カルネ村とエ・ランテルを結ぶ街道に速度制限はありません。仮にあったとしてもナザリックの馬車を阻む事など出来はしないでしょう。
ユリお姉さんが全速力で馬車を駆った結果、若旦那様は初リザレクションを経験することにはなりませんでした。
お屋敷に到着。ルプスレギナを駆り立てて即座に回復。
同時に馬車に乗り込んできたソリュシャンお嬢様が丸呑み。トロトロのためではありません。若旦那様は現在お屋敷の中にいるはずなので、外から帰ってくるのはおかしいのです。元から変装して戻る予定でした。
若旦那様が吐き出されたのは、たった数日しか離れていなかったのに懐かしさすら感じるお屋敷の書斎でした。そこで不思議なことに出会いました。
銀髪に異色光彩の男が自分を見下ろしています。鏡で見た顔です。自分自身が自分を見下ろしていました。
一瞬で気付きました。
「お初にお目文字いたします。パンドラズ・アクター様でいらっしゃいますね。モモン様とアインズ様の影を担う大変お忙しい最中にこのようなご迷惑をお掛けしてしまい、大変ありがたく存じております」
「……ふむ」
グレータードッペルゲンガーのパンドラズ・アクター様が、急にいなくなった己をメイドたちから不審に思われないよう姿を変えてくださっているとナーベラルから聞き及んでいました。
「ナザリックでもパンドラズ・アクター様のお話は耳にしました。是非とも一度お目にかかりたいと思っていたところでございます」
「ほう? 私に何かあると言うことですか? 言ってみなさい」
パンドラズ・アクターは、アインズ様からは「アルベドが面白い人間を飼い始めた」としか聞かされていませんでした。
この数日、モモンとアインズ様とこの男の一人三役をこなし、その間に多少のことは聞いています。物怖じせず、マイペースで、頭はそれなりだとか。その話をしてきたのがお屋敷に残るソリュシャンとルプスレギナ、モモンのパートナーを務めるナーベことナーベラル。いずれも人間を蔑視する者たちです。それなのに高い評価をしているのが不思議ではありました。
パンドラズ・アクター自身も僅かながらも興味を持ち始めたところです。
今のところは可もなく不可もなく。
自分と同じ顔を前にしても驚くことなく、一瞬で正体を察したのは、あらかじめ聞かされていたとしてもなかなかの落ち着きよう。
己の前に跪き、へりくだった言葉を使うのは最低限の礼儀。以前はどこで何をしていたものか、所作はナザリックでも恥ずかしくない程に様になっている。
初対面であり、こちらが上位者であると知った上で何かしらの願い事をする図々しさ。もしも自分ではなく気性が激しいシャルティアであったら頭と胴が分かたれても不思議ではない。胆力があるのか愚かなのか、こちらの性格を察した上での行動か。
「ドイツ語を教えていただけませんか?」
「……………………」
パンドラズ・アクター、無言。
若旦那様は、これは駄目かもわからんと思いながら、どうして教えて欲しいのか切に訴えました。
「アインズ様のご温情により、私は最古図書館の利用を許されました。無数の書物の中にはドイツ語で書かれたものも少なくありませんでした。私はそれらを是非にも読んでみたいのです」
知恵の実がある。手を伸ばせば届くかも知れない。その手段が目の前に。
「パンドラズ・アクター様がどれほどお忙しいかは存じております。ですので、せめて発音だけは御教授いただきたいと存じます。辞書は借りてきたのですが、発音記号だけを頼りにするのはいささか心細く」
言語とは時空の融合です。目が捉える空間、耳が感じる時間。耳で聞く言葉と目で見える文字が結びついて一つのモノを指しているのです。言葉と文字は、音と物体に置き換えても構いません。言語は視覚と聴覚が融合した末に生まれたのです。故に、言語を学ぶ上で発音を覚えることは非常に重要なのです。どちらかが欠けても習得は不可能ではありませんが、遠回りになることは間違いありません。
「……………………」
パンドラズ・アクター、未だに無言。じっと若旦那様を見下ろしています。
若旦那様は、これは駄目かもわからんと思いながら、一番大きな理由を挙げました。
「ドイツ語って響きがとてもカッコいいです。本を読むだけでなく、ドイツ語で必殺技を叫びたいんです!」
「……………………
「おお!?」
パンドラズ・アクターが光った!
否、変身を解除して真の姿となったのだ。
しかしその場にはいない。高く跳躍し、ぐるぐると回転しながら天井にぶつかるところを、二本の足で着天井した。
天井を強く蹴りつけ、勢いよく床に着地する。
ふわりと舞ったカーキ色のマントが床に降りたと同時に、くるくると宙を飛んでいた制帽が丸い頭に深く被さった。
ピッと人差し指だけを伸ばして制帽を少し持ち上げる。
覗く顔はまん丸な卵に三つの穴が空いただけの異相。
「………………かっけぇ!」
着地ポーズを決めるパンドラズ・アクター様を、若旦那様は目を輝かせて見つめていました。
卵に穴三つの異相ではありますが、ナザリックにはもっと凄い方がいっぱいおりました。このくらいでビックリはしてられません。
「ドイツ語はカッコいい。そう言いましたね?」
「はい。最古図書館で出会った小説にはカッコいいドイツ語の必殺技がいっぱい出てきました。あんなにもカッコいい言葉なんです。私も使ってみたいです!」
「…………ぃぃぃいよろしいいいぃいいいいぃぃい!!!」
叫んだ。
マントを跳ね上げて立ち上がり、大きく手を振り上げた。
「この私が! このパンドラズ・アクターがぁぁぁ! あなたにドイツ語を教授しようではありませんか!」
「おお! ありがとうございます!」
「
「ふぁるす? だんけしぇーん?」
「違います! Danke schön ! もう一度!」
「ダンケシェーン」
「Danke schön !」
「ダンケ、Danke シェーン」
「Danke schön !」
「Danke schön !」
「よろしい!!!」
出会ってはいけないモノが出会ってしまった。
書斎には二人以外に、ソリュシャンとルプスレギナとナーベラルとユリの、プレアデスの姉妹が四人も揃っています。
四人の内、ただの一人もついていけませんでした。
呆然としながら書斎を退去する段になって、若旦那様をパンドラズ・アクター様にとられてしまったことをようやっと気が付きました。
気付いたところでどうにもならないことですが。
こうしてアインズ様が遠征に赴いている間、漆黒の英雄モモンと美姫ナーベは、エ・ランテルのお屋敷に時々滞在することになりました。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
大きな天幕が張られている。
内部は広く、調度は豪奢そのものである。王侯貴族が滞在してもおかしくないどころか、ナザリックの賓客を持て成せるほどに。
当然のことと言えよう。椅子に深く腰掛け何かしらの書面を読み進める男は王なのだから。
魔皇である。
ただし、今は仮面を外し、魔皇ヤルダバオトからナザリックの忠実なシモベ、デミウルゴスに戻っている。
不手際と言うほどでもない行き違いが生じていた。デミウルゴスの元へナザリックから封筒が届いたのだ。司書長によって封印されていた封筒を開くと、出てきたのはいつぞや人間の男に出した課題のレポートであった。
急ぎではない。聖王国での仕事が終わってからで十分だった。
ところがナザリックに残るデミウルゴス配下の悪魔は、司書長の印璽が押された封筒を重要な書類と受け止めて急遽転送。間もなくデミウルゴスの元へ届けられた。
折角届けられたので、気分転換に読み進めているところである。
レポートは一部だけで足りるところを全部で三部。
一部と二部にはアルベドの痕跡があった。代筆した司書長のティトゥスは気付かなかったがデミウルゴスは気付いた。
構成や言い回しにアルベドらしき癖がある。尤も、アルベドはレポートを提出させる目的は察しているだろうから、必要以上に手を入れていないだろう。文章の書き方は後々覚えさせればいい。要は内容だ。この短期間でよくぞと思わされた。
短期間だろうと採点が甘くなるデミウルゴスではないのだが、及第点に届くと判断。
少々実務を覚えさせれば政策立案を任せてもいい。しかし、アルベドの様子を思い起こすと使い物になっても表だっては使いたがらないかも知れない。
「これはこれは…‥」
そして、ティトゥスが問題作とした三部。
思わず苦笑をもらした。
「デミウルゴス様は何をお読みになっているのですか?」
ヤルダバオトからデミウルゴスに戻っている今、周囲にはナザリックのシモベしか近付けないようにしている。
天幕の外では悪魔たちが警邏し、天幕の中ではメイド悪魔に扮するエントマだけが控える。こちらも仮面を外し、メイド悪魔からプレアデスのエントマに戻っている。
デミウルゴスの楽しそうな様子が気になった。話したがっているように思えた。
「エントマはアルベドが人間を飼い始めたことを知っていますか?」
「アルベド様が、でございますか?」
「食用だそうですよ。尤も、血肉ではなく精気を吸うらしいですが。ああ、血も美味しいようですね。アインズ様の御前にも関わらず、血を一舐めしたシャルティアが我を忘れるくらいですから」
「…………」
そこまで血が美味しいならきっとお肉も美味しいに違いないと思ったエントマは、思わず喉を鳴らした。唾を飲む音ではなく固いものが擦れる音。
「アルベドは己の食事のためだけに飼い始めたわけではないようですね。人間にしては中々優秀です。少しアルベドを手伝おうと課題を出したのがこれです」
紙の束を見せつけた。細かい文字がびっしりと書き込まれている。そちら方面はちょっとあれなエントマはちょっとだけ後ずさった。
「魔導国の首都はエ・ランテルです。エ・ランテルを如何に発展させどのように設計するか、その都市計画を立てさせたのですよ。無論、このままでは使い物になりません。これはあくまでも課題図書の理解度を測るためのレポートですから。まあ、及第点を与えても良い出来です」
知識労働におけるデミウルゴスからの及第点がどれほど難しいことであるか。
「但し、この三番目のレポート。これは評価が難しい。ナザリックのシモベであれば、理念には誰であれ賛同するでしょう。しかし実行に移すとなると。私は心惹かれるものがあるのですがね」
紙束を三つに分け、内二つを机に戻した。手にしているレポートが三番目であるようだ。先の二つに比べれば厚さは半分以下である。
「エントマの意見を聞いてみたいですね」
「い、いえ……、私がデミウルゴス様に意見などと……」
細かい字がびっしりのレポートを読みたくないのである。しかし、ストレートにそんなことを言えるわけがない。
エントマの胸中を察したデミウルゴスは軽く笑った。
「読めとは言いませんよ。要点を簡単に説明しましょう」
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現在のアインズ様はアゼルリシア山脈へ遠征に赴いています。世界の全てはアインズ様の支配下にあるのが正しい形。ですがそれだけが目的であるならアインズ様御自ら遠征に赴く必要はありません。私たちが聖王国で活動しているように、シモベ達にさせれば済むことです。
何故アインズ様御自身が?
アインズ様は新しいものをご覧になりたい、未知をその手にしたい。このレポートではアインズ様のお望みをそう推測しています。アインズ様が漆黒の英雄モモンとして御活動されていることから、このような考えを持ったようですね。アインズ様は予てより「新たな世界を、冒険を」と仰っておられました。それほど的外れな推測ではないでしょう。
人間とは言えアインズ様のお望みを真摯に考えているのですよ。それを不敬と断じるものではないでしょう。
新しいもの、未知のもの。アインズ様は魔導国において冒険者の育成を考えておられます。モンスター狩りだけの冒険者ではない、新たな世界を切り開く真の冒険者の育成です。
このレポートが指し示すのは、方向性は同じでも手段が全く異なっています。
あの者は「新しいもの・未知のもの」を芸術と捉えています。芸術は代を重ねる毎に細分化し、美術と技術に。またそれぞれも細かく専門化していくでしょう。
つまり、芸術の都を作るべきと主張しています。
あまりに青臭い理想です。だからこそ理念としては美しい。
時を経れば、いずれはアインズ様の無聊をお慰めするものが出来るやもしれません。
ここまでであれば、セバスであっても賛同することでしょう。
ですが、実現するための手段が問題です。
ナザリックのシモベであれば誰でも知っているように、ナザリックの文化水準はこの世界に比べると天と地以上に隔絶しています。
わざわざ劣ったところから育てるのではなく、始めから高度な教育を人間に与えるべきと言っています。
ああ、エントマの考えることはわかりますよ。ナザリックの文化が下等な人間に簡単に理解できるわけがありません。ゆえに、教育を与える人間を厳選することを考えていますね。
教育を受ける余地がない者、文化や文明からかけ離れた生活をしている者、それらは全て除外します。
その除外方法というのが……。
序章に書いてあります。ここだけでよいので読んでみなさい。
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「お肉もったいないぃ!」
エントマは思わず叫んでいた。
お肉大好きなエントマには到底許せない言語道断な所業。
「もしも実行されたらある程度は保存しておくことも可能でしょう。全てを保存するには第五階層が100個あっても足りませんが」
カルマが極悪であるデミウルゴスさえ思いつきもしない悪魔の所業。
ゲヘナ作戦の舞台となった王都を越える地獄が世界中に現出する。
確かに手間は掛かる。しかし実行は不可能ではない。魔導国の規模が小さい今だからこそ可能な手段。
「アインズ様が魔導王としてこちらへお越しになる前に最終的な打ち合わせが必要です。その際に、人間にはこのような考えを持つ者がいると報告すべきかも知れませんね」
十中八九どころか確実に却下される。デミウルゴスはそうなって欲しいと思う。
しかし、万が一にも実行を許されたら。どのような光景が出現するかを想像し、胸が高鳴ってしまう。
三番目のレポートの序章において、ティトゥスが男の正気を疑い、エントマが叫び、デミウルゴスが心躍らせる手段とは、古い四騎士の一つを召喚することである。世界に終末をもたらす四騎士の一である。
騎士の名を飢饉と呼んだ。
▼
お説教を越えた叱責フラグが立ってしまった。
第二部完!
一部がアルベドのお食事なら二部はナザリック訪問編でしょうか
第三部未定
とりあえずユリの話を出さねばとは思ってます
その後は間が空くかもしれません
察している方がいるかも知れませんが、諸事情により検索・ランキング除外設定にしています
出来ればそんな設定にしたくないんですけどね