『成美』が近づくとウェーバーのキャブが深呼吸し、やおら猛獣のような
入り口に詰めていた店の警備たちが、なんだ!?と一瞬顔を上げるが、見知った車なのか、すぐに通常の業務にもどった。
驚きに目をむく『成美』を見て、運転席に座った『
「ガソリン・エンジン!!――どうしたのサ?この車」
「ご主人さまのコレクションだよ。ちょっと借りたんだ」
「えー大丈夫なの?いったい何ギニーするんだコレ」
「スイス・フランで6000万ぐらい、だったかな?」
「うっわ!排気
「昔は、みんなこんな感じだったらしいよ?さ、乗って」
『成美』がドアを閉めるや、V12エンジンは強力なトルクを発生させ、リアタイヤを空転させる。激しくテールを一度振ったのち、ふたりのビェルシカをのせた流麗な車体は弓の
磨かれた車体の上を、街の灯がすべってゆく。
信号をドリフトし、テールを滑らせながら――右に、左に。
やけに荒い運転をする自動運転システムだな、と運転席をみれば、なんと『恵娜』が直接ドライブしている。
華麗なクラッチワーク。回転数をあわせ、二度、三度。小気味よくエンジンをうならせたかと思うと、そのたびに“シート脇から突き出た棒”を巧みに操作。映画のシーンではおなじみたが、実際に人が操作するのを見るのは初めてだ。
「ずいぶんと運転が忙しそうだね!」
「なにがァ?――あぁ。コレ?」
目のまえにフラフラと軽自動車がでてきた。
クラクションとともに、優先権を主張する
『恵娜』はまた“棒”を動かした。
と、エンジンがまた一段と声を高め、力強いトルクをのせた加速を開始する。
老夫婦のおどろき顔が、アッという間に彼方になって。
運転席で彼は『成美』の方を見て哄笑した。
自動制御のゴミ収集車。
一般人の乗るワンボックス。
古い型の高級セダン。
みんなクラクション、優先主張、パッシングでどかしてゆく。
たまにガンとしてゆずらぬ
初めて乗るオープンカー。
厚手のコートを着てきて良かったと思いながら革のシートに座る『成美』だったが、すぐにその考えを訂正する。
『恵娜』がハデに回すエンジンの熱に加え、ヒーターをかければ十分に温かい。
冬でコレなら、夏は地獄ではないだろうか。
高速のゲートをぬけると、いよいよこの車は本領を発揮しはじめた。
路面の補修が行き届いていない一般道にくらべ、バターのようにナメらかな高速の道。足もとを過ぎるセンターラインの流れが早くなり、頭上の照明は次々と飛ぶように飛び去って。
横Gを感じさせるほどのループを何周もかけあがると、広大に
照明が少なくなり壁面も強化ガラスの防音壁から低いガードのみとなり、夜の街がよく見渡せる。まるで本当に星の海を走っているよう。
電装系の計器ロストを想定した
風の轟音が、スゴい。
――こんな
少しばかり彼はキモを冷やしつつ、運転する同僚の横顔にキ印でも浮かんでいないかどうか
「どうだい!スッとするだろ!」
『恵娜』は、そんな彼の視線をチラリと受け、
「タマには
「意外だなァ!キミって、そんな一面あったんだ!」
「は!ボクなんかまだカワイイほうだぞ?「赤」ネクタイの『ワーニャ』なんかガソリンエンジンのバイク自前で持ってて、湾岸を300キロでトバすとか。この前の土曜日、パピヨンの『エリカ』様とベイサイドで
『
キミもなにか乗ればいいのに!と、そんな彼は明るく助手席に話しかけて、
「航界士候補生だったなら貯めこんでるだろ!?――イイ店《ショップ》を紹介するよ!」
『成美』は車のコンソールを見る。
正直、もうメーターや警告灯を気にしたくはない。
HUDや、3D計器。
神経に直接告知されるエマージェンシー。
緊急通信や、ウィング・メイトの悲鳴。
翼をもがれ、悶えながら墜ちてゆく機体。
でも……。
「そうだなぁ……自転車ァ!?なんか、イイかも!」
それを聞いた『恵娜』が、また高笑い。
「運動不足解消、ってわけ?でもあんま筋肉つけちゃうと、キラわれちゃうよ!?」
「だれにィ!?」
「ダレにって――モチロンお客様さぁ!人気のない高級公子は、ミジメだよ?」
ふっ、と『恵娜』が真顔になると“棒”を操作して、エンジン回転数をさげた。
速度がみるみる落ちてゆき、やがて100km/hほどに
会話がグッとしやすくなる。
だが、ふたりのあいだに言葉はとぎれて。
彼方に灯りの見えない区画があった。
まるでポツンと穴が開いているよう。
「あの場所って、なんだろ?ずっと前に聞いたことあるけど、はぐらかされたんだ」
どら?と『恵娜』は身をのりだし、ついには立ち上がる。
ワッと『成美』は血相をかえ、
「おぃおぃ!ハンドル!ハンドル!!」
はぁ?と相方の間延びした声。
「もう自動運転modeだよ……」
「あ……」
言われてみれば、たしかに。
対して運転手役も「なんだ」というようにシートに座りなおし、
「“議員法”で電力停められている地区じゃんか」
「なにソレ」
「あそこの地区で当選した議員が、国の発電方式について政策実行したのが裏目ったのさ。最近の電力事情のアヤうさはキミも知ってるだろ?こんなバカ議員を国会に送った有権者は同じバツをうけるべしと、電力事情がヤバくなった時に選挙区は優先して送電をキられるんだ、っと」
『
「寄りかかる先をまちがえると、タイヘンなんだ……ウチの店だってそうだぞ?“パピヨン”にも
「そうなったら?」
「店をかわるか、ご主人様をみつけて飼っていただくか。それとも契約人形(マネキン)になって自活するか――あるいは下層の労働者にでもなって、ガンで苦しむしかない」
『牛丼』や『山茶花』、それに涼子社長から聞いた「不景気」という言葉。
生きてゆく、ということの重みと大変さを、最近ヒシヒシと感じる。
――クラスのみんなから引かれていたのは、当然だったのかもしれない。
「ボクもさ?」
『恵娜』はシートを起こし、
「頼りにしていた先輩が、パピヨンの階級をはく奪されちゃって。下にいたみんなはバラバラになったよ。店(メゾン)で残れたのは、ボクだけ。ちょっと前はボクだって、売れっ子だったんだよ?」
『成美』は自分と歳があまり違わないようにみえる目の前の少年をマジマジと。
「キミ、いつからビェルシカやってるの?」
轟音をたててエンジン駆動のバイクがカッとんでゆく。
時間差をおいて、モーター駆動の白バイが回転灯だけまわし、ヒルのような無音さで追走していった。
「いつって……小学生の頃から、かな」
「その、いろんなことさせられたり?」
「いろんなことって?」
「いや、その」
「……」
『恵娜』は自動運転modeを切ると、棒を操作。
たちまち車は獲物を見つけたケモノのように、猛然と突進を開始する。轟然たるエンジンの咆哮のもと、
「あぁ!そうだよ!」
棒を動かし『恵娜』はさらに加速。
狂気めいたものを感じるのか、追越車線を走る前の車が次々に進路をゆずる。
「いろんなコトをしてきたさ!小学生のうちから親を養ってきたんだ。はじめてお尻に入れられたのは〇学3年の時かな。ボンデージ衣装を着させられ、ヨダレを垂らしたバーコードおやぢ
さらに彼は棒を動かす。
エンジンは高らかに詩《うた》い、彼方にあったテールランプがあっという間に近づくや、ウィンカーで車線を譲りはじめるそのわきを無理やり抜いて、バックミラーに消してゆく。
「危ない橋も渡ったなァ!事象面タンカーから密輸品の荷受け。みんなこっちが子供だと思って憲兵隊すら油断したんだ!」
「怖くなかったのかい!?」
「こわい!?」
すでにその目には狂気めいたものが浮かんで。
まさかコイツ、双極性障害じゃあるまいなと“航界心理学”の講義を思い出そうとするハシから『恵娜』は面白そうに、
「コワがってるヒマなんてないよ!――だってさ?そうしなきゃ生きていけなかったんだから!」
「……」
「けっこうキタないこともやったよ!?賄賂!密告!裏切り」
ドリフト気味に車線変更。
生ガスが添加して、ハデなバック・ファイア
追いすがってくる地味なシルバーのセダンだ。
棒を動かしさらに加速。
「食うか、食われるかだモン!」
アクセルを踏み込み、引き離しにかかったとき、後ろのセダンが豹変した。
いきなり天井からパトランプを生やし、サイレンとスピーカーから路肩に寄せて停止するようガナりたてながら、ふたりの乗るフェラーリに追いすがる。
『恵娜』の唇がくやしげに歪んだ。
「ちィ!ポリかよ!!」
彼は棒を操作してギアを落とし、エンジンの回転数を上げて戦闘態勢にうつる――しかし助手席の『成美』をチラ見して、何を思ったかエンジンを緩め、アクセルペダルから脚をはなし、スピードをおとした。
「だめかぁ……
がっくりと肩を落とし、ウィンカーを出して路肩に寄ろうとする。
「あ――ちょっと待って」
ふと「成美」は肩掛けカバンのなかを探り、パスケースを取り出すと腕をのばし、後ろのハイビームに掲げてみせた。
魔法のように、サイレンと回転灯が止んだ。
がなりたてていたスピーカーも、沈黙。
覆面がフェラーリを一気に抜き去り悔しげに彼方へときえてゆく。
助手席の警官が一瞬、『成美』をニラんだような。
あとには――ふたたび星の海。
しばし『
「スゴイすごい凄い!――なにやったのさ!?」
「べつに。まえに先輩がやってたのを、思い出してね」
まさか本当に警察に効くとは思わなかった。
あの褐色の温かみと、豊かな柔らかさ。
それに無遠慮でガサツで、それでいて母性にあふれた瞳を思い出して。
もう、ずいぶんと手の届かぬ彼方になってしまったが。
「たすかったァ。いやバトっても良いと思ったんだけど、『
やがてフェラーリは高速を降り、高層マンション群の林のなかに入ってゆく。
そのうちの一棟にある駐車場で、車は止まった。
マーキングの場所で停止すると床面がパレットになり、ターンテーブルへ。そしてそのまま運ばれ車ごとエレベータに載り、フロントまで上昇。
一見してデザイナーズマンション風。ところどころ嫌味にならない程度にレトロな味付けなのは、さすがだ。
フロントで車を降りると車体は立体自動車庫に格納され、人間は格子縞のロビーを歩き、高層階専用の
下界がGとともに遠ざかり、どこへともしらぬ高みへ、
圧倒されっぱなしの『成美』だったが、ついたフロアの静かな廊下を歩き、『恵娜』に導かれた部屋に入ってさらに驚く。
※後世のフェラーリ社が出した改装レプリカということで、ひとつ。