薄雲に
あの少女が、また見えないかなと『成美』はリムジンの窓ガラスにベッタリ顔をつけ、ゆっくりと過ぎゆく通りを観察するが、残念ながらスラム街区の
「なんでェ?なンか珍しい物でもあるンか」
なぜかブスッとした声で、イツホクが。
それに対して『成美』も、知らん顔のまま、無表情な声で、
「いえ……ただ、ヒトが居ないな、って」
あぁ、と中年男はツマらなそうに、
「いまは、ちょうど配給の時間だァ。みんな
「そう、ですか」
「……お
「イイかもしれませんね」
「あァ?」
「あんなヒトの生き血を
「そうか。じゃ、この車ァ降りな?降りて自分の身体と胃袋で、ホンモノの『貧乏』の何たるかを
売り言葉に買い言葉。
カッと『成美』の頭に血が上る。
――上等。
「えぇ、そうしますよ!
いきなり『成美』はドアのノブを引き、荒れた路面のために徐行状態のリムジンから降りようとする。しかしロックがかかっているのか、頑丈そうなドアは開かない。躍起になる『成美』の背後からイツホクが間延びしたせせら笑いで、
「ぁ~ほ、お前ェみたいな金ヅル、逃がすワケねぇだろ。「イカナル時ニモ備エヨ」ってナ。考えの浅い阿呆なガキぃ、こんな地区で放流してみな?サイアク明日には
『金ヅル』、という言葉が胸に刺さる。
グふぅッ!と、不覚にも『成美』は、くやし涙をにじませて。
まるで心の急所を突かれたように、感情がとまらない。
肩を震わせ、
でも、こんなときですらマスカラの具合が気になって。
そんな自分が――たまらなくイヤで。
イツホクも、これにはとうとう音をあげ、まるで駄々をこねて泣く新妻の“涙攻撃”に
「ワぁった、ワぁった――はいはいワルぅござンした……まったく。お前
「そんなんじゃアリません!」
コンパクトを取り出した『成美』は
「わたしは――航界士、っていうのは……もっと、こう、
車窓に映り込んだ自分の顔を見るのがイヤで『成美』はシートにうつむき、
「わたし――わたしたちが命、を張る価値、なんて……」
あとは言葉にならない。
しばらくは、半ばメス奴隷にされた“彼女”の、声を抑えたすすり泣きがつづく。
ややあってイツホクは、あのなぁ、と大きなため息をつき、
「お前ェ……どこまで「お嬢サン」なんだァ?学校の仲間はヤクや金塊、株式投資に手ェ出してなかったンか?“お下劣”な欲求や本能に従って動いてただろうが。ガキどもが扱う「ヤバいブツ」の受け渡し場所は、だいたい街頭の人混みの中と聞いてるが。あるいはテーマ・パークとか」
「……」
「みんな学校時代から、セコセコ処世術学んでるてェのに、お前ェはナニしてた」
ナニしてた、と改めて言われると、『成美』は戸惑う。
「……テスト勉強」
これがイツホクの爆笑を呼んだ。
リムジンの車内で、耳に響くほどひとしきり笑う。
笑ったあと目尻をぬぐい、乱れたオールバックを神経質に胸ポケットから出したコームで整えながら、ふくれ面の『成美』を見て、
「なァるほど、お前ェは……あの
「そんなんじゃ、ないです!」
「昨日もナ?お前ェを返せと、探査院の下部組織に属する女のお偉いさんが、エラい鼻息で乗り込んで来やがったが、データぁ照会したら、コイツがナンと新五反田の会員制・SMクラブの常連でよ?男子○学生相手にプレイする違法な店なんだが……そのこと突っ込んだら、コソコソ逃げてきやがった――サービス券、1ダースばかせしめてナ。おまけにコイツが地元の
――もう……。
話を聞いた『成美』は、リムジンの天井を仰ぐ。
――ドコもかしこも……マトモな人物は、いないのか。
「そんなに固く考えなサンな。この世は
「でも――正義は?」
『成美』は必死に言いつのる。
「理不尽に奪われ、犯され、殺された
「――あぁ、あの会議の中身、かァ」
イツホクはツマらなそうに手をヒラヒラさせ、
「老いボレ共は老い先みじけぇから、
と、ここでイツホクは声をひそめ、身を乗り出し、マスカラの
「……法執行機関に、チンピラ共の動静や、買収されている役人、議員を
「……お目こぼし?」
「ヤバい新薬の人体実験役として、処刑前の死刑囚を製薬会社に融通し、代わりに認可前のクスリをもらうビジネスだったり“人形”素材確保のため、名家から処分をタノまれた不良
『成美』の頭がクラクラする。
もう、ナニがナニやら。
個人の存在なんて、羽毛のように軽いんだな、と実感。ウラのカラクリなんて、知らない方が良いのかもしれない。
もしかすると、例の雲海降下実験に参加するはずだった自分も、なにかの深遠な歯車と繋がっていたとも思えてくる。しつこく探査院が、計画を
――だとすれば……。
『リヒテル』なんていう、あの得体の知れない“上級大佐”なんて、一番に信用ができないことになるではないか。何も知らない自分を、中途半端な情報でアヤつって
強固な、基礎的な「立ち位置」が、欲しかった。
コレだけは『絶対確実』といえる、第一歩が。
さもないと、この泥沼めいた世界の中では、いつまでもフラフラと心が
「いったい、この社会って……なんでそんなに……」
「
「並行移民、って、外象人が?」
「あぁ。ヤツら妙にプラグマティズムの塊だから。「ネオ・構造主義」の権化、みてェな?あ、お前ェにァ、難しいかァ?……ツマるところ、宮殿のヤツらときた日にゃ、ヒトをタダの『要素』としか見てねェ……ま、それがコッチとしても、商売に都合いいンで、文句ァ言えねぇが」
ずいぶん昔の記憶のようだが、ホンのすこし前に見た、新聞の号外。
それが、リニア・トラムの臭いとともに、まざまざとフラッシュバックする。
【日本国政府 王宮と政務を統合】
なぜか『成美』はゾッとする。
昔、衛生の授業でみた、劇症型の
取り返しの付かないことになりそうな――そんな予感。
このトレンドが勢いを増すと、自分の存在など風前の灯火になりそう。
豪奢な毛皮を羽織らされているのに、なぜか肩先が冷える。
援助を求めるさきは――無いのか。
『リヒテル』は、ダメ。
秘書官の『ミラ』も、宮殿側だけに、おそらくアテにはならないだろう。
サラや龍ノ口は、利用される側だ。
校内女医は……おそらく利用する側に使われるコマだろう。
“モラトリアム”先が、どこかにないものか。
やはりイツホクの『サテン・ドール』とクジェチの『メゾン・ドール』。このふたつのドールを利用するしかないのか。ビェルシカとして社会勉強し、金を貯め、どこか遠くに逃げる。あるいは力のある客とウマいことコネをつけ、目立たない企業に就職する……。
いつの間にか車の振動は無くなり、リムジンは整備された普通の工業地帯を走っていた。浮上型の黒塗りが、音もなく追い抜いてゆく。
信号機は、馴染みのある
手元が確かになったので、化粧のくずれを直そうと『成美』はコンパクトをあけ、ふと、
「そういえば……」
と、気になったことをイツホクに
「さっき、お館サマは『お前
イツホクは、半ば呆れ顔で『成美』の顔をマジマジと。
「お前ェ……妙なトコで
対して“メス奴隷”候補生も、
「お館サマを気遣うのは、ビェルシカのつとめですから」
「ハ!こころにも無ェことをマァ」
この中年男は、唇をゆがめ苦笑して、
「なんでもねぇよ……チョイと薬が、効き過ぎたダケさ」
「おクスリ?」
小首を傾げ、媚びを売るような仕草。
コケティッシュに――ちょっと唇を尖らせて。
ハッと『成美』は気付く。
いつのまにか、自分は女の仕草を使っている……。
おもった以上に、精神調教は進んでいるのかもしれない。
イツホクは、そんな彼をニヤリと横目に、
「今日、あの会議にお前ェを連れてったのはヨ?もちろんプロモーションのイミもあるが、会場の注意ィ引きつけ、オレを狙いやすくするためサ。前々から、オレを
「イサドラ?人形、って。じゃぁ、アレ……」
楽屋裏を、コトコト去っていった白い球体間接人形。
みょうに
電気ロッドでシバかれたときの、
「なんだお前ェ、聞いてなかったンか。まぁイイ、んで案の定、引っかかってきやがった。
イサドラのショックで『成美』はマネージャーの話を半分も聞いていなかった。
イツホクも、それは分かっていたようだが、自分に言い聞かせるように、先を続ける。
「考えられるのは、ふたつ。ひとつは、あの会議のメンバーの誰かが依頼を受け、
いきなり自分を話題にされ、『成美』は球体間接人形の幻影から
「わたし?――いや、ボク、ですか」
むりやり男言葉を使ったが、それがこんどは全身に悪寒を走らせた。
違和感と、嫌悪感。
ここにも、洗脳教育の気配が。
そうさ、とイツホクは『成美』のアゴを、クィと持ち上げ、
「オレが消えれば、お前ェを自分のモノにできる……そう考えるヤツが、少なからず居るってワケだ。じっさいトリマルキオにも言われたよ。べらぼうな金額でな」
「なんで……」
「自分好みに調教したいんだそうだ――あのヘンタイ趣味が」
“モラトリアム”先に、サテンやメゾンを使うというのも、アヤうくなってきた。
気が付けばメス顔にされ、濃いメイクを
「メス奴隷にされるだけなら、まだカワイイほうだぞォ?モノホンのシッポやケモノの毛皮移植されて獣人もどきにされたり、生きた家具にされたり、観賞用のキメラにされて、大型水槽の中で飼われたり……いろいろキリがねェ」
「そう……ですか」
「どうだィ、ここらでアキらめて、おれン
「お館サマのお店、って?」
微妙な一拍。
そして、やおら重々しく、
「オレは“サテン”と“メゾンの”――実質的な店長だ」
じっとりと湿った
リムジンの車内に、俄然、緊張の気配が濃くなった、ような。
ホウキとチリ取りを持って、店の玄関前を掃いていた第一印象。それが大きくゆらぐ。
「うそ――なんで」
「身の安全のために、そうしてる。いま店《メゾン》でエバっている連中は『お飾り』サ」
イツホクは、
ユダヤ人としての、自分の貧乏な出自。
差別され、イジめられていた少年時代。
迫害された青年時代と無実の罪の逮捕。
社会に対する
「結局サ?ナニはおいても、どんな
「……」
「成り上がろうと思ったナァ。だってそうだろが?コッチはナニもしてねぇのに、警察やマスコミ、ゲスな「その他一般」どもは、みんなグルんなって、タタきやがる。あン時の飢えと、みじめさと。寝ていても夜中に起きるほどの煮えクリかえるような怒りは、いまだに忘れられねェ」
気が付けば、イツホクの瞳の中にも青白い炎が煮えていた。
いつのまにかオールバックの中年男は、自分だけの世界に没入している。
「オレは決心した……ビッグになる、ビッグになって、オレを踏みつけた奴らをビビらせ、そしてポリや公安、それに検事はモチロン
最後の方は、聞こえない。
対面型である目の前のシートを凝視し、ナニやらブツブツとつぶやいて。
中年男の両手は、関節が白くなるほどグッと組まれている。
うひぃ、と『成美』は心中おぞけをふるい、
――触らぬ神に祟りなし、だ。
毛皮のコートの具合をなおし、車窓を流れる風景に見入るフリをした。
折しも、ようやく車列は都市部に入り、管理された街並みと磨かれた車が行き交うようになっている。
街を行く人々の服も、穴の空いた毛布を巻き付けたものではなく、キチンとしたものに。
気付けば、もうクリスマスの月だ。
赤と白のイルミネーション。
この前まで、木の葉が散っていたと思っていたのに……。
ふと『成美』は妙な懐かしさを感じる。
よくよく見れば、車は昔住んでいた寮の近くを走っていた。
夕暮れの風景。
行き交う人々。
それらが、このリムジンに装備された防弾ガラスの車窓で隔絶され、流れてゆく。
補習がおそくなった時に使った牛丼屋が潰れ、ラーメン屋が居抜きで入っていた。
宝飾店の看板が新しくなり、自分のように真っ赤な唇の女性が頬笑んで。
信号機がひとつ増え、根本には枯れた花束が何本か。
ゲーム屋は相変わらず『閉店』セール。
大音量でポップスをかけるスクーターの暴走族集団が、渋滞のノロノロ運転のなかをスリぬけてゆく。
その時、『成美』は、歩道のヒトのながれに違和感を感じた。見れば、杖を突いた老人が、大儀そうにトボトボと歩いてる。
――老人?
憲兵隊払い下げのヨレヨレなコートに、片手杖。
背中を丸め、コンクリートとガラスが空高く覆う街並みを、まるでブルブルと、足もとも
「停めて!」
反射的に『成美』は叫んでいた。
だが、ストレッチ・リムジンなので、当然、ドライバー・エリアに彼の声は届かない。
「お願い!停めてよ!」」
「うるせぇなァ……外に出すワケねぇだろうが」
それにも構わず、『成美』はリムジンの窓をバンバンと叩く。防弾仕様Ⅲ-4(sp)の頑強なシュペル・カーボネイト。
タイミングがメス奴隷“候補生”に味方した。
信号が赤になり、車の流れは停まる。ウインドウを下げようと、整えられた爪先が豪華な内装のスイッチを操作するが、分厚い窓は動かない。
「おい、ヤメな……ヤメろ!」
かたわらの歩道を“老人”がゆく。
イツホクが、運転席に向かってだろうか、何かを指示した。
とたん、リムジンのジェネレーター音が上がり、窓の騒音を消し去る。だがいきなり車の騒音が上がったため、かえって注目を引いた。
車道に停車する、珍しい形のリムジン。その窓がドンドンと鳴るのに気付いたか、老人は力のない瞳を『成美』が必死に叩く窓に向ける。
「先輩……龍ノ口センパイ!」
かたや、美麗に着飾った高等娼婦の装い。
かたや、うらぶれた年金生活者のような、やつれきった影。
ふたつの認識が、互いを確認したようにも思えた。だがしかし、それは『成美』の願望だったのかもしれない。スモークの濃度があがり、やがて真っ黒に。
青信号となり、リムジンがゆっくりと動き出す。
動きを止めた“老人”の顔が、街の雑踏にまぎれ、ゆっくりと遠くなってゆく。
「ナルミ……手ン前ェ……!」
いきなりイツホクは、『成美』の首に巻かれた幅広のチョーカーを手荒につかみ、窓側から車の奥に引き戻した。ノドを圧迫された“奴隷候補生”は、ひとしきり咳き込む。その上から正上位で覆い被さるように、
「どういうつもりだ!コンのクソ野郎が!」
「アマくしてりゃ、ツケあがりやがッて!もゥいい!今夜の営業ァ、キャンセルだクソが!手前ェを完全に“メス”にしてやる――悦子の“
怒りのあまり、震える声でカムをつかい運転席に。
畏れのあまり肩をすくめる『成美』の頭上に、
《 “工場” ですか? “店” でなく?》
戸惑ったような声が、車内の隠しスピーカーから流れた。
「そうだ、二度と言わせンな!コイツを最終施術して!
「そんな……ボクは、いえワタシはただ……」
「もう四の五のいわせねぇ!イボつきの極上メス穴掘って!
いきなりイツホクは、自分を制止するかのように叫ぶや、狂人のように頭をふり、歯を食いしばってトーン・ダウンし、うつむく。
そして――次に顔を上げたとき。
まるで絵に描いたような悪人
「いい