女性の“瑞雲”付き事務員は、パープル色な品の
「龍ノ口さん。いまからこの子、準備棟に連れて行かなきゃ……」
「そんなイヤそうな顔すンなョ。だーいじょうぶだって!俺が連れてッから。かわりに悪ィいけど、このファイル。研究棟・第四号室のあの爺さんトコに持ってって――ホイと」
いきなり大量のキングファイルをドサッと渡され、事務員は小さな悲鳴をあげる。 龍ノ口はそれにかまうことなく
「…………」
しばらくは、沈黙。
ふたりの吐く白い息が、あの日の――雪の大聖堂を思い出させる。
龍ノ口の体から、『デザート・モルフォ』を
「なぁ……こんどオマエ、雲海深部への偵察降下に出るんだろ?Dゾーンの?」
Dゾーン?と一瞬『九尾』は眉をひそめ、
「あぁ、調査未了界域のコト、でしたっけ――って、エ!決定なんですか!?」
彼は耳を疑う。
だがその驚きをなど気にする風もなく、龍ノ口は陽気に、
「西の宮との技術的な駆け引きがカラんでるらしいんだが……ンなこたァ、どうでもイイ。とうぜん、強行偵察タイプになるだろうから
――いいコト?誘いにのっちゃダメよ……
ミラの、あの“王女付き秘書官”の炎をたたえた
「なァ――イイだろ?」
足を止め、龍ノ口の方を改めて見ると、驚いたことにこちらも何かに
『九尾』は相手をにらみ、唇を
次いで、とりあえずの時間かせぎとして、
「その話、ホントですか?探査院の予算には計上されず凍結になったって自分は聞いてますが……」
「ンなもん、
龍ノ口は、校舎の壁によりかかり、腕組みをして、
「“認識”を
龍ノ口は片手杖をコツコツと地面に突き立てる。
そのとき大鴉が一羽、近くの立ち木に
候補生
「……だが残念なコトに我が方は、この自己生産システムの分野で、
「えぇ……すこし」
じゃ、歩きながら話そう。と龍ノ口は、杖をセカセカと動かしつつ、上級生用の校舎に入った。
廊下をゆくと、通りすがりの教室では、『存在認識論ーⅡ』と表題のかかっただ立体画像を教官が操りつつ、中空にアメーバを三次元的に何層にもからめたような、存在領域をうかべるなかで、グラデーションのかかったその境界面に、生徒が航界機の模型を動かし、自分の考案した航界機動を発表している。
「きいた話じゃ、こんど西ノ宮は新方式のAPSを開発したらしい。なんでもシナプスレベルの再現までいけるとか。これを使えば、
「きょうせい……なんです?」
「オヤ、知らんか。強制憑依思考」
不勉強だな、と龍ノ口は不満そうな顔をして、
「いくら自己意識を機械的に防御しても、突発的に何かに意識を乗っ取られることがあるらしい。意識だけじゃない。身体まで物理的に変化させられる場合もあると聞いた」
「……フロイト?みたいなものですか……」
そんな生やさしいモンじゃない、と龍ノ口は鼻で
「一部の
「……」
「つまりこのシステムを使えば、これまでの雲海深度記録を、大幅に塗り替えることが可能になる。より安全に、より確実に。そこで次に必要となるのは、この新型システムのテスト航界を請け負う、優秀な航界士候補生さ。本職の貴重な航界士はテストになんざ使えんし。なにより
はぁ?と『九尾』はとうとう声をあげ、
「ボクが?なんで――どうして!ほかにも優秀なヒトいっぱい居るでしょうに!」
「そのヘンは知らん。
ヒステリックに叫ぶ彼に“元候補生”は、なにか唾棄するような一蹴で、
「とにかく、オマエに白羽の矢が立ってるってのは確実、ってハナシだ。東宮の
「イヤですよ!そんなの」
さすがに
「死ににいくようなモンじゃないですか!わざわざ」
「なぜだ?未知の領域だぞ。そこに挑めるんだ。こんなに
「龍ノ口先輩には、そうでしょうけど!!」
『オフィーリア』の死に様を思い出した『九尾』は、ブルッと体を震わせ、
「べつに、ワザワザ危険なトコに行かなくても……ねぇ?ホラ、その、
そして、なるべく平静をよそおいつつ、龍ノ口の目を見ないようにして、
「ボクも最近は、なんだかクラスの皆からシカトされるわ、妙な横ヤリあるわで。航界士ってあんまイイことないなァって。できるならどっか探査院がらみの企業を紹介してもらって、安定した生活――」
「……
その声は、これまで『九尾』が聞いたことがないほどドスが効いていた。
相手の猫背な背中に、怒気が溜まってゆくのがわかる。
やがて一呼吸おいて、この先輩は
「これを見ろ!この
アルミの片手杖で、自分の不自由な片脚を邪険に打ち叩きながら、
「もう機体と満足に同調ができない――できないんだよ!おれの界面翼《つばさ》は無くなっちまったんだ!自分ひとりで高度な機動は出来ない!
多少そり反ったように見える片手杖.
それを、龍ノ口が横殴りに持ちかえたのを見て彼はハッと身構え、打ち叩かれるのを覚悟する。
ジットリトした数拍。
やがて相手は、そんな彼のおびえ顔を目の前にして寸前のところで自制したらしい。
急に肩の力をおとすと己の所業に気づいたのか、この翼を
『九尾』は、形ばかりの敬礼をして、その場を逃げ出した。
いままで辛うじて残っていた、先輩に対する尊敬の念の最後の一角。
それが、音をたてて無残にもガラガラと崩れてゆく。
鼻の奥にツンとするものをこらえつつ、唇の端をわななかせながら、彼は離床準備棟へとかけていった。