※この作品はR-18です。

アルベドのお食事   作:dolph

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本話10k弱
書くことがわからなくても書けるものは書けるようです
24時間以内の投稿偉い!


氷の熱さ

 男が平和なんだか混沌としているのだか表面上は滞りなくナザリックで過ごすに連れて、堪忍袋が温まっていく女がいた。

 

 滅多な事では表情を変えない女であるため、見ただけでは彼女の胸中が荒れ模様なのは誰も気付かない。言葉を交わしても常と変わらず熱がなく、内心を測りようがない。

 それでは仲間たちとの交流が上手く行かないように思えるが、彼女の仕事はいつだって完璧だった。称賛こそあれ、咎める者は何処にもいない。ナザリックの支配者であるアインズであっても惜しみない拍手を送る。

 しかし、長いおひげをピクリと震わせる者はいた。彼女の仕事に不満はない。けれども彼だけは違いがわかった。わからないようでは今の地位にいない。

 彼女のいつもとの違いが悪い方に出ているなら積極的に関わるが、これはこれで味がある。新しい解釈を実験的に試していると言われれば頷ける。それでも一応一団の長として、何かあったのか確かめる必要がある。

 メンタルヘルスは非常に重要だ。カウンセリングにストレスチェックはしっかり行わなければならない、とはアインズ様の金言である。

 さりとてわざわざ時間をとって面談すると怪訝に思われる。仕事の完璧さと同じくらいに気位が高い女性だ。迂闊な事を言うと仕事に不足があると評価した、と思われかねない。さりげなくいつもと違う事を指摘してみた。

 

「至らない点がございましたか?」

「そんな事はありません。気になっただけですから」

「そうですか。何もありません。強いて言うなら何もない事です」

「そうでしたか。余計な事を聞きました」

「いえ」

 

 何もないのが何もないらしい。何かあったが何もないと言ってるのか、何もない事が問題なのか、彼にはわかりかねた。彼女に話すつもりがない事だけはよくわかった。

 これで仕事に瑕疵があるなら立場上厳しい態度で指導しなければならないのだが、先述した通り彼女の仕事は完璧なのだ。完璧なのに何か気になるから話せと言ってしまったらハラスメントである。アインズが特に気に掛けてる分野だ。絶対出来ない。それ以前にやりたくない。

 それに彼が知りうる限り、おかしなことは何も起こってない。ナザリックでそのような事が起きるわけがないので当然と云えば当然だ。

 やはり、違う解釈を試していると見るのが妥当だろう。最古図書館で読んだ書物に影響を受けたのかも知れない。彼にも似たような経験がある。

 結局、変化が悪い方に向かわない限りいつも通りにするのが一番と判断した。それまでは長として他の者たちと同じように見守るべきだ。

 

 彼はそうして引き下がったわけだが、彼女の堪忍袋は温まっている。そこまで見抜かなかったのは幸いだった。もしもそれを指摘してしまえば、彼女は意図せず彼を凍り付かせたことだろう。

 あるいは雑談ついでに最近の変わった事を話していれば解決したかも知れない。残念ながらそうはならなかった。あちらは忙しいらしく、挨拶以上の事は何もなかったのだ。

 

 彼女は自身の立場を弁えているので、シズほどには思わない。あそばれたとか捨てられたなどとは言語道断だ。そんな事は絶対させない。彼女はシズほど甘くない。

 自分のところに顔を出すべきだと思っている。そのための仕掛けを施した。仕掛けが作動したのも確認した。なのに何もないとはどういう事か。何の音沙汰もないなら見込み違いだったと思うだけだが、手掛かりがあった。

 新しいものを求めるなら予備を求めたと思うが、大きさが異なるものは自分で使うものではない。大きさに相応しい者に使わせるためだ。それを己の代わりに使うのか。自尊心を傷つける事甚だしく、非常に腹立たしい。

 顔を出すなら弁明を聞くが、それもない。結果として堪忍袋がひたすら温まっていく。堪忍袋は温まるのに発するのは零下の冷気である。

 それが暴発したのは偶然だった。シズが遠因であるとも言える。

 

 シズの仕事は散歩である。正しく述べるならギミックの点検だ。シズはナザリックの全ギミックを把握している。シズにしか出来ない仕事だ。しかし、毎日行う必要はない。現実的でないし数があるため物理的にも不可能だ。点検は月に一度でも多すぎる。よって重要度に応じて点検頻度を変え、最重要ギミックは月に一度点検を行う。きちんと点検計画や点検結果を文書にして提出している。結果はいつもオールグリーンの異常ゼロ。わかりきった結果でもシズは手を抜かない。異常がない事を確認するのが仕事である。

 毎日のんびりお散歩しているように見えて、シズはきちんとお仕事をしているのだ。それはシズが暇であることを否定しない。基本的に時間が余っている。

 現在は幸いなことにおもちゃを、もとい守護者統括相談役殿のお手伝いをすることになった。主に荷物運びを手伝う。その対価に動物性タンパク質の提供を受ける。

 濃厚な動物性タンパク質と言えども、それだけでシズの食事を賄えるわけがない。特製甘々ドリンクが毎食必要だ。皆は敬遠する甘々ドリンクを相談役殿は飲んでくれるのも嬉しい。一人寂しくチューチューする羽目にならない。しかしながら、味わわずに喉へ流し込むのは褒められない。折角美味しいのだからじっくり楽しむべきだ。そう指摘すると「甘すぎて飲めない」と返ってきた。ドリンクの価値を台無しにする評価である。シズはチョップで制裁した。「カロリーが欲しいだけならラードを飲んで豚になれオス豚野郎」と言ってやった。相談役はそれはさすがに嫌らしく、素直にごめんなさいと頭を下げた。それでもやはり甘すぎると主張し、ドリンクに柑橘系の酸味を足すことを提案してきた。シズも試してみると、それなりであった。飲めなくはない。

 という事があると云うことは、シズは相談役と食事を共にしていると云う事だ。放っておけば10秒で食事を終えて読書に戻る男である。シズは男に真っ当な生活を与える重しをしてやっていると言えなくもない。食事もきちんとレストランに連れてくる。図書館で10秒チャージばかりではいけないのだ。

 

 そのレストランで偶然遭遇した。

 

「あ」

 

 と発言したのはシズである。男は席についたまま本を開き、シズのチューチューが終わるのを待っている。

 シズが上げた声を聞き取った彼女は二人が座るテーブルに目を向け、一瞬で白く煙った。近くにはシズと男以外に誰もいないのが幸いした。レストランの混雑を避け、彼と彼女らはアイドルタイムに利用する。

 煙ったのは彼女が煙に変じたわけではない。空気中の水分が冷却され凍りついた。二酸化炭素も凝固する。酸素と窒素が液化するまではならなかった。

 彼女は自ら発した冷気による環境の急変で軽く咳き込み、二人のテーブルに近付いた。

 

「同席してもよろしいでしょうか?」

「うん」

 

 男は本に目を落としたまま。彼女がテーブルにトレイを置いても無反応。存在に気付いてないらしい。あれだけの冷気に晒されたら気付きそうなものであるが、彼は耐炎耐氷のブレスレットを身に着けている。離れたところから発した冷気では、ブレスレットの抵抗力を突破出来なかった。

 彼女が閉じた目を開いて男を見る。それを見たシズは男から離れた。あれは冷気ではなく視線で凍らせる邪眼だ。石化の邪眼ならず氷化の邪視と言うべきか。どうしてこの男は気付かないのだろう。おそらく神経が死んでいるのだ。

 

「相談役殿」

「……」

 

 反応がない。

 

「本を読んでる時に話しかけても無駄。叩かないと気付かない」

「それでは私の食事が終わったらシズ様にお願い出来ますか?」

「うん」

 

 彼女はひとまず食事を取ることにした。深皿に綺麗に盛り付けたスパゲティにフォークを刺して眉根を寄せた。フォークが刺さらなかった。先の冷気でカチカチに凍りついている。アップルタイザーも凍っており、グラスを逆さまにしても出てこない。色とりどりの野菜サラダも瞬間冷凍だ。

 

「……交換する?」

「そんな事をしては料理長に怒られます。このまま頂きます」

 

 スパゲティとサラダはナイフとフォークで切り分け、ドリンクはスプーンでほじって食べた。いつもより食事に時間が掛かったのは仕方ない。ナザリックのレストランが提供する料理なのだから凍っても美味しい。冷たすぎるのは、氷の悪魔である彼女には関係ない。温かいものも美味しくいただけるのは余談である。

 

「シズ様、お願いいたします」

「ん」

 

 シズは男が開く本を取り上げ、襟首を持ち上げ椅子から立たせた。エイグハッ!

 そして鳩尾に拳を叩き込む。小さくて可愛いシズが殴ったところで痛くなさそうだが、本当はとっても強いシズにやられたら痛いでは済まない。痛いで済ませられるのはナザリック特製ジャケットのおかげである。

 

「一々叩かないでください。椅子から立たされた時点でわかりましたから」

「やっぱり殴って正解だった。まだわかってない」

「何がです?」

 

 読書を中断させられる度に叩かれる男は堪ったものではない。夢中になってしまうのは悪いかも知れないが、もっと穏便な方法があると主張する。しかし、まだわかってないらしい。何がと聞き返し、シズの視線を辿って、ようやく気付いた。

 

「とても長くご無沙汰しております」

「セシルさ、ん……」

 

 氷の女悪魔が発する氷化の邪視は、男にも効果があったようだ。

 凍りついた男には反論が出来ず、男について回るだけのシズも異論はない。

 一同は一旦音楽室に寄ってから、楽器の練習室に場所を移した。

 

 

 

 

 

 

 男は音楽室に立ち寄る頃に自律運動を取り戻していたが、セシルの雰囲気が反論を許さない。常に冷気を発しており、言葉が耳に届く前に凍りついてしまうと思われた。

 言葉を届けられるようになったのは練習室に入ってからだ。

 

「セシルさんにお聞きしたいことがあります。以前、頂いた譜面についてです。あれは一体何ですか! どれも二人で弾くものばかりじゃないですか!」

「そう仰る割にはこちらに顔を見せませんでしたね」

「先日ご挨拶に伺いました。楽団長にはお会い出来たのですがセシルさんは不在だったのです」

「……そうでしたか」

 

 セシルの冷気が収まったのは、彼女の感情と関係があるかどうかはわからない。ケースから楽器を取り出したため、悪影響がないよう抑えたのかも知れない。

 尤も、その話を楽団長がセシルにしていれば、先の昼食が冷凍食品になることはなかっただろう。

 

「複数のギターで弾く楽曲です。それ以上でもそれ以下でもありません。それが何か?」

「私一人では弾けないと言ってるんです」

「二人で弾けば良いのでは?」

「エ・ランテルにはギターを弾ける者が私しかいないんですよ。ですので、素質がありそうな者に教え始めたところです」

 

 セシルは調律していたギターから顔を上げた。セシルは楽器の調律に音叉を使わない。Aの440Hzを1Hzの狂いなく合わせられる。前回使ったのは男に教えるためだ。

 

「相談役殿に素質の有無がわかるのですか?」

「リズム感があることと体を動かすのが得意であることは確認しています」

 

 シズは椅子に座って脚をプラプラさせている。二人の話には加わらず、どちらに味方することなく聞くだけだ。けれども心情はセシル寄り。この男はやっぱりバカと再確認した。

 二人で弾く譜面を渡したなら、一緒に弾きたいと云う事に決まってる。それを一人で弾こうとする男がバカなのだ。加えてセシル以外の誰かを選んでギターを教えるとはバカの上塗り。バカにバカを掛けても複素数が存在しないのでプラスにはならず、大馬鹿になるだけである。

 

「その程度で素質があると言って欲しくありません。もっと言えば、相談役殿もまだまだ未熟です。練習はしていますか? 今回ナザリックに来てからは一度も触っていませんね?」

 

 先日音楽室に来たようだが、話からすると挨拶だけで終わったようだ。続いて訪問していればセシルの目に留まる。それがないのだから来ていない。相談役がどこかでギターをかき鳴らしているとも聞かない。毎日練習すべきなのをしていない事になる。

 

「実物には触っていません。ですがイメージトレーニングは欠かしません。セシルさんに見せて貰った譜面は全て弾けるようになりました」

「豪語しますね。それではお聞かせください。曲目はロマンスを」

 

 調律したギターを男に手渡す。

 練習の成果を見せろと言うならやぶさかではない男であるが、ロマンスと聞いて面食らった。

 ロマンスは別名を禁じられた遊び。クラシックギターの入門曲の一つに挙げられることもある楽曲だ。本当の初心者には敷居が高くとも、レイエンダすら弾けるようになった男には難易度が低すぎる。

 

「本当にロマンスでいいのですか? セシルさんに聞いてもらおうと思って大聖堂をアレグレットまで弾けるようになりました」

「……それは後で聞かせていただきます」

 

 男の予想通り、大聖堂のアレグレットはセシルの好みだ。自分のことを考え、自分のために練習を重ねたと知るのはとても気分が良い。生憎、セシルの心情は誰にも伝わらない。セシル自身も伝えようとは微塵も思わない。

 男は足台に左足を乗せ、左の太ももにギターのボディを乗せた。セシルが調律したばかりなので音に狂いはないとわかっているが、一応六弦から一弦まで一本一本鳴らして音を確かめる。おかしくはない、程度しかわからない。セシルの耳が1Hzまで聞き取るなら、この男はプラスマイナス50Hzの誤差が出る。そこまで狂えばおかしいことはわかるのだが、どうおかしいのかまではわからないのだ。

 

「ロマンスをお聞きください」

 

 ロマンスはEmで始まる。どこか物悲しいメロディーだ。それが後半のEMになると一転して明るい曲調となる。

 弦を押さえる左手も弦を弾く右手も運指も流れるように淀みはない。難易度が低い曲であり、男はギターをセシルに習ったその日に弾けるようになった。それから何度も弾いている。今更失敗することはない。

 短い曲である。弾き始めてから弾き終えるまでに劇的な何かが起こることはなく、男はロマンスを弾き終えた。

 シズはパチパチと拍手を送った。セシルの表情は変わらない。拍手をすることもない。

 

「次に私が同じ曲を弾きます。相談役殿はしっかりとお聞きください」

 

 セシルのドレスは鮮やかに青いワンピースドレス。スカート部は細く見えるが、脚を開いてギターを構えるのに問題はない。ナザリック製のドレスなので伸縮性が凄いのだ。

 付け爪装備でギターを弾く男と違い、セシルは自前の爪で弾く。ドレスよりも青い爪は塗っているのか彼女自身の色なのか。

 セシルはEmのコードをジャランと掻き鳴らし、余韻が完全に消えてから弾き始めた。

 

(おお!)

 

 セシルと同じく無表情で知られるシズは、内心で唸った。男と同じ曲を弾いているのに全然違うのだ。どう違うのか具体的に表せない。あえて言うなら音色が豊かだ。同じ曲なのだから音域は同じ。使ってるギターも同じなのだから音の響き方が極端に変わるわけがない。それなのにどうしてこうも違うのか、シズには全くわからなかった。

 シズにわからない事が男にわかるわけがない。目と口を大きく開いてセシルの演奏に見入っている。

 

 二人とも、セシルがヴァイオリンで曲を弾くのを聴いたことがあっても、ギターを奏でるのは初めて聴く。

 前回のギター教室でのセシルは、コードを鳴らしたり楽曲の主旋律を追うだけだった。他には基礎練習で指の動かし方を実演しただけだ。曲を通して弾くことは一度もなかった。

 

「如何ですか?」

 

 セシルは余韻が消えるとギターをスタンドに立てる。変わらぬ表情でそう言った。

 シズは椅子からピョンと飛び降り、椅子に座るセシルの右手を高く持ち上げた。

 

「優勝。スコアは100対0」

「そこまで酷くないでしょう!?」

「曲にはなっていましたので、70はあげても良いでしょう。ギリギリ及第点です」

 

 セシルが僅かに口角を上げた。

 

「シズ様には私と相談役殿の演奏が違うことをわかっていただけたようです。相談役殿は如何ですか?」

 

 言外に「わからないような無能ではないでしょうね」と聞こえたのは男の幻聴か。

 

「セシルさんの演奏の方が優れていました。一体何が違うんですか? 私は譜面通りにミスなく弾いたはずなのですが……」

 

 男は素直に頭を垂れ、敗北を認めた。こんな事で張る意地はないし、優れた教えを受けられるならいくらでも頭を下げられる。命じられたら靴さえ舐める。

 

「そこが問題です。相談役殿は確かに間違えませんでした。ですがそれだけです。正確な音を出しさえすれば曲になるとお思いでしたか?」

「……そう思っておりました」

「音楽を軽く見ないで頂きたいです」

「そんな事はけっして!」

「ご自身の未熟をおわかりになりましたか?」

「…………はい」

 

 一端の演奏者のつもりでいようと、専門家からすればまだまだであった。器用で上手いが、それだけだ。そしてそこにある壁は簡単に越えられるものではない。独力ではほとんど不可能である。

 

「ねえねえセシル、何であんなに違う?」

「相談役殿は譜面が読めないだけです」

「!?」

 

 シズは小首を傾げるだけであったが、男が受けた衝撃は凄まじいものであった。

 譜面に書いてあるのは、音高とリズム、テンポや音の大きさなどであって、それは全て読めるようになった、はずである。記憶を辿って譜面を見返してもそれ以外のことは書いてない。それなのに読めてないとはどういう事か。

 

「相談役殿は読めるつもりでしたでしょうが、それは単に読んでいるだけです。書かれたことの意味がわかりますか?」

「いみ?」

 

 シズは理解を投げた。自分が関わる分野ではない。

 問われた男は固まった。イミ、いみ、意味であると察せられる。譜面に書かれたものの意味とは、意味不明である。

 

「おわかりにならないようですね。例えるなら……、相談役殿の理解は書かれた文章を正しく発音できる。そこで止まっています。文章の意味がわからなければ読む価値がありません。おわかりですね?」

「……その通りです」

「楽譜も同じです。文章も意味がわからなければ読む価値がないように、楽譜の意味もまた正しく読み取らなければなりません。相談役殿はそこが全く出来ていません」

「そんな…………」

 

 男はよろめいて、床に膝をついた。手まではつかない。縋るようにセシルを見上げる。

 セシルは無表情を綻ばせ、男に目線を合わせてやった。

 

「それを学んでいただきたいと思うのですが、相談役殿はお忙しいようですね」

「こいつ、結構暇」

「なんてこと言うんですか!」

 

 セシルにやり込められた不満はない。カチンと来たのは暇人呼ばわりだ。どいつもこいつも指差して暇人と呼ぶ。頭の中は常に動いているというのに。自分がわからないことは存在しないと言ってるも同然だ。なんと狭量な事だろう。嘆かわしい限りである。

 

「相談役殿がお忙しいか暇であるかは関係ありません」

 

 だったらどうしてお忙しいなどと言ったのか、とは男もシズも言わなかった。

 

「相談役殿に学ぶ意欲があるかどうかです。学ぶつもりはおありですか?」

「当然です!」

 

 男は力強く答えた。まだ得ていないものを与えてくれると言うなら反対するわけがない。

 

「でしたら定期的に通って頂きます。一つ教えたらどうにかなるものではありません」

「それは……」

 

 今度は即答しかねた。

 ナザリックにいるセシルに教えを乞うには、ナザリックを訪問しなければならない。エ・ランテルに詰める立場上、難しいと言わざるを得ない。今はソフィーの監視ということで滞在しているので例外なのだ。

 

「週に一回はシャルティア様に呼ばれるらしい。その時に習えばいい」

「なっ……」

 

 シズはあっさり男を売った、とは思ってない。知ってることを話しただけだ。

 

「重畳です。シャルティア様の御用が済み次第いらしてください」

「…………わかりました」

「不満そうですね?」

「そんなことはありません! セシルさんから教えを受けられることに感謝しています」

 

 感謝しているのは本当だ。しかし、自分の時間が切り分けるように減っていくのはどうしたことか。

 セシルの教室の詳細を詰め、シャルティアから開放されたらセシルの時間に合わせて最低2時間は学ぶことになった。

 そしてその都度シズか誰かに捕まるのである。少なくとも半日は拘束されるのが目に見えていた。

 

「今回はここまでにしましょう。相談役殿は私が贈った譜面をよく復習してください」

 

 セシルは追加で罠を掛けた。男が一人で譜面とにらめっこしても絶対辿り着かないが、セシルが贈った譜面には道すらない。贈ったのは大衆音楽の譜面ばかりなのだ。必要なのはクラシック音楽の譜面である。

 セシルが披露したのは音楽理論に基づく楽譜の分析を形にしたものだ。大衆音楽には必要ない、とまではいかないが重要度が違う。音楽と大きく括るとわからない。クラシック音楽とは、すなわち宮廷音楽である。宮廷と大衆とするなら両者が絶対的に違うことは明らかだ。言うなれば宮廷料理と定食屋の名物料理のようなもの。どちらも美味しいにせよ、必要な技法が全く違う。

 セシルは男へ技法を教えるつもりでいた。音楽理論までは教えない。教えていたら時間がいくらあっても足りなくなる。技法であれば、楽曲ごとに教えてやればいい。教えるのは曲のピークがどこに来るか、主旋律とベース音の対比をどうすべきか、など様々だ。そして楽曲は無数にある。男が覚えたギター曲を解くだけで何年も掛かるだろう。いつになっても終わりはない。しかし時間は幾らでもある。

 そうと知らない男は呑気なものだ。

 

「そのことですが、折角セシルさんとお会いできたのですから私とギターを合わせていただけませんか?」

 

 ギター二本で弾く曲がどのようなものであるか聴きたくて、クレマンティーヌに教え始めた。けどもセシルがいるなら今すぐにでも合わせられる。クレマンティーヌの教育に手を抜くつもりがなくとも、すぐに聞けるなら聞きたいのだ。

 

「ここにはギターが一本しかありません。元より使う者が少ない楽器です。相談役殿が次にいらした折にお持ちください」

「……わかりました。楽しみに待っております」

「くれぐれも練習を欠かさないように。私は音楽室に戻ります。お二人が練習室を使用するならこのままにしておきますが?」

「いえ、私も戻ります」

「そうですか」

 

 セシルは無表情でギターの弦を緩め、ケースに仕舞う。

 右手にギターケースを吊るし持って音楽室に戻るセシルの後ろ姿は、いつもと全く変わらなかった。付き合いが浅いシズにわかるわけがなく、付き合いが短い男にはもっとわからない。セシルの同僚である楽団員たちもわからないだろう。プレアデスの姉妹がシズの表情から心境を読むより遥かに難しい。

 しかし、楽団員たちはこの二人よりセシルのことを知っている。目を閉じて無表情を貫き、感情を伺わせないセシルは、あれで感情豊かなのだ。そうでもなければあれほど豊かな音色を奏でられない。

 

 男は難しい顔でセシルの後ろ姿を見送る。教えを受けられるのはありがたいが、どうしてこうも時間を削られるのか納得がいってない。

 傍らのシズはピンと来た。セシルが思う深いところはわからないので的外れかも知れない。しかし、自分には義務がある。アルベド様から直に賜った言葉を伝えなければならない。

 シズは男に少し待つよう言ってから、遠ざかるセシルを追いかけた。

 追い付き小走りになって、ワンピースドレスの裾をそっと引いた。

 

「シズ様、まだ何か?」

「耳」

「?」

 

 背が小さいシズに合わせ、セシルは少し屈んで耳を向けた。

 シズは筒状にした両手で口を覆い、セシルに囁いた。

 

「アルベド様が仰せでした。相談役殿については我慢しなくていいと」

 

 セシルは閉じた目を大きく見開き、シズを見る。

 赤い目に射抜かれたシズは動じない。アルベドはその通りのことを自分たちに言ったのだ。ナザリックの仲間をこんな事で謀るわけがない。

 

「……相談役殿へは適切に指導します。アルベド様のお言葉は確かに。お伝えくださってありがとうございます」

「ん、またね」

 

 とことこと来た道を戻るシズへ、セシルは頭を下げた。

 

 

 

 楽団員たちでもセシルの胸中は伺えない。黒猫楽団長でも何となくだ。

 それよりもコキュートスの配下である雪女郎たちの方がわかるかも知れない。

 

 ナザリックのフロスト・ヴァージンたちとは関係ないが、雪女には様々な伝承がある。中には人間の男と子供を作ったと伝わるものもあった。

 氷の女怪は情が厚いのだ。代わりに裏切りは絶対許さない。

 セシルがどうであるかは、セシルだけが知っている。




そして次に何書けばいいのかわからない
そしてとても暑いです_(:3 」∠)_
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