焚き火がパチリと小さな破裂音を響かせる。ユリは何とはなしに小枝を投げ入れた。
見上げれば満天の星空。細い月は完全に姿を消していた。ゆらゆらと揺れる焚き火の炎だけが幻惑的に周囲を照らす。その向こうには闇が落ちている。木々の葉に遮られて星明りも届かない。
風はない。瑞々しい森の緑に空気は澄みきって芳しい夜の香り引き立つ。
アンデッド馬の気配を感じてか焚き火の炎を恐れてか、森の獣たちは近付こうとしない。
とても静かで、とても穏やかな空気が流れている。
美しい夜だった。
焚き火にあたりながら、ユリはどうしてこうなっているかを真剣に考えた。
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狩り場から馬車を走らせること小一時間。男が休憩を訴えた。オーガとの戦闘は余裕綽々の様子だったがやはり疲れたのだろう。
停まった馬車の中へ入った男はすぐに出てきて、一人で木立の中へ歩き始めた。馬車の中で休憩すると思っていたユリは小言をこぼしながらついて行く。
さして歩かない内に水場があった。小川とさえ呼べない小さなせせらぎだ。幅はユリが跨げるほどに細く、水深は精々足首程度。流れは全く濁っていない清水である。地下水が地表に顔を出している部分であるらしい。
どうしてこんなところを知っているかと聞けばモモン様から伺ったとのこと。
ともあれ、水があるのはユリも嬉しい。先のゴブリンとの戦闘では返り血すらつけてない。けどもぬかるみを走ったためスカートに少々泥が跳ねていた。慌てて馬車に駆け戻ったせいだ。ユリが着ているメイド服は魔法が掛かっている。泥汚れ程度なんのその、軽く払えば簡単に落とせる。濡らしたハンカチで拭えば完璧である。飲料水の用意はあったがハンカチをすすぐには不足だったのだ。
ユリがハンカチをきれいにしている間に男は火をおこしていた。火付け作業を眺めていたユリは器用なものだと感心した。
乾いた枝の両側に溝を切り、真ん中に小さい穴を空ける。片側にはくしゃくしゃにした枯れ葉を詰め、もう片側は溝にぴったりはまるよう形を整えた枝を強く擦り付けた。数度擦ると焦げくさい臭いが漂い、それから三度こすると煙があがった。
枯れ葉を両手で包んで息を吹きかけ火を大きくし、あらかじめ組んでおいた小枝の山に移した。小枝の上にはやや太い小枝。その上にはもっと太い枝。
火の上には水を張った鍋を掛けた。ンフィーレアから使わなくなった錬金術道具一式を貰っていたのだ。
鍋の中にナザリックで貰った茶葉を入れ、軽く煮立ったところでポーション用の小瓶で汲んだ。カップの類はなかったらしい。ちゃんとユリの分もある。
茶葉は極上なのに淹れ方は出鱈目だ。その上カップではなくポーションの空瓶。プレアデスの中で唯一料理が出来るユリからすれば素材が勿体ないと怒るところかも知れないが、意外なことに飲めないものではなかった。
茶請けには男が貰ったエンリからのお土産。小麦に蜂蜜を練り込んで焼いただけの簡素な焼き菓子。ナザリックで供するスイーツとは比べるべくもない。しかしこちらも食べられないものではなかった。悪くないとすら思った。
気付けば日の傾きがきつくなってきた。ユリがそろそろ出発しましょうと腰を上げると、野営しましょうと提案された。
ユリは当然のごとく猛反対した。真っ向から反論された。
今からエ・ランテルに向かうと着くのは日が落ちた後になってしまう。夜間は城門を閉じている。開けさせることは出来なくもないだろうが余計な仕事を増やすことはない。
ユリはナザリックの馬車を前に閉ざす城門は存在しないと至極真っ当に反論したのだが、
『モモン様もここで野営をしたそうですよ。そこにある焚き火の跡がその時の物でしょう』
『仕方ありませんね』
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大して考えもせず迂闊に返事をしてしまったとユリは頬を赤らめた。しかし、ナザリックのシモベが『アインズ様の軌跡を辿りたくありませんか?』と言われたら『はい』と答えるしかないではないか。不可抗力である。
焚き火に太い枝を放った。火勢は強く、生木でも簡単に火がつく。
ゆらゆらと揺れる炎を眺めながら、さっきまで男が座っていた場所を見た。今はユリ一人だ。それが残念なようなほっとしたような、なんとも複雑な気持ちになる。
それと言うのもナーベラルのせいだ。
■
日が落ちる頃になって、ナーベラルから男へメッセージの魔法が届いた。
そろそろエ・ランテルに着くはずなのに影も形も見えない。何かあったのか。と、心配する内容だったらしい。よく言えば。
男が色々言い繕っていたのを見るにどうやらかなり追及されたらしいと察せられた。
直後、ユリの元へもメッセージが着た。
『その男はアルベド様が直属の配下になさっているだけあって人の皮を被った淫魔か淫獣の類です。おかしなことをされないように気をつけてください。もしも何かされそうになったら死なない程度に叩きのめせば大丈夫です。生きてさえいればルプスレギナの魔法で回復できるので』
焚き火を挟んだ向こう側で小枝を弄んでいる男をまじまじと凝視した。
ユリからは声を掛けなかった。男は飽きもせずに小枝を振っている。
沈黙の時間は長かった。
長い沈黙に焦れてユリから声を掛けたのだが、返ってくるのは生返事。ソリュシャンがいればこっそりトロトロOKのボーナスタイムになる。シクススなら容赦なく耳を引っ張って現世に帰還させる。
この男が深い思考に入るとうつろになることをユリは知らなかった。
やがて、ぽとりと小枝を落とした。呆然と口を開いた。
『ラウンドムーンキリングテックには改良の余地がある』
ユリは思わず額を押さえた。何を考えているのかと思えばそんな事である。とは言え、戦闘時のことを振り返って反省するのは戦闘者としては好ましい。
艶っぽい話ではないのでとりあえず合いの手を入れた。
剣ではなく拳を使うユリには直接関係ある話ではなかったが、全くの無益でもなかった。
曰く、『剣術は何でもかんでも円を重視し過ぎである。関節を支点に動くのだから円になるのは当たり前。これがただ速度を求めるだけなら角速度を最大限に活かす円が重要になるのは理解できるが、戦闘では速ければよいものではない。速さよりも短時間で目標に到達することの方が重要である。ならば僅かな速度増よりも最短の距離を選ぶべき。必要なのは円よりも直線である』
『残念ながらラウンドムーンキリングテックは終わりました。私はここにスクエアホライゾンキリングテックを提唱します』
ユリはちょっぴり頭が痛くなった。もしかしてこの男はバカなんじゃないかと思い始めた。過程はまともそうなのにどうして結論がそうなるのか理解出来なくもないが共感したくない。
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とりあえず思索は終わったようで、以降はユリの言葉にもちゃんと反応するようになった。
その時、最後にした質問が不味かったかと反省する。ナザリックのシモベであっても善性を持つユリは、人間の男だろうと彼の気分を害してしまったことにいささかながらに申し訳ない気持ちを持った。
『さっきは器用に火をつけていましたね。以前は何をなされていたのですか?』
『ユリさんはご存じだったと思いますが長く囚われていました。何をしていたかと聞かれても困ります』
アルベド様が初めてこの男をアインズ様へ拝謁させた際にはユリも同席していた。
『それ以前のことです。囚われる前はどうだったのですか?』
十余年囚われていた。しかしそれが生の始まりではない。それ以前があるはず。自由だった頃は、今の年齢から逆算して十歳になるかどうかだろう。
男はおもむろに立ち上がり、顎をさすった。
『私の背は高いでしょう? 王国の成人男子の平均より大分高いと思いますよ』
王国人の身長など知らないユリだが、女性としては長身なユリよりも高いのは確か。
『顎もこの通り細いものです』
例えば故人ではあるが、王国戦士長のガゼフは厳つく張った顎をしていた。それに比べれば確かに細い。とは言っても、ナザリックのシモベ達で人の形をしている者は皆顎が細い。そう言われてもユリには何のことだかわからなかった。
『それが何か?』
『成人してからの身長は、生まれよりも幼少期の栄養状態が大きく影響します。顎が細いのは柔らかいものを食べていたからです。幼い頃から栄養がある柔らかいものを食べていたという事です。それなりに裕福な環境で育ちました』
王国に限らず時代と土地を越えて、女が結婚相手に高身長を選ぶのは、それが裕福な家庭で育った証拠だからだ。尤も、食の豊かさが隅々にまで行き渡れば身長で判断することはなくなるだろう。
例えナザリックが存在せずとも、王国では絶対に辿り着けない未来である。
『ただ………………』
『……? どうしました?』
『いえ……、少々催してしまいました。ここでするわけにはいかないので少し失礼します』
『…………わかりました。暗いので気を付けてください。それと遠くまで行かないように。声が届く距離でお願いします。足元を確認してから踏み出してください。それとも松明を持っていきますか? これくらい太い枝なら簡単に消えないと思います』
『日中歩き回ったので問題ありません。枝の張り具合まで覚えてますから。ご配慮、ありがとうございます』
露骨に話題を逸らされて、ユリは失礼だとは思わなかった。それどころか話し辛い事を聞いてしまったのかと罪悪感を覚えるほど。
人間の男であってもナザリックの一員であることに変わりはない。
ナザリックで生まれた自分たちは生まれた時から栄光の日々にあった。この地で生まれ今日まで生きてきたあの男にはそれなりの過去があるのかも知れない。
小用を終えて戻った男は、明日に備えて眠りますと馬車の方へ歩き去っていた。
しばらくして、馬車の扉が閉まる音が聞こえた。
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一人残ったユリは残念なような安堵したような申し訳ないような、複雑な気持ちを抱えさせられた。
繊細なことを迂闊に訊いてしまったのはもう仕方ない。過ぎたことだ。あちらが明日になっても引きずってるようなら素直に謝罪すべきと心の中でけりをつける。
すると残るのはナーベラルの言葉。
『人の皮を被った淫魔か淫獣の類』
男の淫魔と来れば女にいやらしい事をするに決まっている。
しかしながら、ユリは何もされてない。される気配もなかった。
昨日今日で何度か胸をチラ見されたが、その程度はいつものこと。なにせユリの胸はとってもおおきい。
どれほど大きいかと言えば、ルプスレギナから『でっかいっすねえ。そこに何を入れてるんすか? メロンっすか? ……それともスイカ? スイカップってやつっすね!』と言われたことがある。ルプスレギナも十分大きい方なのに。
とても大きいのでどうしても目を引いてしまうのだ。誰からもチラ見されるので視線には敏感である。
視線の種類にも敏感である。いやらしい下衆なことを考えていれば気付く。
向けられた視線はいやらしいものではなかったと思う。
己はやまいこ様から美しく創造されたはずなのに、こうも興味を向けられないのはどういう事だろうか。
もちろんのこと、おかしな思いを抱かれても困る。手を出されたらナーベラルの助言に従って、叩きのめすまではいかないだろうが昏倒くらいはさせるつもりでいた。
幸か不幸かそんな気配は皆無だった。
たまたま自分はあの男の好みではなかったのかも知れないが、ナーベラルがあんな事を言ってきたと言う事は、ナーベラルはそんな目で見られたかそんなことをされたかのどちらかになる。
ナーベラルはそんな対象なのに自分は対象外であるらしい。
男への好悪以前にそんな事実を突き付けられると、女のプライド的な何かが荒ぶってくる。
「…………ふう。まったく……、ボクは一体何を考えてるんだろ」
つまらない思いを吐息と共に吐き出して、誰もいないのをいいことに素に戻る。プレアデスの姉妹の中では、お嬢様ロール中のソリュシャン以上に淑女然としているユリなのに実のところボクっ娘であった。
焚火の中に枝を放る。
拾い集めた枯れ枝ではなくユリがへし折った太い生木である。赤々と燃える炎に炙られて、ユリがぼんやりと見ているうちに火が点いて燃え始めた。
デュラハンであるユリに睡眠の必要はない。疲労もない。このまま夜が明けるまで火の番をして、モモンに扮していたアインズ様に想いを馳せるのも悪くない。
そう思い始めた矢先である。
「――。――――。――」
(人の声?)
ユリの耳に声らしきものが届いた。
護衛対象の男は馬車の中で眠っているはず。馬車の中で喋ってもここまで届くわけがない。ナザリック製の馬車は防音性だって完璧なのだ。
となればそれ以外。街道を旅している者が焚火の明りに引き寄せられたのかも知れない。
「――、――。――?」
しかし、声は近付いて来ない
そこそこの距離があると思われるので、もしかしたら焚火に気付いてないのかも知れない。
しかし、この距離ならその内に気付くだろう。
この辺りに夜盗はいないはず。いたとしてもとっくに駆逐済み。人語を解すモンスターは街道からは遠い森の奥にいる。
日中現れたゴブリンやオーガの同類ならもっと騒がしいはずである。
正体がなんであれ、確かめないわけにはいかない。
デュラハンであるユリは夜目が効く。習得しているスキルによって、近付けば対象の数や強さを把握できる。
間違っても小枝を踏んで「パキリ」と言わせるお約束をしないように足元に注意して近付いた。
(………………馬車の中に入ったんじゃ?)
見る前にわかった。馬車の中で寝ているはずの男がいた。
木陰に身を隠してそっと覗くと思った通り。暗がりにも輝く銀髪が見えた。
(………………あれは!)
そこにいたのは男一人ではなかった。
■
「野営するそうよ」
「野営!? なんでどうして!? お兄様は私の所に帰って来たくないの!?」
「どーしてソーちゃんのとこに帰るってことになってるんすか?」
「私とふかふかのベッドで寝るより地べたで寝る方がいいって言うの!?」
「……全然聞いてないっすね。大体なんでソーちゃんと一緒に寝ることになってるんすか」
「…………モモン様から冒険の話を伺って一度やってみたかったって言ってたわ」
「つまりナーベラルのせいね!」
「どうして私のせいになるのよ!」
「ナーベラルはモモン様と一緒に冒険してたじゃない! アインズ様と一夜を過ごすなんてずるいわ私と代わりなさい!」
「それとこれとは関係ないでしょう!?」
仲麗しい姉妹のはずなのに、男とアインズ様が絡むと話は別らしい。
喧嘩を始めた三女たちに嘆息したルプスレギナは、
「帰ってくるのは明日ってことで、私はご飯に行ってくるっすよー」
妹たちを尻目に一人でさっさと夕食をとり、風呂を使って体の隅から隅まで念入りに洗った。
寝室に入ると鍵をかける。
念のために、丸めた毛布をベッドに乗せて偽装する。
窓を大きく開け放ち、外へと飛び降りた。
エ・ランテルの街を駆け抜け、城門は通らず城壁を飛び越える。
目指すのはエ・ランテルとカルネ村を結ぶ街道。
街道にはところどころに開けた土地がある。もしも二人が歩いて移動していたらどこで野営しているかわからないが、馬車と一緒なら見逃すはずがない。
ルプスレギナが全力で走れば、エ・ランテルからカルネ村までの距離を一時間と掛からない。
街道沿いに停まっている立派な馬車を発見した。その近くに焚火を囲む二人がいた。
ルプスレギナはにんまりとだらしない笑みを浮かべた。
▼
(どうしてルプーが?)
男と向き合っていたのは妹のルプスレギナだった。
向き合ってるどころではなかった。二人の距離はゼロ。ぴたりと密着している。
幸か不幸か、ユリは夜目が利いた。
(……、……、……。…………もしかしてあれ。………………キス?)
顔と顔もくっついている。位置と角度的におそらくは唇が重なっている。
ユリは妹がキスしている現場を見てしまった。
ルプー推しの声があったので走ってきました