放課後、うすく積もった雪を踏んでノロノロ自分の寮に帰ると、門のまえにリムジンが止まり、そのかたわらにトレンチコートを来たミラがポケットに手を突っ込み、壁を背にして立っていた。
傾げた赤いベレー帽と、あごをうずめる芥子色のマフラー。
そうだ、と『九尾』は昼間の信号を思い出す。
いろいろなコトがありすぎて、すっかり忘れていた。そして彼女の後ろめたげな目つきが、彼にすべてを
近づくと、ミラは上ずったような声で二、三歩あゆみ寄り、すがるような眼つきで、
「あの……あのね?アナタに話さなきゃいけないコトがあるの」
「……」
「アナタに謝らなきゃ……」
「分かってるよ。『
相手の
チェーンを巻いた大型車が、轟音をあげてふたりの傍らを通り過ぎる間の小休止。
「どうしてそれ……機密事項なのに」
「キミが言ったんじゃないか」
「え……」
幾拍かの沈黙。やがて、
「つまりキミんトコの情報管理が、ザルってコトさ」
『九尾』もマフラーを下げ、白い息を吐きながらつけつけと言い放った。
もはや階級などどうでもいい。捨て鉢な気分が、九尾の胸を
「きいて。今回の件は、西ノ宮との取引条件が……」
「新型
相手の顔が、こんどこそギョッとしたまま
立ち止まった二人のあいだの距離が、見た目より遠いのを彼は実感する。
今日は色々なことがありすぎた。社交的忍耐は――もう
感情にまかせて彼は一度、灰色な冷たい空気を大きく吸うと、
「結局、きみのお仕えする『
「そんな――」
「ツカえない“
カッ、と今度はミラの顔に怒気が
「ちがうわ!一生懸命頑張った!……姫さまは。でも!」
「おなじだよ。結局きみの言うとおり、候補生なんてモルモット
普段の自分ではない言葉が、胸からあふれてくる。
その勢いに、彼は酔う。
フライホィールのように、どんどん勢いがついて止まらない。
まさか自分の中にこんな性格が潜んでいたとは、と第三者的な感覚で驚きながら、
「ザけんなよ?さんざパワー・ゲームの
「どこでサル
唇をふるわせながらも必死に体勢を立て直そうと、ミラはポケットから黒い革の手袋に包まれた手を出し、それを固く握りしめた。
顔が――必死に平静を保とうと努力し、かえってヒクついて。
「あまり
「へぇえ?
そう言い捨て、ミラの横を通り過ぎる。
なんてこった、と彼は腹の中で苦笑せざるを得ない。
――これじゃ、龍ノ口センパイとおなじじゃないか。
反面、そんな自分を格好いいと感じつつ肩をそびやかし歩いてゆくと、背後で雪を踏み鳴らし二歩、三歩。
「アナタには――まだ選択権があるわ!」
必死な声が追いかけてきた。
「
「どうだかね。カートリッジ行きじゃねーの?クソが」
「『九尾』!」
声に、否応にも振り向かせる迫力があった。
後ろを向くと、ミラの手にリモコンがある。
瞬間、彼は眼を
「こんどそれ動かしたら……
目つきだけで
「なによ――なによなによ!」
泣き声にも似た叫びは、ガラスドアを突き抜けて、彼の耳にとどいた。
「なによォ!」
自分の部屋に入り、通学用フライト・ケースをそっとおく。
そして、やおら着ていたコートを脱ぎ捨て、壁にたたき付けた。
窓を開いて、細い隙間から冷たい空気を部屋にいれても、胸のモヤモヤは、晴れない。
――あぁクソ!
ベッドに背面跳びの要領でダイブし、天井を見上げ、昼間の老教官との話を思いだす。
――――――――――――――――――――――――
「ワタシも、じつは航界士だったころがあったんですよ」
「教官どのが……?」
「ふつうに『リヒテル』、でイイですよ?みなさんそう呼んでるんでしょ?」
カフェテリアから、すこし離れたところにあるラウンジだった。
もう休み時間の残りが少ないので、候補生の姿はまばらだ。何かのレジュメを書き写している女子と、深刻そうな額を寄せ合い、密談めいたことをする三年生。
老教官は、そんな光景をぐるっと見回したのち、おしぼりで顔をふいてニッカリとわらう。
差し向かいで座っていた『九尾』は恐縮した。
だが、『リヒテル』は彼が首をすくめたのを見て、
「別に
「それは、一部の連中の――」
「実をいうと――」
頼んでいた飲み物が来た。
ウェイトレスが、カップを二つ置く間の沈黙。
一礼をしてヤボったい制服が下がってゆくと、大柄な老教官は、間違えられたオーダーを正すため、自分のほうにココア、『九尾』のほうに、カフェインレスのコーヒー置きなおす。
「わたしは生徒たちが好きなんですよ――あぁ、文字どおり、父親的な心情でね」
『リヒテル』は、ひとつ
「みんなイイ子でたちでした。そして、かくいうワタシの一人息子も、候補生だったんです。フィードバックを受け、長いこと植物状態でしたが……先日ようやく彼方に旅立ちました」
――まさか……あの時じゃないよ、な?
『九尾』は、目の前の人物が携帯をチラ見して、天をあおいだ光景を思い出す。老教官が教室を出て行ったあとクラスの候補生は、持ち株でも
相手の顔が、急に
シワが深く刻まれ、一気に年齢をとったったようにも。
そして長いため息をついたすえ、口の端にうすい笑みを浮かべ、
「正式な航界士となるのは、ハードルが高い。半分は挫折し、進路を変更することになるでしょう。私の息子のように不具になる場合もある。それでも一部の子は、
老教官の言葉に『九尾』はピンとくる。
「サー……ご覧になってたんですか」
「優秀でしたよ?彼は。戦績も、仲間や後輩への面倒見も、今までワタシの見た中で五本の指に入るくらい。でもそれがために、
沈黙。
しかし『九尾』は意を決して、
「リヒテル教官どのは!その……どう思われます?先輩が、飛ぶのを
「それは彼が決めることです」
と、意外に『リヒテル』、そっけなく切り返す。
「なんたって彼の人生ですから。決断の責任をとれるのは、本人だけだから」
「そりゃぁ、まぁ。そうなんですけど……」
不満げにふくれっ面をする『九尾』をよそに、老教官は、
「願わくば、私は子供たちの決断が正しいものであれと、願ってやみまでん。そして、つねにそれは可能なハズなんですよ?よけいな先入観を捨て、出来事に
その分かったような上から目線の物言いに、『九尾』はイラッと反発して、
「それは!!あ、いえその……教官殿みたく経験をつんだ方が、はじめて言えることでしょ?後出しジャンケンです、そんなの!」
そうかもしれません。と、この老教官はあえて抗わず、
「ならば経験、すなわち情報を、自分の中に入れなさい。その上で派生する枝葉を切り捨て、真実の核のみを、つかみ
『リヒテル』は、くたびれたスーツの内ポケットから手帳を取り出すと、銀のくすみが年季をしめすボールペンでなにやら書いていたが、やがて
「図書館の、上級職員用・
静かな口ぶりで、この老教官は続けた。
「まずは、世界を知りなさい。そして雑音を切り
「……」
「なんです?その顔は……真実を獲るためには、ときに危険も必要ですよ?」
ベッドのうえで、『九尾』は制服の胸ポケットから、折りたたんだ紙片を出した。筆圧高く、漢字と数列の組み合わせが2行。
彼は、