の体は幼い子供。出来る事はないし、やろうと思われても困る。
これまでの触れ合いから、子供に欲情する男ではないとわかっている。それを悔しく思う自分が不可解だ。
「それじゃ、どーぞ」
「お邪魔するよ」
クレマンティーヌのベッドに男が入ってくる。
ベッドの主はちょこんと座っているのに、図々しく先に横になった。
「わっ」
「さあ、早く寝よう」
男がクレマンティーヌの手を引く。小さな体は男の上に倒れこんだ。
体が小さいからか、胸の鼓動が速くなっていく。
生まれた熱に、クレマンティーヌは覚えがあった。
死闘を制した時に感じるあの悦び。
禁忌を犯す快感に似ていた。