壁面モニターの広告や、奇抜なディスプレイ。
ラウドスピーカーの政府広報。その下をゆく様々な人々の流れ。
通勤帰りの疲れた顔や手をつなぐカップル。
早めにデキ上がり、声高に話す酔っぱらい達。
ヤクザの
ウィンドウ越しに、談笑が充ちるカフェのにぎわい。
温かそうなサロンにひらめくドレスの輝き。
うす汚れた
焼き鳥屋のダクトからは、
だが『九尾』は、自分とそれら
風俗店わきにいた、アオザイすがたのティッシュ配りが自分をスルーしたとき、遊離感は、一転。
ホロ苦さと、
胸のなかに
――くそ……っ!
騒音とネオンが
ヘッドライトの流れ、テールランプの
先ほどの胸が悪くなるような光景。
ボッテリとした紅唇に整形され、思考のレベルも故意に引き下げられて、ビニールめいた肌艶にされ出荷される元・女子候補生。
革拘束――そしてムチの音。
こちらを見た『タチアナ』の
それはいつの間にか、龍ノ口の目つきに。
あるいは、『リヒテル』の視線に。
やがてはミラの――あの意味不明な宮廷秘書官の何かを狙うような瞳。いくつもの電飾アーケードやネオン看板をくぐるうち、ついにはいつかの気味悪い、あのガイコツめいた老人が、路地の奥からこちらを眺めているという
世界が
いや、傾斜しているのは、彼自身のほうか。
周りからのヒソヒソ声。周囲のコンクリートやガラス、
自分に向けられた会話がガラスのサラダのように心に突き刺さる。
看板。チラシ。自動宣伝カー。ティッシュ配りのキワどいおネェちゃん。
すべてが、自分を
奥歯をかみ締め、泣くまいと彼はくちびるを引きむすぶ。
――修錬校だけでなく、みんな、ボクを仲間はずれにする!
だが、湧きかけた怒りは、ふと尻すぼみになり、消えてしまう。
当然だよな、という
『タチアナ』を見捨てた、後ろめたさ。
さらに
何だかんだ一級候補生になったことで、どこか自慢げな、イヤなヤツになってなかったか。昇進を、ハナにかけてはいなかったか。
――
どうしようもなく小ッさい自分……バカの道化……優柔不断なクズ……。
数歩よろけ、とうとう傍らの建物に肩をつけて、大きく深呼吸してゆるやかに回る世界と折り合いをつけようとしたときだった。背後から、
「ダイジョブ?キブン、ワルい?」
「え……?」
下向きに振りかえると、この寒空に、白いロングブーツとミニスカート。それに胸を強調するアッパーに銀色のチョーカーを巻いた、
「ナンかブツブツ言って通りフラフラ歩いてるんだモン。
「ボクが?……ですか」
街の
「ちょとダイジブねェ!?コート着ないで、こんな
そちらこそ、と『九尾』は何とか立ち上がることに成功すると、
「寒くないんですか?そんなキワどい格好で」
「アラ、言うね。カワイイお面で、ほら――さわてゴランなさぃ」
二の腕までの白い彼女は、『九尾』の手をとると、大きく窓があいた胸元から、自分の胸を触らせる。
――あ……。
ビニールのような、ラテックスのような、温かくツルツルとした肌ざわり。
「ネ?コーティングされてノ。だからダイジョブ。
彼女は前にかかった金髪を、肩のうしろに跳ね上げてわらう。
「あの、おネェさんは外象系のひと?」
「
「日本語は上手いけど……なんとなく」
「そウ?」
キャンギャルのお姉さんは、通行のジャマにならぬよう、『九尾』を道のはじに引っぱってゆくと、片ヒジにさげたバスケットの中から、広告付きのキャンディーを取り出し、
「ワタシはキスイ?の地球GIN?であル。ただアタマいじられ、
あっけらかんと彼女はそう言って、わらう。
『九尾』はゾッとした。
図書館で観た“
ドサクサまぎれに、ダメもとで聞いてみる。
「ねぇ……“市場”って、なんのことか知ってる?」
お姉さんの身体が、ビクリと一度、電気ショックを受けたように。
「ダレからソレ聞いた?……ソレいけない。
エリアーヌ!と遠くから声がかかった。
彼女が振り向くと、白シャツに蝶ネクタイ、それにピンストライプのベストに黒ズボンといったオールバックの男が、サングラスの奥からコチラを
観ていると、この男の
エリアーヌと呼ばれた彼女は、ブーツのヒールを鳴らして走ってきて、
「ごめん、ごめん、マネージヤーに怒られちゃった」
「……大丈夫なの」
「平気、ヘーキ、それより、コレ」
彼女はバスケットから、名刺を一枚、差し出した。
そして打って変わったなめらかな口ぶりで、
「こんど、お店に来てよ。絶対ね?でなきゃ――ワタシが、また怒られちゃう」
ニコやかにしゃべりながら、不思議にも彼女はひとすじ、涙を流した。
「制服は、着てきちゃダメだよ?サービスするからね?いつ来れる?」
「え……分からないですよ。修錬校のこともあるし……行けないかも」
「ソレが……いいネ――いえ!でも週末あたり、待ってるからね?絶対よ」
それだけ言うや、
残された『九尾』は、名刺片手にぼんやりと、雑踏の中にたたずんで……。
彼が寮に帰ったのは、夜もおそく、門限ギリギリになってのことだった。
もはや自分の部屋がある階のエレベーター・ボタンを押すのもダルい。
自室の扉をあけ電気をつけると、こもった部屋の空気に、気のせいか
「ニィちゃん――なんぼや?」
という意味不明なしつこい言いがかりに、
重苦しい航界士候補生の制服を脱ぎ、ブラッシングをして
貞操帯ひとつの裸になって、木馬にまたがり排尿や排便をすませると、もうもうと湯気を立てる熱いシャワーを勢い最大にして浴び、ようやく『九尾』は生き返るような気分を味わった。
バスルームの壁に額をつけて、目を閉じる。
いろいろな事がありすぎた最近の光景が、断片となって。
そして彼のなかで、われ先に浮かびあがろうと、バラバラにせめぎあう。
老教官の言葉。
図書館で見た映像――そして『タチアナ』。
街の騒音と、近寄ってきたキャンペーンガール。
あるいは自分の値段を訊いた、能面の様な中年。
氷を思わせるミラの微笑。
先輩候補生の熱に浮かされたような目つき。
『
シャワーが止まった。
節水と電力節約のため、一回の操作がタイマー仕掛けになっている。
もういちどお湯のボタンを押そうとしたが、クソッ!とつぶやくと、思い切って水のボタンを押し、
「社会不適応個体」――「抹消」――「任務拒否」――「ドール」――「市場」
長いこと冷水をあびてから『九尾』はようやくシャワーを止めた。
身体の
ニュース・サイトを点けると、また当たり
AIアンカーのキザったらしい喋りもハラがたつ。
――上野動物園で
イライラと思考操作でカットして、部屋はふたたび青い空間に。
清澄な気配が、ふたたび空気を充たした。
「
ゴロゴロとベッドの上で暴れていると、自身のなかで、得体の知れないモノが
あらかた体の水滴をベッドに吸わせたあと、彼はパタッと動きをとめ、額に手をあて、渡された名刺を手に、そのピンク色なカードを力なく見つめる。
「これは枝葉なんてモンじゃない、ジャングルじゃんか……カミソリじゃムリだ」
――――――――――――――
「オイ、なんていった……この小僧は?」
葉巻をくわえた男が、背後に言葉を投げかける。
モニターの光に、白い煙がゆっくりとたなびいて。
「ジャングル?カミソリが、どうとか」
チッ!と鋭い舌打ち。一服吸う間の沈黙。
「フーッツ……まったく。早く服を着やがれ!冷水なんか浴びやがって。バイタル激変してナニかと思ったじゃねぇか!低体温症にでもなったら、コッチの責任だ。風邪でも引いたら
「何か見てますね……名刺?カード?」
「オイ、チャンと録画してンだろうな?この前みてェに良いトコで画像が――」
「ワかってます。こないだは西のヒヒ爺ィどもから、クレームがスゴかったって。ネチネチとドヤされましたよ」
「糞エロじじぃどもが……ドコでも湧いてきやがる」
「しかし……コイツもつくづく
「ソレ言うなィ。なら
――――――――――――――
――今月の
睡りに落ちるまえ、朧気に九尾は考える。
オッパイのおおきな、優しいお姉ぇさんたち。
いままで受けた経験に無い、やさしい態度と仕草。
やさしい温もり。そして笑顔。ふわふわとした触れ合い。
――あそこのお店、いちど行ってみようかナ……。
やがて暖かく大きなうねりに包まれて、『九尾』は