「おい『成美』!時間だぞ!!」
どこか遠くで声がする。
あたまがボンヤリとして、何も考えられない。
鎮静剤の泥を全身に詰め込まれた……ような。
「アラームまで消して、ナニやって――それ!」
入ってきた者は、あおむけで寝る『成美』のももを叩いた。
ビクン!
彼はムチ打ちの痛みの感覚に、背を反らせながら目覚める。
サッサとお逝き!という、女の声。
まだ耳のなかに
ユルユルと現実が戻ってくる……。
「ちょっと。なにこの匂い、
「蝶の夢……パピヨン……候補生……」
「おい!ってば!?」
脇に腕を回され、むりやり上半身を起される。
しばし呆然。
だが、カプセルのふちに汗ばんだ手をかけた、その冷たさが“現実”を呼ぶ。
いつのまにか『成美』は、ダンス・レッスンが激しかった時に使われる疲労回復用シリンダーに入っていた。
なんで?と思うより先に彼はシリンダー用の術衣をはだけ、あわてて自分の胸をさぐる。
――!!
無い。
あれほど量感タップリだった自慢の
「えっ!――えっ!?」
気味の悪い、底知れぬほどの喪失感。
なにか大事なものを“
ピアスされた乳首のうずき。
秘部やアナルに挿入された淫具のバイブ。
ムチをふるわれた背中の甘美をともなう痛み。
まるで
そして股間には……。
気味の悪い、シワだらけの袋。
そしてソーセージのできそこないが“したり顔”でプルン、と。
“作りモノの身体”
そんな
あの女の
ゾッとする含み嗤《わら》いと
「作りモノの……カラダ?」
発作的に、彼は自分の手首に、ギリリと噛みついた。
しかし、なぜか痛みは少なく、アゴに力を込めても現実感がとおい。
「おい!……だめだコリャ。
騒然とした雰囲気の中で『成美』は、むせかえるような女の臭いに
腹上死スレスレな心筋梗塞と、料理がノドにつかえた時の気道確保がもっぱらなこの老医師は、ラム酒臭い顔をよせペンライトで『成美』の瞳孔をジゲシゲと調べる。
やがて間ノビした声で、
「たんにィ、現実把握がぁ、ウマくいかなかった……んぢゃろか」
集まった野次馬は次々に、
「
「
「
老医師は“ゲッぷ”をいちど洩らすと、
「そんなぁ、
「――というと!?」
「寝ぼけたぁ……ンぢゃよ」
「……」
なーんだぁ、と
メソン・ドールのジェネラル・マネージャー。
野次馬で集まった店の衛士やビェルシカたち。
それにエントランスのテオまで。
集まった一群が、ひとしく苦笑い。
「さぁサ、仕事に戻ったもどった!」
白手袋の手を打ち鳴らし、マネージャーが解散を宣言する。
「今日も忙しくなるぞ!東欧事象面の通商団が、ご利用だ!」
「――ンだよ、ヒト騒がせな」
「タノむぜ。ナルちゃん……」
冷やかし半分、心配半分な眼差しが交錯するなか、『成美』は、どこかフラフラしたままシャワーを浴びせられ、衣装部隊のオバちゃんたちに、手荒な勢いで身体を清められた。
ついで衛生士から強壮剤の点滴。
その点滴棒を転がしつつ、念のため付けられた監視役のビェルシカと共に、メゾン・ドールの簡易医療室まで裏通路を歩いてゆく。
簡易医療室、といっても侮れないらしい。
その気になれば、脳外科手術も楽勝だというウワサだ。
――あ……!。
一瞬、歩みがとまった。
廊下の角。その暗がり。
きわどいメイド服を着た例のJKが見えた、ような。
相変わらず暗い顔つき。なにかを気にするような足どり。
うなだれた姿勢のままワゴンを押し、巨大な荷物用エレベーターの中に消える。
思い出した!
巨大なコントラバス・ケースの中で受けた調教。
息苦しいラバーの気配と、全身拘束から受ける禁断の快楽。
尿道とアヌスの甘い
密閉された調教用コクーンの蓋ごしにみた、平穏な女子高生の日常。
――けっきょく、あの
「どうした?」
立ち止まった彼に、監視役の『エリカ』が
「やっぱり、カラダの調子、ワルいかィ?」
「いまの娘さ――見た?女子高生っぽいメイド」
「はぁ?」
アフリカ軍団の
「……見なかったけど、べつに珍しくもない。バイトだろ?」
「え。
「凄い時給いいからな、このミセ。応募倍率も高いんだ」
「風営法なんかに引っかからないの?」
フッ、と相手は半ズボンから出るハイソックスに包まれた脚で、『成美』を軽く蹴るマネをして、
「面白いコトいうねェ。第一、ここの得意先はドコだい?」
「あ……」
そういえば、と思う。
この前の夜に接待した中年男は、警察官僚あがりの議員ではなかったか。おまけに先日の夜にお相手したおばさんは、文化省の副大臣だ
それに、と相手は声をひそめ、
「ココ、いろんなウワサをされてるからな。一般の生徒を雇って
「でも?」
「めぼしをつけたカワイイ
行く手からパピヨンのふたり連れ。
古代ローマのトーガと、
手をつないで、仲睦まじそうに。
片方が、点滴棒を引く彼に気づき、
「あ!『成美』じゃん。さっき倒れたんだって?」
「ダメだぞ?健康管理も給与のウチだ――『エリカ』!ちゃんと送って行け?」
恐縮です。以後気を付けます、と一礼する『成美』。
かかとを打ち鳴らし、直立不動の『エリカ』
パピヨンふたりは、『成美』が転がす点滴棒から下がる薬液パック。そのラベルを見てニヤリと互いにイミありげな目くばせ。
「そうだ、キミの踊り仔デビュー。今週末だったよね?観に行きたいなぁ」
「でも金曜夜だろ?我々は――とてもダメだねぇ」
そして彼らはフィと『成美』に顔を寄せる。
そして、ここからが本題と言わんばかりにヒソヒソと、
「ねェ……遠からずキミならパピヨンになるだろ。もう打診はあった?」
すると、パピヨンの片方がさらに声をひそめ、
「そうか。なら、だ……どうかな?ウチの派閥《グループ》に」
「グループ、というと?」
「ボクたち『アナスターシャ』の派閥なんだ。もちろん『エリカ』もそうさ」
監視役の少年は、アフリカ軍団の徽章が下がる胸を自慢げにそらせて。
どうだろう?とパピヨンたちの問いに、不意にあの女の声がかぶさる。
『アナタは“
『それとも
「……考えさせてください」
『成美』は辛うじて、そう応える。
「いまのところ全くわかりません。そもそも“パピヨン”になるかどうかも」
すると、雰囲気が一転した。
気を付けて判断しろよ?と本性をあらわしたような低い凄み。
冷たい目つきが、それにくわわる。まるで仮面をはいで下の素顔をみせた如《ごと》く。
見目の良い少年たちにしては
「中立は、ナシだ。道の真ん中を歩くものは――両方から
「もちろん、この話はココだけのナイショだ。いいな?」
そういって二人は念を押すように、いちど
「モッタイないナァ……パピヨン様じきじきのお誘いを」
「グループに入りたくても、入れないヤツだっているのに」
「ふぅん。その“入れなかった”ビェルシカは、どうなるのさ?」
べつに。と『エリカ』はつまらなそうに肩をすくめ、
「ただ後ろ盾《だて》がないワケだろ?パシリに使われるか、店の
「たくさん居るの?そういうひと」
「1/3ぐらいかな、完全なフリーは」
以前、煮たような質問をしたことがあったなと『成美』は記憶のリールを巻く。やがて(そうだ!)と思い出し、
「『
「……だれ?」
えっ、と彼は詰まるが、
「そうだ、ほらフェラーリ乗ってるヤツ。ガソリン車の」
「あぁ!あのカゲの薄いヤツか。彼なら系列店へ出向したよ、土曜日に」
「系列店……遠いの?ココから」
サテね、と『エレナ』は興味なさそうに肩をすくめ、
「もう戻ってこないんじゃない?出向ってコトは――そういうコトさ」
医療室につくと『成美』は監視役の助けを借りて、診察室わきに並べられているストレッチャーのひとつに横になった。
硬い。背中が痛い。
休憩エリアの安出来なビニール・ソファーのほうが、まだ寝やすいくらいだ。
結局背もたれをおこした姿勢にストレッチャーを変化させ、寝るのはあきらめる。
気のせいか、身体が熱い。
心臓も心なしかドクドクと心拍を高めて。
カゼか?と思うが、あの汚らわしい
アナル・プラグを入れられてないせいか、なんとなくお尻がモノ淋しい。
そのうえあろうことか無い乳房を、ひそかにさぐってしまう始末。
「フロア統括が1時間の特別休憩をくれるってサ。それが終わったらフロアに出て、今日はフォントロイを
「……またぁ?今日やったばっかなのに?連チャンじゃんか」
「今日?まだこれからだろ。それに昨日のフォントロイは『野菊』だったぞ?」
相手の言葉に違和感がある――というか全く噛み合わない。
そういえば、だいたい自分は金曜の仕事を終えて、今日は土曜で公休のハズ。
なんだ?と診察室のカレンダー時計を見た『成美』の動きが、止まる。
――火曜日……19時。
視線をクギ付けにしたまま、背後の『エリカ』に
「ねぇ……きょうサ……何曜日、だったっけ?」
「ハァ?火曜だろ。シリンダー呆けでもしたかィ?――どうした変な顔して」
前に回り込んだ軍装姿のビェルシカは、怪訝な風に『成美』を見やった。
たっぷり15秒の沈黙。
「
「居たんじゃない?こっちもヘルプで忙しかったから、イチイチ覚えてないよ」
「じゃ、日曜は?日曜は店に出てた!?」
オィオィと『エリカ』はうんざり顔で、
「キミはスタジオでダンスの特訓だったじゃないか。おとといは「『成美』連れてこい」ッて、お客さんたちからブーブー言われ往生したんだぞ!?あぁ、そう考えれば昨日はそんなコト言われなかったから、出勤だったのかも」
『成美』は
土曜の明け方から火曜の晩の今まで、
たしか自分はホテルのベッドで寝ていたはず。
そう、軽音楽を聴こうとスイッチをヒネったら、アロマテラピーの空気が出たところも、シッカリと覚えている。
彼はストレッチャーから起き上がると、窓にちかづき、例によって少ししか開かない窓枠から外をみた。
まちがいない――夜だ。
都市の騒音に交じって、晩方の空気が匂う。
1日にわたり交通機関や人の行き交った後の気配。
痛めつけられ、擦り切れ、汚された空気の匂いだ。
「1時間後、衣装合わせだってよ――『成美』!?」
「あぁ……ウン」
「忘れンな!?」
そう言って『エリカ』は医療室を去ってゆく。
あとには、納得のいかない“パピヨン候補生”が独り。
憮然とした