――まずはadagio……やや措いて、adagiettoへ。
空気の流れを意識して……花弁が舞うように……。
フットライトに、まとうヴェールを幻惑させるよう曄かせながら。
しわぶきひとつ無い空間で、客席はすべて闇。
まるで舞台に、世界に、孤立しているような気分。
この世はみんな書き割りで、
勝手に喜び、勝手に苦しみ。存在どころか性別も不明で。
都合でねじ曲げられ、かたち作られた人生の
あげく自分は、こんな舞台で薄物をまとい、踊る。
得た知識は
――と、ここで
あの性悪な調教師に、肥大させられた乳房を
その淫靡な苦痛と、秘めやかな快楽が、思わず
それが来客の琴線に触れたようで、ほぉ、となる雰囲気。
軽くターン、そしてジャンプ。
舞台の仕掛けもあり、特殊効果でふわりとうかんだヴェールが波打つ。
その奥に、例のおチンポブラ。
チラり、とわずかに見える配慮も。
ステップ、ターン、ステップ。
胎内に仕込まれた、バイブの記憶。その被虐感を、漂わせ。
ひとしく軽やかに、舞台はしへ――まるで己の内面に観客を誘うように。
曲が一度盛り上がり、華麗にヴェールの
一枚目を大きく伸びあがって客席に投げると、残ったヴェールの
ホゥ……っ、という緊張感の解けたタメ息と気配。
――――――――――――――
「まッさかこんなところで、
暗く落ち込んだ客席で、ヒソヒソと囁き声がする。
食いしばった歯の隙間から葉巻臭い息を洩らし、憎しみを込めて。
「追加手当も、ボーナスも、パーですからねぇ……」
「まぁいい、どうせこの後は、下着をゲットした運のいいヒヒ爺ィの“一夜妻”だ」
「犯されて、アンアン言うところ、観てみたいもんですね」
「本人は、自分の行動が引き金たァ、知らされてネェんだ。イイ気味よ」
「けど……本院は、どうするつもりですかね。切り札なくして」
「しるか。オレらは、証拠映像さえ持ち帰れば、それでチャラだ!」
――――――――――――――
四幕目を終え、いったん幕が下りる。
観客の目から守られた瞬間、たまらず『成美』は滝のような汗でヒザをついた。
気管が拡張されたように痛み、視界がガクガクとふるえて。
星――というか原子めいたモノがキラキラと目のまえを舞う。
すぐさま、酸素吸入処置。
さらに即効性・強壮剤注射。
身体の各所にアイシング。
シューズの種類を交換。
使った筋肉に軟膏が擦り込まれて。
化粧に気をつけて汗を払われ、椅子に座ったまま着替えさせられる。
投げ出した
踊り手の魅惑をます、各種の装身具も、新たに。手早くセット。
ターバンが巻かれ、鳥の羽で注意深く留めて。
まるでF1のピットのように周囲でヒトが目まぐるしく。
「スゴかったわよぉナルミちゃん!上出来ぢゃないの!!」
興奮を押し殺したヒソヒソ声でオカマの興行主任は、
「いい?最後に「おチンポブラ」客席に投げるの、忘れないようにネ?」
付けられた大ぶりのイヤリングを揺らし、『成美』は、なんとかうなずく。
頭の中は、もう次の演舞のことで、いっぱい・いっぱい。
こんなとき、大ぶりの乳房がないのが
――アレさえあれば、もっと魅惑的だったのに……。
ふと、そんなことを考えた自分に『成美』は思わず舌打ち。
なにを考えているんだ――ボクは!
後半の幕が、あがった。
フワフワとそれは闇に白く
腰に巻いたコインの装身具をジャラつかせ、裸体まぎわの『成美』は、あくまで
淫奔な表情《かお》で。
小悪魔的な仕草で。
扇情的な踊りを妖しく舞いながら、
――マズい……これ最後まで
照明が、ヴェールの襞が目の前でフワフワと踊った。
弦楽器の音が、盛大にビブラートがかって聞こえる。
すでに意識がトビかちになり、もはや
音楽は、残酷にも彼に、更なる媚びと跳躍を求めて。
――もう限界!
そう思ったとき、目当てのシンバルが一度、高らかに。
まさに救援の合図めいて、それは彼の耳に響いた。
訓練された手は「おチン〇ブラ」のひもに掛かり、シュルリと抜き出すと、最後のフィナーレに合わせ、
――どうだ……ッ!
フワリと着地。
蠱惑的な
音楽が、
ポーズをとり、舞台先端で凝固する彼の目の前で、カッ、と客席照明がつき、盛装した満員の観客が、驚くほど視界いっぱいに展開する。
――こんな人数の前で……!?
ワァッ!という怖いような歓声と拍手。
その片隅では、なにか騒ぎがおこっていた。
かれの「おチンポブラ」をめぐり、正装した老人たちが争っているのだ。
読者諸氏は、60,70絡みな老人の真剣な殴り合いを、ご覧になったことがあるだろうか。
ちょうど開場したての古書展で、目当ての書店が出品する棚に殺到した老人たちが獲物を奪いあい、ネコパンチを繰り出して血眼になり応酬する、あの図である。
老人斑の浮いた数人が、『成美』の投げたランジェリーに蝟集するが、そのうちいくつにも引き裂かれ、ちりぢりになってしまった。
あぁっ、という声。
周囲からは、
ブラァボォォォウ!の叫びも、あちこちで。
チリヂリになってしまったオチンポブラを手にうなだれる老人たちに、どこからか、
「バァ~カ!」
の一声。これが会場全体に、割れんばかりの拍手をよぶ。
その予定外のひと幕をかりてようやく呼吸《いき》を整えた『成美』は、どうにか笑顔をうかべ、フルチンのまま舞台正面へ。
するとスタンディング・オベーションとでも言うのか、
『成美』は舞台を右に左に、優雅なあゆみで笑顔をふりまき、
すると、今度は一転、
えっ、と『成美』は一瞬とまどう。
しかし“スイッチ”が入っている彼は、即座に理解し、アドリブで、
――取るの?そんなに見たいの?
とジェスチュアすると……またもや、盛大な拍手。
えぇ、ままよと、彼は一挙にヴェールをはぎ取る。
すると客席は一気に最高潮に。
これを最後と舞台のへりをフルチンで、ランウェイをあるくヅカモデルのように、スカした歩き方をしたまま挨拶。さらにハッキリとした熱狂が湧き起こり、彼の火照った全身に、花束や、色とりどりな紙テープ。札束を留めた「おひねり専用」ゴム製マネークリップの雨が降り注ぐ。
――あぁ、ナニやってんだろ……自分。
満場の観客の歓声と注視をうけて。
ニコやかに、黄金の腕輪がはまる
チンコふりつつドヤ顔で
しかも恐るべきは、このチンコを丸出しにする露出の開放感と背徳感が、クセなるかもしれないほど気持ちがいいと言うことだった。
(注:作者は、ちがうぞ……)
得意げに舞台の端まできたとき、ハッと彼は一転、顔色を変える。
まだ青く、硬い体つきに、肌もあらわなカクテルドレス。
そこに真珠を幾重にも
『シモーヌ』と『アドリーヌ』。
秘めやかな百合のひとつがい。
こちらの方をハッタと見つめ、
柄つきのオペラグラス片手に凝固して……。
――ヤッば……!
『成美』は最後の意志を振り絞り、つとめて冷静をよそおうと、最後に投げキッスをしながら舞台のそでに転進する。
危ういところでリクライニング・チェアが間に合った。
ドサリと倒れこんだところに点滴と、クールダウン。
仰向けにされた楽屋の天井が、クラクラと揺れて。
ワーニャが下腹部の遺精を事務的な手つきで拭く。
投げたときは夢中で気づかなかったが、
「
「……おやりになりますね。やっぱタダの“男の
「これでパピヨンの仲間入り確定だな」
「タイヘンだぞぅーこれから……序列あらそいとか」
そんなガヤガヤした和やかな雰囲気が、ふと、一瞬にして白けた。
投げ交わされる言葉が失速し、冷たい気配があたりを支配する。
固い靴音。パイプ煙草の匂い。
「ふぅむ……まさか、ここまでとは、な」
なんだ?とひたいに載せられたアイシング・パーツを『成美』がずらすと、一団を監視する位置で、正装をした白髪の男が大樹のようにガッシリと立っていた。
メソン・ドールのマスター。イェジェヌ・ドヴロスキー・クジェチ。
カマーベルトに下がる金鎖をたどり、懐中時計を引き出したこの初老は、ハンター・ケースを開けて時刻を確認するや、
「ふむ、まだ
「――来賓?」
「多少のムリでも、
「店長!このコ疲れてるンですよ?」
興行主任の抗議を、白髪の男は冷酷そうな薄い唇をゆがめ一蹴する。
「はやくしろ?強壮剤でもコカインでもかわまんから活を入れろ!それと小僧の、そのキモい化粧は――落とせ!」
冷徹に、白髪の男は醒めた目で一団を睨みわたす。
まるで汚いモノでも見るような目つきで。
やがて、フン、と鼻で嗤い、
「あくまで“少年らしさ”が、
それだけいうや、楽屋裏をしずかに去ってゆく。
「ン!ナニよ、もう!」
介助を受けながら、ポータブル・サウナで身体を茹《ゆ》でられ、二人がかりでマッサージを受けつつ、『成美』は、同級生二人の驚いた顔を
――なんで、あんなところに。
イライラと腹を立てるが、そういえば『シモーヌ』の父親が、探査院の “ある分野” に関する納品業者の元締めというウワサを思い出した。オープントップなアストン・マーチンの後部座席で、これ見よがし通学路を下校する光景も、ついでに。
メイクでゴマかせただろうか?
ただし口紅と目もとのほかは薄化粧だった。
最悪、思いっきり身バレしたかもしれない。
特攻錠のようなものを飲まされ、ようやく『成美』のフラフラは収まった。
全身をアヌスの穴まで拭かれ、サッパリしたあとに微香性のローションを塗られて、またビェルシカの姿にもどった『成美』は、ネコ耳ヘッドセットとテール・プラグを装着・挿入されたのち、金時計片手に苛々していたクジェチに案内され、いよいよ歌劇座の奥の院たる“ロイヤル・サロン”へと足を踏み入れた……。
緋色の壁掛けが圧迫感を催す広間。
秘めやかな空気と、ゆるく退廃した気配。
どことなくナフタリン臭いのは、あちこちで老人にしなだれかかり媚態をみせる、毛皮をまとった少年たちのせいだろうか。
(ビェルシカだ……)
(ビェルシカ
(あたらしいパピ?)
(イヤだな。あんなの来たら、またボクのお客、へっちゃうよ……)
メゾン・ドールとは毛色の違った、歌劇座の
そんな少年たちが、ヒソヒソと。
クジェチは、そんな囁《ささや》きの中を意に介さず、とある奥まった個室の前で立ち止まるとネクタイの具合を直し、咳払いを一度してから扉をノックする。
「――
中世の修道院を思わせる小広間(事実、建材はすべて運ばせたらしい)。
その一間に三人の男が、赤ワインの入ったクリスタル・デキャンタが載るテーブルを中心に、座していた。
中年初期から、初老にわたる男たち。
ひとりは、サテン・ドールのイツホクだった。
下座に占位してなにかと世話をやく風。
もう一人は、宮殿勤務用外衣を背もたれにかけた、ヤサ男風のカイゼル髭。
最後の一人は、筋肉質な身体を仕立てのいい三つ揃いに包んいる壮年。
……いや、もう一人いた。
一座から離れ、重厚な格子のはまった窓から、外をうかがう大きな背中。