――一くッ!!
なかば呆然としていた彼は、反応がおくれた。
腰をかがめ、すばやく振りむく――が、洞窟まえのテラスには、だれも居ない。
こんどは女の悲鳴。続いて、なにやら男同士で言い争う声。
――1階からだ……。
どうやら自分の存在がバレたのではないらしい、と彼は滝のような
だが――まだ油断は、できない。
すると入り口近くの、例の室内庭園わきで、見なれない制服を着た金髪の女子が、システム検査会社のツナギを着た数人の男に囲まれている。
一団のうちの一人が、割れるような大声で、
「いいか!
――“
『九尾』は、個人端末を取り出す。
カール・ツァイス仕込みの光学ズームで、一階の、情景を。
女子の方に見おぼえがあった。
おなじ一年の候補生だ。
忘れるハズもない。W/Nは『タチアナ』。
顔立ちが
――でも……だいたい彼女は一学期の終わりに転校していったはず。
なんでいま頃?と、
こちらはなんと、あの頭の悪そうな体育教師……バービー伍長。
そういうことか、と『九尾』は奥歯を
おそらく何かの撮影会をしているのだろう。
『タチアナ』はセーラー服を着せられ、撮影機材のわきにはレフ版が数枚、立てかけられている。
やがて、ひとしきり怒鳴った教師はジャージの前を下げると、彼女の金髪をわしづかみにして強引にひざまずかせた。思わず『九尾』は顔をそむける。
「もっと舌うごかせよォ……オラッ!――ホント“
バービー伍長の言葉に、なにがおかしいのか周囲のスタッフはゲラゲラわらう。
「コイツ、ホントに“ドール”にして市場に出したら、どれくらいつきますかね」
「五○は行くんじゃね?この顔に、この身体だぜ」
「
伍長の言葉に、九尾は“あの夜”のことを思い出す。アヌスの
――してみると“市場”というのは、そんなに有名な組織なのか?人身売買的な?聞いたことがないのは、自分のアンテナが低いから?でもテスト勉強ばかりの生活でも、そんなに有名なら少しは耳にはいってきても、いいハズなのに……
『タチアナ』が100か。そうだ、自分のときは、幾らと値踏みされてたっけ……思い出せない。そもそも100ってなんだ?あのオヤジ二人といったレストランでは、なんていわれてたっけ、そうだ“両”だ。両ってなんだ?100万円?100万$?あるいは外象人の古い通貨である100万ソルドか。
一瞬、『九尾』はヒヤッとする。
空中に浮かぶ3Dファインダーを通し、仰向けで
そんな彼女と目があった、ような。
体位を変えられても、微妙に
バービー伍長がニヤニヤと、紙袋からバニーガールの衣装を取り出した。
『タチアナ』は、気のなさそうな、力のこもらない手つきで、差し出された光沢ストッキングを履くと、その上からノロノロと網タイツを二重履き。均整のとれた
「トレぇなぁ――でも、あたまワルそうなデカいチチ……イイぜぇ」
「コイツ、頭ンなか
バービーの
「アーほ。どっからそんな金、出てくンだ。コイツの全身脱毛と豊胸処置、それにボディライン矯正
なるホド、円単位ではナイらしい、と2階で『九尾』は納得。
「さ、
一団の行動を録画して、イザと言うときの保険にしようとした『九尾』だったが、だんだんと彼等の行為がエスカレートしてゆき、さまざまな“
首輪、
洗脳補強とバービーたちが呼んだ、聴覚と視覚をうばう、頭をすっぽりとおおう皮製らしき責め道具を使われたときは、彼女の身体が糸のもつれたあやつり人形のようにガクガクと、幾度もゆれる。
ブースで見た、
あえぎ声と、悲鳴。
のど奥に差し込まれたときの、えずきと
衣装が変えられ、
アラビア風な宮廷の踊り子に。
全身を縄で縛められたSM風味に。
エナメルで乳房をくびりだされるボンデージ姿。
女の秘所に、アヌスに、尿道に。
様々な思惑を秘めた残酷な器具が挿入され、あるいは抜き差しされて。
そのうち女の子の発情した匂いが、2階にまで立ちのぼるようになる……。
証拠撮影をしているうち、だんだん腹が立ってきた。
あれは――自分だ、と『九尾』はかんがえる。
オトナに、組織に、都合に。
いいように振り回され、
当人の意思などお構いなし。小突かれ、
彼女の大きな尻に「“腰使い”がなっちゃいねェんだよォ!」 と平手うち。
それを観た『九尾』の中で、怒りは頂点に。
――なんとか一矢報いたい……なんとか……。
あたりを見回すと、火災報知機が柱のところに見えた。
あお向けに寝かされ、手錠で両腕をあたまの上に拘束されて、曲げた脚を宙に持ち上げられた体位の彼女にも見える位置にある。
思い切って『九尾』は腕を高く持ちあげると、指で報知器をさし示した。
「まって!ダメよ――ダメ!」
その時、『タチアナ』の必死な声が、
哀願するような眼差しが、3Dファインダー越しに『九尾』の眼を射た。
「ほゥ、そんなにヨかったか?オメェもコッチが良くなってきたんだな」
一瞬の空白。やがて彼女は言葉つきをかえて必死に、
「もうやめて!警察に言ったらどうなるか分かってるの!?」
警察ゥ?と男たちは顔を見合わせ、ヘッ、と。
「ナニ言ってんだコイツ?」
「いまさらケーサツ呼んで欲しいってか」
「アホが。ココにも一人いるよ、ホラ」
バービーが、首輪からのびるクサリの
若者の中でも少し年齢がいっているその男は、カメラを手に、ニヤリと。
「ハ!もう
「だいたい
『タチアナ』のほおが、また平手打ちに鳴った。
パァン!とホールに乾いた音が響きわたる。さらにもう一度。
その音は、『九尾』の胸にささくれたクサビを打ち込んだに等しかった。
――そんな……。
カーペット敷きの床の冷たさが彼の身体の骨身にしみるころ、ようやく一団の下劣な“撮影会”はおわり、『タチアナ』は縛られた半裸の上からコートを羽織らされ、スタッフの一団と共に図書館を出て行った。
――……。
いつの間にか全身に余計な力が入り、背骨がガチガチに固まっていた彼は、関節の痛みに耐えてヨロヨロ床から起きあがると“洞窟”にもどる。
そして熱を持った電子機器を見つけるや、それをコードごと引き寄せて腹に抱え込んだ。手近かなブースの中に制服が汚れるのにも構わず横たわると、グッタリと身体を丸めて。
「分かっていたんだ……あのコ……彼女は」
わざわざ口に出し、彼はポツリとつぶやいた。
彼女、とワザワザ言い直したのは自分にとっての“恩人”を軽々しく表現したくなかったためだった。
「ああ、そうさ。分かっていた。そして、この
自己嫌悪の以前に、いろいろなことが起こりすぎて、なにも考えられない。
やがて一息つき、冷えた腹も温まると端末にもどり、「ドール」という語句を検索。
なんとか出来ないか、なんとかこのことを世間に広くブチ
冷たい炎が、彼の胸のなかで燃えさかって。だが、出てきたのは、
【バービータイプ・ドールの豊胸改造】
【腰を不自然なく細くするには】
【
【肉パテの目立たない注入方法とその
等々……。
――なんでフィギュア・オタクのHow toが!
表題の文字を見て舌打ちをすると、そうだ!と次に「闇市場」「取引」関係で検索。
【ポスト・マルクス主義の復権と市場の今後】
【ハイエクの功罪とネオ・ケインズ派の現在】
【
等々……。
――ですよ、ねぇ……。
検索をかさねても、これはと言うような情報も集まらない。
気がついて時計を見れば、いつのまにか、もう夕方の時刻となっている。
脱力が、全身をひたひたと充たしていった。
頭がグルグルとまわり、フラフラに。
潮どきだ、と感じた彼は、力の入らない手で端末の電源を落とし、ブースエリアを出る。
外は暗いと思っていたが、夕陽の残照があるのか、まだすこし明るい。
正面玄関のセンサーを
落ち葉を焼く焚き火の匂いが、心の
ふたたび教職員の人目につかぬよう、茂みをつたい足ばやに修錬校の敷地をよぎり、柵をのりこえ、手押し車の老婆を驚かせて
やってきたトラムに、彼は
なかば自暴自棄なまま、行き先にまかせて……。