貴石を
それが――最初に見えたはずだった。
白いほお。そして品のよい鼻筋。
長いまつげ。
その奥の、アイラインに縁取られる、
整えられた眉毛に、セットされた艶やかな髪。
「――いかがでしょう?」
龍ノ口が、息をのむ気配。
やがて、ようやく絞り出したような声で、
「……きれいだ……とても」
その言葉は、『成美』の耳に、心地よく響いた。
付けられてもいない女陰と、乳房の
かろく、
甘く全身を湯のように包む、ムチの痛みの快楽も
「そ――そう?おきに召して……なによりです。」
什器ひとつひとつの、驚くばかりな存在感。
時代を
ラファエロ
ミケランジェロ
おまけにマルセル・デュシャンすら※
偶然手に触れるチェリーニの小物。それすらどこかホンモノくさい。
そしてなにより我がチューターの、あらましも。
やつれたような龍ノ口の
目の下のクマと、歳に似合わないシワ。
その度合いは、学食で観たときより、荒廃の度合いを
擦過傷と打撲の跡。
面沙を除いたのに、先輩チューターの上ずったような反応は変わらない。
それにいっそう自信をえた『成美』は、SMチックなウェディング・ドレス、その豊かな胸の下で組んでいた腕組みを解くと、おもむろに相手の頬へ、おそるおそる整った指をすべらせた。
――しばらく見ない間にやつれたなぁ、先輩……。
そのとき急に愛おしさのようなモノが湧き出て心がしめつけられ、思わず胸に抱きしめたくなってしまったのは、どうしたわけだろうか。
「アキれた……若いのに、このすさみよう!」
「……」
恨みがましいような眼が、『成美』を見上げる。
「なぁに?そのフテ腐れたような
いまや自分は、この広間を
臣下は、目の前で座り込む
今までの貸しを取り立ててやるということで。
この店を、“臣下”を、佳いように遣い、
「チャンと食べてる?バランスのいい食事しなきゃ……」
「……」
「野菜とかもとらなきゃダメよ?せめて野菜ジュースでも」
「……」
「適度な運動と睡眠。お酒ばっか呑んで、うたたねしてるでショ!?」
恨みがましいような眼が、『成美』を見上げ、
「あーもーホっといてくれよ!」
龍ノ口が、ついにキレた。
「アンタはオレの寮の管理人か!言うことがソックリだぜ!……です」
「羨ましいコトですわねぇ?」
『成美』はすかさず反撃。
「――寮母さんから、後輩から、教官から、みんなに
ふたたび豊かな胸の下で腕を組むと、ふと、どこか遠くを見るように、
「わたしは――両親にすら、棄てられたクチですから」
ウッ、とヤサぐれた元・候補生は言いかけた言葉をのみ込んでワキをむく。それに追い討ちをかけるかのごとく“一夜の女王”は、
「
「……でも、航界士という未来を
「それがナニか?」
「オレにとっては!欠くべからざる将来だった!!!」
沈黙。
柱時計の、規則正しい振り子の重々しさ。
重苦しい思考にからみつくように、一拍。一拍。
「ひとつ聞きたいわ」
「……なんです」
「貴方は、なんで航界士になろうと思ったの?」
* * *
「なんで航界士になろうと思ったか、だってェ?」
もはや、完全に緊張のほぐれた、控えの間だった。
順番待ちの候補生は、思い思いの姿勢でリラックスしている。
ひとり、最後の犠牲者である『若梅』をのぞいては。
『二番星』が、サモワールの隣においてあった、大ぶりなビスケットジャーを丸抱えに、中のクッキーを荒らしながらサクサク、モグモグと口を動かしつつ、
「そりゃぁ、『九尾』サン、
「――ほぅ?」
「なんつっても、この試験に出れば、それまで
「……破格の
「校長のウスノロが、いやにネコ撫で声で勧めてきゃがるンで、なんかあるナとは思ったけど。でもヨ?これほどヤバいとは」
「ふぅん……ほかのみんなは、どうだ?」
『九尾』の問いかけに、そばに居た “水天宮” の制服を着た候補生は、
「自分は、所属校の名誉のためですかね。やはり特典がいろいろありましたが」
「オレもだァ」
「ボクも」
「言うに及ばず」
あとは黙したまま、同意のような視線。
ヤレヤレ、と『九尾』は控えの間の交差ヴォールト天井を仰ぎ、ため息をつく。
どいつもこいつも――
そして家門の犠牲となる者が、約一名、と。
『九尾』は椅子の上でヒザをかかえ身体を小さくしている『若梅』を見やる。
モニターでは、相変わらず事象震が荒れ狂い、耀腕が一本、ダラダラと地上を探っていた。
奇妙なことにグラス・ドームの観客や歓声は、すでに画面に映らない。
合間に演じられるランジェリー・チアの演舞や芸人のコント。ショートアニメなどがOAされることもなくなった。
ただ、橙色の静脈をうかべた薄紫の腕を思わせる電光が、墨を流したような
沈黙の中、柱時計の音だけが広間を
* * *
しばらくは、『エルジェーベトの間』に振り子の音が聞こえるだけだった。
場所をうつし、二人は小卓を挟んで座っている。
マントルピース奥の
やがて龍ノ口は『成美』の問いかけに、重い口を開いた。
「なんで、航界士に、って?」
「えぇ」
薪《たぎぎ》が、また爆《は》ぜる音。
火の粉がマントルピースのうえにおかれた
「そうだなぁ……はじめのころは、自分で自分を限界まで試すのが好きだから、と思ってた。でも、なんか違うんだよな。単に、外の世界を観たいってワケでも……ない。しかし自分の
「……」
「……練成校のチューターを
龍ノ口の目に
だがそれは、いつか観た、学食での
かわりに、どこか乾いた
「ウォッカのボトルをコートに突っ込んで。夜の街を足の向くまま、フラついて」
「……」
「あるいて、あるいて、いっそ自分なんか、このまま擦り切れちまえ、ってぐらい、あるいて。気が付けば、世界は蒼くなって……」
誰もいない横断歩道の点滅。
翼を喪った自分を嘲笑う鴉の群れ。
エンジンを吹かす新聞配達のバイク。
明け方の風に吹かれて足下に転がる空き缶。
自分が潜り抜けてきた心象風景を、龍ノ口は淡々と語った。
「そして――ある晩のコトさ」
とうとう煮詰まってな、と
それは、まるで自分に言い聞かせるように、
「
振り子の音が、粘ついたように響く。
大ぶりな姿見の柱に据えられた真鍮の天使像。
ニヤリ、と
「あぁ。もともと、どこかでヒッソリと頸動脈をハネ切ろうと考えていたんだが、その高台に立ったときは“もう、いっそこのまま”と思ったね。で、脚が動くまま、フラフラと
足もとから彼方にむけては、宝石をぶちまけたような都市の灯り。
あたりは墓場の
木々の鳴る音。ほおを切る冷たさ。
唇のひび割れ。身体の節々の痛み。
耳鳴り――こめかみをヒクつかせる脈打ち。
世界から完全に孤立してるという、ノド元に突きつけられた事実。
「……でもな、やっぱり死ねネェんだ」
龍ノ口は、遠い眼のまま、大きく吐息をついた。
「あの一歩は……無限の隔たりがあったナ。認識と、存在との。それに……」
ややひさしい沈黙。
先が待ち望まれた『成美』は、それに?と続きを
「それに、そんなことしたら完全に“航界士失格”の
「航界士――失格……」
「吹き上げてくる風がコートを通して、やたら寒かったのを覚えている。おまけに持ってきたウォッカのボトル、一本カラにしても酔いがホロリともこねぇんだ」
「……」
「そのとき、どこか――ほんとうにどこか遠くから、真夜中の鐘が鳴るのが、響いてきてな」
「真夜中の鐘?」
あぁ、と元・候補生はうなずく。
「それは透明な、寂しい音色……ちょうど東欧事象面にある教会の鐘みたいな」
『成美』は眉を
よく磨かれてた、ピンク色をする自分の爪を見つめながら、
――真夜中の鐘だって?
幻聴だ、と“彼女”は想う。
除夜の鐘さえ、クレームでほとんど消えた昨今、真夜中に鐘を鳴らすなんて酔狂な教会が、今どきあるはずがない……。
「それ聞いたら、なんか胸ン中が、急にガランとして。すっかり軽くなって。今までのモヤモヤがウソのように、せいせいした気分になっちまった」
エルジェーベトの間を、ふたたびび振り子の音が支配する。
“神聖な凝固”ともいえるひととき。
龍ノ口の
「それで……どうなさったの?」
それで、だって?と、ここで不意に元チューターの自虐的なわらい。
「どうもこうもねェさ。寮の部屋に帰って暖房を入れたとたん、身体の奥からアルコールが湧き出て来やがって、バタン・Qさ。翌日の試験も間に合わずだ。これで留年も決定。ただし、もう一年続ける学費はないときた」
「まぁ……そんな」
「本当なら、イチかバチかの勝負に出る手段があったんだがな。」
「どんな、手段ですの?」
答えを知っていた『成美』だったが、あえて先を
キッ、と
「きっと、アブない手段なんでしょ?」
「詳しくは、機密事項で話せないが、どエラい
……イラっ。
しかし洗脳調教の成果か。
“彼女”は、どうにかそれを押し沈め、まぁ!と、いちおう驚いたような顔をしてみせる。ブルって
かわりにツンケンした口ぶりで、
「その子が、そんなに怖がるだなんて!よっぽど危険な作戦だったんでしょ!?」
「ん?……あぁ、そりゃまぁ。危険っちゃキケンだが、航界士には付きもンなリスクだ。それほどたいしたモンじゃない……それなのに……あの野郎」
「あなたの趣味に!お付きあいするその子もイイ迷惑じゃないの!」
さらに声のトーンが高くなる。
「そんな
「……」
「みんながみんな、
「う……ん」
「すこしは後輩のことも、考えてあげなくては……」
「え……まぁ、な」
そこで、ふと(後輩?)と
「あれ……オレ、
便器のアレです(w)