よゥ、と気丈にも彼女は笑みをみせる。
だがそれは――どこか力なく、痛々しい。
見慣れない制服と黒外套を着こんだ彼女は、なにか別人のようにも見えた。
外套の肩のところに、盾状の重厚な紋章がある。
半開きの城門と隙間からカギを差し出す腕。それをとりまく
してみると、この先輩も本院に借り出され、もどって来たばかりなのだろう。
何気ない仕草で豊かな銀髪をかき上げたとき、こめかみにもスリ傷があるのを『九尾』は見た。
「『Q.B.』か……カッコわりぃトコ見せちゃったナ」
「先輩!いったいどうしたんです?階段で……転んだとか」
治療をしていた女医が手近のファッション誌を丸めて立ち上がると、無表情でツカツカ『九尾』に近づくや腕を一閃。
「アホかぁ!」
パコーン!といい音。
「どーみても
「んなコト、ボクだって分かります!」
『九尾』は目を怒らせて叫んだ。
「でも女のひとに、いきなり面と向かって「殴られた?」なんて聞けないでしょフツーは!えぇ!?」
「あー……ウン」
逆ギレした彼に勢いをそがれた女医は、透明タイプの
「『ドラクル』よ。アイツ、まえはあんな
「『ドラクル』?って、ダレです!――どこの畜生だ!ブッ殺してやる!!」
意外な『九尾』の
「あぁ、アンタは知らないんだっけ。
「え……」
「たぶん……機体に乗れなくて、イラついてるんだと思います」
『モルフォ』も乾いた
「なんか知ンないケド、こんど
内心『九尾』はギクリとする。
またも『
「エースマンと学校の理事たちとで話してるみたいねぇ。最近アイツ、情緒不安定が報告されてて。ほかの候補生への影響も考えないといけないから、
「打ち切ったら、どうなりますか?」
はぁ?とせきこむような『九尾』の問いに、女医はめんどくさげな声で、
「大学三年だっけ?アイツ。脚も悪くしてるし“院逃げ”か、よくて探査院の管理課に就職じゃないの?単位とれなかったら、シらないけど」
暗い顔をして、サラが
ダメ男に寄り添う依存症の女のように、苦労をしょい込む顔つきで。
「さ、どうする?美少年の“貞操帯”ナマ着替え、見ていく?」
「――やめてください!」
女医は、サラにウキウキと誘うが、『九尾』のほうが断固として
知らず、強い口調になったのは、大聖堂の小部屋でのぞき見た、龍ノ口との秘めやかな行為が、彼のなかで未だに
龍ノ口という彼氏が居ながらホイホイと自分に慣れなれしく、カルい感じで近づくサラも心のどこかで許せなかったに違いないと後になって彼は自分の心を分析したものだった。
『九尾』に拒否られた彼女は、足どりも重くシオシオと部屋を出てゆく。
スチールの扉が、ガラガラと力なく閉まってロックがかかった。
女医は、またもや丸めたファッション誌で彼の頭をポコポコ叩きながら、
「あんな言い方ナイじゃないの?あんな言い方は!
このままいけばプラグの扱いを乱暴にされるのが見えているので、彼はギロチンに拘束されながら、仕方なく大聖堂での一件を手短に話した。
それを聞かされた女医は、カチン!と腰に巻きつく“貞操帯”の接合部を冷たい手つきで外しながら、
「だからって、アンタがアイツにツラく当たる必要は……ハッハーン?」
ニンマリとした女医の笑み。
ベットリとした赤いリップが刷かれる印象の口もとから、さりげにこぼれる世話女房のような。
カァッ、と『九尾』の顔が真っ赤になるも、内股に邪険な勢いで吹きつけられた消毒液の冷たい刺激が、それを
「――ハっハァァァァん……」
そして、いかにもニヤニヤした声で、動けない彼の背後から追い打ちをかけるように、ヌメヌメと肛門の具合をゴム手の中指と薬指で探りつつ、前立腺を刺激して。
「そういうコト、かぁ」
「うぅ……」
「いいんじゃないのォ?“彼女”にしちゃえばぁ?」
面白がるような三十路手前なこの女医の言葉に、えぇ?と『九尾』は、嬉し恥ずかしな心持ちと、下半身にこみ上げてくる射精欲求を大げさなリアクションで押しかくし、
「だって、その――年上だし……」
だが、そう言うはしから、将来、テーマパークのベンチでサラ先輩とソフトクリームのナメっこをした挙句、いきおいでチューをする光景を想像し、頬がゆるんでしまう。
状況はスキップし、ベビーカーの赤ん坊をはさんでニコやかに公園で微笑むふたり。
「……『九尾』?聞いてるかぃ?」
「――あぁ、ハイハイもちろん」
ニヤけ顔をあわてて引っ込める彼に女医は、
「正直、ありゃァもうダメだね。あの
そのときチャイムが鳴り、午前の講義のおわりを告げる。
「さァ、もっとおまた開いて!アタシだってお
若干ヒリつきの残る
女医からされた手荒な処置に、先輩候補生との甘い幻想はもろくも吹き飛んでいる。
そして、こんどは女医と自分とが、医療器具を使いベッドでカラミむシーンを妄想してしまい、なかばウンザリとしながら彼はカフェテリアのガラス製スイング・ドアを開ける。
あたたかく美味そうな匂いのこもる空間は、昼休みもすでに半分を過ぎているので混雑のピークは越したところだ。
入り口にくると、この日はすでにA定もB定も札がひっくり返り、残るはカレーか、麺類かというありさま。
――チェっ、しかたな。カレーにチキンカツのっけて、っと。あ、と、は……。
追加を取ろうとしたとき、彼はいきなり背中を叩かれ、トングからゆで卵をとり落としそうになる。
振り向くと龍ノ口の青黒く硬い顔が、そこにはあった。
「よぉ、『九尾』……ちょっといいか?」
サラ先輩のことが頭にあったので眉をひそめ、てっきりその話かと相手の拳をチラ見するが、べつにケガをした様子はなく、かわりに探査院の紋章がはいった大判の角封筒をつかんでいる。
差し向かいで座ったとき、龍ノ口は食いながら聞いてくれ、と手に持った封筒から何枚かの書類を出して、向かいで食う『九尾』のカレーに気をつけながら説明をはじめる。
非定時(特)探査活動・作戦名・盟神探湯65B
使用機体・空技廠・タンデム型強行偵察タイプ/
目的・雲海深度記録の更新(最低到達深度六五○○○m以上を目標)。
作戦系統図……。
前回実行された盟神探湯65Aの顛末……。
機体モニターの分析結果……。
帰投後搭乗員の身体奇形進行度……。
形式未登録耀腕の複数発生事例……。
ほかにも、なにやら物騒な文言が並ぶのを見て、『九尾』は頬張ったチキンカツの
表題には、探査院と空技廠の
ホラ、と龍ノ口は『九尾』に書類を渡し、
「汚すなよ?」
大きなチキンの固まりをかろうじて
実験空域。
新型オート・ポイエーシス・システム開発経緯。
使用機体の概略の項目では、3D写真が添付されていた。
カフェテリアの宙に浮かんだ“彗星Ⅱ”。
どう見ても一昔前の衛星軌道用戦闘爆撃機だ。
推力、界破性、装備。そしてなにより調達価格。
そこいらの機体とは、てんで比較にならないシロモノだ。
タンデムのクセに、妙に距離の離れたダブル・キャノピーが目を引くが、これは緊急時にそれぞれ小型の非常用航界ユニットとなるらしい。
――なるほど……ケタ違いに高価なわけだ。
「これ……どこで手に入れたんです?」
「探査院の知り合いから、チョイと、な」
「もう、オフィシャルになってるんですか?」
龍ノ口は思いつめたような上目遣いで
「パイロットの都合がつけば……な」
『九尾』は書類をめくる。そこに自分のW/Nが記載されているのを発見して、彼は品がないと知りつつも、音を立てイライラとスプーンを投げ出した。RSOの欄は(選考中)とある。
いまこそ対等な立場に占位した彼は、相手の期待に満ちた目を
「サー『モルフォ』のこと……殴ったんですって?」
「ん?あぁ。なんだ、耳がはやいな」
くだらない、とでも言うように龍ノ口はせせらわらい、手をヒラヒラさせ、
「いらん口出しするからさ。ヤツめ、もう飛ぶのは諦めろとヌかしやがった」
「それ、先輩の身を案じて、言ってるんじゃないんですか?」
「俺の身を案じるなら、飛ぶ算段の手伝いをしろってんだ。探査院の制服、オレの目の前でこれ見よがしに見せつけやがって。しかも“上航卒”の冬コートなんか……クソ」
「で、腹いせに殴った、と」
「ふうん……?」
龍ノ口はあきれたようにそう言うと、
「ナマ言うようになったなぁ、
次いで口もとに薄い笑みを浮かべて、イスの背もたれに体をあずける。
「いいんだよ。アイツは――アレぐらいで」
これで俺のことも嫌ってくれるだろう、と自嘲的に呟き、この大学生のチューターは書類をわきにおくと、もはや人もまばらになったカフェテリアを焦点の定まらない面持ちで見まわした。
目の下にクマができている。
ほおも、幾分そげたようだ。
反面、眼の底光りだけは、増したようにも思える。
「先輩は、なぜそうまでして飛びたいんです?あんな耀腕がいる危険なトコを」
「なんだ。オマエ、飛ぶのが嫌いなのか?」
「キライじゃないですけど……でも危ないのは、コワいです」
「
龍ノ口は手を頭のうしろに組み、さらにイスを倒すと、
「でもサ?このさき、どんな
「はぁ……」
だとしたら、と先輩チューターは、眼の光をさらに凶暴にさせ、
「俺は――最高度の――試練を――自分に――与えたい」
ひとつずつ言葉を句切り、おのれの言葉を確かめるように。
まるで自分の潜在意思を鋭利なハサミで切り取り、目の前で確認するかの如く。
「失敗すれば、命がフッ飛ぶぐらいのヤツをな。成功すれば、それがこの世界を変えるキッカケとなる――ッてなァこの上ない喜びだが、自分に言わせれば単なる
「えぇ……サー『モルフォ』から聞きました」
「チッ!あのお
ウワサには聞いていた事故の話が浮かぶ。
サイドカーにトレーラーヘッドをぶつけてきた、あのザハーロフとかいうチューターとの、現役時代の大格闘戦。二機とも墜落し、龍ノ口は脚を、イツホクは片眼と片腕を負傷し、ともに情報逆流で脳髄過負荷を受けたと聞いている。入院した病院での、二人のド派手なケンカも、伝説になるほど相当なモノだったらしい。
「怖いぜ……自分が。まるで自分じゃなくなる時がある。感情を抑えられない。ささいな事でキレる。分かっていても止められねぇ。そして普通に返ったときの自己嫌悪。正直、酒がないと、やってられないコトもある……想いどおりにいかないツラさがオマエに分かるか?
ふいにニヤニヤとわらう龍ノ口。
その瞳に、ふたたび火が点った。ような気がした。
イスを起こして、『九尾』の方に上半身を乗り出し、グッと睨みつけてくる。
殴られる!と『九尾』は今度こそ覚悟したが、ペチペチと龍ノ口は『九尾』の頬を軽くたたいただけで席を立ち、去りぎわ、肩ごしに振りむくと、
「マ、考えといてくれ。だがな?『
そういうや書類を封筒にもどし、ニヤつく顔のまま杖をつき、まるで死神のように周囲の注目を浴びながらカフェテリアを出て行く。つめていた息をはいた『九尾』は、ゲンナリとした顔で、手前の皿に目を落とす。
カレーは、すっかり冷めていた。
食欲など、木っ端みじんに吹き飛んでいる。
あとには言うに言われぬモヤモヤとした感情と疲労だけが、食べかけのカレーと一緒に残された。
――チェっ、まったく……だいたい『こちら側の人間』ってなんだい。
煩悶することひさしく。自分を見る周りのヒソヒソ声も、どうでもイイやという感じ。
結局、手をつけぬまま食器を下げに行くと、彼の前に
「どうしました。食欲が――ありませんか?」