ジュゲムはゴブリンである。ゴブリンと人間との差異は幾らでもある。しかし、ゴブリンは亜人種に数えられるだけあって生態は人間と非常に似通っている。
夜が更けてから、若い男が若い女のところに足を運ぶことがどのような意味を持つか、ジュゲムはよくよく承知していた。
「ここを通すわけには参りやせん。どうかお帰りくだせえ」
語気強く言い放つ。男を囲むゴブリンたちも輪を狭める。
なのに男は一向に臆した様子がない。感心したように周囲をぐるりと見回し、正面のジュゲムで視線を止めた。
「子供じゃないんだ。帰れと言われてはいそうですかとは言えないね」
「……兄さんがこんな事をするお人だとは思いやせんでした」
思わなかったが、今までの倣いで新たに現れた人物の監視を怠らなかった。男を警戒したのではなく、5000以上にも増えてしまった新入り達へ仕事を与える意味合いの方が大きい。
仮に男の監視を行わずとも、我らが総大将のエンリの姐さんには陰に陽に常に護衛を配置している。こんな時間に誰かが近付いてくれば必ずや発見出来ていたことだろう。
「兄さんほどのお人なら相手は選り取り見取りのはずです。それこそあの…………。遊びで姐さんに手を出させるわけにいきやせん」
言外に都会の男はこれだから油断ならねえと付け加えた。
ジュゲムの推しはンフィーレアだ。エンリにはンフィーレアと結婚して幸せになって欲しいと思っている。と云うか、近隣にはエンリと年が釣り合う独身の若い男がンフィーレアくらいしかいないとも言える。
最近のエンリは、自分に見合う男はンフィーレアだけとようやく気付きつつあるところ。あと一押しか二押しか、もしかしたら十押しくらい必要かもしれないが、ようやっと何とかなりそうな目が見えてきたのだ。
それなのにこんな男が割り入ってしまったら台無しだ。何としてもお帰り願わなくてはならない。
「……二つ訂正しよう。一つ、俺はユリさんとそんな関係はないよ。現に今はカルネ村にいない。彼の地に戻っている。そしてもう一つ。俺は俺の楽しみのためにここに来たわけじゃない。エンリさんに招かれてここにいる」
「…………」
決して小さくないどよめきが湧いた。
ジュゲムは誰にも聞こえないよう小さく舌を打った。もしかしたらそんな事もあるかも知れないと考えていた。
それでもあのエンリが男をベッドに呼ぶとは考えにくい。しかし、誰をも一目で魅了するこの男ならそんな事があってもおかしくないかも知れない。
目の前の男が嘘を言ってるとも思えない。誤魔化してる様子はなく、堂々とした態度。
ジュゲムの推察に間違いはなかった。男は嘘を言っていない。本当にエンリに誘われた、と思っている。
夕食に出された食前酒である。王国にも帝国にも、おそらくは法国にも広く流通している葡萄酒の一種である。これを夕食で異性に奢るのは夜の誘いを暗示するのだ。
帝国・王国の書物を要約してアインズへ報告している男は両国の風習に詳しくなった。もしも上流階級のみに通じる風習なら誤解しなかった。しかし冒険者間でも通じるものであるらしい。ならば、かねてから冒険者が訪れるカルネ村で、村長にもなったエンリが知らないわけがないと思われた。
ジュゲムがあの酒をエンリに渡さなければ、エンリが奮発して食前酒を夕食に出さなければ、男がエンリの真意をきちんと確かめていれば。いずれかが違えばこうはなっていなかった。
しかし、ジュゲムはエンリに酒の美味さを知って欲しかったし、エンリは賓客へ美味しいお酒を出したかったし、男はエンリの決意を確認する野暮をしなかった。必然だったのかも知れない。
「……だとしても! だとしてもです。どうかお帰り願いやす。どうしてもって言うなら…………仕方ねえ。手荒な真似をしなきゃなんねえ。わかってくだせえ! あっしらは本当にこんな真似をしたかないんです! どうか、どうかお帰りくだせえ!」
カルネ村やエンリに害意はなく、ンフィーレアとも親しくなった男だ。その上、あの恐ろしいメイドが「何かあったら自分の首が飛びかねない」と言っていた。メイドの首が飛ぶなら自分たちは皆殺しになってもおかしくない。絶対にとりたくない手段なのだ。
「…………」
人間とゴブリン。種族は違えどジュゲムの誠意は男へ伝わった。
「わかったよ」
「それじゃ――」
「手荒な真似をしてもらおうか」
「!?」
ゴブリンたちが色めきたった。この男はゴブリン大軍団最精鋭エンリ親衛隊の自分たちを蹴散らしてエンリのところへ行くというのだ。
男が強いとは思えない。しかし強さを隠しているのかも知れない。しかし自分たちは弱くない。例え敵わないとしてもここで退く選択肢はない。
誰も彼も武装している。光物は抜いてない。それがもしも必要となってしまったら。
「腕の一本でも折れば申し開きが立つだろう。ああでも、如何にも殴られて出来た傷じゃ流石に不味い。転んで骨折したのを装うから手首のここの尺骨をぽっきりやってくれないか? 勿論誰にも話さないから安心してくれ。俺のことなら心配ないよ。自慢にもならないが慢性的な痛みには強くてね。骨が折れても熟睡できる自信がある。明日になったらンフィー君のところでポーションもらうから」
「なっ…………何言ってんですか! あっしらはそれをしたくないって言ってるでしょう!」
「だって帰って欲しいんだろ?」
「兄さんにその気がないならこのまま帰ってくれればいいだけで!」
「だから…………。ああ、そういう事か……」
自分とジュゲムの間に横たわる大きな齟齬に気が付いた。
人間とゴブリンでは生態が近くても様々な風習に違いがあって当然だ。ジュゲムたちは知らないのだ。
「ジュゲムたちは知らないんだな。男が女性に招かれ、承諾したにも関わらず訪れなかったらどうなるかを」
「……どうなるって言うんです?」
吐き捨てるように言った。都会に暮らす男だ。どうせ女から恨み言を言われる程度だろうと軽く考えて、
「手足をもがれる」
「もがれるんですかい!?」
「俺は何度ももがれてきた」
「もがれてるんですかい!?」
「俺の手を見るがいい!」
男は両手を突き出した。暗い夜にも輝くような白い手だ。染みも僅かなかすり傷も一つもない奇麗な手。
「昼間一緒にいたジュゲムは知ってるはずだ。俺が錬金術の真似事をしていることを。素材を刻むときに怪我する時もある。強い薬品がかかって爛れることもある。それなのに俺の手には傷一つない。どういうことかわかるか? 根元からもがれた後、ポーションや魔法で回復されてるからだ!」
本当である。ソリュシャンに何度もされてきた。
見た目は美しい令嬢なのに恐るべき力を秘めているソリュシャンである。一見、純朴で可愛らしいエンリが恐ろしい力を秘めていないとは限らない。男は自分の人を見る目を全く信用していなかった。
「だっ………………だとしても、です。姐さんに限ってそんな事をするわけが……」
「…………血塗れ」
「!?」
男の小さな呟きは、夜の静寂を掻き消す雷鳴の如くゴブリンたちの間に轟いた。
「エ・ランテルにいる俺にもエンリさんの異名は聞こえてるよ。ゴブリンの大軍を従えるエンリ大将軍。何物をも打ち破る覇王炎莉。そして………………、血塗れのエンリ」
「そっ……それ、は……」
「オーガの首を素手で引っこ抜き、頭蓋をかち割って作った盃に縊り殺したナーガの血を絞り、勝利の祝杯を挙げたとか」
「いやそこまでは……」
「真に受けるほど馬鹿じゃないよ。間違いなく誇張表現だろう。でもジュゲムの様子を見る限りまるきり事実無根ってわけでもなさそうだ」
「う………………」
事実無根なのだ。
血塗れのエンリとは、ジュゲムが新入り達を脅すために作りだした与太話である。
「そしてエンリさんはンフィー君と親しい。両手両足をへし折ったあと、新作ポーションの実験に使われるかも知れない。俺は痛みには強いが、決して痛い思いをしたいわけじゃない。両手両足を捥がれるくらいなら腕の一本でも折って、怪我をしたから行けなかったと言った方が申し開きが立つ」
ゴブリンたちの様子が変わってきた。
依然、ジュゲムと同じように何としてもここは通さないと思う者はいるが、腕の一本を覚悟している男が只の遊びで来ているとは思えず、そこまで覚悟しているならばと許容する者が出始めてきた。
「浮足立つな!!」
「!!」
ジュゲムの一喝がゴブリンたちの動揺を抑えた。
「全くの事実無根とは言いやせん」
男へではなく、周囲の仲間たちへ聞かせる言葉だ。新入り達もエンリへ忠誠を誓っているが、畏怖の念を強くしておくのは悪い事ではない。
「ですが安心なさってくだせえ。そんな事には絶対になりやせん。あっしの首を賭けやす。もしも明日になって姐さんが兄さんの手足をへし折ろうものなら、どうかあっしの首を跳ね飛ばしておくんなせえ」
おおお、と騒めいた。
隊長は姐さんの一夜を阻むために自らの首を賭けている。それが良い事かどうか全くわからないが、とりあえずジュゲムの覚悟はこの場の全員へ伝わった。
「………………わかった」
「それじゃ!」
「但し、条件がある」
「何でしょう?」
下げた頭を上げ、ジュゲムは安堵の息を吐いた。
こちらは首を賭けたのだ。どんな条件であれ、それ以上の大きなものはあり得ないと思った。
「ジュゲムの要求を呑んでこのまま帰るよ。但し明日になったら、俺がエンリさんのところを訪れなかったのはジュゲムに止められたからだって証言して欲しい」
「んなっ………………!!」
絶句した。
昼日中、エンリが男をどんな目で見てたか知っているジュゲムである。
エンリが男をベッドへ招いた。これがもしかしたら何かの誤解であったとしても、エンリの元へ訪れた男を追い返したことが知られたら。
落胆されたら申し訳ない気持ちになる。怒られたら少々きついが大したことではない。しかし、もしも、恨まれたら。
忠誠を捧げた我らが総大将のエンリの姐さんから恨まれたら。
針のむしろどころの話ではない。生き地獄ですら生ぬるい。生きてるだけで申し訳ない気持ちになってしまう事だろう。
冷たい汗が全身からぶわっと噴き出てきた。
「いやそれは言わなくても……」
「俺は両手両足を賭けた。ジュゲムの言葉を信用しないわけじゃないが最低限の担保は欲しい。それが飲めないなら引き下がるわけにいかない」
ジュゲムの首が飛ぼうが飛ぶまいが、痛い目に遭う可能性は変わらない。ならばその目を潰すための担保が欲しい。どのみち首を賭けるなら一言添えるくらい大したことではないだろうと考えた。
しかしジュゲムにとっては大したことなのだ。
ジュゲムの脳裏で目まぐるしく天秤が左右に傾く。
男の骨を折るのは論外。自分が追い返したと証言するのは生き地獄。元はと言えばエンリが男を招いたのが発端で、だとしたら自分たちは何もせず静観した方がいいのではないだろうか。
「………………わかりやした。どうぞお通りくだせえ」
ジュゲムは日和った!
仲間たちから非難の眼差しが突き刺さる。同情の視線もある。誰であれ、自分の立場になったらこうせざるを得ないだろう。
「その代わりと言っちゃなんですが、もしも姐さんが寝てた場合はそのままお帰り願いやす」
「…………そのつもりだよ」
男の視線も胡乱である。散々問答したのにお通り下さいなのだ。
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ジュゲムが脇へ退き、男は小道を通ってエモット邸のドアを叩いた。
一つ、二つ、三つ。五つ、六つ。十を数えて、ジュゲムがエンリは寝ているのだと胸を撫でおろした時、ドアの内側から「どなたですか?」と誰何の声があった。
男が名乗ると、ドアを留める閂が抜かれる音が響く。
人一人分だけ小さく開いたドアの隙間へ男の姿が消えた。
ゴブリンたちの間に酷く微妙な空気が漂っていた。
「野郎ども! 今日は姐さんが女になる目出てえ日だ! 俺たちが祝わなくて誰が祝う!?」
半ばやけっぱちになったジュゲムが叫び、夜半の酒宴が始まった。
▼
「何やってるんだろう?」
エンリは寝ていた熟睡していた。
ネムと一緒に床へ入り、今日一日を振り返って心地よい眠りに落ちていた。
それなのに、眠りが深くなろうとしたところで外が騒がしい。カルネ村はゴブリン達やアインズ様のシモベが守って下さっているので危険な事とは思わなかったが、家のすぐ外で叫ばれたら目が覚める。
ネムも目覚めて何とか寝かしつけている間にすっかり目が覚めてしまった。
そこへドアが叩かれた。何かしらが起こったのをジュゲムが報告しに来たのだと思った。
やって来たのは今日会ったばかりの美貌の男。
ドギマギしながら招き入れた。
エンリは純朴な田舎娘だが、こんな時間に男が女を訪れる意味が分からないほど子供ではない。けども、もしかしたら何か大切なものを忘れて取りに来たのかも知れない。
「何でしょうか?」
訊きながら、エンリは精神防壁を張り巡らせた。もし万が一だった時に拒むためだ。
昼間に聞かされた結婚観から結婚について軽く考えていそうだし、とても奇麗で素敵な人だけど一夜の遊びでいいようにされるほど軽い女ではないつもりだし、そもそも自分はこんな人が相手をしてくれるほどきれいでもないし。
「君に会いに来たんだ、かわいい人」
「ふにゃぁっ!?」
エンリの精神防壁は耐性無視防御貫通必中致命確定臨界攻撃であっけなく打ち砕かれた。
真正面から抱きすくめられ、エンリの頭は一瞬でのぼせた。
「寝室に案内してくれるかい?」
「は………………………………はぃ……」
エンリの夜着は簡素なシュミーズだ。肌触りと寝心地優先で余計な装飾は全くない。インナーなので人前に出るのは恥ずかしく、大きいだけが取り柄の装飾皆無のストールを羽織っている。太陽のように明るい栗毛色は昼間とは違って三つ編みではなく解いて流している。
ストールがはらりと落ちた。
薄布越しに男の逞しい手で腰を抱かれ、エンリは砕けそうになる足腰にカツを入れて客間へと案内した。
客間のベッドは整っている。
何かしらの理由があって、ルプスレギナが滞在していた家が使えないかも知れないと考えて用意していた。
予感があったのかも知れない。願望だったのかも知れない。
エンリは一度も使われたことがないベッドに押し倒された。
テンセグリティって流行ってるんですかね?
どういうわけか続けざまに目にしまして