そろって礼服のよごれをはたき、
宮廷中尉は、しきりに乱れた服の胸もとをなおしていた。
そこに、なんとなく恣意的な気配を感じ取る『九尾』は、ネクタイの具合を直しながら
抱きつかれた時の感覚も、先輩候補生のあふれるような肉感とちがい、どこか冷たく、
明るい電灯のもと、あらためて目の前の宮廷中尉を目の当たりにすると、なるほど確かに美人ではあった。
モデルとも言っていい整った顔立ち。
ちょっと冷たそうな
品の良い口もと。
ぬめるような光沢の白い肌。
おでこ気味な印象は、明るい灯のもとでも変わらない。
だが、やはり心なしか尊大で、女性らしい暖かみに欠けるようにも思える。
――ステンレスのような……ガラスのような。
たぶん、家柄か、階級を鼻にかけてるんだと『九尾』は
しかし彼女の方は、そんな彼のあけすけな視線を受けて何を勘違いしたか顔を赤くし、口もとをとがらせると、
「でっ、でも。まぁ地下墓所での功績により、
それに――と、彼女は急に小悪魔っぽい笑みをうかべ、
「なンか、イイもの見れちゃったし」
「いいものって……アレがですかぁ?」
「ともあれ、こんな部屋。サッサと出ましょう。」
ゲンナリ顔の『九尾』をよそに、彼女は妙に
声低く、宮廷中尉が本職めいて呟いた。
――クリア……!
ふたりが連れ立ってさりげなく聖堂内にもどると、司教の接待でもしていたのか、残っていた高官たちと護衛の一群が、主身廊近くに集まっているのが遠くにうかがえた。
――チッ!
歯の隙間から漏れ出たような、彼女の鋭い舌打ち。
「……ここで、いったんお別れましょう」
宮廷中尉は、高官たちが集う彼方を見やったあと『九尾』を柱の影に
「本当は――
「ヘンなトコで
言われて『九尾』が航界士用のゴツい腕時計を見れば、もうすでに一四時を回っていた。忘れていた空腹感がよみがえる。
視線をもどすと、彼女はいつのまにか手にした名刺を一枚差しだし、
「じゃね?――
それだけ言うや中尉は、良くプレスの効いた制服の背を返し、
――あ、ちょっと。
そういう声すら『九尾』の喉おくで消えたほど、彼女の動きはさりげなく、そして素早かった。
まるで黒い
無駄なコトとは知りつつ、
とたん、新鮮な、冷たい空気が、まぶしく頬を射た。
いつの間にか雪も勢いをましており、たちまち黒い礼服は
ガランとした広場には、もはや誰もいなかった。
手にした名刺を、明るさから来る眼の痛みをこらえ、あらためてよく見る。
『第三王女付秘書官(宮廷中尉)ミラ・ユデイト・アレクサンドラ』
* * *
制服の胸ポケットに、まだそれは入っていた。
何回も見直したもかかわらず、いまだエッジが鋭いのは、人工象牙でつくられているためだと知らされる。
控えの間に、ノックの音が二度、三度。
あいだを空け、
少年たちのあいだに緊張がつたう。
覚悟していたものが、とうとう来た。
そんな感覚。
やがて、古風なライフルを胸に掲げる衛兵が二名現れ、つづいて勤務用のドレスをまとった宮廷女官が、控の間に入ってきた。今回はメガネ着用の女官。階級は――宮廷曹長だ。
彼女は一礼して、周囲を緩やかに見まわしたのち、手にした巻物を
「西ノ宮所属、清暁第一校所属・候補生『
―【御礼拝】―
つまり、この事象震を試演飛行する前に行われる、
見方を変えれば、これは大司教が直々に行なってくれる“生前葬”だ。そして今回のような激しい事象震の場合、それが“本葬”となる可能性は――きわめて高い。
広間の中央から、古代西域の僧服をあしらったような格好の一人が、今は覚悟も決めたのか、慌てず騒がず
金色の冠に、重々しい
その格好が、どこか三蔵法師をイメージしなくもない。
育ちの良さそうな、まっすぐな面構え。
決意をひめたような、固く結ばれるくちびる。
鋭角的な雰囲気をまとう印象は、相当な
かたい面持ちで、そのまま周りを見回していたが、やがて(みつけた!)とばかり
「やぁ。キミが
そんな
そこには、
ただ、揺らぎのない
「――ご武運を。
「まぁ――いずれ、そのうち。
相手は、去りぎわにもう一度だけ振り返って微笑すると、衛兵にはさまれ、控の間を出て行く。
『九尾』は儀式的にライフルを突きつけられ、部屋を出てゆく同い年ぐらいの背中を見おくった。
衛兵の行為は、過去に錯乱した候補生が、武器を持って暴れた時の
そのときの事象震も
データは抹消されていて、分からない。
大扉が閉まるのを確認し
「
そう声高に叫ばれると、候補生たちは一斉に立ち上がり“気をつけ”となる。
ひとつ
ふたたび羊皮紙製ともみえる巻き癖のついた紙をひろげると、
『
試演は――あとひとたびにて打ち切りとす』
思いもかけない通達だった。
「ソレって……つまり……どういうコトで?」
おさえきれない喜びを懸命に隠そうとした震え声で、一人の候補生が手を挙げる。喜悦あふれるしまりのない顔がブルブルと、まるで
「貴官は――」
と、ここで三十前後とみられるこの女官はメガネをなおし、そのレンズの奥で、ネズミを前にしたネコのような瞳の輝きをみせ、
「すでに、ご理解されているご様子ですが。
そう言い放つと、口のはしに乾いた笑みを浮かべ、形ばかりの一礼をするや、気取ったターンをキメて控の間を歩み去った。
広間の空気が、みるまにゆるんでいくのがわかった。
ほとんどの顔から思いつめた表情が消え、肩から背中から、緊張が抜けるのがわかる。なかにはそれを悟られまいと、わき上がる笑みを隠すべく、うつむくものすらいた。
「おい、つぎの順番は?アワれな子羊は、誰だい?」
さきほど中年女官に向けて質問した候補生が、はやくもお道化た口調で、
「カワイソウになぁ、えぇ?オイ。耀腕の最後の生け
「よせ、そんな言い方」
一拍おいて、さすがに広間の
「
「礼儀を知らんのか……候補生の風上にもおけん」
「『二番星』だろ、変形四枚翼の。西ノ宮。香具山校のクズだ」
んだとコラ。と先の候補生がスツールを蹴って立ち上がった。
「ヤんのか、あァ?上等だ!立てや」
「よせよせ、ケンカなんて。つまらンだろが」
老け顔をしたひとりの候補生が、めんどくさそうに割って入った。
「せっかく無傷で助かるってのに、わざわざケガしようってか?ご苦労なこった」
その言葉で、一触即発の気配は、やや沈静化する。
「でも順番的に、つぎは誰だい?」
「――この子だよ」
どこから声がかかり、全員の視線がそちらを向いた。
ひとりの候補生が、椅子の上でヒザを抱える小柄な少年を示していた。
この少年のまとう礼服は全体にブカブカで、帽子などは今にもずり落ちそうだ。実際、全員の注目をあびて驚いた事で、銀色の葉をあしらった将校帽のひさしが前にずっこける。本人がうっとおしげにそれを取ると、栗色をしたベリーショートのサラサラ髪が現れた。
「驚いた!御前試演に女の子か!!」
「ウソだろう!まさか中等校?」
「キミ――お嬢ちゃん。なんでこんな所に?」
最後の言葉に、小柄な身体がぴくりと反応し、青ざめた可愛い顔がふくれっ面をして、
「ボク……オトコですけど。
「どっちでも変わらん!イヤな結果しか見えない」
「キミみたいなヒヨッ仔は、ミリセコンドで耀腕の
「……どうだって良いんです。どうせ」
やがて、この小さな候補生はポツリと応える。
「今回の試演でボクが出たから、学校も助かるし、
「家門――
コクリ、と少年は無言のまま。
ふぇぇ、と広間に嫌気のようなため息。
「だッから、ヤなんだよ――“名家”ってのァ!」
そう言いつつ一人が制服に下げる短剣を一挙動で投げつけ、広間の壁に突き立てた。
チークの羽目板に鋭角的な音を立て、深々と刺さった鋼が光る。
先ほどまでの沈鬱な空気が、ふたたび帰ってきたような気配。
「こんなカワイイ奴がナァ。なんでなの?」
――カワイイ、か……。
『九尾』は、クッションが効いた豪奢な肘かけ椅子に身を持たせ、うつろな眼差しのまま、老け顔の候補生がつぶやいた、その言葉を
* * *
「え?だって可愛かったじゃないの。あの
「変態中年に
思わずトリ肌のたった二の腕を軽くさすりながら、『九尾』は窓の外をみる。
地上一ニ〇〇mのスカイラウンジは界面アンカー処理をしてあるため、地震はもちろんカルマン
にもかかわらず、この日はちょうど雲高がラウンジのあるフロアにかかり、高さ数十mはあろうという大窓の外は流れる霧で満たされて、それがためにラウンジ全体が、室内楽の軽やかなBGMにのって