「愛香――ウソだよね?愛香」
返事はなかった。
微笑のなか、視線を結ばない虚ろな目が彼方に投げかけられて。
背後で広がるイツホクの、臭いオーデコロン混じりなニヤニヤ笑いの気配。
「彼女を……愛香を、
ふり返ると、女衒屋はグラスに血のような赤い液体を注ぎ、満足げにスワリングさせていた。。余裕しゃくしゃく、立ち上る香りを目を閉じでウットリと嗅ぎつつ、
「
「ウソだ!!」
『九尾』の叫びに、イツホクは茶化すような身振りで胸をおさえ、
「オオこわ。傷つくナァ……ウソなもんかィ」
先ほどの腹いせか、さらに芝居がかった
「アンタが雲海に潜ったキリと噂が伝わってな?
「やっぱり……ムリヤリそう仕向けたんじゃないか!」
「どこがだよ――まぁイイや。ところが、だ。コイツを最高
恐ろしい沈黙が訪れた。
『九尾』は自分の顔が信号機のように変わるのを、どこか遠くで自覚する。
交感神経と副交感神経が烈しくマウントを取り合って。
美しい“愛香”の横顔も、よくみれば毛穴ひとつなく異様なほどに滑らかに。艶やかな、思わず触ってみたくなるほどのみずみずしい
「で――だ」
イツホクはテール・コートの懐から、一通の封筒を取り出した。
封蝋はすでに破かれ、封筒じたい幾度もあけられ、くたびれた形跡。
「そのお人形さんからァ、お
すでにイツホクは『九尾』を『成美』扱いにして。
あの馴染みのある視姦するような目つきで彼を嬲る。
差し出された手ずれ感のある封筒を、彼は受け取った。そして無情に微笑に凝固する愛香の顔を見ながら、折りたたまれた紙を若干ふるえる手つきでとり出す。もとは花の香が付いた便箋だったのだろうが、イツホクの中年臭いオーデコロンのにおいがうつってしまい、臭いことこの上ない。
彼は、重苦しい沈黙のなか、読みだした。
愛香の手紙
――九尾さま。
この
でもどうかご心配召されませぬよう。
これも私のような穢れた者が
思えばあの夜。
九尾さまに、お
またそれを
いま振り返っても、よくぞ
貴方さまは、絶対にこちらの世界に来てはならぬお方です。
金銭と邪欲にまみれた穢らわしい地虫の群れに混じるのではなく、高潔な蒼い空を、どこまでも自由にお飛びなさってくださいまし。
それがために、わざわざあのような振る舞いを仕出かしました私を、
貴方さまを口汚く面罵したときの私の胸の痛みを分かって頂けたら!
これが私にできる貴方さまへの唯一の想いのかたちである事。それを思うときの情けなさ。悔しさ。つくづく、零落した我が家門に降りかかった不運を呪い、またわが身の境遇を口惜しく考えざる〇得ません……。
涙のあとだろうか。
雫のしたたりがダーク・パープルなインクを溶かし、吸い取り紙を使った
『九尾』は便箋の二枚目にうつる……。
いいえ――いいえ。
つまらぬ
もとをたどれば、我が家門の浅ましさ故の
そして、味気ない奉仕に身を粉にする日々を過ごしていた時でした。
あなた様が、あの恐ろしい雲海の底に挑まれ、いまだ帰ってこないとの知らせを側聞した時は、本当に心が闇に
そんな折、私の妹である貴方さまのお名前の元になりました、わが妹の愛香が
心の
そうしてジワジワと、
それを聞きました時、天にも昇るような心地になった半面、自分がしてしまった取り返しのつかぬ恐ろしい決断を
そのときは、もはや涙も取り
しかしながら、いっそこれで良かったのだ、とあきらめ思うはしから
三枚目の便箋は、すこし文字がみだれ、
そんな益体もない妄想すら、心に湧いてくるのでございます。
いま、私の身体には、おそろしいおクスリが巡っております。
美しさを永遠に保つ半面、考えをにぶらせ、自分の意思を喪くし、ただ購買主の意のままにされるための“
あぁ、また処置の時間がきました。
こんどは口にするのも忌まわしい手術をされるのでございます。
イツホク様は、手紙を書き続けろと強いて申されます。この手紙も書き上げたのちは手を加えることの無いよう取り上げられてしまうのです……。
「ここに……手紙を書いたら取り上げられるとありますが?」
「書き直したり、推敲させないようにだよぉ」
「――なぜ?」
「思った通りのことを書いてもらうためサ。変態どものオモチャに改造されてく少女のココロ……ソソるじゃねぇか……」
イツホクは、手にしたワインをひとくちすすった。
『九尾』は首をふりながらため息をつき、そして手紙の書き手を見た。
物言わぬ愛香は美しく装われたまま、セールス用の微笑の面をうかべて。
やがて手にした紙をめくり四枚目の便箋にうつったとき――彼はギクリとする。
わたくしわ、とうとう、あさましいおにんぎょうになりました。
みなさんわ、こんなわたくしを、とつてもきれいだと、いつてくれます。
だけど、いくらきれいでも こころがなくなるのは かなしくて、くるしくて むねのなかで なきそうになります。
きようは、また おまたのおくに あたらしい おどうぐお つけられました。
これをいれると とのかたが おなさけをわたくしのからだにそそぎほうだいとなり とつても よろこんでくれるのだそうです。
わたしはいやです。
ちつのなかにいつぱい しんじゆをうめこまれ ばぎなをいぢられるたび あたまのなかが まつしろになり、わたくしがどんどんきえていつてしまいます。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい たすけて
さいごの便箋を見るのは、さすがに勇気がいった。
妙にからだが冷える。
つめたくなったほおに傷がうずいて。
イツホクの方をチラ見すると、燻製のチーズをかじりながらワイン・グラスの陰で子供のような純粋な笑い。愉しんでいるのだ。こちらの動揺を。
意を決し、ふるえる手でめくると――。
案に反し、まるで印刷されたような正確無比の手書きな字体が、
・執筆用オペレーション・キャラクターが用意されていません
(Error code:404)。
・当該人格をご利用済みで同様の状態が出る場合は、
お手数ですが御購入の店舗にお問い合わせください。
目の前が一瞬、暗くなった。
胸が、鉛を呑み込んだように詰まる。
両脚に力を入れ、かろうじて候補生らしく踏みこたえた。
そして、もはや単なる容れモノと化した愛香を『九尾』は
おもえば紅茶にクスリを盛られるところを、彼女は身を張ってふせいでくれたものだった。一歩間違えれば自分が女体化され、メイド服を着せられて彼女のようにされていたかもしれない。結局、またも自分は返せない恩を受けたわけだな、と『九尾』は考える。
そんな彼を長々とうかがい、抑えていた喜色をようやく解放するころあいとみたか、ナターシャと呼ばれた黒髪の調教長は立ち上がると彼のまわりでトントントンと華麗な足捌きでステップをふみ、
「ねぇどんな気持ち!?ねぇ?ねぇ?お気に入りの女の子が、自分のせいでメス人形になっちゃった気分は!?」
もはや“ザ・マ・ぁ”的な嬉しさを隠そうともせず、調教長は軽やかに彼のまわりで即興のタンゴを踊りつつ、
「あ~ぁ、あ~ぁ、お人形(ハッ!
お人形~になっちゃった♪(マァ!
だ~れか・サンの、せ・い・で(ホッ!
アタマはカラッポ、
身体はエッチに、
お
これがホントに超絶品♪(アラ∮
あとは、インラン人格いれられ、ご奉仕マ〇コに早変わり(アン♪
こんなにミジめな、お
いったい、いったい、ダレのせい?(ヨッ!」
まるで躍り上がるように、満面の笑みでひとしきりステップを踏んだあと、このコワれかけた教導長は黒髪を乱し、一転、ハッタと『九尾』をニラみつけ、顔を寄せるやドスのきいた声で、
「ゾーロタとシリブロの
『九尾』は爛々と光るあいての
イツホクの方を窺うと、かれもサジを投げたふうに唇をへの字に肩をすくめ。
九尾は辺りを見渡す。
様々な衣装をまとわされ、無表情に――あるいは媚びるように。
陳列ケースの中に佇立する少年少女たち。
大人の打算と欲望のままに、改造され、改変され。
『九尾』はひとつノドを鳴らし、
「……一体で、幾らぐらいなんですか?」
ほ?とイツホクは面白そうに、
「お買い上げになると?値段は――そりゃイロイロでさぁ」
影の店長は、ペラペラと道化役者の口ぶりで、
・単に置物や機能のない
・人格注入タイプや軽作業ができる品だと、その3倍。
・さらに見目が良い個体は、プラス300ギニー以上。
・夜のお相手ができる商品は、2000ギニー以上。
(性技のインストール代は、1テクごとに追加で別途申し受け)
・加えて見目麗しい美品は最低でプラス300以上。
・デザイナーズ・ヴァギナ仕様は加えて1000ギニー
「細部にまで手を加えた芸術品クラスは……いやはや青天井ですなァ」
「アンタみたいな貧乏候補生には手ェ出ないわよ。ザマぁ!えぇそう。ザマぁって言ってやったのよ?分かる?頭のいい毒蛇さん?
ナターシャは、黒髪をふりみだし、口のはしに泡を噛んで『九尾』をキラキラと見つめる。
妙に明るい笑顔から漂ってくる荒涼とした気配。
ささくれた感情が、目にクマを浮かべた仮面のすきまからほの見えて。
イツホクも、いい加減マズいと感じたのか屈強な黒服たちを呼び、なかば暴れる彼女をどこかへと引き取らせた。
騒ぎが収まってから“影の店長”はふぅ、と息をつき、
「ヤツも手塩にかけた“妹たち”が木偶人形になっ
まるで人ごとのように呟き、テーブルに載っていたグラスの赤ワインを含む。
LA T
けっこうなインセンティブがつく銘柄だな、といまの騒動の余波が収まらぬ『九尾』はボンヤリ思う。やがて彼は、ふと思いついた質問を、相手にぶつけた。
「愛香は――愛香はいくらなんです?」
心ならずも声が上ずってしまう。
イツホクは爛れた笑いをみせるや、今度は通販ch社長の口ぶりをマネて、
「はぃっ!みなさま。今日ご紹介いたしますファッション・
・パーソナリティ任意注入可能
・デザイナーズ・ヴァギナ(ミミズ千匹タイプ)
・スキン再生可能仕様(ケモナー・コンバーチブル)
・労働学習機能付き
・48手の性技をインストール済み
・オプションで母乳生成システム追加可能
・オート
……等、等、等。
「わーすごいですねー、でも……お高いんじゃないの?」
「いえいえ、そんなことはございません」
……などと独り芝居でイツホクなかなか芸が細かい。
「――以上の機能を持ちながら!今ならなんと!9980ギニーのご奉仕価格でご提供となっております」
「これはお買い得ですねー」
「それだけじゃァありません。本日はとくべつに!なんと魅惑の着せ替え衣装・三点セットもついて――」
あとの寸劇は、彼の耳に入らない。
――9980ギニー……。
絶望が、頭上から降ってきた。
『九尾』はクラクラと絶句する。
超・高級マンションが一部屋、優に買える値段。
イツホクは、蒼ざめるそんな彼の面差しを至上の
「単純に夜のお相手が欲しいなら……イイのがあるぜ?――『雪乃』?」
言われた少女メイドが首輪を押す。
すると、それが合図だったかのように、遠くからチリチリと音が近づいてきた。
彼らのまえに現れたのは、『雪乃』と同じような衣装を着せられる、一人の美少女。
ふくよかな胸。
コルセットで絞られた胴。
むっちりとした量感のある腰つき。
うすく化粧を
チリチリと音をたてるところを見ると、やはり彼女も『雪乃』とおなじく、前と後ろに
「どうだィ、この娘なんか。もっか売り出し中なんだが……」
イツホクのニヤニヤ笑いが、ふたたび。
ワイン・ボトルの傍らにあったリモコンを動かすと、パニエで広がるミニスカートの奥からモーター音の唸りがして、鈴の
少女はいやらしいメイド・ドレスで包まれた身体を固くし、おり曲げた右手の人差し指を赤い唇で噛み、目をつぶってジッと耐える風。
やがてイツホクはモーターを止めると、
「さ、お客様にご挨拶するんだ――『
『九尾』は、目のまえで恥ずかしそうに
――まさか……そんな。