「ポン――じゃなかったQB。このあとどうするの?」
メイクを気にしつつ、顔の汗をおさえながら『
「やっぱり
「……うん、そのつもりだけど」
すげェよなぁ『九尾』は、と『牛丼』は突っ放したように、
「あッという間に、エリートの仲間入りだもんなぁ……オレらヒラ候補生とは、ちがうよナァ」
「なんだよ。急に」
「オマエは、ウチらとは住む世界がちがう、ってコトさ」
「――ちょっと。そんな言いかたないわよ」
『
「でもね。私たちも、これからデートのつもりだったけど、OBの皆さん訪ねてみようと思って」
「OB?ウチの学校の卒業生を?」
「お式の間、教務課のデータ取り寄せて、いま省庁に勤めてる何人かにメール送ったら、二・三人会ってくれるって。先輩たちのお棺見てから考えが変わったわ。死んぢゃったら、お
「それに『九尾』クンは、もう本採用確定だろうけど」
新しく加わった男子候補生が、上級生らしい落ち着いた口調でそれに続いた。
「われわれは、どうなるか。安全索は、作っておかないと」
「保険は、だいじよ。ね?」
「あぁ……ンじゃな。あーばよ、Q.B.」
口々にそういうや四人は、巨大な列柱がならぶ薄暗い
あっけにとられた『九尾』は、去ってゆくそんな彼等の後ろ姿を見送った。
――ちぇっ、なんだい。
いいもんね、と『九尾』はサラ先輩の巨乳を頭に思い浮かべつつ、彼女を探そうと人の流れに逆らい、上級席があったところや、広大な翼廊、二階席を、携帯のサーチ機能で見わたす。しかし――どこにもいない。三○分ほど探して、ガッカリと出口エリアのほうに向かいかけたとき、聖堂の側廊にいくつか設けられている小部屋の一つで聞いたことのあるような声がした。
(……だからって、あのコにあたらなくてもイイじゃないか!)
(そうじゃない。ヤツが!その覚悟を持っているか……それを知りたかったんだ)
足音をしのばせ、かつ、いまだチラホラしている人の眼を気にしつつ、彼はあくまでさりげなく、扉に身を寄せて耳をちかづける。
「ハ!ウソだね。アンタはあの子が憎かったんだ!」
甘ったるい香の染みついた木製の扉をへだて、言葉がハッキリときこえてきた。
「あのコが怖じ気づいて、飛べなくなればイイと考えてたンだろ?
「何とでも言え。その理屈でいうと、お前もオレの憎しみの対象となるわけだな?」
「ヘェ。じゃアタシも、憎んでるッてのかィ!」
「だから――ちがうと言ってるだろうが!」
思わぬ龍ノ口の怒気に、一瞬サラがひるむ気配。
しかし、それでも態勢をたてなおし、うわずったような声で、
「……アタシにゃそう見えるのサ。アンタは変わった――変わッちまったよ。むかしの優しくて思いやりのあるバカ龍じゃ、なくなッちまった」
「じゃァ、さっさと俺を見限れよ。『
「ちょ……なんでそんなコト言うんだい!あのコは関係ないだろ!」
「とっととヤツの所に行けよ。アイツには可能性があるからな。将来――ウマくいきゃ玉の輿だぜ」
龍ノ口の声に、
「ふざけンじゃないよ!もともとアンタが構ってやれって言ってきたんだろ!」
「は!どうだか?まんざらでもなかったんだろ?」
「なんで、あんなガキが!アンタの代わりになると……思ってるのサ」
最後の方は、泣き声が入っていた。
焦れたような声と、足を踏み鳴らす音。
告悔室状の狭い空間に響き、彼のところまで届く。
「ホンキで……ホンキでそんなこと……イヤ!なにを……」
あとは言葉にならない。
なにやらくぐもった音と、身体が激しくぶつかる音。
衣擦れ。小さな悲鳴。悶える気配。よがり声……。
文字通り「どんより」とした気分で『九尾』はうなだれ、その場をのがれた。
――しょせん……アテ馬、か。
分かっていたつもりだったが、いつのまにか本気になっていた……馬鹿。
温かくよどんだ薄暗がりを、力の入らない脚でフラフラと歩き、もはや人影もまばらな大聖堂から彼はよろめき出る。とたん、いきなり寒気に包まれたせいか、外のまぶしさか。あるいは今、扉の向こうに聴いた会話のせいか。世界は一瞬ゆれ、
脇を通り過ぎる参列者たちの視線。チラチラと自分に向けられるのが分かって恥ずかしい。
大扉にドッともたれかかり、冬の雀のように首をすくめ、じっと目眩が収まるのを待つ。
ようやく『九尾』が目を開けると、
荒涼とした聖堂前広場の石畳。
主人を待つリムジンの黒い車列。警戒線と、武装した護衛。
三々五々、散ってゆく群衆。
リニアトラムへの列。あるいは国鉄、地下鉄へと向かう列。
水の枯れた噴水脇には、焼き栗売りの屋台が二三、煙をあげ、客を集めている。
見上げると、視界を圧する大聖堂の逆光ぎみな
「寒さが身に染みるなぁ……」
とおくで、見知った候補生たちの一群が華やいでいるのが見えた。
――マズい。
あわてて大扉の影に身を隠す。
『牛丼』たちに
あれだけアオっておいて孤独な姿を彼等の目にさらすのは、あまりにもミジメすぎる。かといってヘタに大聖堂の中にいると、いかな超広壮な建物とはいえ苦手な先輩や教官達と
はぁつ、とため息。
自身の吐いた息が、雪のやってくる空へと昇ってゆく。
ふと視線を横に向けると、大聖堂に隣接して背の高い
大階段をタッタッと降り、足早に近づくと、柵には、
探査院の紋があるその細工の意匠をたどってゆくと、どうやらこれが、寓意的な物語絵巻になっていることに『九尾』は気づいた。
人間が、事象面の境界である廻廊をいくつも越え、苦難と戦い、犠牲を払いながら、ついには彼方に待つ“絶対者”と相まみえる――ところで物語は鉄柵の
ちぇっ、イイとこだったのに、と
「瑞雲校ザイセキ・一級航界士コウホセイ『九尾』・ドノ――カクニン、シマシタ」
――うぉ!
いきなり自分の新W/Nをよばれ、彼はプルプルっと身体を震わせる。
両開きの門のうち片側が、蝶番のグリスの効きも滑らかに、音もなく後ろに動いて、けっこうな勢いでストッパーにブチ当たり、ハデな金属音をたてた。それはまるで「入れ」と言わんばかりに、彼の耳に威圧的に響く。
――とりあえず寒さしのげて時間ツブせればいいかァ。
玉砂利のうえにきれいに並ぶ飛び石をつたって、よく手入れされた前庭をよぎる。階段をのぼり、彼は予想外に重い礼拝堂の大扉を押しあけた。
「……」
天窓から差す、きわめて
さほどひろくもない、不思議な会堂が、闇のなか、
礼拝用ベンチもなにもない。
絨毯すら見あたらない。
壁にかかる
まったくの、無音。
心音すら聞こえてきそうな、
「……はぁ」
大きなため息を、またひとつ。
温かみもなく、かといって
自分の硬い足音すらはばかられる光景を、ゆっくりと歩くと、ようやく薄暗がりに慣れた眼が、木製の小さな椅子を見つけた。会堂の中央まで片手で運び、貞操帯に気をつけつつ、ふぅ、と腰を下ろす。
ポカン、とした空虚がやってきた。
いままで自分がしてきたコト。
努力、苦労。冷や汗。
それらすべてが、価値のないような――そんな感覚。
猛烈なジェットコースターに乗せられ、気がついたらココまでやってきてしまったが、このさき、本当にこのままで良いのかという、最近自分の中に浮き沈みする
形を変えて相次いだ“死”という事象。
牧歌的な幼年・中等錬成校と違い、いきなりの血生臭さ。ヒリヒリと首筋を襲うシビアな現実。この先さらにきびしさを増すのだろうか。
保険、という『山茶花』の言葉が耳についてはなれない。とりまく状況が悲惨になった場合、自分も候補生とは別の進路を、用意したほうがよくないか。
――でも、いったいどんな進路を……?
こんなとき、誰に相談したらいいのか分からない。
昔はよかったなぁ……と、彼は感傷的におもう。
なにも考えず、ただ勉強して、飛んでいれば良かった。
幼年校時代の、無動力グライダー。
山間部の気流に包まれながらの、
陽光に輝く純白のパイロンを、右に左に、滑ってゆく。
《
“じーちゃん先生”から無線で言われ、一斉に上がる歓声。
インカムに響く、同級生の挑発。
《だれがいちばん高いか、きょうそうだ!》
編隊を崩し、紺碧の空に次々と高度を上げる白い機体たち。
次第に空が藍色になってゆき……。
――あ。
まただ、と『九尾』は唇をまげ、自分を
礼拝堂の床面。
少し離れた場所に、見ようによっては
きっと天窓についたシミが、偶然そのような形をつくったのだろう。
今はあのバスの老人も、テスト勉強や演習飛行で疲れた自分の幻覚であることは分かっていた。雲海に潜ったとき出てきた“フロイト”が、そのいい証左だ。
ここ最近、あまりに多くの死が、近づき、そして離れていった……。
彼は立ち上がると、ガイコツ状の影を見下ろした。
そして、重い
――この!……この!……この!……この!
「この――厄病神め!」
ガシャン!
その時。
サーチライトの信号用シャッターを操作するような音が響き、いきなり礼拝堂は真っ暗となる。