演奏されていた曲が吐息のように、しりすぼみに途絶える。
次第に暗くなる店内。
期待が高めるための間が――暫し。
カッ!
一本のスポットライト。
そこに白いショールを
ただ彼は、闇の奥からいくつもの凝視が自分に注がれるのを、痛いほど感じて。
まるで男のふとももを撫でさするように、サテンの長手袋でマイクスタンドを軽く愛撫し、流し目ぎみに闇を見わたすと、
「こんばんわ、皆さま……お初、お目にかかります」
ムーディな調子で、すこし声を
ただし――やりすぎは、禁物。要注意だと彼は心する。
「
優雅に、一礼……すると、まばらな拍手。
試されている!と『成美』は即座に理解した。
もう自分のネームバリューはあるのだと、どこかでナメてかかっていなかったか。これは心せねばなるまい。
と――闇の奥から、
「でェ?ボウヤは、ナニができるんだィ!」
無遠慮な声が飛んだ。
同じ方角から別な声が口々に、
「まさかオシャブリだけってコトぁ無ぇよなぁ?」
「
「スペードのエースが彫られてンだな!
「シャブるのはママのオッパイじゃないんだぜ?大丈夫かよ!そのお口は」
「客どもの要求を拒否ったら
闇のあちこちから、非難と怒りの呟き。
超・高級店のフロアがちょっとした騒ぎに。
(なんだ?下司がまじっているのか!)
(無粋な!一体どうなっているんだ――フロア長!)
そんな中、「GmB-(γ)86」という単語を聞いたとき、『成美』の脳裏に、あたかもフラッシュバックするいきおいで、蒼天に多重起発する事象面攻撃用・広範囲型破砕爆弾の“青白い業火”めくイメージが脳内いっぱいに広がる。
自分では見た記憶がない大型
そして “縄屋の娘と結婚” というスラング。
要は軍法会議による “絞首刑” というイミなのだが、なぜかそれを『成美』は胸がつぶれるほどの懐かしさで聞く。
――ようし……!
自身でも不思議なほど意気込みが湧いてきた。
背筋がのび、根拠不明の自信が胸をみたす。
やがて彼の口は、本人の意思とは無関係な、おどけた口ぶりで、
「おやおやァ?
ドッ、と客席が湧いた。
それは明らかに先ほどの無粋な客への当てつけだった。
いいぞ!の声。
そして拍手――次第にフロアを圧して。
余裕しゃくしゃく、『成美』は両腕をかかげ、それを抑えると、
「このお口は――大丈夫か?と申されました」
(かすかな笑い)
「もちろん。シャブるだけが取り得ではないつもりですが何か?」
(闇のホールからの爆笑。拍手。口笛)
笑いのうずが収まるまで待ってから、
「お耳汚しに、マクラとして先ずチョッと懐かしいお話を致しましょうか」
彼はスポットライトのせいで、何も見えない客席を見渡す。
これは!とそのとき初めて気づいた。
――O
自分をコクーンに格納しようと迫ってきたイサドラとの戦闘で。あるいは失意の涼子社長に喝を入れた、防衛用の人工自我。
知らないうち己に洗脳注入されたこの第二人格に、『成美』は当座の勢いを任せようと決めた。考えようによっては便利な “状況処理器” だ。ゲームでいえば自動戦闘機能のような。もっとも、こんどは何を言い出すのかと半分ヒヤヒヤではあるが。
ややあって――。
「もうだいぶ前のことになりますが……」
『成美』の口は、おもむろに回顧口調でしゃべりだす。
つい、いまは無い長い髪を払う仕草までしてしまいながら、
「東方・事象面軍団に所属する独立武装偵察ユニットとして、第47強攻偵察連隊というグループが、その名を轟かせておりました……」
オイ、何をいってるんだアイツは!?と驚きの声が闇のどこかで。
あちこちでふたたび制止の声。
「方面軍の命令などどこ吹く風。彼らは現場の状況と推移から、常に最適な判断を下し、“耀腕”と戦いつつも新たな回廊を切り拓いて、人類に少なからずの貢献を果たしたのです……」
“成美”は闇を見わたす。
ついで幾分、
「しかし――その成果とはうらはらに、横紙やぶりなこの戦闘ユニットは中央軍集団と宮殿の怒りを買い、最終的には解団処分を受けてしまいました。構成人員は降格人事、または不名誉除隊とされ、彼らの大部分は自由航界士となり、
思わせぶりな幾拍かの沈黙。
まるで“成美”自身も、その処分を糾弾するかのように。
やがて、ささやくような声でマイクに語りかけ、
「中央の
フロアはもはや声もない。
『成美』は(そんなことがあったのか)と、もはや自分の口が勝手に喋るのに任せたまま、
「防衛戦に生き残った航界士たちは、かつてアルジェ紛争で決起したフランス外人部隊・
ホールは水を打ったように静まり返った。
「それではお聞き下さい――彼らの歌を。Édith Piafで「Non,
さすがはMaison d'orのお抱え楽団。
あ・うんの呼吸で編曲イントロが流れはじめる。
ダンスのレッスンと共に受けていたボイス・トレーニングがギリギリで役にたった。当座の付け焼刃にはなる、かもしれない。
「わたしはちっとも悔やまない。
わたしはちっとも悔やまない。
またやり始める――ゼロから」
こんな意味の歌詞を、やや及ばずながら彼は歌う。
途中、闇のどこかで低く唱和する一団があった。
ちょうどヤジが聞こえた方角だ。
緩やかな行進曲を想わせる古渡りのシャンソンを、至らないビブラートを効かせ、どうにか彼は歌いきった。弦の震えがおさまると、「まぁ、どうにか及第点だな」というような拍手。
――ちぇ、やっぱり難しいや。
『成美』は照れとホロ苦さを味わって。
それでもホールの雰囲気が通常にもどったので、来客たちはホッとした気分を味わっているようだった。
パッ!と天井の灯火が生き返り、目の前の卓のならびが見渡せるようになる。
――うわ……っ!
『成美』は内心ギョッとする。
意外なほどの満員なお客さまたち。
それが皆、自分のほうを向いて。
ヤジの聞こえた方向を覗うと、鋭い目つきをする老若を取り混ぜたゴツそうな男たちが6名。こちらをチラチラと見て何事か話している。
耳につけられたイヤリングから指示がとんだ。
《『成美』、各テーブルをまわってご挨拶だ。当然お触りもアリだからな!?》
「そんなぁ!聞いていませんよぉ」
《イイからやれ!
えー?と思いつつ彼は、手近なテーブルから順々に、しぶしぶ愛想わらいを振りまいて。
――とたん……。
いきなり赤いイヴニング・ドレスごしにアナル・プラグからのクスリで勃起しつづける“おチンポ”が触られまくる。
尻がタッチされ、撫でられ、揉まれて。
平らな胸をまさぐる骸骨のように骨ばった手。
なかには露骨にアヌスを触りに来てプラグにガードされると、鋭い舌打ちを響かせるな老婦人も。
脂ぎった賛辞に微笑み――胸を揉まれ――
あっという間に『成美』のイヴニング・ドレスは、来客の手脂と、酒と、口紅と、涎でヘロヘロになってしまった。おまけに客のひとりに怖ろしいほど巧みな青年がいて、クスリで不感症にされていたにもかかわらず、不覚にも達せられてしまう。精がドレスの表地に滲むそのあとを老人たちがこぞってナメようとしたので、余計ヒドいことに。
いじられすぎた人形のようにドレスも心も、なかばボロボロとなって、さらに卓を巡ろうとしたときだった。
奥のほう、あのヤジを飛ばされたテーブルの傍らで、担当についたふたりのビェルシカ――バニー姿とアオザイ服――が客の足もとで正座させられているのが見えた。
カッ!と“成美”の頭に血がのぼる。
――またアソコのテーブルは!
ヨレヨレになったドレスの“お召替え”の指令を無視して『成美』が卓に近づくと、囚われの身であるビェルシカの『
「よぅ――カマ野郎」
一番若いチンピラ風なひとりが、ショット・グラスを手に『成美』を嗤う。
「ようやく来やがったか。遅ェぞ」
「一体そのふたりが何をしたというのです!」
“成美”はその若造をハッタと睨みすえた。
チンピラは、意外な彼の迫力に少々鼻白みながら、
「あ?テメェ、なんだその口の利き方は。オレたちゃ客だぞ」
「
低くドスの効いた、まるで別人の声がビシリと。
出た、と『成美』本体すら久々の表層現出にたじろぐ。
Oдержимостьの本領発揮。
「ンだと手前ェ!」
「
卓についていた最年長とみえる老人が、片手をあげ、若者を制した。
すこし背格好がリヒテルに似た、大柄な人物。しかしその面差しは長年の試練をくぐり抜けてきたものか、深いシワが疲労の色も交え刻まれている。
「すまなかったな、キミ。他事象での暮らしが長かったものだから――しかし」
この老人は周りを見回し、忌々しげに唇をゆがめるとシワをさらに刻み、
「久々に育ちの国に帰り、高級料理店だと聞いて来てみれば、ソドムの館ときたものだ。
話の途中から“成美”は聞いていなかった。
老人の顔をマジマジと見つめたとき『成美』の脳裏にひとりの少年の顔が浮かび上がる。
彼はすぐさま理解した。
自分の中にいる“人格”が、かつての従卒に出会ったのだ。
(隊長!――たいちょう!)
航界機関士見習いの徽章をつけ、クリップボードを抱えて自分の後ろをちょこまかとついてきた黒髪の小学生。童顔をほてらせて、難しい指示に懸命についてこようとした小さな姿。ドジばかりやらかし、危うくて見ていられなかった“小僧”。
『――トゥコ!装備品のチェックは済んだのか!?』
『――トゥコ!火器担当に根回しは!?』
『――また遅刻したな?トゥコ!もう全員
今見れば、その黒髪もすっかり薄くなり、ほとんどが白髪と化しているではないか。
――トゥコ……トゥコ!
唇がふるえ、いきなり“成美”の目から涙があふれでた。
締め付けるような胸の痛み――そして切ないほどの無常感……。