――ー寒い。
『九尾』はツナギのチャックをあけ、G・スーツの腰に巻くバイタルのサーモ・レベルを上げた。そんな彼におかまいなくミラは革の飛行靴でグレーチング張りの狭いキャット・ウォークを鳴らし、どんどん進んでゆく。
彼もそのあとに続こうとするが、格子から見える真下は雲海にさえぎられてるとはいえ、はるか高空の世界だ。
最後にチラ見した高度計が正しければ、およそ三〇〇〇m……。
「どうしたのォ?――ーはやく!」
いつのまにか開いた距離で、ミラは
なるべく下を見ないよう、そのあとを続く。
ふり向いたミラの顔が、『九尾』の真剣な表情を見てニンマリと、
「なに――コワいの?」
そういうや、今までの足どりを変えてタラップをのぼり始める。
意地の悪いことに、あきらかに目的地を変えた気配。
ついて行った先は艦体から水平に突き出た信号灯マストだった。
「ホラ、コッチいらっしゃいョ。前にカウリングあるから、風もそんなに無いわ」
手すりがあるとはいえ、手の幅にもみたない細い足場。
――落ちたら……一巻のおわりだ。
タイミング悪いことに、一瞬、雲が切れて下の大地がのぞく――かと思いきや、また閉ざされる。こんどは濃い霧に、まわりを包まれた。
「そんなとこでナニするんです?」
マストの根元で、足の裏にイヤな汗をかきながら『九尾』はためらう。
「それにいくら飛行服とはいえ寒くないですか?中に入りましょうよぉォ?」
「なによ?来ないの……来ないなら」
ミラの顔が、たなびく霧の向こうで小悪魔的な
ボアの付いた古めかしい革製飛行服のポケットから、彼女はピンク色をした小さな器具を出すと、これ見よがしに示しながら片手でダイヤルをゆっくりと回す。
(――!!)
とたん、『九尾』は顔をしかめ、股間と尻をおさえて“つ”の字になる。
貞操帯で身体に強制挿入された
醜悪な形をした排便プラグと尿道カテーテルの2本。
それがダブルで
強弱。
うねり。
くび振り。
前後に運動……。
「ちょっ!ナニ!――なんです、コレぇ!」
「ほぅ~ら、早くこないと、もっと刺激が強くなるわよぉ……」
瞬間、強さが増して『九尾』はデッキに膝をつき、丸くなってしまう。
「ほら、オニさんこちら♪」
――バカにして!
怒りをおぼえた『九尾』は、先ほどまでの恐れがウソのように、手すりもつかまず、バランスだけで、ツカツカとマストの中ほどにいるミラに歩み寄る。彼女は、さらにマストの先端まで逃げてゆき、髪を横ざまになびかせ振りむいた。
霧がミラの下半身を隠した。
一瞬、彼女の存在感が
さらに、その確信犯めいた
「私が好きな殿方が――私を追いかけて来てくれるだなんて!」※
カスタニェットでも投げつけてやろうかとなどと考えつつ、彼は凍った手すりをつかみながら、さすがに足探りで彼女に近づくや、リモコンを力ずくで奪おうとする。させまいと、彼女はリモコンをつかむ腕を手すりの外にのばし、
「動かないで!いま動いたらコントロール・スイッチを最大にするわよ?そしたらアヘ顔で下界に真っ逆さまねぇ」
「いったい、ナニするつもりです!」
「ナニするのよ――決まってるじゃない!」
ルージュを
微妙に緊張したかのようにこわばった、かと思うと、
「……キス、しなさい」
「……は?」
「なんども言わせないで、恥ずかしい。だからキスしなさい!このまえの続きよ!そうすれば、リモコンは貴方にわたすわ」
やがて浮かんだ『九尾』の
「おデコになんてしたら、ダイヤル最大にしたまま、リモコン投げ落とすからね?」
――う。
さらに数拍の沈黙。
まわりは一面、雲海の霧につつまれ、まるで異界のよう。
おそるおそる、『九尾』は、ミラの冷たい唇に口を合わせた。
そのまま互いに眼を閉じる。
ミラは満足げに背を反らせたまま、リモコンを手探りで彼のツナギのポケットに入れた。そして返す手で自分の飛行服の前をあけ、そのまま彼の手をまたも自分の胸に誘う。G・スーツ越しに彼女のぬくもりが伝わってきた。一見、古めかしい彼女の飛行服だが、やはり温調装置が入っているらしい。
やわらかい唇をはなすと、彼女は満足げな吐息《といき》をついた。
「いい?アンタ……これでワタシの彼氏だからね?浮気なんかしたら……」
「う……分かりましたよぅ」
「ほら、タイタニックやってタイタニック。ちゃんと支えてよ?」
彼女が大胆にも信号マスト先端の柵を乗り越えようとしたとき、近くのラウド・スピーカーからピ・ガーのあと咳払いがしたかと思うと、
「本艦は再機動に入ります。外甲板に出ている方は、すみやかに――」
「……チェッ、またジャマして。いいわよモウ、行きましょ?」
隔壁を通って艦内に戻ると、『九尾』は少しばかりウキウキ顔の秘書官に、意外に
ただ、動力室とブリッジ。それに稼働中の艦載機群を含めた兵装関連は見せてもらえなかった。話によればフルセットの通常航界打撃群を、まとめて“蒸発”させる事が可能らしい。高速巡界艦クラスでさえその威力なら、もっと上のクラスの戦闘能力は、どのくらいなのかと想像を絶する思い。ウワサに聞く、事象面を完全消滅させる“
つねに低い地ひびきのような騒音が充ちる艦内空間を、様々なタイプの食堂、スーパー銭湯、射撃練習場、艦内聖堂と、時として床から持ち上がった隔壁に蹴つまずかないように回ってゆく。おかげで良いモモ上げ運動に。
不思議なのは、どの施設も、二人が入るといつのまにか、ひと気が無くなってゆくことだった。艦内移動のため「艦道二号線」という、物流を兼ねた小さなチューブ・トラム状の列車に乗ったときも、車内にいた士官、兵員含めた乗員たちが、微妙に距離を措くのが分かった。
個人用のリニア・ホバーに乗って二人は通路をすべってゆく。
前方から、色ちがいの勤務服を着た二人連れの女性乗員がやってきた。すると今度も、すれちがう直前、やはりわきの通路に入ってしまう。
『九尾』は、とうとうミラに、
「ねぇ――なんか避けられてません?ボクたち」
えっ、と彼女はなぜか顔をそむけ、
「気のせいでしょ……それに
「キューちゃん?」
「そ。『九尾』のキューちゃん」
「イヤですよ、そんな南海漬けモノみたいな呼び方」
「ガマンなさい?警告したでしょ?外でおおっぴらに『九尾』名乗るなって。ヘタしたら、西ノ宮の司祭に、
「司祭?なんで坊さんが」
小首を傾げる彼に、宮廷秘書官は肉食獣の笑みを浮かべ肩越しに振りかえり、
「この前見たはずよ。あの納骨堂出たトコで。むこうじゃ珍しくないみたいね?ああいうの。『
「付属のエリート校じゃないですか……W/Nは初耳ですけど?」
「やっぱり西の方にひとり、ご執心なジジィの大司教がいて自分のトコに転属させろってウルサいのよ。童子
それはコッチのセリフだよと思いつつ、
「あの、ミラ……秘書官殿?」
「ミラでいいわよ、ウザったい」
「そのぅ、ミラ、どのは――」
「はァ!?」
「あ、いえミラ、さん?……は、なんで小官などを、相手にしようと?」
先に立って歩いていた彼女は、うふん、と照れ笑いのような表情で振りむき、
「第二殿下のラボで、キューちゃんの飛ぶ映像見たのよ。それでちょっと興味もって」
「え……ボクの飛ぶところ?いつの?」
「たしか“フィギア
あのときだ、と『九尾』は思う。
「ボクの翼の色……その、
「どうして。素敵な色だったわよ?」
「……何色でした?」
「え。アンタ知らないんだ?じゃ言うのやーめた」
フフっ、とミラ秘書官は、またも小悪魔っぽい笑みをもらすと、
「教えて欲しけりゃ、ちゃんとわたしの言うコト、聞きなさい?さもないと、どうなっても知らないから」
「どうなるんです?」
秘書官のなかで
――あ……まただ。
横顔が、その一瞬だけ悲壮をたたえ、ドキッとするほど美しい。
野生系のサラ先輩とはまったく異なるもの――強いて言えば“
先ほどの、コクピットでの横顔にも通じる真剣さで、彼女は眉をひそめたまま、「どうなるですって?」と言葉を継いで彼に正対した。長い黒髪をうしろになでつけギロリと、
「まえにも言ったじゃない!候補生なんて、きょうび消耗品あつかいなんだから。いくら
来なさい、と彼女はホバーを乗り捨て、せまい通路を歩きはじめる。
※「ギスモンド城の幽霊」好きなんですよねぇ。