情報共有
クライムが王都から姿を消した。何の予兆も書き置きも言伝もなく、ある日突然いなくなった。
日毎に治安が悪化している王都を時間が許す限り巡回していたクライムだ。事故か事件に巻き込まれでもしたら、現在の王国では城下で何かあったとしても把握しきれない。クライムの命は闇から闇へ、となってしまった可能性は否定出来なかった。が、高いとは言えない可能性である。
クライムは日々の修練を血肉とし、若年ながらも王国騎士の中では頭一つ抜けた実力を持っている。かつての王都では八本指なる犯罪組織が力を振るっていたが、今はもうない。犯罪は増え続けても食うに困った者たちが手を出しているのであって、組織的な動きはなくなった。クライムをどうにか出来る犯罪者集団は王都にはもうないのだ。
とするならば、クライムは自発的に王都を離れた事になる。
クライムは大恩ある王国を捨てた。命を救ってくれた王女を裏切った。
あんなにも贔屓されて取り上げられていたと言うのに、薄汚い野良犬はどこまで行っても野良犬に過ぎなかったのだ。
とする風聞が流れる中で、王女だけは違う事を知っていた。
目を閉じ耳を塞ぐ者たちでは気付かなくて当然だが、一か月以上も前からクライムの様子がおかしかった。
日毎に深まっていく焦燥感と罪悪感。それらに隠れる大きな喜び。
王国戦士長であったガゼフが蘇ってクライムに指導をしていたのであれば、クライムの態度は頷ける。
ガゼフは魔導王に死を与えられ、ラキュースの魔法では復活させられなかった。復活を阻害したのはガゼフの遺志か魔導王の魔法によるものかまでは判別出来ないが、ラキュースでは不可能だった以上、真っ当な方法で復活させることは出来ない。知られざる外法に寄るものだとしたら、誰がクライムへそれを齎したのか。どこにそんなものがあるのか。
そんな事を思い付きはしても即座に却下した。
仮にガゼフが復活したのだとしたら王の前に姿を現さないのはおかしい。アンデッドとして蘇ったのなら姿を隠すだろうが、それではクライムの出奔に繋がらない。
次に思い至ったのはラキュースたち。
王国のアダマンタイト冒険者チームであった蒼の薔薇は魔導国に取り込まれた。それでも王国に残した情があるのだろう。彼女らは表立って王国に姿を現せないため、密かにクライムと繋ぎをとって何かしらの情報を齎した可能性はゼロではない。王国に不利な情報を得たのならば、焦燥感が募っていくのは無理もない。これが一番尤もらしい。が、瑕疵がある。
ラキュースたちが接触したならクライムは必ず自分に伝えるはず。口止めは考えにくい。クライムが自分とラキュースたちを天秤に掛ければ、絶対に自分に傾く。傾ける何かがあったはず。
そもそもクライムに価値はない。目を閉じ耳を塞ぐ王国の愚者たちではクライムの価値に気付けないのだ。愚か者たちはめしいた目で見えるものしかわからない。故に、クライムに見えるのは王女との繋がりだけとなる。
しかし、王女であっても王国での立場は些細なもの。政治権力はザナックに集中させている最中だ。働き掛けるなら向こうである。よって、王国内の動きは無関係となる。他国ならクライムの存在すら知られていない。
推論に推論を重ねてもクライムが人知れず出奔した理由に辿り着けない。兄が出した謎掛けは解けそうになかった。
過程はわからずとも答えは最初からわかっていた。兄が手を回したのだ。
兄が私に向ける感情は、圧倒的な無関心に僅かな憎悪と嫌悪に同量の感謝。それと、ささやかな愛着。
あれは愛ではなかったかも知れない。けれども、愛であったと言わなければ説明がつかない。私は兄に愛されて、私は兄を愛していた。
離れたことで幽かな感情は薄れていくかも知れないと危惧していたが、自分と同じように想いが募っていくのは嬉しい誤算だった。
だからこそクライムを引き離したのだ。私を独占したいが故に。
兄の想いに心も体も炙られる。
現在はザナックに権力を集中させているところで、魔導国との決戦で王国を壊滅させる準備が整いつつある。
その日を見極めて父王を弑せば、晴れて魔導国の奥深くに迎え入れられる。遅くとも後一年は掛からない。
だが、兄がそれほどまで想ってくれているとなると、それまでに会いに来てくれるだろう。
「もう少しです。もう少しですね。早くお会いしたいです……」
自室の真下に隠れる石の部屋にて、ラナーは夜着の裾をそっと割った。
▼
一方その頃、実の妹に想われている兄は書斎にて自称妹たちに挟まれていた。
「先日のアルベド様はどのようなご用件だったのですか?」
「おにーさんは珍しい顔してたっすよ。怒られたんじゃないんすよね?」
「ソフィーもいましたわね」
「アルベド様もソフィーちゃんもにっこにこだったっすよ? なんだったんすか?」
男が義理の妹とも認めていない妹たちはソリュシャンとルプスレギナである。
書斎のソファーに並んで座るのは珍しい事ではないが、右腕はソリュシャンが、左腕はルプスレギナが腕を絡めて乳房に挟む。これが肩を抱かせるとなればソリュシャンがピンク色の瘴気を漂わせてルプスレギナが追従し、押し倒すか押し倒されるかになる。
現在のは、「当ててんのよ」ではなくて、「逃さないわよ」である。
「それは、だな……」
二人の言葉が何を指しているかわかっても、男には答えられない質問であった。アルベドが秘密と念を押したのだから話せるわけがない。念を押されなくてもアルベドと結婚したと言えるわけがない。
文字通りに身に余る光栄であって、未だ自分がアルベドの夫になっていいものかどうか疑問である。
子供を作ったのは事実で、ソフィーは間違いなく自分の娘だ。そしてアルベドがソフィーを産むところをその目で見ている。ソフィーはアルベドと作った子供であるのは確かなことであって、そのあたりは何千回も自問自答して飲み込んだ。
体の中に入れてしまったので結婚指輪は確かめられないが、確かにアルベドと指輪を交換して永遠の愛を互いに誓った。
と云う事を話せるわけがない。
話す許可を得たとしても、予てから結婚がどうのと言ってるソリュシャンを刺激するのは得策ではなかった。
しかし幸いなことに、と云うか不幸な事なのだが、二人に話せる事もあった。
男は重々しく頷き、口を開いた。
「折角だ。二人に相談したいことがある」
「何でも仰ってください!」
「えー、面倒はいやっすよ?」
「聞いてきたのはルプーだろうが」
「それはそうっすけど。おにーさんでもわからないことなんすよね? そんなの絶対面倒に決まってるじゃないっすか」
「ルプー姉様はお兄様のお力になりたくないそうです。私はけしてそんな事はありません。お兄様、どうかソリュシャンに全てお話しください」
「ちょちょちょ、ソーちゃん何言っちゃってるんすか! おにーさんの話は難しそうって言ってるだけっす! 別にいやじゃないっすよ? でも解決できるかどうかは別っすからね」
「意見を聞きたいだけだからそこまで求めてないよ。で、話していいかな?」
性悪姉妹は顔を見合わせてから男の顔を覗き込み、力強く頷いた。
「ではまず二人に当事者意識を持ってもらうためにたとえ話をしよう」
性悪姉妹の頬がちょっぴり引き攣る。この男のたとえ話は毎回ろくでもない話になるのだ。何度も経験しているので間違いない。今回もその通りだった。
「ソリュシャンとルプーは恐怖公さんと熱烈に愛し合ってる相思相愛の関係である」
ソリュシャンの微笑がピキリと固まり、ルプスレギナの笑顔が剥がれ落ちた。
ドアの前で控えるミラはそっと目を伏せる。どのような惨劇が起ころうとも見て見ぬ振りをするために。
「と、アインズ様が誤解していらっしゃるとする」
二人の顔が壮絶に歪んだ。
ミラは目を開いて窓の向こうを見た。自分が例えに挙げられなくて良かったと思っているかどうかは定かでない。
「たとえ話の中でもお兄様がそう思っていらっしゃるわけではなく、私が恐怖公とそうなわけでもなく、あくまでも誤解なのですね?」
「だからそう言ってる。誤解されてるだけだ」
「誤解されているのはアインズ様だけなのでしょうか?」
「始めはそうだったが、アインズ様は守護者の方々の前で公言為さった」
「なんてこと…………」
ソリュシャンはくらりとよろめきソファーの背もたれに体を預けた。
ルプスレギナは静かなままだ。どうしたのかと男が見れば、魔改造メイド服の大きく開いた襟元で、胸の谷間に鳥肌を浮かべていた。
「アインズ様がただ誤解為さってるだけならいいが、二人のために恐怖公さんとのデートをセッティング為さってしまった」
ソリュシャンの顔が難しそうに歪む一方で、男は左腕に小さな震えを感じた。ルプスレギナは蒼褪めて震えるほど嫌であるらしい。
「まだ先がある。アインズ様はその後で二人に恐怖公さんと同棲したらどうかと勧めてくるわけだ。これについては互いの立場や仕事があるから完全な同棲生活は無理だが、色々特例措置を講じて半同棲くらいなら、と提案してくださっている。で、そんな事になったら二人はどうする?」
「どうする、と仰られましても…………」
本当は好き合ってない。誤解されてるだけである。しかし、誤解していらっしゃる方が大問題であった。
言葉に詰まるソリュシャンと震えるルプスレギナを見て、男はそこまでの事かと首を傾げた。
二人は恐怖公の見た目が得意ではないらしいので例えに挙げたわけだが、実際に会ってみた恐怖公はとても紳士的で博識な方だったのだ。
シャルティアのお手伝いと言う名目で行われるマッサージという建前で週に一度ナザリックを訪問出来るようになり、恐怖公の守護領域がナザリック第二階層にあることもあって何度か言葉を交わす機会があった。
その際に素揚げして試したいので何匹か眷属を融通してもらえないかとお願いしたところ、残念なことにあっさりと断られてしまった。これはエントマに分けてもらうしかないかと思っていたのだが、そのエントマは恐怖公のところに遊びに行ってもおやつを確保しなくなったらしい。曰く「おにぃちゃんからごはんもらえるしぃ」であるとのこと。エントマは恐怖公にその事を伝えたようで、恐怖公から礼を言われてしまったりした。
ご褒美やらポーションとのトレードやらで腕や脚を提供してきたのが裏目に出た。コックローチの供給ルートがなくなってしまったのだ。
未だにオーガの骨髄は入手出来てない。ビーストマンのお肉はアウラから厳禁と言い渡され直属の部下に見張られている。
ガストロノミーとはかくも困難なものなのか。カエルやカタツムリは大丈夫なのに、どうして亜人やコックローチは駄目なのだろう。
「でもそれ誤解っすよねアインズ様にこっそりお話して誤解だってわかってもらえばいいんじゃないっすか?」
「ルプー、痛い。力を弱めろ」
「おにーさんが変な話するからじゃないっすか!」
何とか口を開けているソリュシャン以上にルプスレギナは嫌であるらしい。震えが止まりはしたものの、目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「ルプーの意見に賛成します。アインズ様にお話して誤解を解くしかないのではないでしょうか?」
「それは俺も考えたが、守護者の方々全員の前でお話なさってるんだ。アインズ様から特別に頂ける褒美を要らないと言えるか? 内容がなんであれ、そんな事言ったら二人だって怒るだろう?」
「それは………………。その通りでございます」
「うぅ…………、それは、そうっすけど……。でもぉ……!」
「でも?」
「でも誤解なんすよ!? 嫌なもんは嫌なんだから仕方ないじゃないっすか!」
「その嫌なものを避けるために相談してるんだよ」
男が重い溜息を吐いて、二人は目を瞬かせた。
今のはあくまでたとえ話。当事者は自分たちではなくてこの男である。
この男なら恐怖公とルンルンデートを楽しみそうだし実際にやっていたりするのは二人は知らない事であるが、この男にとっての恐怖公的存在がいる事になる。二人には全く思いつかなかった。
「誰なのですか?」
「何がだ?」
「おにーさんの相談っすよ? 今のはたとえ話っすよね。おにーさんがデートしたくないのは誰なんすか?」
「ああ……」
男は重い溜め息を重ねてがっくりと頭を垂れた。
「妹だ」
「妹!?」
ルプスレギナが目を丸くする一方で、ソリュシャンは勢いよく立ち上がった。
「私という妹がありながら妹とはどういう事ですか!?」
「お前は一体何を言ってるんだ?」
「常々思っておりました。お兄様は妹を増やし過ぎです! この前なんて何とかティーヌを妹にしたではありませんか! あんな貧相な幼女はお兄様の妹に相応しくありません!」
「お前は本当に何を言ってるんだ……」
クレマンティーヌとは双方の合意に基づいて義兄妹になったわけだが、それ以外は全て自称である。マーレの言葉を借りれば、年が上に見える男の人だから、と云うことになる。
が、ソリュシャンはそうではなかったらしい。ルプスレギナとしては願ったり叶ったりである。
「ソーちゃんはおにーさんの妹でいたいみたいっすよ? 私がおにーさんのお嫁さんになるからソーちゃんはちゃんと妹になれるっす。良かったっすね」
「良くないわ! 何を勝手に言ってるのよ!」
「いもーといもーと言ってるのはソーちゃんじゃないっすか」
「私が言ってるのはそういう事ではないわ!」
「おにーさんの妹は自分だけがいいんすよね! ずっと妹でいればいいっすよ。私がおにーさんのお嫁さんになればそうなるんすから」
「お兄様の第一夫人は私よ!」
「何勝手な事言ってるんすか!」
ガチガチにやり合う性悪姉妹だが、これでもいつもは仲良しである。
姉妹の絆を確かめあってる二人を措いて、男は傍観するミラに水を向けた。
「ミラはシャルティア様から伺っているか?」
「はい。シャルティア様が仰せの言葉をそのままお伝えいたします。『お兄ちゃんは実の妹とセックスしまくりでありんした。流石の3,500レベルは伊達ではありんせん。お前らも見倣いなんし』と」
ご主人様にくっついて週一でナザリックに戻っているミラである。性欲と食欲にかまけてお屋敷に閉じ籠っているソリュシャンとルプスレギナと違って情報通であった。
男がうへぇと嘆息する横で、ソリュシャンは脳髄にドラゴン・ライトニングを受けたが如く今までの色々が繋がった。
幼い頃に顔を焼かれてずっと閉じ込められていた。アルベド様はご存知。何年間も絶世の美少女とセックスしまくり。王国の王女と子供を作ったら奇胎になる可能性が高い。どちらも正常だが組み合わせが悪い。
そして、妹。
全部一つに繋がった。
「お兄様は王国の王族だったのですか?」
「デミウルゴス様も同じ事を指摘されたが違う。あれとは異父兄妹だ。俺は王統じゃないよ」
「え? 誰のことっすか?」
ルプスレギナもソリュシャンと同じ情報を得ている。得ていなくとも、この場の対話で答えは出るはず。現にミラは彼の妹が誰であるかを察した。
なのにルプスレギナはピンと来ない。ミラの旧女主人と違っておバカなわけではなく、刺激的なたとえ話で一時的にSAN値が下がってるのだ。
「王国の第三王女、ラナーのことよ」
「あーーー、あれっすか。王国で見つけた協力者っすね。そのうちナザリックに迎えるって聞いてるっす。……あれ? じゃあおにーさんはナザリックに住むようになるんすか?」
「お前は俺の話を聞いてたのか? 一緒に住む事はない。が、アインズ様が色々と特別な措置を講じてくださってだな。それで、だな……。その前に顔見せをどうのと仰ってくださってだな……。はぁ……」
両手の拘束が解けたので、男は項垂れた頭を抱えた。
アインズ様が仰った事であろうと、ルプスレギナが言ったように嫌なものは嫌なのだ。全身を毛虫に這いずり回られるような悪寒が走る。ぞわじわするだけならまだしも、毛虫の棘が刺さると痒くなるのだ。そしてその向こう側でしか得られないものを知ってる事が自己嫌悪を伴って苛んでくる。
いっそ密かに死んでてくれれば嬉しいのだが、あれは曲がりなりにもナザリックの協力者である。不慮の事態が起こらないようにと監視を兼ねて護衛が派遣されているらしい。
クライムがいれば目を逸らす事が出来たろうに、何故か王国を出奔して魔導国に来てしまった。
どうにもならない。最早自分では解決不可能である。一縷の望みを託して二人を見るが、出て来た案は検討済みだった。
「アルベド様はなんと仰せなのですか? お兄様はアルベド様の相談役ですから、アルベド様はお兄様のお気持ちを無下には為さらないと存じます」
「……アルベド様にはもうお話してある。始めはアインズ様のお優しさに感激していらっしゃるご様子だった。ソリュシャンとルプーが見たアルベド様とソフィーはお話する前だ。アルベド様はアインズ様のお優しさを俺に伝えてくださった。事情をお話したら納得してくださったんだが……」
当事者の男以上にラナーを遠ざけたかったアルベドである。
「あんなにもご機嫌がよろしいアインズ様に水は差せないと仰せだった。残念だが、この件でこれ以上の御助力は得られない」
「これ以上ってことは、他ので助けてもらったんすか? もしかしなくてもクライムとかいうのがそれっすか?」
「……そうなる。目的を隠してアルベド様に御助力願った」
「ですが、そのクライムとやらはエ・ランテルに来ていますわね。王女が執着していると伺っております。王女からクライムを引き離す策だったのでしょうか?」
「逆だ。クライムに女の扱い方を教えたらあれにあてがう予定だった。そうすれば俺があれの相手をする必要がなくなる。なのにあいつは……」
男が今日何度目かの溜め息を吐く。
見下ろす二人の目は冷めていた。
「アルベド様に目的を隠して勝手な計画を立てた報いではないでしょうか?」
「うっ」
「おにーさんはいっつも詰めが甘いんすよ。クライムに適当に含めておけば良かったじゃないっすか」
「うぅ……」
そのアルベドも賛成した作戦だったのだが、アルベドの関与は伝えられない。
幾ら泥を被っても構わない男であるが、作戦失敗の再確認とラナーとの面会が避けられないのは精神にダメージがあった。
「お兄様のお気持ちはわかります」
顔を焼き、十余年に渡って監禁してきた女と会いたくないのは当然である。
「でもおにーさんなら我慢出来るんじゃないっすか?」
しかし、精神的に化け物であるおにーさん。心の傷とか云う繊細なものには無縁に思え、誰が相手であろうと物怖じしそうにない。
かつては路上で生きる孤児だったが、今はナザリック守護者統括にして魔導国宰相閣下の相談役である。ラナーが同じ事をするのは絶対に不可能。
過去について思う事はルプスレギナにだって多々あれど、デートするくらいなら過度に警戒する必要はないと思えた。
「そりゃ耐えられないわけじゃないけどな? 二人だって恐怖公さんとデートは嫌なんだろ? それと同じなんだよ」
そして話が振り出しに戻った。
嫌なものは嫌なのである。
「ですが、王女との逢瀬は避けられないと?」
「逢瀬って言うな。面会と言え」
「なんて言おうと同じっすよ。我慢するしかないんじゃないんすかね」
「結局そうなるのか……」
愛しのお兄様が消沈して項垂れているのはとっても哀れで可哀そうで、可愛くて愛しく思えてしまうソリュシャンである。
そのままでいてくれてもいいのだが、お兄様の困難をそのままには出来なかった。
「避けられないのであれば仕方ありません。お兄様が王女を克服するしかないのではないでしょうか?」
「どーやって?」
考えたくないし考える必要もなかったので考えてこなかった事である。考えようにも体が拒否する。全く何も思いつかない。
「まず確認しなければなりません。お兄様は王女の何がそんなにお嫌なのですか?」
「存在」
「…………もう少し具体的にお願いします」
「そう言われてもだな……」
名前を聞くだけで思い出される数々の恥辱。と同時に、与えてきた辱めも蘇る。理解しがたい事に、あれは悦んでいたが。
嫌々ながらに記憶を探り、一番に浮上するのは悪臭だった。
「あれは臭くて汚い。そこからもう嫌だ。それに比べたら恐怖公さんはとても綺麗好きだったぞ?」
「恐怖公はもういいです。それより臭くて汚いとはどういう事ですか? あれは一応王女で、見た目はそれなりと評価されているのですが」
美貌を謳われ黄金と讃えられるラナーである。落ち目とは言え一国の王女なのだから、汚い格好をするわけがないとも思える。
しかし、それは表向きの話。裏を知る男の評価は真逆だった。
「俺があの女に何回小便を掛けられてきたと思ってる! 四桁は軽い。その半分は俺の顔に座ってだった。あいつの髪は小便で染めたんだ。間違いない!」
「えぇ……?」
切実なようで、思ったよりもどうしようもない問題であった。
特にラナーと同じ金髪であるソリュシャンは言葉に困る。
ルプスレギナは行為中に感じすぎて出しちゃったことが何度もあるので、こちらも言葉に詰まった。
「で、ですが……。私はお兄様から毎日おしっこを飲まされております」
「ソリュシャンが飲みたがるんだろうが」
「それはそうなのですが……」
「ソーちゃん…………」
妹が遠いところに行ってしまったのを実感して、ルプスレギナはちょっぴり悲しくなった。
「小便を掛ける時のあいつの顔が気に入らない。チッ……あのアマァ……!!」
男の顔が怒りに歪んだ。アルベドが関わらないのにこのような顔を見せるのは稀である。正負がどちらであれ、基本的に穏やかなこの男がこうも感情を露わにするのは珍しい。その事に、ソリュシャンは少しだけ嫉妬を覚えた。覚えた瞬間に、ふと気付くことがあった。
が、口にはしない。思い付きがあっていようと違っていようと、お兄様の苦しみがなくなるわけではないのだから。
「確かにお兄様は誰かがおしっこをするところを好んでご覧になろうとはしてきませんでした。私はショゴスですので排尿の必要がありませんが、おしっこをしているところを見られるのは恥ずかしくてみっともない事であるとは想像出来ます」
「……だからなんだ?」
「ですから、おしっこをするところを見られるのはとても恥ずかしくて、とてもみっともなくて、とてもはしたない事であるとお兄様に再認識していただく事が必要と思われます。その様子を何度も御覧になればおしっこへの耐性が獲得出来るのではないでしょうか?」
「おしっこ耐性」
字面の酷さに男の顔が引き攣った。
ルプスレギナの顔も引き攣った。ソリュシャンは排尿の必要がないと言ったばかりだ。すると誰がおしっこをするのか。
「ミラ! ミラがいるっすよ!? ミラはヴァンパイア・ブライドでも飲み物は飲むんすよね? 出るっすよね? おにーさんの前で出来るっすよね?」
「………………ご主人様がお望みでございましたら」
「ダメよ。ミラはお兄様のためなら喜んでしてしまうわ。お兄様に耐性を獲得していただくには嫌々するのが必要なの。ルプーなら出来るでしょ? それにお兄様に初めて会った時におもらししていたじゃない」
「してないっすよ!? あれはビックリしてちょっと出ちゃっただけっすから!」
「ルプー姉様はお兄様のお力になりたくないそうです。ラキュースにでも声を掛けてきます」
「待て。そんなバカな話を広めるな。俺がおかしくなったと思われるじゃないか」
それはもう今更であると、ソリュシャンもルプスレギナもミラも言わなかった。
「ルプー姉様はお兄様に体の隅から隅まで見られて触れられているではありませんか。お兄様に愛されて粗相してしまった時だって何度もありました。おしっこをしてしまっても私が綺麗にしますから安心してください」
「そーいう問題じゃないっすよ!!」
「もちろん違う問題です。お兄様のお力になりたいか、なりたくないか。それだけです」
「ちがっ……!」
ソリュシャンは、顔を真っ赤にして絶句するルプスレギナを追い詰める。容赦はない。
お兄様のために、というのは嘘ではないが、実のところ意趣返しである。
ルプスレギナはお兄様の第一夫人になってソーちゃんは妹のまま、とか言い放ったのだ。自分はルプスレギナがお兄様に会う前から結婚について動いていたのだ。第一夫人の座は譲れない。自分を差し置いてそんな事をのたまうた姉には報いがあって然るべき。
「ふむ……」
男は身を乗り出して静観の構え。
おしっこを掛けられるのは御免こうむるが、恥ずかしがっておしっこをする様子には興味が出てきた。
羞恥とは規範からの逸脱を自覚する事であり、バタイユ的に言えば禁忌の侵犯だ。かつてシズが語った通りに、気持ち良くなるための一歩である。
「真似事になってしまいますが、私のおしっこも御覧になっていただきます。ルプー姉様はどうあってもお兄様のお力になりたくないそうですから」
「そんな事ないっすよ!?」
「ルプー姉様もおしっこをするそうです。この場で」
「この場で!?」
ソリュシャンは容赦なくハードルを上げた。
しかしハードルが高すぎると飛び越えられないので、崖から突き落としたが適切な表現かも知れない。
どういうわけか、ルプスレギナはおもらしをする羽目になってしまった。
そろそろ書かないと書かなくなると思ったので
読者を認識できれば続きます、たぶん