金曜の午後に、
学校の駐車場にはトラックが数台停まり、ツナギを着たメンテナンス業者が、はやくも台車に各種の測定器や検知器を載せ、あちこちをウロウロしている。
『九尾』は個人用ロッカーに通学用フライトケースを入れると、そんな業者にまぎれて下校する候補生の流れにさからい、裏庭づたい、植樹づたいに先日使った一年生用の小さな図書館へと忍び寄ってゆく。これが上級生用の図書館だと「オデッサの大階段」じみた非常に目立つところを通るので無理だったに違いない。
噴水がある
「オイ!そこの!」
背後からいきなり呼び止められ、ビクリと『九尾』は文字通り飛びあがる。
ふり返ると、顔は知っているが接点のない体育教師が、ジャージ姿に竹刀と紙袋を持った姿で、彼をニラんでいた。たしか『牛丼』情報だと、実家が上流華族の
「きょうは一斉下校だぞ!どこへ行く!?フライト・ケースはどうした!」
「えっ、いやその。この先の機材用具室に、手伝いに呼ばれてまして……えへ」
「手伝いだ?ウソつけ!きょうは用具室には誰もいないハズだ!一年か?W/Nは!」
なにか知らないが、この教師は顔を真っ赤にして怒っている。
「いや、ホントに。手伝いに来ただけなんですケド――」
「ダレにたのまれて!?」
体育教師のジャージのポケットで携帯が鳴り出した。
相手が下を向き携帯をさぐるスキに、『九尾』は近くの茂みにとびこんだ。
「あ!コラまてッ!」
怒声を背中ではねかえし、ダッシュでその場をひとまず離れる。そしてぐるっと回ると、遠巻きに図書館を見わたす位置の木の陰に身をひそめた。体育教師は、べつに追って来る様子もなく、あいかわらず図書館の正面玄関でウロウロと何かを待つように。
――くッそう……ナンなんだいったい。
いっそ忍び込むのを中止しようか?と考えるが、メモを渡す『リヒテル』の、
(キミにその度胸がありますか?ン?)
と煽らんばかりだった口元のゆがみが、いま思いおこすと腹立たしい。
さいわい、たしか男子トイレは正面玄関とは反対側だ。背をかがめ、
「うわ!」
他組の一年生が二人、足がつきにくい“現金”の束と、何かのデバイスを交換する姿勢のまま、あぜんとして彼の方を見あげた。
「『九尾』!なんでココに。だれにも……言うなよ?」
「禁制品のウラ機材ぃ?
「危ねぇな!ナニやってんだよ」
二人の手を借り、どうにかトイレの床に脚をおろすと、
「オモテにヘンな体育教師がピケ張ってんだよ。ほら、実家が執事とかの」
ゲ!と同級生たちが顔を見合わせる。
「バービー伍長かぁ……」
「え。なんだソレ」
「いつも人形がどうとか携帯で話してるアブないヤツ」
「オモテで張ってるんだろ?」
「あぁ。竹刀と紙袋もって」
「丁度いい、『九尾』、手伝ってくれ」
言われて彼は、両手を組み合わせ、そこを踏みしろのようにさせて、二人の同級生を彼が入ってきた窓から脱出させる手助けをする。
二人を見送ると彼は手を洗い、
――クリア。
おっかなビックリな抜き足、差し足。
二階の個人閲覧ブースに通じる階段を昇ろうとすると、上で話し声。
なにやら言い交わしつつ、だれかやってくる。
逃げる場所はない。
うひぃぃっ、とコンクリ板を重ねたタイプの、隙間だらけな階段のウラで身を小さくする。
間をおかず、さきほどの体育教師が、居残っていたらしいヨボヨボの
「――まだ仕事が、のこってるんですがねぇ……」
「規則ですから!今日は、この建屋をカラにしませんと」
「一年生用のココは、明日がメンテナンスじゃなかったですか?」
「規則ですから!」
そう言って、バービー伍長は『九尾』の目の前を、司書を小突くようにして廊下の奥へと消えて言った。
心臓が、耳の中で鳴っている。
かすかな震え。
つめていた息を、ようやくユルユルとはいた彼は、
先日とはうって変わり、ガランと
こういう場所を不気味に感じるのは、どうしてだろうか。
アレほど人の居た空間が、今はダレもいないというギャップ。
まるで忘れ物を取りに行った深夜の学校のように。
とりあえず様子を窺《うかが》い ――中に忍び込む。
開け放されたブース区画の扉を閉めたい誘惑にかられたが、そこはグッと我慢。
入り口から一番離れた、柱の影にある席をえらび、端末のスイッチをオンに。
起動音ですら、デカいチャイムのように感じられる静けさのなか、瑞雲校のマークと暗号処理バージョンがモニターに浮かんだ。
――さて、と。
パスの要求画面で、かれは暗記してきた文字列を打ちこむ。
情報ソート番号という長い番号が、画面モニターから立体表示に切り替わって机の上の空間に浮かぶと、すぐにそれは、
「政治」
「社会」
「経済」
「外象」
「王宮」
といういくつかのキーワードに化けた。
『九尾』が「社会」をつつくと、それはさらにいくつかの表題に変化する。
実存
事象面間における
――なんだ、これ……。
それは、彼にとって、まったく新しい情報だった。
個人ブースにつぎつぎと浮かぶデータと映像。
その情報に『九尾』は震える。
自分たちが何気ない日常をおくるこの事象面を含む世界が、実は講義で教わった以上に不安定で、もろい状況だという事実。
あの飛行前打ち合わせで教わったほかに、
エネルギー需要曲線と人口予測。
新型網化廻廊の支配権と複数事象面調停。
資源・エネルギー・航路、そして技術の奪いあい。
回廊の変化により激しく変わる
遠方事象面で発生している、農政失敗の食糧不足による
そして動乱――動乱――動乱――動乱。
暴徒化したデモ隊に、高電圧放射器が浴びせられる光景。
『九尾』は顔をゆがめ、別の映像に
“大破断”が神の意思であると演説する教祖をまえにした、何万もの信者。
《チェンジ》
事象面の
《チェンジ》
経済崩壊により無価値となった資産を苦にした集団自殺。そのハエの群れのスゴさ。
《チェンジ》
麦畑の空を黒く覆いつくす
《チェンジ》
近接事象面が引き起こす火山噴火の、街を呑みこむ華麗な溶岩流。
《チェンジ》
弾頭装填用・細菌兵器の工場が爆発して、町全体が、
《チェンジ》
事象面間タンカーの遭難。『海』という場所に流れるカドミウム豊富な原油。
……《チェンジ》
……《チェンジ》
……《チェンジ》
夕方のニュースでは、まったく触れられていないことが、モザイクなしグロ画像一歩手前な迫力で迫ってきた。
(ふえぇぇぇ……)
端末に触れれば触れるほど、自分が立っている日常生活の基盤が、足もとから
暖房が効いているはずなのに、なぜか
いいかげん鬱っぽくなってきた彼は「社会」の情報エリアから「王宮」に移り、さらにその中の『探査院』に関連した項目をパラ見する。だがこの項目は、『九尾』には、まったく理解が出来ないシロモノばかりだった。
多元
西側に
“怪談”に
事象面の
最後のものは、どうやら「広域世界はエントロピー増大の法則にそって、
――めんどくせ……なんだコレ?
項目を注視するや、ピッとアラームが鳴って文字が資料と重なり、
《警告・このデータは参事官級以下の議員による
そんな文字が、宙に点滅する……。
ダメだこりゃ、と『九尾』はあきらめ、いったん力を抜いて、イスの背にもたれかかり、暗い天井をあおいで気分をリセットする。
次に彼は「候補生」というワクで、ビューワーに情報のソートを命じた。
対校戦・戦績判定骨子。
東宮/西ノ宮/華族院/日本政府審議官議事録。
表題だけでもウンザリする回りくどい項目。
目の前に浮かぶの文字を次から次に流してゆくと、ある項目に眼がとまった。
彼の、その意志を検知したビューワーが、表題を流す動きを停める。
社会
――え……っ?