「アンテナ、ねぇ?なんの
「“市場”の
「――市場!?」
『九尾』の驚きに、なにをいまさらと愛香は再び冷たいおしぼりを後頭部にあてて立ち上がると彼から距離をおき、
「
「男のコ?」
「えぇ。しかもイザークは――いえマネージャーは、放言してました」
彼女は微妙に
「そこいらの
「ウカイ?」
「え? “市場” での隠語ですが――ご存じない? “人形” をつかう側の。売人や、仲買人とはちがった格の存在で “人形師” のおとくい様ですのに」
ヤバイ、と『九尾』はアセりつつ、話題をそらそうと、
「イツホク氏も“ウカイ”?なの」
まさか、と彼女は寂しく唇をゆがめ、声をひそめて、
「
「コワい人たち?ヤクザとか」
「……」
「わかった、外象系のマフィアかチンピラだ」
フッ、と
さらに情報を引き出そうと『九尾』は焦る。
しかし。またしても、自分のなかで「待て!」の声が。
疑わしげな愛香の目つき。相手の気配が硬くなるのが露骨にわかった。
あまりにも
状況を収拾!急いで改善しろと、胸の内でアセらされる。
なにか無難なコトを……と『九尾』は知恵をしぼり、
「じつは……ボクは“研修”の身でね」
「……」
「身体ひとつで、いろいろ体験してこいって言われてるのさ」
「……まぁ、そういうことにしておきましょうか」
「研修だとしたら――むいてませんわ?
「う……そう?かな。やっぱり」
「この世には、ね。知らない方がいいコトがありますのよ?」
「ボクの教官は「経験値を高めろ、知識をさぐれ、そして自分で判断しろ」って、口うるさく言うんだ。それでなきゃ、いい
「知ってしまったら、後にはもどれない事だってたくさんあるんですのよ?心が
「たとえば?」
フゥ、とため息を
「……困った方。見なくてもイイものを、わざわざご覧になりたがるなんて」
ううぬ、と彼は心中うめく。
この上品さ、言葉の緩急。
なにより相手を
ひょっとして彼女も、
じつは、自分より年上で、けっこうな年齢だったり?だが、それにしては長期服用で出るとされる肌のゴム化やヨゴレなどがぜんぜん
「いったい、どうしてキミはこんなところに?」
ツィ、と愛香はソファーから立ち上がった。
そのまま優美な仕草で、チリチリと鈴をならしつつ壁際まで歩むと、応接間の窓を細めに開ける。
冷たい夜気が蒸された頭に心地よく流れ込み、暖炉の炎に勢いを与えて。
ふと、あの大聖堂の慰霊式が雪の光景とともによみがえる。
色々なことがありすぎて、もうずいぶん昔のようだ。
「私は――」
微妙な一呼吸をへて、彼女は言いよどむ。
やがて、なにかを振り切ったように声の調子を落とし、
「むかしむかし、あるところに、ある
九尾は黙って聞き入った。
もちろんこの場合は、愛香の家門のことだろう。
「でも、一族を取り仕切っていた長老が
「……ふぅん」
「一門にとって痛手だったのは、この一連の騒動が外象宮殿・日本政府、双方の
不意に、彼女は声を詰まらせた。
しばらくジッと、感情の波を堪え忍ぶようす。
やがて耐え切ったか、もと通りの口ぶりで、
「本家も、所蔵していた書画骨董はもちろん、家屋敷まで余人の手にわたりましたが、なんとか家門は存続の見込みでした――しかし議会の要人で、
「……」
「ここで、宮殿の側からとりなし……というよりも、ハッキリとした警告が入りました。これ以上騒ぎを長引かせるようなら、しかるべき手段をとる――と」
応接間の細めに開いた窓から、風に乗って遠くの
なにやら
繁華街のさわぎが、ここまで漏れ聞こえるらしい。
愛香も、それに興を削がれたか、
「その議員は地団駄ふんでくやしがったそうです。相応の代償をとらねば、野党のフィクサーとしての恥だ、名折れだと。そして、ついにその議員は……本家の子供たちに目をむけたのです」
「本家には――跡取りの男子が一人と、三人の姉妹がおりました。わたしが言うのもナンですが、姉妹は見目うるわしさで、周囲からは“本家の三花”と呼ばれていたそうです。その議員が言うには、ウチの組織に三姉妹を差しだせば、本家の取りつぶしは“断腸の思いで”(ホントにこうおっしゃいました)カンベンしてやる、と」
「跡取りさえのこれば、本家は救われると代替わりした当主は思ったのでしょう。三姉妹を
愛香は沈鬱に
しばらくは、言葉を探すように。
表の騒ぎは、いつの間にか収まっている。
ねばり気のある静けさが、応接間を支配した。
時おり混じる、暖炉を通る風と、くべた
それで?と、とうとうガマンしきれずに『九尾』は尋ねた。
「それで、どうなったんです?」
それで?と愛香は
「それでお
まるで唾棄するような口ぶりで、愛香は言い捨てる。
そしてうつろな目に自虐的な灯をともし、
「その夜、母は赤紙の貼られた屋敷の客間で首を吊り、父は病院で薬物依存症になりました――おそらく例の議員の息が、かかった病院だったのですね」
「……ほかの、ふたりは?」
「ひとりは、ひょっとして
「よかった。モデルなら、まだしも――」
「ただし、頭部だけになって「着せ替え人形」ならぬ「すげ替え人形」として、いろいろなボディに
「……その畜生……なんて言う議員?」
野党の――と愛香が口を開きかけたとき、鈴が細かく鳴り始めた。
窓際で崩れおれる彼女を、『九尾』が素早く立ち上がって支えたとき、彼女の下腹部がバイブ音で震えているのが分かった。
「存じ――ません」
辛うじて彼女がそう呟くと、鈴の音も
上気した顔に息を切らせ、ようやく彼女は呟いた。
「そして……
これですべてです、と彼女はピンヒールをフラつかせ、立ち上がる。
「この社会には、知らない方がいい世界もあるんです。もっとひどいハナシなんて、いくらでも知っていますし、この目で見てきました。
最後の言葉は低く、歯の隙間からささやくように、押し出された言葉だったが、ほかのどんな口調よりも
胸苦しさを覚えた『九尾』は高い
ムリですよ、と愛香はそっけなく、
「使用人の脱出口にならないよう、あるいは侵入者の入り口にならぬよう、それだけしか開かないんです。ちなみにガラス本体も準防弾で、ちょっとやソッとじゃ割れませんから」
「おどろいたね、どうも」
「これぐらいで驚いていては――」
ノックの音がして、マネージャーが応接間に入ってきた。
乱れたオールバックを
「客人――あぁ、『土鳩』さん。チョイと来ちゃモラえませんかネェ」
「なんでしょう、イザークさま」
「オメーは、だァってろ……『土鳩』さん、階下でチョイとモメごとがありゃしてね?アンタに
「……いいでしょう」
あの、と不安げな表情《かお》の愛香を睨《ニラ》みつけて制し、マネージャーは『九尾』を廊下に連れ出した。
グリーンの壁紙と
やわらかい物が叩かれる音がして、不意に静かになった。
チッ!とマネージャーのするどい舌打ち。
歩み進めるほどに、いやな予感。
両開きの大きな扉を開けた瞬間、広く殺風景なタイル張りの広間に、鉄
「『土鳩』閣下は、修錬校“瑞雲”の生徒サンでしょ?」
イツホクは、いたぶられていた人物にツカツカと歩み寄り、グイと髪を
「もしかしたらコイツに、心当たりがあるンんじゃ?と思ッて」
やつれの目立つ、血にまみれた横顔。
ハデに立ち回ったのか、来ているジャケットはボロボロだ。
そしてなにより――ひしゃげ、折れ曲がった片手杖。
「……どうしたんです?コレ」
目の前の光景が信じられない。
打ちっぱなしのコンクリートとドラム缶、それにセメント袋が転がる空間。
天井からはチェーン状のホイスト・クレーンがかかっている。
よくみれば、コンクリートの壁面には赤サビ色をした手形や、
震える声で、『九尾』は囁くように。
対してマネージャーは、ナニね?とカルい調子で、
「ウチの三下が、女の子たちを道でスカウトしてたら、横からチョッカイ出して来やがって。なによりコイツも
「どうするんです……このヒト……」
マネージャーは掴んでいた髪を手荒放し、ぐったりと目を閉じる青年の血まみれな顔を垂らす。傍らの男にロシア語で何ごとか話しかけると、その男も青あざの浮かぶ
マネージャーはひとつ、
「ま、それなりの対価をいただかなくちゃァ、ね。元気そうなヤツだし、
「そんな!」
思わず『九尾』は叫ぶ。
そんな彼の姿を見て(得たり)とこのユダヤ商人はニタリと、
「……でも、もし『
ゴクリと『九尾』はノドを鳴らす。
「……どうしろと?」
「ナニ、そんな顔をせずとも。
店を預かるマネージャーは商売人の口ぶりで、最悪の事態を予想する少年にヤニ臭い身体を寄せると、ニヤけた
「
「……」
「チョイと役立ってもらえりゃ――ネェ?」
さぁ、エロパートの始まりDEATH!