――やっぱり、ほんとうに時間は経っていたんだな……。
“七つのヴェールの舞い” を仕上げながら『成美』は思ったものだった。
教わったことのない4枚以降のパートが、ちゃんとできている。
一つ一つの動きが正確に――しかも
“ミーシャ” 先生の手拍子も、心なしか明るく弾んでいる。
反面、
とうとう自分のアタマがイカれ“短期記憶”をポロポロ取りこぼすようになった?
――それとも……。
次に浮かんだ考えは、あやうくジャンプのタイミングを狂わせるところだった。
ターンをしながら、しばらくこわばった表情がとれない。
軸がブレ、すかさずダンス教師の
――あの“
意識を乗っとり身体を動かして、この数日をすごしたのだろうか……。
自分が動いているところを直に見た者には会えなかった。
“ミーシャ”先生も用事があり、ここ日・月・火と弟子に監督させていたとか。
ではその弟子は……?といえば、すでにモスクワに帰ったという。
疑心暗鬼を
そしていよいよ問題の金曜。デビューの晩となった。
レッド・カーペットが敷かれた歌劇座の周囲は、招待客のリムジンやマスコミ。
物見高い野次馬や、にわかファンが群がる。
携帯端末のフラッシュや、発光グッズがまたたき、歓声とともに揺れて。
そんな有象無象を足もとに踏まえ、ゴシック様式の壮大な建屋は、忍耐強い怪物のようにライトアップを受けている。
「どうだい、えぇ?――あそこで踊るんだぞ?」
マスコミから逃れるため、目立たないようリムジンではなくワンボックス・カーを使った一行。そのスモークを張られた後部座席から、『成美』は華やかな歌劇座を彼方に望んだ。
「興奮《エキサイト》してくるじゃないか――んぅ?」
ジェネラルマネージャーは、『成美』の顔をみて満足げにほほ笑んだ。
その『成美』といえば、このハンプティ・ダンプティを地で行く男の向かい側に座り、
――なんでこんなザマになったんだか……。
すこし前までは、期末考査におびえるフツーの候補生だったのに、いまや娼婦めく白い毛皮と香水にフンワリと包まれ、革張りの後部座席に収まりかえる姿。そして上役であるジェネラルマネージャーに、身体を包む毛皮の合わせ目から指輪が食い込むポッチャリした手を差し入れられ、ピッチリとしたショーツからプックリとふくらんだタマタマを愛おしそうにサスサスされても、抵抗はおろか、
そして最近、さらに恐ろしいことには、その自分のタマタマが日ましに
調教用の装具にキビしくEカップの根もとを
もっとも……乳首ピアスだけは、奴隷めいたミジメさに心が打ちひしがれ、哀しくなってしまうのでカンベンだったが。
歌劇座からすこし離れたところに、時代に打ち棄てられた小さな博物館といった印象の建屋があった。
干からびたツタが
「へぇ……」
「いろいろ使い道があるのさ、この通路には」
ハンプティ・ダンプティの意外に暗い顔。
このトンネルの、表ざたにできない歴史を語っているような。
車をおりると、護衛役のコワい兄サンたちにはさまれ、ふだんは観客が絶対に目にしない歌劇座の裏エリアを安出来な業務用カーペットの臭いを吸いつつ、どこか夢うつつな気分のまま薄暗い通路を歩んでゆく……。
――えっ!?
『成美』はいきなり足を止める。
うしろを歩いていた護衛がぶつかりそうになり、
「なんだよ。急にとまるな!」
どうした?の監視の声に、しばし凝然と。
一瞬、洞窟の奥めく彼方のくらがり。
金髪と銀髪のふたり連れが見えたような……。
やがて
おそらく等身大の興行ポスターでも貼ってあったのだろう。
楽屋裏の控えエリアで、『成美』は若い女性の衣装担当二人に、まるで汚いモノでも扱うような手つきで、ヴェールを着付けさせられた。
まずは最初の四幕につかう、
初心さを失わない、それでいて
そして光沢感のあるガーター・ストッキング。
ジャンプの効く特殊なトウ・シューズ。
爪をヤスリで整られ、マニキュア。
肌を美しく魅せる
なにか身体がスースーして、落ち着かない。
現実の世界まで、自分がまるで本当の舞姫にでもなったよう。
舞台のほうでは、先に行われている演目に、手拍子や哄笑がわきおこり、だいぶ盛り上がっている様子だった。コミカルな曲が伴奏され、スポットライトが派手に乱舞するのがわかる。
あのアトに出るのは――気おくれするなぁ、と思わずポツリ。
「なに、
「マリオネットでございます」
着付係のリーダー役側が、ぶっきらぼうに応える。
「イサドラが、
へぇ、あの変態ダンス教師が、と『成美』は、鼻で嗤う。
そして彼女のムチ遣いを、淫夢の女たちと比べながら、
「
えぇ。と着付け係りの片方が無表情なまま全身をつかって、グイ!と力の及ぶ限りに『成美』のコルセットを締め上げて。
アふぅン!と思わず漏らす『成美』の吐息。
それを聞いたもう片方は意味深な薄笑いを浮かべると、さらに彼の体を美しく
「そう。
まもなく、大盛況のうちに演奏は終わった。
ステージの幕がユルユル降りると、真っ白い人影が楽屋裏にあらわれる。
付き人に邪険な手つきで首輪を引かれ、ぎこちない動きでコトコト近づいて。
一糸まとわぬその姿。
ほんの一瞬、『成美』はギクリとするが――何のことはない。
等身大の、マリオネットだ。
――自律型の球体間接人形《ベルメール》か……はじめて見たな。
無機質な。それでいて、なんとなく艶《なま》めかしい印象。
この感覚は、どこからくるのか。
イサドラの姿は見えない。
あんなコトがあった後だから、こちらを避けているのだろうと彼は考える。
無理もない。人を勝手に
存在感のある等身大の人形が、ぎこちなく傍らを歩いてゆく。
人形が通りすぎしなに何となくコツコツ、と『成美』は
そこで見た顔に彼は思わずギョッとした。
それは――あのイサドラを模した面差しそのものだった。
無表情な顔が、ふいにカクカクと揺れる。表面は柔らかい素材で出来ているのか、
「ホラ――行くよ!」
ナースの格好をした付き人が、人形の首に電気ロッドめいたものを当てた。
ピョィ!と白い
――趣味悪いな。あんな “サド女” をまねた人形なんて……。
各種の配線や配管が天井にむきだしとなる、そして様々なポスターが貼られた通路の奥に消えてゆく“人形”の後ろ姿を見送っていると、入れ替わりにナヨナヨとした中年の男がセカセカ、パタパタ忙しそうにやってきて、
「ナルミちゅわァァん!――どォなのよぉォ~調子わァ?」
八の字に口ひげを生やし、ピンクのシャツに金ネックレスという、興行担当の主任がモミ手をしながらスリよってくる。前をくつろげたシャツから胸毛が。そこに麝香の匂いが強く、濃く香って、クサい。
「聞いたわよ?体調不良だなんて。ダメよ!ちゃんと自己管理しなきゃ」
「大変恐縮です……おさわがせしました」
ペコリと頭を下げるのを見て、この中年男は「んモゥ、あいかわらずマジメなのねぇ」と吐息をつきながら一歩距離をおき、ヴェールの着付けを確認。
「ウン……悪くないわね。チョットごめんなさい」
そう言うや、『成美』の
「えッ!ちょっ!」
あわてて前をおさえる『成美』の抗議をよそに、この興行主任は、
「んモー!ナニやってんのヨ! “おチンポ・ブラ” !してないじゃないの?」
彼は、すこし前に片方の女性からわたされた
「まさか、コレ……ホントにつけるんですか」
「そうよぉ!ワーニャ!アンタが居ながら、ナニよコレ!」
申し訳ありません、と着付けていた女の片方が、ボソッと呟いた。
「またアンタは!そんなに
「……以後気をつけます――さ、『成美』サマ、これを」
「高級なシルクですよ?肌ざわりもイイですから、ご安心を」
女たちは、性器をかたどる、うす紫の“おチンポ・ブラジャー”を差し示した。
「いや、高級とかそういう問題じゃ……なくてぇ……」
『成美』は心底イヤそうに、その小さなランジェリーをマジマジと見つめる。
「衣装の切り替えがある、五幕からでヨクないですか?」
「そうしますと、その。お……ブラに」
「汗と、
女たちは顔を赤らめ、しどろもどろに。
そして手に持ったそれを、指で形を整え、呆れ顔の『成美』に押しつける。
不意にマネージャーの耳に付けたカムが光り、このオトコは姿勢を正す。
「
東欧事象面言語の、重く、圧力のある暗いイントネーション。
「はい、スソまくって上げてますから。サーシャ、つけてあげて」
「え……じぶんで履けますよぅ」
「ダメ。コツがいるの。演舞中に脱げてきたら、致命的ですよ」
「そう……
「
そう言いつつマネージャーが、件の
おどろく周囲の者たちを尻目に、
着付け係のビアンたちが驚いた顔をして。
「――そこまで、するんですか!?」
「このコって、いったい……」
「他言は無用よ?ワーニャ、サーシャ!さ、はやく付けてあげて。ホラ
マネージャーの言葉通り、スラヴ系の重く、秘めやかな
――スゴい。
『成美』は舌をまく。
さすがは新ベルリン・フィル。
位相《いそう》の
ひそかに息づき、
脈打ち、躍動し、
ホール全体をうねり
――そして圧倒する。
こりゃ自分も負けてはいられないと、おチンポブラで『成美』は “
タマタマにピッチリとする、シルクのそれを付けると、すこし調子が狂いそう。
でも、もう泣き言など言ってられない。
闘いのはじまりだ。
モーター仕掛けで幕がゆるやかに開いてゆく。
なかば、うずくまる形(ポーズで、それを『成美』は肩で聞いて。
……舞台中央。
フット・ライトの照度が上がってゆき、それとともに興奮が。
タマタマが、はやくも汗ばんできて、おチンポ・ブラの感触をつたえる。
やがて、ソリストの集合体が
ゆるやかに……
彼はトゥ・シューズで、すこし震える一歩をふみだした。