愛香の
吊り上げられた柳眉。
風情に似合わぬ言葉。
いまから思えばどこか作り物っぽく、そして何より必死めいて。まるでこちらをワザと怒らせようとしていたような。
「あの時、気づけなかったのは――キミの一世一代ともいえる失敗だったな」
護衛は呆然とする『九尾』を一瞥したあと、彼方に
「茂みから監視しながら、あぁ、コイツはバカやってるなと思ったぞ」
ややおくれて
「――じゃぁ、護衛さんは!
思わず反抗的な口ぶりとなって、
「護衛さんは、スグに分かったんですか!?」
「もちろん。ワリと下手な芝居だったから……」
冷静な回答。
返しワザで、グッサリとどめの一撃を刺された気分。
夕方の風にイヤな汗をかいた身体を冷やされながら、『九尾』は
彼方で明滅する魔都の灯りがチラチラとまわり、虚無感を加速させる。
いわれてみれば――思いあたるフシが多すぎた。
あの愛香が。いきなりあんな乱暴な言葉を。
「なんで気が付かなかったんだろう……」
生まれて初めての告白に、自分がテンパっていたから?
あるいはプライドを手酷く傷つけられて依怙地になったのか?
闇の温室という慣れない空間で、自分がオカしくなってたのかも?
――というのは、言い訳か……。
あの当時の自分と今の自分。
まるで非連続な他人のように思える。
ひょっとして、女体化洗脳の
いやいや、そんなことで自分の失点を、うやむやにすることはできない。
それともジェットコースターじみた経験が、すこしばかり
だからサ、と護衛はグッと心安いクダけた調子で、
「そのブローチ、彼女に持っていってやりたまえよ」
彼は、護衛から渡された
そこでふと、ねぇ、と護衛に向き直り、
「……なんでボクにここまでして下さるんです?さっきまでは、話しかけても無視していたのに」
フン、とこの大人は鼻で笑い、
「前にも言った通り、あのセダンの中は、会話が記録される仕組みだ。それに私のスーツには、いつ撃ち
「……」
「だが、この
彼方上空を飛行船が航空灯を明滅しながらよぎってゆく。
ゆっくりと転針。フワフワと彼方へ泳ぎ去って。
それを大小のふたりはボンヤリと目で追いながら、
「“しなかった後悔”は“した後悔”よりたちが悪い。その後の人生で、いつまでもジクジクと心に刺さる」
キミには、そんな思いを抱えてこれからを歩んで欲しくないのサ、と男は手すりに背中で寄りかかり空を見上げる。視線を追うと、細い三日月が宙にかかって。
あの晩、すべての始まりとなった“夜の冒険”。
それを見下ろしていた、白銀の
「それだけのために……護衛さんはボクに良くするんですか?」
良くするだってェ?と、この大人は面白そうに、
「ハ!ま、毒を食らわば皿までってね」
「……スイマセン。いろいろと」
「冗談だ――いや半分は事実かな。キミのおかげで色々と面白い経験をする」
そう言って、護衛は非常用通話ジャックに手持ちの端末をつないでどこかに連絡。
しばらく話が続いていたが、ところどころに『九尾』という単語が入った。
やがて連絡を打ち切ると、携帯から宙に
「キミ、この街区に心当たりは?」
「いえ――はじめて見る場所です」
「
「分かりません」
「キミの名前を出してアポ取ると
住宅街の一軒家とも見える場所の地図が宙に浮かんでいた。
この前の銃撃戦を思い出し、ブルっと『九尾』は、
「……もし、ヤバそうだったら、すぐにズラかりましょうね?」
「彼女にも会わずに、か?」
「もう大切な人をなくすのイヤなんです。護衛サンまで、そんなことにさせたくない」
しばらくの沈黙の後、黒メガネの男はボソリと。
「……『
「え」
「連邦の「邦」に北斎の「斎」。行動時には呼びにくいので“ほうさい”と呼ぶ
「ありがとうございます。いろいろと」
「なに、これも任務だ」
「これも?」
「厳密には、リベンジというヤツかな」
護衛役は身体の向きを物憂げにかえ、遠い都市の灯りを眺めながら、もはや薄暗がりになったフロアで独り言のように、
「君を見ていると、むかしのアホな自分を思い出すのさ……」
おぉい!もうしめるよゥ!という堂守の声が遠くから伝わってきた。
車輪走行式のセダンは、優先活動を主張しながら、夕方のラッシュの中、車列をかき分けてゆく。自動運転モードにしないのは、護衛が用心しているためだろう。コントロールをハッキングされ対向車線にでもとばされて、自動ダンプと相撲を取らされてはたまらない。
商業地区からすこし外れた場所が指定座標だった。
そこへ近づく沈黙の車内からみる外の景色は、どんどん高級住宅街の様相に。
ふむ、と護衛はいったん車を止め、座席の下からPDWを出して助手席におく。
あ!と『九尾』はその
ミラが使っていたタイプと、同じモデルだ。
ただし、この男のモノは幾度も修羅場をくぐってきたのか、使い込まれた印象が。
炸薬弾頭も使える、小口径亜音速カートリッジ使用の
「くに――」
エ"ホン!と即座に護衛の咳ばらい。
ヤバい、盗聴されてるんだったと彼は気を引きしめ、
「護衛サン……それ、必要なんですか?」
「可能性はすべて考える。バックアップも
そう言いつつ、護衛は大きくハンドルを切った。
バックアップ云々の声が不必要に大きくなる。
『九尾』はピンとくる。
もしや、邦斎サンは、呼んでいないのかも。
――ひょっとして……すべて自分の責任で……。
ミラのことを聞くヒマもなく、車は指定ポイントにようやくたどり着く。
見ると、そこは一軒の大きなブティックなのだった。
新青山や第二白金にあってもおかしくない、打ちっぱなしコンクリートとガラスづくりな二層の建屋。表にこれ見よがしな格好で停まるのは、フェラーリ250GT。
壁面には、大きなショーウィンドー。そこに華やかなイブニング・ドレスが2~3着。樹脂製のトルソーがまとう形で、ライトアップ展示される意匠。それらを『
――このブティック……ただの店ではないような。
あたりの家はみなシャッターを下ろし、さまざまに凝った常夜灯が。
塀越しにヤシの木や、温室の屋根が見える邸宅も少なくない。
「ここですか……」
「イヤな感じだな……候補生『九尾』、念のためココにいろ」
「まって!だれか出てきます」
ブティックの
うす蒼な珍しい髪はウィッグかヘアカラーか。それとも遺伝子操作まで手がはいっているのか。
アンティーク・レースめいた
メイド服のボタン留めがきびしい豊かな胸。
彼女が姿勢を元にもどしたとき「あ」と『九尾』は声を上げた。
「――知り合いか」
「メゾン・ドールのメイドです。マネージャーの小使いみたいなことしてました」
たしか『
しかし、
イツホクがメゾン・ドールを統括する影の店長だということを護衛には黙っておく。なにが災いするか知れたものではない――そんな予感。
彼はコンバス・ケースの中から見た映像を思い出す。
あの時の初々しかった女子高生が、いまや目の前でキワどい衣装をまとわされて。
「
「えぇ、たしか女子高生……」
「腐った世の中だ――クソが」
めずらしく護衛が感情をあらわに。
そしてすぐに(しまった)と思ったか、『九尾』の注目に気付くと、あわてて顔を逸らして携帯火器のチェック。
結局、となりにある妙に大きな規模の駐車場にセダンを駐めて車外に出ると、ブティックの前庭にある門をあけ、彼女の案内で店に入る。
品のいい“プレタポルテ”のスーツやブラウス。
ハンド・バッグに洋装小物などが並べられた棚。
なめし皮。ナフタリン。新しいインナー・ウェアの匂い。
有閑マダム御用達の、ちょっと敷居の高いブティックという雰囲気。小規模な経営のわりには結構な金がうごく、いかにも国税の点数稼ぎに眼をつけられそうな店舗だ。
その後につき従っていると、『九尾』は彼女がしばらく見ないあいだに、メイド服ごしにも分かるほどメリハリの効いた男好きのする肉体になっていることに改めて気づかされる。
ムチムチと艶かしい動き。フェロモンの臭い。どういう心の動きか、ふいに反感と嫉妬が、彼の胸にゆれうごいて止まらない。それを鎮めようと、彼はつとめて冷静に、
「『雪乃』……さん?」
『九尾』の呼びかけに彼女は
「愛香はここに居るの?」
「……」
「キミ、女子高生だろ?自分の意志でバイトをしてるの?」
奥の部屋に向かうと見える扉に手をかけようとした彼女の動きが止まった。
そして、黙ったままうなだれる。
「
背をむけたまま、『雪乃』が、背中をまるめる。
眼尻を拭いたのだろうか。ハンカチを取り出してかるくおさえた。
「ねぇ、何とか言って……」
そう言いかけた『九尾』に彼女は振りむいて涙目な顔を見せると、しばらく迷うようだったが、やがて恥ずかしそうに
精神調教で彼自身が夢の中でされたように、ボッテリと膨らんだ紅い口唇。
その唇を、彼女自身がゆびで押し広げると……肉布団の奥に、歯列はなかった。
代わりに、∩字型をした白い合成樹脂の器具を
――まて。何か書いてある。
フェラドール育成具:Ø3.5
よくみると……のど元も、びみょうにふくらんで。
つまり彼女は非情にも、ながく柔らかいい棒状のモノを呑まされているらしい。
これでは答えがないのも道理だ。
そしてその“棒”は、どんな形をしている事やら。
『雪乃』は、店の奥にあった扉をあけた。
行く手に現われる長い廊下。
チリチリという音を先導に一行は歩いてゆき、やがて突き当りに位置するエレベーターで地下へ。扉がひらくと、そこは等身大のガラスケースが迷路状に配置された、広大な地下空間となっていた。もちろんガラスケースの一つ一つには、様々な衣装をまとったマネキンが思い思いのポーズで収まって。
ヒソヒソと護衛が『九尾』に耳打ちする。
「ここは“アジール”になってる。やっぱり
「『
「なに、アポを放ったらかす方が信義にもとる。堂々と行くだけさ」
部屋の奥に進むにつれ、マネキンの風情に変化がみられた。
しだいにリアル・ドールっぽくなってゆき、ついにはバニーガールやゴシック・ロリータの格好をされられた生けるが
少年を模した人形もあれば、少女の姿も。
ある一角には、ランドセルを背負った幼女の人形まで。
それら無機質な人形たちすべてが、どこか
「これは――
新製品のプロモーションなどで使われる精巧な
高価なロボットがこれだけ集まるのを見て、あらためてメゾン・ドールの財力を思い知る。
やがて広間の中央らしき場所まで進むと、見覚えのある姿がならんでいた。
ひとりは、ソファーに座ったイツホク。
今晩は以前のように
ブルゴーニュ・ワインのボトルを傍らに、上機嫌で一行を出むかえる風。
もうひとりは、
一瞬、メイクかと思われるほどのクマが目の下をふちどって、その奥から恨みがましいような
さらに「夜の温室」へと『九尾』たちを先導した、スーツ姿の女秘書。
完璧ともいえるプロポーションの身体を、タイトなスーツに包んで。
そして――最後のひとり。
ふたりの座るソファーのあいだに立ち、恭順な態勢のまま静かに命令を待つ、キワどいメイド服姿の少女。
――愛香……。
「よぅ、よぅ――お見事」
「みごと“荒波”を乗り越えたらしいじゃねェか。それにリッパな勲章までつけて」
「そちらの護衛さんも――そんな重いものは、お外しになったら?」
ヤワな腰に
『九尾』の背後で、男の気配がザワッ、と動く。
彼は“リッパな勲章”と皮肉げに言い放つメゾン・ドールの店長を見やった。
以前の印象より、どこか人物的に
ハッタリと、
上げ底めいた薄っペラさ。
うすいメッキの印象。
自分が低く見られ、さげすまれる雰囲気。それをこのユダヤ人は敏感な“商売人のカン”で悟ったらしい。それでも内心を営業スマイルに押し隠し、
「まずは、ご帰還祝着。
「さすが。アタシのカワイイ子猫たちを
黒髪が冷ややかな気配で、入ってきたふたりを
「ナターシャ……まだだ。まだ、ガマンしな」
――なんだろう……?
「さて、『成美』――おっと、いけねェ。『九尾』
イツホクは、傍らに佇立する愛香を親指でしめした。
「お望みのとおり、
愛香は緊張しているのか、硬い笑みを幽かに浮かべたまま、微動だにしない。
おそらく飼い主であるイツホクに遠慮しているのだろう。
これでは打ち解けた話もできない。
「彼女と……二人きりにしてもらえませんか」
「ソイツぁ、ムリな相談だ」
「――なぜです!」
「おいおい。ンなコワい
満を持したイツホクのゲス顔。
サッ、と『九尾』の顔色が変わる。
いやな汗が、首もとからジワリとわいて。
おそるおそる、彼はメイド服姿の愛香に近づいた……。