※この作品はR-18です。

玲瓏の翼【18禁版】   作:珍歩意地郎_四五四五

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087:最後の破片のこと

 

 

 

 暗夜の嵐が凄かった。

 

 まるで事象面を掻き乱すように、なま暖かい颶風(ぐふう)が都市を吹きわたり、ビルというビル、高架という高架、路地という路地を縦横無尽に奔り抜ける。

 さきほどまで烈しく降っていた雨の匂い。

 かとおもうと一瞬、それにまぎれる花の香り。

 見上げれば、風のやってくる雲が暴れる暗天には、どこか雷球でも内包しているような緊張めいた気味がある……。

 

 『九尾』は護衛ふたりに間隔をあけて後を追けられながら、傘も持たず春物のギャバジン・コートで夜を彷徨(さまよ)っていた。

 毎夜、人の流れが鎮(しず)まってから許される90分間の自由外出。御前試演に向けて日ましに高まる緊張をなぐさめる唯一の時間。

 今夜は旧市街まで車(セダン)で乗りつけて、そこから徒歩での自由散策となった。

 

 

 事象震の暴風が吹き抜けていることもあって、街にひとけはほとんどない。

 誰も通らない横断歩道の明滅。見る者のいないネオンサイン。

 時折リニア・カーがジェネレーターを響かせて通りすぎるだけの世界。

 

 突然、吹き荒れていた風がやんだ。

 事象震の嵐がつくる緩衝地帯に入ったのだ。

 時間が経てば、また反対方向から暴風が吹いてくることだろう。

 

 うってかわり静寂となった夜の光景。

 轟音が急にやんだので、耳鳴りが聞こえるほどだ。

 吹き乱され、荒らされた事物たちが、磨かれた空気の中で街の灯火に輪郭を明瞭(ハッキリ)とさせ、存在感をましている。

 修練校のブーツをはいた自分の足音が、いきなりコツコツと響くようになる。それが見知らぬ町並みに鳴りわたり、まるでこれから偸(ぬす)みを働く空き巣のような気分にさせ、どこか心やましい気持となって落ち着かない。彼はコートの襟を立て、あたかも防犯カメラの視線から逃れるように身をすくめた。

 

 

 彼方に、おびただしい光を路面に注ぐ建物がある。

 その一角だけ、闇を切り取ったような明るさ。

 『九尾』は、まるで誘われるようにフラフラと近づいた。

 

 すると――それは営業時間を終えた店舗(みせ)のショーウインドーなのだった。

 

 湖畔を模したディスプレイと、富士山をバックにする風景。

 そして――きわどい水着をまとう一体の等身大なマネキン。

 滑らかな、精巧な造形。溌剌(はつらつ)とした表情(かお)。

 ただし、みょうに艶めかしい気配で……。

 

 『九尾』は狼狽したあしどりでそのウィンドーから距離をおき、あたかも逃れるように足の向くまま走りだす。しばらくのあと、古めかしい郵便ポストに手を突くと、あれた呼吸をやっとの思いでととのえた。

 

 かすかな吐き気。

 

 鋳物の冷たい手触りが、惑乱(パニック)を徐々(じょじょ)に和(やわ)らげて、胸の中を整流する。しまいに彼は、そのでこぼこした赤い肌に額(ひたい)を押し付けて。

 

 ――マズい……今夜はどうかしている。

 

 精神的に不安定だと報告されたら、これからさき外出は禁じられてしまうだろう。

 ポストから額をはなし、すっかり冷たくなったその場所を手でこすって。

 

 空き缶が、派手な音を立てて目の前の道をよぎっていった。

 上空のごうごうという音を背に、葉をつけはじめた街路樹がゆれて。

 

 ネオンをうつす路面の水たまりにさざなみ。

 まるで――“はじまりの夜”のように。

 

 ようやく落ちつくと、彼は自分がどこにいるのか辺りを見回した。

 そこは市街を流れる小さな川のふちで、古めかしいデザインの手すりが乏(とぼ)しい灯りを受け、どこまでも彼方にのびてゆく光景を見せている。

 チラリ、と彼方に護衛の気配。

 おそらくカラダのどこかにマーカーが付いているのだろう。

 影のようにつかず、離れず。やはり腐っても要員(エージェント)だ。

 

 彼は川岸の手すりをしばらくたどり、ふと川向こうに丘を利用してのびる旧(ふる)い街並みを認めた。

 まるで書き割りのような、こぢんまりとした街区。

 しかし小さな要塞のごとく、縦横に錯綜しているのが見受けられる。

 

 小さなアーチ橋をわたり、まるで吸い寄せられるように市街の中へと。

 

 湿った漆喰(しっくい)の匂い。

 あるいは木材に塗られたタールの香り。

 錆びた鉄の臭いが血を連想させる。

 

 中欧の迷宮を思わせる、市街構造。

 狭い、入り組んだ路地。

 

 アーケード……。

 石造りの階段……。

 立体交差……。

 

 

 

 意味不明なポスター。

 読めない外象語の囲みの中で――女が微笑して。 

 

 点滅するかぼそい街灯。

 まるで異物の侵入をしらせる――暗号(モールス)のように。

 

 

 

 ふいに現れる無明な陥穽(かんせい)と水たまり。

 それをさけて建物に寄ると、窓辺には時として生活の一部が漏れ見えた。

 

 洗濯物の影。

 石油ストーブの気配。

 3Dモニターの青い明滅。

 なにやら口論しあう一組の男女。

 

 ――いままで自分は何をしてきただろう……。

 

 破れた舗装からのぞく泥濘を避けながら、そんな窓を後にして彼は想う。

 

 ――もう少し別の生き方があったのではないか……。

 

 性懲(しょうこ)りもなく、またもどうどう巡りな想い。

 方々(あちこち)から突き飛ばされ、あるいは引っ張られ、いままでヨロヨロ歩いてきた。

 情けないほど受動的に――あまりに受動的に。

 その時の、状況次第で。

 

 「一本、信念が通っていたわけでもないしナァ……」

 

 思わずつぶやいて、彼は身をすくませる。

 だが、その独り言を聞いたものはだれも居いない。

 なかば焦点を喪った声が、せまい路地の闇に吸い込まれていっただけ。

 

 さまざまな人々の顔が浮かぶ。

 

 思えば、あ(・)の(・)午(・)後(・)の(・)授(・)業(・)から、いままで。

 

 まるでもう一人の生を体験したように、濃縮された時間を過ごした。

 

 『黒猫』。『オフィーリア』。

   サラ。校内女医や『エースマン』。

    廉人(れんと)中尉に『サラマンダー』『ウーラン・ツヴァイ』。

    『ザハーロフ』をはじめとする南組。   

     『リヒテル』ことネイガウス上級大佐。

        サドっ気のあるゲイ臭い葉巻のマッチョ。

          リー・ヴァン・クリーフそっくりなパイプ男。

        大聖堂の聖具室で恃童とつるむ中年司祭。   

      “無礼院”。蘭の王女。イツホクや女秘書。

    イサドラ。金髪(ゾーロタ)に銀髪(シリブロ)、そして調教長の黒髪。

 涼子社長。『恵娜(えな)』や、その飼い主。 エリアーヌ。

  成長抑制剤(クロノス)に縛られた“少女(アリス)”たち。 

    パピヨンやビエルシカのみんな。  

     トリマルキオ親分。あるいは配下のヤクザたち。

      『シモーヌ』。邦斎(くによし)。マクフィーに、Q・シップのヒゲ艦長。

 

       ミラ秘書官。愛香。そして――龍ノ口センパイ(サー『ドラクル』)

 

 その他、いままで自分が出会って来た人々の姿が、まるで走馬灯のように。

 

 砂まじりの風が、しばらく狭い路地を吹き抜けた。

 『九尾』はジャケットの前を合わせ、壁龕(へきがん)状になった建物の壁に身をうずめて、冬の雀のように首をちぢめやりすごす。

 

 正体不明の白いものが、風に乗り目の前をよぎってゆく。

 近くの街灯が明滅したかと思うと、火花を発して――消えた。

 

 

 ふいに訪れた暗闇のなか、彼は切れた考えをつなぐ。

 それはまるで錘(おもり)のように、冥(くら)く静謐(せいひつ)な胸のなかを、どこまでも沈降して。

 

 『九尾』という実存がこの世から消えても、まるでそんな候補生など居なかったように、彼らは生活してゆくだろう。

 

 もはや見ることの無い朝。

 嗅ぐことの無い日々の空気。

 取り巻かれることのない騒擾(とよもし)。

 それらの中を、たくさんの人たちが、泣いたり笑ったり。

 みんな、それぞれの道を生きてゆく……。

 

 そう考えた時、彼は何だか妙に有難いような、尊いような。

 次いですべての慾得をはなれた、不思議な平安さに満たされた。

 

 『ザハーロフ』や拷問の男たち、それにイツホクすら、もはやどうでもよく。

 どうせかれらは因果応報に、自然と自滅の道をたどり、亡びてゆくだろう。

 

 

 みんな生きて……。

        みんな死んで……。

               みんな生まれて……。

 

 ホンのひと時。

 みんな、かりそめの、輝き。

 

 

 ――あぁ……もし居るとすれば、神様。

 

 

 『九尾』は、見捨てられた谷底のような場所からホンの少し、祈った。

 

 

 

      自分は、どうなってもいいです。

 

      でも、どうか頑張っている皆には――幸いを。

 

 

 

 ふと、まるでその願いが嘉(よみ)されたかのように、辺りは白々と蒼ざめてゆく。

 辺りの造作が明瞭(ハッキリ)とし、己のあしもとに影ができた。

 建築法を無視して建てられたような、雑多な屋並みの谷底から、驚いて上空の闇を見れば――厚い雲が暴風と重力乱流によって引き裂かれ、その隙間から皎然(こうぜん)たる月が、怜気(さとげ)な貌(かお)をみせていた。

 

 ピトリ、と一滴。

 

 仰ぎ見る額に、雫(しずく)を受けたのは、偶然だろうか。

 

 彼は不思議な厳粛さにうたれながら、見捨てられたような谷底に独り、佇(たたず)む……。

 

 

 

 背後から靴底が砂利を踏む音。

 研ぎ澄まされた清澄な神経に、それはあまりにも野卑に響き、彼は眉をしかめた。

 

「――候補生『九尾』」

「――90経過した」

「――外出の時間は」

「――もうおわりだ」

 

 二人組が、自由時間の終了をつげる。

 つかの間の自由を得ていた候補生は、ふたたび車を待たせてある通りまで。

 階段をおり、短いトンネルをくぐり、街灯の乏しい、迷路のような区画を抜ける。

 

 急に増えた街の灯り。

 ヘッドライトが、ネオンが、街灯が、様々な光を投げかけて。

 

 せまい路地を出たとたん、吹きつける一陣の風に、思わず彼はヨロけた。

 と、思うと、こんどは反対からの風に身体を持って行かれる。

 吹き返しの風が始まったのだ。

 

 右に、左に。前に、後ろに。

 ベクトルの定まらぬ風に、三人は翻弄された。

 

「――事象震まえに吹く」

「――おきまりの風だナ」

 

 フラフラと川岸まで、まるでピンボールか、パチンコの玉のように。

 

 ――まるで自分の人生のようだなぁ……。

 

 吹きまくられ、ヨロけながら、暗がりに『九尾』はフフッと嗤(わら)う。

 

 主体性がなく、突き飛ばされ、アオられ。

 女体改造されかかり――今また殺されかかって。

 

 でも、と彼は思う。

 

  外乱を受けた時、よろめかない者がいるだろうか。

 「挑戦」と「反応(トインビー)」ではないが、よ(・)ろ(・)め(・)く(・)こ(・)と(・)こそが、反応だとしたら?

 

 

 颯(さっ)、と全身が光に照らされる。

 

 

 『九尾』は、その光を天啓と受け取った。

 もちろん事実は、とおくの車が転回したとき、一瞬ハイビームを受けただけだ。

 しかし彼の中では、いままで闇の中で手探り状態のものが、スッと納まった。

 

 ピンボールの玉は、クギや「ギミック」に左右される。

 それは逃れられない。

 しかし、それは結果論であり、必然だ。

 

 人間は玉のほうじゃない。

 

 そしてピンボールの玉の軌跡は、人生の軌跡にすぎない。

 クギや「ギミック」こそが、自分なのだ。

 

 つまり今を成す『九尾』というものは、様々なクギで成り立っている。

 サー『モルフォ』。ネイガウス。神盟探湯65B。雲海のフロイト。

 『恵娜』。“奉天”。女殺し屋。図書館。愛香。そして――龍ノ口センパイ。

 

 これら外的要因こそが、『九尾』なんだ。

 否(いや)もっと正確に言うなら――“『九尾』と思い込んでいる自分”なんだ!

 

 つまり、玉は玉だ。それだけでしかない。

 

 あえて結びつけるなら、外的要因からくる経験が、タマを磨かせ、変形させ、転がり具合に変化を与える。同じ「挑戦」を受けても「反応」が人それぞれ違うのは、それ故だろう。

 

 しょせん――人間。

 

 今という存在は、あくまで単なる仮の状態。

 

 汚れず、清まらず。

 

 迷うも悟るも同じ。

 喜びも、哀しみも。

 富貴(ふき)も貧賎(ひんせん)すらも。

 

 ――空(くう)の空(くう)なる哉(かな)、凡(すべ)て空(くう)なり。そして航界士が還るのは……空(そら)!

 

  なにか重い軛(くびき)から解き放たれ、身軽に、自由になる心持ち。

  リダクション時、ModeⅡに移行した時のように、ザラついていたものが、水のように溶けてしまった。

 忘れていた負けじ魂が、胸のなかによみがえる。

 『九尾』は荒れ狂う上空をキッとにらみつけるや、

 

「いいよ!災殆(まがつい)の厳神(かみ)サマ!」

 

 颶風(ぐふう)が巻き起こす騒擾(さわぎ)に載せ、彼はノドが痛むまで叫んだ。

 何ごとかと護衛ふたりは顔を見合わせる。

 

「――狂った?」

「――狂った!」

 

 また彼方から、うねるように暴風がやってきた。

 彼は思う存分に胸をふくらますと、今までのうっ憤をすべて吐き出すように叫ぶ。

 

「ノってやりますよ!――その挑発(さそい)に!」

 

 荒れ狂う暗天のもと、雲間に巨大な紫電の輝きが一閃。

 周囲を真昼の如く照らした、その時。

 

 信じられないことに、三人のすぐそばで、あの“骸骨老人”が佇立して。

 凝ッと彼らを、その光のない虚ろな穴から眺めるように。

 

 閃光は、優に1秒以上あっただろうか。

 

 青ざめた二人の護衛が、白目をむいてバタリと仰向けに倒れる。

 次いで身体を粉砕されるような雷鳴がとどろいた……。

 

 

 

 




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