ユリとメイドは二人で大量の本を運ぶ。
台車に載っているためユリだけで可能な仕事だが、頼まれたのはメイドだ。自分の仕事を他者に押し付けるメイドはナザリックにいない。二人は一緒に台車を押した。二人で一つの台車を押すのだから、歩調を合わせねばならなかった。
メイドは何も問題ない。いつも通りに歩くだけである。強いて付け加えるなら、いつもはエ・ランテルで孤児院の運営に勤しんでいるユリお姉さまとお喋り出来るのがとても楽しい。
一方のユリはそうもいかない。股の間にハンカチを挟んでいる。ハンカチには粘液が付着しているが、ずっと股に張り付いているほど粘性は高くない。太ももを閉じていなければ落ちてしまう。そのため、膝から上を動かすことが出来なかった。
幸いにもユリのスカートはフロア丈。足元は見えない。かなり不自然な歩き方でも気付かれず、むしろいつも以上に上体が揺れない歩き方となっており、さすがはユリお姉さまですと尊敬を深くされていた。
ユリにとっては果てがないと思われる長い長い廊下であったが、絶えず一歩を進めていればいつかは辿り着く。何度目かの角を曲がったところで、目的地が見えた。
メイドはユリとの語らいが終わる事を残念に思って、と同時に一つのお仕事を終えることに満足する。表に出すのは後者だけだ。明るい声を出した。
「相談役殿とソフィー様がお使いになっている部屋はあちらですね」
「ご苦労様です。ここからは私がっ!?」
「ユリお姉さま? どうかなさいましたか?」
「えっ……、ええ。何でもありません」
目的地が見えたことで、ユリに油断が生じた。
足を踏み出す距離を誤り、太ももと太ももが離れてしまった。さながら断崖絶壁に掴まって耐えていたのに、救助の目の前で落ちてしまったかの如き。
(待って!!)
内心で激しく叫んだが、ハンカチがユリの声を聞くわけがない。太ももで挟んでいたハンカチは無情にもはらりと落ちて、咄嗟に脚を閉じることで床に落とすことは避けられた。
挟めたのはふくらはぎである。ねちゃりと冷たく湿った感触があった。事態が露見することは避けられたが、動けなくなってしまった。
動くにはハンカチを適切に処理する必要がある。それには傍らに誰かがいては不可能だ。
「ここまで来たのですから、あなたの仕事は完了です。あとは私が運び入れておきます」
「そういうわけには行きません。部屋に運ぶように頼まれました。こんな中途半端なところに置いてしまっては叱られてしまいます」
「ですから、後は私が運びます」
「はい、あと少しですね。部屋まで入れてしまいましょう」
「ですから私が運んでおきます」
「はい、手伝って下さってありがとうございます。ここまで来て、最後をユリお姉さまに任せてしまうことは出来ません」
「そう、ですか。ですが、その……」
「何でしょうか?」
純粋無垢で疑うことを知らない眼差しが、ユリにはとても痛かった。頼りになるユリお姉さまと思ってくれているのに、とてつもない隠し事をしてしまっているのだ。
「少し考えたいことがあるのです。その……何かを忘れてしまった気がしてならないのですが思い出せなくて」
「あっ、私もたまにあります! 思い出せそうなのに思い出せなくて、もやもやしてしまいますよね」
「そうなんです! ここから一歩でも動いたら手掛かりが消えてしまいそうなんです。少しこのままにしておいてくれませんか? 本はきちんと運んでおきますから」
「そうなのですか? 軽い頼まれごとなので報告はいらないと仰っていましたが、お会いしたらユリお姉さまのお名前を出してもいいでしょうか?」
「構いません。何かあったら私が口添えしますから心配いりませんよ」
「そう言う事でしたら……」
更に二三言を交わし、メイドは二度振り返ってユリに頭を下げてからその場を離れた。
ユリは周囲に人気がなくなってから、更にスキルを使って近くに誰もいない事を確かめた。
無人とわかっていてもキョロキョロと周囲を見回し、さっと屈んだ。
素早くスカートの中に手を突っ込み、ふくらはぎで留めていたハンカチを抜き取る。
「うっ……」
見ずに掴んだものだから、手が粘液に触れてしまった。拭おうにもハンカチは使用に堪えない。
とりあえず、ハンカチは濡れている面を内側に折り畳んでポケットにしまう。濡れた手が問題だ。手の平にべっとりいってしまった。
このまま台車のハンドルを握ることは出来ない。どこかに擦り付けるのは以ての外だ。拭き取るのに適したものがポケットの中に入っていただろうかと模索するも何もない。
止む無く手の平を顔の前にかざし、舌を伸ばした。
「ユリ姉、何してる?」
「!?!?」
ペロリとしたところで、背後から声を掛けられた。
アンデッドの凍えた心臓が口から飛び出たと思った。
「シズ!? ボクに何か用!?」
「用があるのはユリ姉。こんなところでしゃがんで何してる? 探し物だったら手伝う」
「!?」
声の主は、プレアデスの末妹の一人、シズだった。屈んだところを目撃されたらしい。
ユリのスキル「気探知」には引っかからなかった。ロイヤルスイートの廊下はとても長く、遥か後方のスキルの有効範囲外にいたようだ。
「別に何も探してないよ。この本を運んでくれって言われたんだ。もうすぐそこだからシズに手伝ってもらうことは何もないよ。またね」
「ふーん?」
シズは内心を窺わせない顔でユリの爪先から顔までをじっくりと観察する。視線が止まるのは、ユリの足元と手と顔だ。
「ほら、早く行きなよ。こんなところで油を売ってる暇はないだろ?」
「結構ある。だからユリ姉の手伝いをしたい」
「ボクは大丈夫だって!」
手伝ってもらうことは何もない。ユリが願うのは、一刻も早く誰もいないところに行くことだ。
手が少々あれなのは我慢することにした。ぎゅっと拳を作り、ハンドルは握らずに台車を押し始め、
「ひゃっ!? キャアアアアーーーーーーーーッッッ! シズ!! 何するん、だ……よ…………」
下半身に外気を感じた。背後から思い切りスカートを捲られたのだ。
とんでもない事を仕出かしたシズを叱るべく眼尻を釣り上げ振り向けば、シズの内心を窺わせない顔と目が合った。真っすぐな目だった。言い訳を許さず、真実を明らかにしろと強いる目だった。
「ユリ姉…………、どうしてパンツ穿いてない?」
「そ……れ……は………………」
ユリは窮地に陥った。
■
ナザリック総幼児化事件の際、シャルティアが速やかにソフィー確保に動けたのは何故か。ソフィーの罪を言い渡す場に於いて、アルベドの機嫌が地を這っていたのは何故か。
シャルティアがずっと近くにいたからである。
ソフィーと入れ違いでアインズの執務室に入ったシャルティアは、幼女となったアルベドを目の当たりにした。
いつもと全く違うアルベドをシャルティアが見過ごすわけがなく、心の底から煽った。煽り倒した。アルベドが泣くまでやった。
『ふむふむふーむぅ……。守護者統括様は随分とちぃっちゃくおなりでありんすねぇ。いつもは随分と重そうなものを吊るしていんしたが、大層軽うなって幸いでありんしたねぇ? まっっっっっったいらになって身軽になりんしたのはまことにおめでとうございんすぇ。とは言っても? 折角身軽になりんしたのにそのドレスでは折角の身軽を活かせそうにありんせん。守護者統括様もまっっっったいらになって軽うなった体を楽しみたいでありんしょう? わらわがまっっっったいらに相応しいドレスを選んで差し上げんすよ。まっっっったいらでも着れるドレスが探せばどこかにありんしょうから』
アインズは一連の出来事を目の当たりにしていたが、出来る事は何もなかった。
女性同士がおっぱいの大きさについて語る非常にセンシティブな問題に口を出せようものか。偉大な魔法使いであるアインズであっても、出来る事と出来ない事が厳として存在するのだ。魔法使いだからこそ出来なかったのかも知れない。
後にソフィーが泣いたのは大体シャルティアのせいであった。
では、どうしてシャルティアはアルベドの傍に居たのか。
▼
「アルベドに話は通しんした。これから週に一日は私の仕事を手伝ってもらいんす」
「……アルベド様に確認してもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いんせん。アルベドははっきりと許しんしたよ」
図書館で鉱物図鑑を借りなおした二人は、第十階層を歩きながら言葉を交わしていた。
「これからアルベド様の元へ向かってもよろしいでしょうか?」
「それは後にしなんし。あっちは仕事中でありんしょう? 邪魔してはいけんせん」
「……かしこまりました。それでは今夜にでもお聞きいたします」
「そうしなんし。それまではわたしに付き合ってもらいんす。手伝ってもらうのは今日じゃなくてこれからの事でありんすから。いつだったかお前には丸一日命令されたことがありんしたねえ。お前と違ってわたしは無茶な事を言うつもりは全くありんせん! 手伝いはかるーいものでありんす。ちょぉっとマッサージしてもらうくらいでありんしょうから。くーっふっふ……!」
「…………」
過日の調教競争の折、男は勝利したことでシャルティアへの一日命令権を得た。その時シャルティアが賭けたのは、男へ週に一日命令する権利だった。命令から手伝いにグレードダウンしたにせよ、負けて得られなかったものを得たと言ってよい。
これがシャルティアが言い張るだけの事であったら無視する男であるが、アルベドの名前を出されてはそうはいかない。
シャルティア様はシャルティア様だからと言われるシャルティアと言えど、すぐに露見する嘘を言うほど愚かではない。自信満々であることからも、アルベドと話をつけたのは真実と思われた。
■
シャルティアは、本当にアルベドと話をつけたのだ。
ナザリック総幼児化事件の直前の事である。シャルティアはアルベドへこう言った。
『お食事は週に一度。アルベドは守っていんすか?』
『っ!』
今や古い話である。アルベドが異色光彩の美男を拾って季節が一つ過ぎたかどうかと言った頃。エ・ランテルのお屋敷にてアルベドとシャルティアが鉢合わせたことがあった。
その時はちょっとした騒動になってしまい、場を治めたアインズがアルベドへ「ご馳走はたまにだから価値がある。週に一度に抑えるように」と言っていた。
シャルティアは自分の耳でアインズの言葉を聞いている。直接言われたアルベドも覚えていなければならない。
瞬間怯んだアルベドは、いつもの微笑を湛えて答えてやった。
『アインズ様のお言葉ですもの。勿論守っているわ』
『その割には毎日髪も肌も艶々でありんすねぇ? 栄養が多すぎじゃありんせんか?』
『きちんと磨いているだけよ。食事だけじゃないわ』
『言いんすねぇ。それならあいつに聞いてもいいんでありんすね?』
『構わないわ。私はお食事をしているのではありません。彼とはセックスをしているのよ』
アルベドは、恥も衒いもなく言い切った。
ナザリックのシモベたちにとって、アインズの言葉は絶対だ。ナザリックにて序列二位であるアルベドも例外ではない。アインズが「お食事は週一」と言ったら週一なのだ。
では、日々している事は何か。
特にアルベドが居をエ・ランテルに移してからは、朝か夜かどちらもか、毎日欠かさず行われてきた。
あれはお食事ではない。
おセックスである。
互いの愛を確かめ合う行為であって、サキュバスが食欲を満たすための行為ではない。
お食事ではないのだから、週一どころか毎日行っても問題はないのである。
『セックスって言うならおちんぽミルクは飲んでないわけでありんすね?』
『うっ』
シャルティアは一撃でアルベドを論破した。
あれは食事ではなく愛を確かめ合う行為だと言い張ったとしても、サキュバスが精液を飲まないわけがない。雨が降ったら地に染み込むのと同じ自然の摂理である。
『まさか守護者統括様がアインズ様のお言葉を違えるわけがないでありんしょうから、お食事じゃないって言ったらそうなんでありんしょうねえ?』
『……何が言いたいのかしら?』
『難しい事じゃありんせん。あいつはアインズ様が直々に守護者統括様の相談役にお認めになさるくらいだから? 色々と器用で物知りでありんす』
『……そうね』
『だから? 時々わたしを手伝って欲しいんでありんすよ。そのくらい心の広い守護者統括様はお許しになるでありんしょう?』
『今までも勝手に連れていってるじゃない』
『勝手じゃなくなればお互いに安心できるでありんしょう? 週の半分は手伝って欲しいでありんすねぇ』
『そんなに認めるわけないでしょう! あの子は私の相談役なのよ!』
『仕方ありんせん。それじゃその半分で』
『駄目よ。週に一日。それ以上は認めないわ』
『ま、そのくらいが落としどころでありんすか』
典型的なドア・イン・ザ・フェイスである。最初に過大な要求をぶつけてから譲歩したと見せかけて本当の要求を通すテクニックを指す。
アルベドも熟知している交渉術の初歩の初歩であったが、アインズの言葉を出されては撥ねつけるわけにはいかなかった。
アインズの執務室を訪れたアルベドがキレ気味だったのは大体シャルティアのせいであった。
▼
アルベドとシャルティアの間で一体どのようなやり取りがあったものかと男は考えるが、シャルティアに話す気配はない。であるならアルベドが話すこともないと思われる。
何であれアルベドが認めた以上、シャルティアの言葉に従わざるを得なかった。
命令ではなく手伝いと云うのだから、無茶な事はないだろうと思うがシャルティアなので過度な期待は厳禁である。
さしあたって、今のシャルティアが目指している場所は男もずっと気に掛けていた。
「あれから一度くらい行きんしたか?」
「それが一度もお会い出来ておりません。強く印象に残ったでしょうから、お忘れにはなっていないはずです」
「仕方ないやつでありんすね。わたしがあれだけ協力したんでありんすから無駄にはさせんせん!」
「頼りにしております」
「ほほーう? お兄ちゃんに頼られたら仕方ないでありんすねえ? お礼はたーーーっぷり期待しておりんす♡」
「……ご期待に応えられるよう微力を尽くします」
「そこは全力を尽くしなんし!」
「……努力いたします」
実に今更になって、シャルティアに社交辞令を述べると言葉通りに受け取られてしまうことを、男は知った。これまで口車に乗せて良い様に回してきた報いかも知れない。
憮然と崩れたがる表情を繕ってシャルティアの相手を続けた。
道程は短く、と言うのはシャルティアのゲートの魔法で移動したからだ。
第十階層の片隅で魔法を発動し、闇の扉を潜れば目的地の前である。
「ちょうどお昼でありんす。ちゃんとご飯に戻ってるでありんしょう。もちろん? わたしのご飯も構いんせんね?」
「ご随意に。ただし、採血はご遠慮ください。直に飲むだけに留めてくださいますようお願い申し上げます」
「瓶に入ったのはたっぷり残っていんす」
シャルティアは男へ声を掛けながら、ドアノブに手を伸ばした。ノックをするとか声を掛けると言った配慮はないらしい。乱暴にガチャっと捻って勢いよく開け放った。
「アウラー! 逃げずに出てきなんしー!」
ゲートの魔法が繋いだのはナザリック第六階層。階層守護者であるアウラとマーレが住むツリーハウスの前だった。
シャルティアの声はよく通り、さして待たされることなく一人のエルフメイドと、目当てのアウラの弟であるマーレが姿を現した。
「シャルティアさん!? とお兄ちゃん。あの……そろそろお昼なんですけど……」
三人いるメイドが一人しか来ないのは、お昼の準備をしているかららしい。
茶髪のメイドはマーレの一歩後ろに控え、一応は主人であるマーレがおどおどと対応した。
「お昼だから来たんでありんす。この時間ならアウラもいるでありんしょう? さっさと出しなんし」
「あの……それが……」
「あぁン? まさかいないってことはないでありんしょうね?」
「その…………、いないんです」
「はアァあん!? いない? いないってどういう事でありんすか!」
「そんなこと僕に言われても…………」
二人の目当てはアウラである。在宅であろう時間を狙ってきたのに、不在であるらしかった。
逃げ続けるアウラに堪忍袋が温まってきたシャルティアは、マーレの制止も聞かず家探しを決行。ツリーハウスのドアと言うドアを片端から開け始めた。もしも一時間前にこのまめさを発揮していたら、あられもない姿のユリを発見出来ていた事だろう。
男は家探しには加わらず、厚かましくも自身の昼食を注文した。エルフメイドたちはちょっぴりムッと来たが、私たちのマーレ様がお願いしますと云うのだから喜んで準備せざるを得ない。
一通りバタンバタンやって満足したか諦めがついたかしたシャルティアがダイニングにやって来たところで昼食となった。
「いんせんでありんした!」
シャルティアはむっすーと頬を膨らませる。マーレはとても居心地悪そうに俯いた。
「今日のお姉ちゃんは朝からお弁当を持って出かけてます」
「はあ!? それを早く言いなんし!」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
二人がアウラの元を訪れたのは、開発の自習がちゃんと進んでいるか確認するためである。
シャルティアは度々訪れていたが、アウラは言葉を濁して確認させなかった。それならば開発を主導した男を連れて行けば言い逃れ出来ないだろうと二人連れで踏み込んだらかくの如し。
二人が揃ったら絶対にろくでもない事になると確信したアウラは、顔を合わせないのが一番だと判断してナザリックを離れたのであった。
離れると言っても一時的で、夜には帰ってくる予定である。夜になったら男はソフィーの監視に戻るため、乗り込まれる危険はない。シャルティアはいつものようにかわせば良い。
アウラがこうも距離を取るのは、開発の内容が問題だからだ。なにせアナルの自主開発である。
そんなものを確かめられるわけにはいかなかった。
「まったく! 無駄足じゃありんせんか!」
「そう仰らないでください。アウラ様がいらっしゃらなくても、こうしてマーレ様と食事を取る事が出来るのですから」
「……えへへ」
はにかみ笑いをするマーレ君はとても可愛い。
「わたしもお昼にしんす!」
仲間外れにされた気分のシャルティアは頬が膨らんだままだ。食事をする男の背後に立ち、後ろから男のシャツの襟を広げた。男が前もって襟のボタンを外していたので、シャツが破かれることはなかった。
「あっ!」
マーレが思わず声を上げた。
男が首を傾けると、あらわになった首筋へシャルティアがカプリとやったのだ。
シャルティアは吸血鬼である。吸血鬼に血を吸われた人間は、吸血鬼になってしまう。慌てて止めようにも時遅し。
顔を白くするマーレに、男がネタ晴らし。
「私はアインズ様から授かったアイテムのおかげで、シャルティア様から吸血されようと吸血鬼に転化する事はありません。既に何度かお試しいただいております。ご心配ありがとうございます」
「あ……そうなんですか」
「うぅ~~~っ。いつのんでもおいしいでありんしゅう♡」
ナザリックの全吸血鬼が認める吸血鬼泣かせの鮮血を直飲みである。シャルティアはぷんぷんしていたのも忘れ、恍惚と鮮血に酔った。
人間も吸血鬼もダークエルフもエルフも昼食を終え、食後の紅茶がやってきた。
実は紅茶通なシャルティアであり、エルフメイドたちは世話焼きを鬱陶しく思われていても紅茶を淹れる技術は評価されている。シャルティアはふむふむと頷いて紅茶を楽しんだ。
いつものように楽しめないのは、シャルティアの対面に座るマーレである。
「シャルティアさんはどうしてお兄ちゃんの膝に座っているんですか?」
マーレには今しがたの弱気な様子が全くない。可愛らしいお顔からは表情が抜け、目はしっかりと据わり、抑揚のない声をシャルティアに突き付けた。
シャルティアはふふんと鼻を高くして、ティーカップを傾けた。マーレは目を細めた。
いつもは自分が座っているお兄ちゃんのお膝にシャルティアさんが座っているのだ。
いつもは自分が座っているお兄ちゃんのお膝なのにシャルティアさんが座っているのだ。
いつもならお兄ちゃんはこっちが何を言うまでもなくさっと抱き上げ時に肩車をしてお膝に乗せてくれるのに何故かシャルティアさんが座っているのだ。
どう考えても異常な事態である。
お兄ちゃんが自分よりシャルティアさんをお膝に乗せることを選ぶのは考えにくいため、シャルティアさんが強いているとしか考えられない。
シャルティアさんは嫌がるお兄ちゃんのお膝に無理やり乗っているのだ。
お兄ちゃんは人間なのにアルベドさんに拾われてアインズ様に認められた。自分と会えば毎回楽しい話をしてくれたり一緒に遊んでくれたりしてくれる。
そのお兄ちゃんに、シャルティアさんは無理やり嫌な事をさせている。
そんな事は絶対に間違いだ。
間違いは正さなければならない。
マーレの信念は固い。間違いを正すためなら少々の事は止む無しと思っている。
今のマーレを姉のアウラが見たら、そーいうとこがめんどくさいと言うだろうが、言って治るくらいならこうなっていなかった。
決意を秘めたマーレに対し、シャルティアは余裕である。
余裕を持って言ってやった。
「こいつが男で、わたしは女だからでありんす。マーレも膝に座りたかったらそっちを使えばいいでありんしょう」
「えっ?」
それはマーレが思ってもみなかった分類であった。
お膝に乗るには男女が対になっていなければならないのであろうか。しかし、そう言われても今まではお兄ちゃんのお膝に乗っていた。男同士である。必ずしも男女が対でなければならないわけではないはずだ。
「「「マーレ様がお望みでしたらどうぞ私の膝をお使いください」」」
「えっ?」
マーレが反論しようとした直前に、エルフメイドたちが異口同音にメイド服のエプロンを摘み上げ波打たせた。
優雅で主人に仕える喜びを感じさせる仕草だったが、シャルティアは難しい顔を見せた。
「お前たち、ちゃんとマーレに尽くしていんすか?」
思ったことをそのまま口にするのがシャルティアである。とは言っても、相手はナザリックの外から来たエルフのメイド。シャルティアでなくとも思ったことを口にしたかも知れない。
問われたエルフメイドたちは自分たちに何か至らないところがあったのかと大いに戸惑う。出来る限りの力を尽くして仕えてきたつもりなのだ。だけれども、シャルティアの目には足りていなかったようだ。
シャルティアの事をもう少し知っていればどういう事かと詳細を問い直したろうが、ナザリックの序列では下から数えた方が早い彼女たちにそんな事は出来ない。
その事を敏感に感じ取ったマーレが立ち上がった。
「みんなはよくやってくれてます。着替えや歯磨きまで手伝おうとするのはちょっと困るけど……。シャルティアさんが心配することは何もありません」
今のマーレはちょっとアグレッシブである。不当な弾圧には頑として抵抗する勇気が宿っている。エルフメイドたちは感動して目を潤ませた。
見ようによっては幼い主人が勇気を振り絞って部下を庇う感動的な場面に見えなくもない。
しかし、マーレの言葉はシャルティアが出した的から大きく外れていた。
「そう言う事じゃありんせん。わざわざナザリックに受け入れたんでありんすから、よく働くのは当然でありんす」
「だったら何ですか?」
両手を上げて大仰に首を振るシャルティアが、マーレにはちょっと気に食わない。ふざけているのか揶揄っているのかと思ってしまう。
シャルティアにはどちらのつもりもなかった。
シャルティア的に極々真っ当な事を聞いたつもりでいる。
「わたしが聞いたのは、マーレに尽くすってとこでありんす。アウラは関係ありんせん。マーレでありんすよ」
「みんなお姉ちゃんにもちゃんとしてくれてます。……お姉ちゃんも時々迷惑そうですけど」
「「「マーレ様!?」」」
「あっ! 時々ですから! 時々、です」
迷惑がられていると聞かされショックを受けるエルフメイドたちに、マーレは即座にフォローしてしまう。そのせいでこれからも過度な世話焼きが続くのだが、それはまた別の話である。
今はエルフメイドたちがマーレに如何に尽くしているかだ。
「だーかーらー、それは当然でありんす!」
「私が整理いたしましょうか」
「お前は黙ってなんし!」
「かしこまりました」
シャルティアに座られる男が口を挟むが、黙っていなければならないようだ。
「そいつらがアウラとマーレによく尽くすのは当然でありんす。そこはちゃんとやっているんでありんしょう? それはわかっておりんす。それ以外にマーレに尽くしているかって事でありんしょうが!」
「それ以外ですか?」
マーレもエルフメイドたちも、シャルティアの話がよく飲み込めない。
シャルティアの椅子は話が見えてきた。以前、アウラとマーレの性別を勘違いしていた事があり、正しく認識してから少し気に掛けていた事である。
「マーレも黙って聞きなんし。わたしが聞いてるのはそっちでありんす」
黙れと言われたマーレ君は、堪忍袋が温まっていたのもあって珍しいことに可愛いお顔の眉間に皺を刻む。次にシャルティアが誰かを虐めるようなことを言ったら、ちょっと強く出ていいよねと決意した。
しかして、シャルティアが口にした言葉はマーレの知識にないものであった。
「お前ら、マーレの童貞を食いんしたか?」
マーレの童貞。
シャルティアが発した真言は、エルフメイドたちの心象をヴァーミリオンノヴァで一切合切を焼き尽くすかの如き効果があった。
三人は無になった。
虚無の世界で、マーレの姿だけが光り輝いていた。
エルフメイドの名前は金茶青をモチーフに適当につけようかと思います