ゴリラのような背中ごしに身を乗り出して前方をみると、雲高の低い
ほどなくスクーターは機体のかたわらに滑り込む。
「ご注文の候補生1016『九尾』、お持ちしましたァ!」
機内にただ一人、操縦席にいる人物に主席教官は敬礼する。
古風な茶皮の飛行帽にゴーグル、そして給気マスクを装着したままなその人物は、ぞんざいに敬礼を返すと『九尾』のほうを指して、乗るようにうながす。
(じゃぁな?――クソ
そうエースマンはささやいて、さっさとスクーターにまたがり帰って行く。
後部座席に乗ろうとした『九尾』はコツコツと窓を指で弾かれ、ナビ席に座るよう指示された。高い位置にある予圧ドアを「ウンショ」と開き、ヨッコラセと苦労して乗りこみながら、
「本日はお世話になります!瑞雲校・一級航界士候補生、『九尾』です!」
パイロットは正面を向いたまま、黙ってうなずくと、シート・ハーネスを示す。
『九尾』がドアを閉めるや始動ボタンが押され、プロペラが回転をはじめた。
《フライト№***――第二滑走路へどうぞ。本日風速0、雲高……》
管制塔からの案内を受ける間もなく、このパイロットはグローブをはめた手でいきなりスロットルを
――この
『九尾』があわててハーネスをロックしようとするより先に、機体は誘導路を滑走しはじめた。三〇mも走らないうちに、機体はふわりと浮き上がり、そのまま急角度で暗い空を目指し昇ってゆく。機体の規模のワリに推力が強いのか、かなりのズーム上昇。さらに翼辺から擬似界面翼を噴出。爆発的に速度を増してゆく。
前線観測機が元ネタの機体なのでコクピットの視野がすばらしかった。
『九尾』はこれを最後と後ろを向く。
一年も居なかった校舎が――運動場が――滑走路が。足もとをはるかに、みるみる小さく遠ざかってゆく。終わってみれば、最後の方はナンだったが、結構たのしい修錬校《がっこう》生活だった。『牛丼』や『山茶花』は、まだあそこで頑張っているのだな、と考えるとやはり『九尾』は
エースマンやリヒテル、“あの”校内女医、龍ノ口――そしてなにより……。
そのとき、暗く厚い雲に機体が突入して彼の目から母校をおおい隠してしまう。
キャノピーの外は灰色の綿になでられ、激しい気流にゆさぶられた。
このままどこかに運ばれて、またヘンなモノに乗せられ、雲海の深部にドロップされるのか。たぶんこんなモノじゃ済まないんだろうな、と
――じゃぁ、RSOってダレが来るんだろ……龍ノ口
などと、様々な思いが頭の中が浮かんでは消え、消えては浮かび。
これから自分を迎え撃つであろう恐怖からくる
その時。
いきなり機体は密雲を抜け、とたん、まぶしさに彼は眼を細めた。
輝くばかりの一面な、雲の
硬質な、そして金属めいた鋭さをみせる蒼い空。
そこに月が、いつもの数十倍の大きさで雲海から昇ってくる。
事象面の屈折が重なったときに、まれに観ることのできる光学的現象だ。
さらに、視界の
「なんだアレ……うわ!」
雲を押しのけ、一個の巨大な白い物体が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
緩やかな局面で構成された美しい艦体。全長は軽く1km以上あるだろう。月がレンズ効果で巨大に見えたのも、この巨大な艦が発生する長大かつ透明な多重複層型界面翼のせいに違いない。とはいえ、近づくにつれよく見れば、あちこち改修跡があり、艦齢が彼の第一印象よりも古いことを物語っている。
彼は先の作戦で自分に
「スゴい……」
「モービーディック型・
声の方をむく。
ゴーグルを額にはね上げ、マスクを外したパイロットが微笑んでいた。
おどろきで『九尾』は口をあけたまま、しばし呆然とする。
それはそうだ。いきなり見知った顔がとなりに居るのだから。
「ミラ……秘書官。どの」
まず彼女が
「今回の雲海深部への探査計画って。ミラが……秘書官どのが、RSOなの?」
はぁ?と彼女は巡界艦に軸線を合わせながら、眉をしかめ、
「なんのハナシ?」
彼方をすすむ巡界艦の上甲板が一部、変形して滑走路状になるのが見えた。
「今日は、この前ジャマされたデートの――埋め合わせよ!」
ツンケンとした口調でミラは言い放つが、『九尾』の「よかったぁ……」の言葉にエッという顔となり、ついでリップで
「なにが、良かったァ――よ!」
プロペラ音が
ややあって、いくぶん口調をやわらげた口ぶりで、
「そんなに……アタシとのデート、うれしい?」
「えぇ!とっっっっっっっっっっても!!!!」
死刑執行をのがれた純粋な喜びをはしゃいだ声に乗せ、しだいに近づいてくる巡界艦の方を見ながら無邪気に彼は答える。
状況が『陰』から『陽』に。
真逆にひっくり返りすぎて頭がおかしくなりそう。
死を覚悟していた分、反動がものすごく躁的になって。
「これから作戦に投入されるものだと……この前のコトもあるし」
そう言って『九尾』が操縦席の方を向くと、どうしたことか、秘書官はふたたびゴーグルと給気マスクで顔をおおっている。
巡界艦からコールサインの呼び出しがあり、着艦ナンバーが与えられ、誘導用のマーカーがフロントに表示された。飛行着艦なので、着艦フックは逆向きとなる。
「秘書官どのがスティック握れるなんて、初耳ですよ」
次第に巨大さの実感を増して行く巡界艦を眼前に、『九尾』は携帯端末を持ってこなかった事を悔やんだ。カメラで動画を撮れば、これをネタにクラスのみんなといろいろと話せたのに。そうすれば、もう一度クラスにとけ込むきっかけを作れたかもしれないのに……。
――いや、やっぱダメだな。
彼は、すぐに考え直した。
なまじっかそんな映像を見せつければ、また反感を買うのがオチだ。
エリートはいいなと、嫌味の一つも飛んで来るにちがいない。
不意に黙り込んだ彼に、ミラはマスクを外し、
「どしたの?――まさか酔った?」
「あ、いえ。飛行時間、けっこうありそうですね。機動がなめらかだ」
相対速度二〇と言うところをジワジワと寄せてゆく彼女の腕前に、本職の『九尾』すら舌を巻く。
「固定翼だけじゃなく、回転翼。界面翼の資格だってあるわよォ?」
多少とくいげに彼女は答え、
「王族付き秘書官には
速度計を脇からのぞき込むと相対速度ゼロでいけそうだ。
目標軸線とマーカーの同調はドンピシャ。
『九尾』の視線に気づいたのか彼女は、
「飛行着艦は楽勝だと思うかもしれないケド、艦体表面の突発的な乱流にも即座に対応しなきゃだから、コレはコレで難しいのよ?――やってみる?」
ブルブルと彼は首をふる。
マーカーに誘導され、ラダーとスティック。それにスロットルとイオン翼操作トリムを小刻みに動かし、ミラは指定された移動滑走路に寄せてゆく。甲板上には連結作業用の全自動ヴィークルが待ち受けていた。
「初めてだなぁ、巡界艦に乗るの――楽しみ」
「よかったわね。いろいろと案内してあげるわ」
「もー。てっきりボクは本決まりになった雲海深部探査に借り出されたものと……」
何ですって!
ミラが『九尾』の方を見た時、一瞬、機体は乱流を受けて姿勢をみだす。
「ウワっ!」
しばらく機体は木の葉のようにゆれ、ようやく態勢を立てなおし艦との激突を回避したのち、ミラはゴーグルと給気マスクをはね飛ばした。
「ちょっと!……だれがそんなコト言ったの!?」
相手の勢いに驚いた彼は、出がけに龍ノ口とのあいだでかわした一部始終を話した。
「なるほど、ね……そういうこと……」
説明を聞き終えた彼女は、キッと唇を噛むや機体の体勢を維持し、艦に近づいてゆく。
もう機体が不意をつかれることは無かった。
――あ……。
本気モードのミラの横顔。
ふと、『九尾』はそれを見て、不覚にも心を捕まれてしまう。
今までの身の丈に合わぬ背伸びした作り物ではない。
サラともちがう。
『黒猫』や『オフィーリア』、『山茶花』とも。
ましてやあの『ズベ』公などとは全然ちがう。
何かまったく異質な雰囲気。
だがそれは、決して悪いものではない。
言ってみれば……。
考えをたぐろうとしたその時、着艦甲板が目の前にせまった。
彼の体は緊張して連想は尻切れに。
「――くっ!」
最終アプローチで彼女は見事な三点着地を決めると、スロットルを絞った。とたん風圧で機体は後ろに流されるが、着艦フックがヒットして機体は止まる。情けないことに『九尾』はヘッドレストに後頭部を打ちつけ、目の前に星が。すぐさま自動ヴィークルが近づき
「痛ったたた……お見事」
ゲートが閉まり、天井ライトが
これさえなきゃなぁ、と彼はナビ・シートでげんなりと。
「――さっきのハナシ、間違いないわよね!」
「えぇ……なんか作戦名まで決まってるらしいですよ?」
作業服を着た甲板整備員が近づいてきた。ミラはゴーグルだけ付け直すと、
「ここにいて。殿下に連絡してくる。それと
そういうや、首に巻かれた白いスカーフをなびかせ、機体から飛び降りて格納庫を足早に去っていった。『九尾』は整備員と二人、足取りもズカズカと去ってゆくその後ろ姿を、あきれ顔で見おくる。
結局、彼女が帰ってきたのは、たっぷり三〇分以上たってからだった。
「あぁ――お帰りなさい」
整備員を手伝っていた『九尾』は、機体から外した重いエレメントを床に置くと、腰を叩きながらミラをむかえた。予想のとおり、彼女は何か
飛行帽とゴーグルを操縦席に放り投げると、機体のそばに輪留めされていた対艦用・自律キネティック弾頭が載る台車にヒョイと腰を寄りかからせて、
「……兵曹、どう?」
「コレ、しばらくホっといた機体ですよね?一応整備してますけどジェネレータ、新しいのに替えたほうが良いスよ?資材に
「ちょうどいいわ。お願いね」
行きましょ、とミラは弾頭から腰をはなすと、整備兵に会釈する『九尾』を引っぱって格納庫を後にした。
「まァたデートが台無しだわ――まったく」
「殿下と連絡、ついたんですか?」
「どうもこうも。
憤懣とした足取りで艦内を進み、頑丈そうな隔壁の中に入り、内扉を閉鎖する。
エアロックを経て反対側の分厚い扉を開くと、外郭通路に出た。
グワッと一気に吹き込む冷風。
あおりでミラの髪を留めていたピンがはじける。
青い空と白い雲。そして人の営みを拒む清冽な大気。
それを背景にして、逆光気味なかたちで長い髪が広がる。
気のせいかシルエットの奥で彼女の瞳が金色に輝いたような。
吹き荒れる風の中、
「大丈夫ですかぁ!墜ちません!?」
「艦は機動を停止したわ!おちたらアナタがボケなのよ!!」
そういうや、苛立たしげに長い髪をはらった。