(どうしてこうなっている……!)
ひょんなことからナザリックを訪れているエ・ランテルの大きなお屋敷の若旦那様は、成り行きの不可解さに頭を悩ませました。
昨夜目が覚めてから何度目になるものか、しかし今度ばかりはやや切実です。
「あの……」
「なにか?」
「どうかなさいましたか?」
一言口を開けば突き刺さる視線。怯まず言葉を続けました。
「この飾緒は少し派手ではないでしょうか?」
飾緒とは飾り紐のことです。主に金糸や銀糸を結って作られていて、肩から前面に掛けて垂れ下がるように飾ることが多いです。
「やはりそう思われますか。私共もいささかばかり奇をてらい過ぎていると思っているところでした。男の正装とはフォーマルが王道。余計な飾りを付けてしまうと統一感を乱してしまいます」
すらすらと若旦那様の言葉を肯定するのはセバス様の配下となる男性使用人たちです。しかし他方、異議を唱える方々もおりました。
「わかっていませんね。男女を問わずファッションの王道とは立体感から始まります。あなたの肉体は均整がとれてはいますが、セバス様や私とは違って肉体の盛り上がりに乏しいと言わざるを得ません。足りないものを補うことのどこがおかしいのですか」
こちらは一見ダンディーマッチョなおじさまに見えますが、頭から生える角と蝙蝠の翼から悪魔であると窺えます。デミウルゴス様配下の悪魔のお一人です。
双方は互いに鋭い視線をぶつけ合い、鋭い視線はそのまま若旦那様へ向けられました。
「こちらにしましょう」
「いいえ、こちらがよいかと」
どうすればいいっちゅーねんです。
あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず、中立意見を述べようものなら双方からフルボッコです。中庸とはかくも難しいものなのです。
こんな事になっているというのも、マーレ様のせいなのかアインズ様のせいなのか、はたまたアルベド様か、もうさっぱりわかりません。
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数刻前のことです。ちゃんとした男性用の衣服をマーレ様が借りてきてくれました。これで女装とはおさらばです。
微妙な時間帯だったので第六階層でしばらく時間をつぶし、アウラ様から訝しげな視線を向けられながらお昼ご飯を済ませ、軽くお昼寝でもしようとしたらマーレ様に第九階層へ連れてこられました。
現在着ている服、使用人用のスリーピースのスーツは暫定の衣装であるらしく、きちんとした正装をあつらえるために本人を連れてくることになったのだそうです。
第九階層の衣装部屋で待っていたのはセバス様の配下である男性使用人たちでした。男もちゃんといるんじゃないかと思ったものでした。
それと、彼らが声を掛けたらしいデミウルゴス様配下の悪魔達です。デミウルゴス様へお声かけしたら快く装飾品の貸与をお許しになったそうで、デミウルゴス様の代理として悪魔達がやってきたのです。
始めのうちは平和でした。
フォーマルスーツを基本に細かなアクセントをどうすべきかと双方がそれぞれの意見を上げて少しずつ細部が決まっていきました。
スーツの生地からカフスボタンの色からベルトの色とバックルの拵えからシャツやネクタイの色に、ポケットチーフの色と柄を最後に決めようとしたそのとき、アインズ様がいらっしゃったのです。
『うむ、存分に飾ってやってくれ』
女装でなければ何でもいいアインズ様でしたが、完全に余計な一言でした。くすぶっていた火に油を掛けたようなものです。
男性使用人たちと悪魔達は、アインズ様の期待に応えるべく、それぞれが最もイケてるファッションを主張し始め、全く譲らなくなりました。
その様子をアインズ様は満足そうに御覧になられています。
今や詳しく知るのはアインズ様だけですが、セバスとデミウルゴスの創造主である「たっち・みー」と「ウルベルト・アレイン・オードル」はとても仲が良く、ことある毎に喧嘩していました。創造主の性格はシモベたちに受け継がれ、セバスとデミウルゴスもことある毎に反目し合っています。そんな二人を見ていると往事を思い出し、アインズ様は楽しくて仕方がないのです。
主人がそれなら配下も同じで、セバスの配下である男性使用人たちとデミウルゴスの配下である悪魔達は中々反りが合わないようです。
意見をぶつけ合う両陣営をアインズ様は楽しそうに御覧になられ、もっとやれもっとやれとはやし立てます。
双方は完全にヒートアップしてしまいました。
挟まれている若旦那様は堪ったものではありません。
なお、マーレ様は第九階層に着いて早々にどこかへ行ってしまいました。なんと無責任なことか。
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『あら?』
『アルベド様!』
アインズ様が移動された後にいらしたのは世界で唯一人だけ美の神秘を知る美神アルベド様です。
アルベド様は胡乱な目で一同を眺めた後、
『好きなようになさい』
若旦那様をあっさりと見捨てました。
ショックを受けてる若旦那様は措いといて、彼の直接の上役であられるアルベド様がゴーサインを出したのだから両陣営はますます遠慮しなくなりました。
ファッションはいいとしても、肉体改造までしてしまうとアルベド様に怒られてしまいそうなので、それだけは阻止しました。
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そんなこんなであれやこれやと取っ替え引っ替えしているところです。
何かしらの意見を述べると必ずやどちらかの陣営から、あるいは両方から異論が飛んできます。
若旦那様は、正直なところをぶっちゃけてしまうと、マーレ様の服を着ちゃうくらいなのですから服なんて見苦しくなければ何でもいいと思っています。しかし双方が真剣に意見をぶつけているのを見るとそんな事は言えません。しかしどうでもいいことに付き合わされるのは割と苦痛です。
そもそも何時の間にアインズ様の出征式に参加することになったのでしょうか。
このままでは出征式が始まるまで延々と精神がすり減る羽目になりかねません。
ああ、どこかに救いはないだろうかと思ったその時です。
「双方そこまで! ……わん」
生けるマネキンと化している若旦那様を除く一同は直立不動となり深々と頭を垂れました。
ナザリック第九階層に於いて、このお方に逆らうことは決して許されません。階層守護者であっても素直にごめんなさいします。守護者統括であられるアルベド様であろうと例外ではなく、アインズ様とて彼の者の意見を無碍にすることは出来ません。
彼女の姿は犬面人身。可愛いわんこの頭にセクシーな女体をメイド服に包むこのお方こそナザリックに数多いるメイドを従えるメイド長。
カルマは極善にして付いた異名はナザリック最後の良心。同じくカルマ極善でもすぐにグーパンが出るセバス様とは違います。本当に慈悲深いお方で、かつて王都で実施されたゲヘナ作戦の折りには拉致した子供たちの助命をアインズ様に訴えたこともあります。
万人が額に明かりを灯して唱えるべきこのお方の名は「ペストーニャ・ショートケーキ・ワンコ」様です。
わんこの時代なのですよ。にゃんこなぞお呼びでないです。
若旦那様は先にナザリックを訪れた際、コキュートス様の守護階層で凍死しかけたのをペストーニャ様に助けられたことがありました。
ああ、なんと慈悲深いペストーニャ様、ワンコ様。ワンコ様にペロペロされたら地獄も天国。ワンコ様にお尻カジカジされたら冥府も極楽。そうだ、ワンコ様賛歌を作ろうと若旦那様は決心しました。
「アルベド様の配下なのですから、アルベド様に合わせた衣装にしなければなりません、わん」
よく考えたら自分に作詞の才能はないのでペストーニャ様賛歌を作るのは諦めました。
「私たちにお任せくださいわん」
ペストーニャ様が合図すると、広い衣装部屋が狭く感じるほどにわらわらと見目麗しいメイドたちが入ってきました。
どうやら救いの光は潰えたようです。
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男性使用人たちと悪魔達は部屋の隅っこで小さくなって目の前の羨ましい光景を眺めています。羨ましいと思っても、あんなの自分は絶対御免だと思っています。
まず、若旦那様は素っ裸に剥かれました。パンツは装備したままです。それからあれやこれやと片っ端から様々な衣装の着せかえをさせられています。
何メートルもある大きな布地を畳んで体に巻き付けるトーガや金銀の装飾が煌めかしいアラベスクの衣装。
アインズ様が思わず仰け反ってしまう黒い軍服。
お伽噺の王子様が着てるような体のラインがくっきり出てしまう白タイツとふりふりのシャツ。白タイツを履くと下半身の一部がもっこりと強調されてしまい、頬を赤らめながらも凝視するメイド多数。
着せ替えをするため、メイドたちはボディタッチが非常に激しいです。周りからはわかりにくいようにおっぱいを押しつけてくる子もいます。採寸のためと言い張って正面から抱きついてくる子もいます。魔法が掛かった服は自動でジャストフィットのはずなのですが。香水を選ぶための体臭確認とか言って、首筋に顔を埋めてすんすんしてくる子とか、本当にもうあれです。
女の子にタッチされておっきしちゃうどころではありません。これは断じてハーレムなどではありませんでした。
これは、おもちゃです。
メイドたちにおもちゃ扱いされているのです。男性使用人たちと悪魔達が羨望ではなく憐憫の眼差しを向けてくるのも当然でしょう。
実を言うと、ペストーニャ様は狙ってました。
若旦那様の美貌に興味を持ったメイドは割といたのですが、接点は皆無です。それにお話したりいいことをしたいのではなく単に鑑賞したいだけでしたから、遊びに来てもらっても相手をするのは面倒です。黙って突っ立っていてくれればいいのです。まさかアルベド様直属の配下へ、目の保養のために置物になってくださいとは言えません。
そこへ絶好のチャンスが巡ってきました。
虎視眈々とペストーニャ様が様子を伺っていると、当のアルベド様から「好きなようになさい」とのお言葉が。ここで行かなきゃメイド長の資格なしです。日頃頑張っているメイドたちへのご褒美として、若旦那様を生け贄に捧げたのです。
ナザリックの瘴気は極善のペストーニャ様にさえ利己的な行動をとらせてしまうのです。
メイドたちは顔を輝かせて若旦那様で楽しんでいます。
反対に若旦那様は捨てたはずの男のプライドとか羞恥心とか精神力とか色々なものがゴリゴリと削られていきます。お昼寝しようと思っていたところへこのような沙汰となり、フラフラしてきました。
《大治癒!》
ヒールの魔法が若旦那様を癒しました。ペストーニャ様の魔法です。ペストーニャ様は高レベルの神官で回復魔法マスターなのです。
棺桶に片足どころかきちんと納棺され埋葬直前であり、瀕死を越えて1000分の1秒後には物言わぬ死体となる肉片すら完全回復してしまう回復魔法の秘技がエナジードリンク扱いです。これぞナザリッククオリティ。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして、わん!」
眠気覚ましの大治癒でシャキッとしましたが現状は変わりません。
そもそもメイドたちは出征式の準備をしなくていいのでしょうか。自分を構うよりも他にすべき事があるのではないでしょうか。
しなくてもいいのです。すべきことは全て終えているから遊んでいるのです。
アインズ様の出征式と言っても、シモベたちが並ぶ順番は決まっているので事前の練習は必要ありません。
式のプログラムは、アインズ様が遠征の意義を述べられ、遠征に随伴する者達を紹介し、アルベド様がアインズ様を言祝ぎ、8番まで出来たアインズ様賛歌を合唱して終了です。
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途中で夕食を挟み、アインズ様の出征式直前まで着せ替えごっこは続きました。
最終的に選ばれた衣装は、ジャケット・スラックス・ベストのスリーピースを基本に、デミウルゴス様から貸与されたアクセサリを幾つか飾ったものになりました。
あんなに色んな衣装を試したのはいったい何だったのかと嘆きたくなりました。
誰に問うまでもなく、メイドたちの遊びであり玩具であった、と答えが出てきます。
ペストーニャ様からは、メイドたちの玩具になってくれてご苦労様と言うことなのか、耐炎と耐氷の効果がある魔法のブレスレットをプレゼントされました。これでコキュートス様の守護階層に遊びに行っても凍死することなく、デミウルゴス様の守護階層に遊びに行っても消し炭になることはありません。
夜遅くに始まった出征式は厳粛な雰囲気の中つつがなく始まってシモベたちがアインズ様万歳をして終了しました。
アインズ様は遠征に出立されました。深夜に出発するのはどうなんだと思わなくもないかも知れませんが、アンデッドの軍勢が朝一で出かける方がおかしいです。
余談になりますが、アインズ様賛歌を知らない若旦那様はペストーニャ様の指導の元、事前にちょこっと練習しました。歌詞は一発で覚えたのに、音程が今一つ外れていました。甘いテノールボイスが台無しです。メイドたちからクスクス笑われ、割と恥ずかしい思いをしていました。
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アインズ様とシャルティア様が不在のナザリックは防衛シフトを一部変更した臨時体制になりました。
不在のアインズ様の代理として様々な仕事を終えたアルベド様は、アルベド様だけに特別に与えられた第九階層「ロイヤルスイート」の自室で羽を休めています。
帝国の皇帝の寝室より豪華なエ・ランテルのお屋敷の書斎より豪華なアルベド様のお食事部屋よりも素晴らしいアルベド様の私室です。
アルベド様は繊細な細工が施された椅子に腰掛け、目の前に跪く若旦那様を見下ろしています。
「どうしてお前がここにいるのかしら?」
美しい瞳は冷ややかな光を湛えておりました。