――またやった!
『成美』は内心、激しく自分を
ウィッグの載るアタマを、ポカポカ叩きたい。
――なにやってんのよ
龍ノ口は、そんな『成美』の方にマジマジと顔を寄せる。
眉をしかめ、目を細めると、
「オマエ……もしかして」
その時、広間に真鍮板を
ゆるやかに扉が開けられ「失礼いたします」とオズオズした声。
ふたりが入り口を見やると、ダイニングワゴンを押した人影。
近づくにつれ、
「ご注文の
――助かった!
『成美』は、ツィと龍ノ口のそばを離れ、来室者のほうに歩み寄る。
ワゴンを押して入ってきたのは――愛香だった。
『エルジェーベトの間』に合わせるためか、いつものきわどいメイド服ではなく、ある意味さらに扇情的な、古代ペルシャの舞姫を想わせる
身体のあちこちに
金粉で描かれたボディ・ペイント。
各所のピアスを繋ぐ淫鎖。
透け絹からチラチラほの見える愛香の
モノポール・ワインの名品と――見たことのないジビエ。
濃いソースが併せてある見た目。なんの肉だろう。
不意に、なんの脈絡もなくイメージがうかぶ。
――人肉。
どこからきた連想だろうか。
ふと、『成美』の脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
複座型タイプの偵察系スーパー・クルーズ航界機。
滑走路はずれの墜落現場。
二人の候補生の――遺骸。
ワゴンの上に、イメージを等しくする血の気配。
「おォ!……スゲェ「赤」が、あるじゃねぇか」
龍ノ口は、コトン・コトンと片手杖を鳴らして近づくや『LA TACHE』と
一丁前に、ヴィンテージ・ワインの知識はあるらしい。
「――お
さりげなく愛香がボトルを受け取り、ふたりをソファーに座らせると、ワイン・オープナーを慣れた手つきで器用に扱い、たちまち年代を感じさせるコルクを開け、「どうぞ」とナプキンで包み、優雅な手つきで龍ノ口に差し出した。
『成美』は、生理的な拒否感から、ソースのかかった料理を遠ざける仕草。それを横目に
「その皿は――下げちまえ。昔のイヤな記憶が出てくる」
「
愛香の
「イヤ、
ふたたび脳裏にチラつく、イツホクのニヤつき。
まさか、とは思うが……いや、あの人物なら、やりかねない。
この高級店に関しては、いろいろ後ろ暗いウワサを同僚のビェルシカたちから聞いていた。
自家発電
明け方、店がハネたあとに徘徊する白い影。
人数のあわないビェルシカやパピヨン。
犠牲者を運ぶ、専従の拉致班。
地下の食肉工場で働かされる少年たちの
この奇妙な宴がハネたあと、イツホクが
――ひょっとして、
いやいやいや、そんな馬鹿な、と『成美』は妄想にストップをかけた。
人肉なんて、料理に供されるハズがない。
そもそも、こんな突拍子もない連想が普通に浮かんでくるほど、自分はどうかしてしまったのか。
己の埒外に“非常の存在”を自覚する昨今。
内的な自己幻影を掘り下げれば、自分の人生経験にない激情の奔出。
不安定な情状性と、それを取り囲む不安定な環境。
自分を熔解し、「メス奴隷」という
金銀細工が充ちる、蒼古たる空間。
妄想(シメール)を
――その境界とは……。
男の
一般人と航界士であったり。
そして、生と死であったり。
とりとめのない連想を
青インクのペンで書かれた金釘流の書体――イツホクのものだ。
【22時迄に“
――そんなぁ!
『成美』は、ほの暗い広間の中、絶句する。
装った
この広間の一幕が盗撮されているのは、何となく察せられた。
おそらく、ネムい展開に業を煮やした店側が“テコ入れ”をかけてきたのだろう。
柱時計を見ると、ワザとのように意地悪く、長針がギリリと動いて。
2130時。
「どうした。何かあったのか?急にそんな顔して」
「アラ。イヤですわ。
『成美』は辛うじて
渡されたメモを折りたたんで、ふくよかな胸もとにしまいワゴンの上に用意された新しいグラスを龍ノ口に持たせると、
さすがに酒に汚くなった龍ノ口の唇も、厳かにグラスの縁をむかえる。
吐息と、ゆるやかな笑み。
「――くそ!……っ」
「お気に召しまして?――さ」
追加でグラスに注ぐ際、龍ノ口の目が、『成美』の胸もとに挟まれた紙片に留まった。
「店からかイ?何だって」
「――べつに」
『成美』はさりげなく
「わたしがお客さまのお気に召さなくば“ペナルティ”って話ですわ」
「そんなことは、ないさ」
どうだか、と『成美』はボトルを置いてソファーを立つと、広間を
褐色の豊かなバストを何となく懐かしく思いだしつつ、己のバストをドレスの上から、できるだけ
「この胸だって――お客サマには、もの足りないのではなくて?」
「よせやい。おおきな
サラ先輩のことだ、と『成美』はさすがにピンとくる。
またも(イラっ)と来るが、ふたたび「怒り」は洗脳教育によって水をかけられたのだろう。頭をもたげた感情はたちまち消え去り、代わり生まれた
「おやおや――
柱時計を見れば、はやくも5分が経過している。
なにやら女性ホルモンとレーザー・メス。それに培養された子宮が近づいてきたような気配。
――なんとか話、盛りあげて。自然にキスにまで持ってかなきゃ……。
どうにかそこに至る道筋をつけようと貴重な時間を費やして考え、かえって
煮え立つような頭のすみで(ミラ宮廷中尉とキスをしておいて良かった)と心底思った。ファースト・キスの相手が男だなんて、いかにも洒落にならない。
「……ネイガウスさま、と仰ったかしら?『リヒテル』とお名乗りの、あの大きな殿方。よほど地位のあるお方ですの?」
「ネイガウスが?まさか」
ハッ、と龍ノ口は、ソファーの上でふんぞり返ると、手をヒラつかせ一蹴する。
「ただの非常勤講師さ。オレがチューター
「ずいぶんと位の高そうなお方に見えましてよ?すくなくとも……
「昔ァ雲海のなんたら、ッて忌み名になるほどの
なるほど。
龍ノ口は知らないらしい。
すくなくとも、あの晩の印象は“ショボくれた爺サン”という風ではなかった。
冷徹、沈着、そして有能無比。
現役バリバリの上級大佐、しかもシネマに出てくるような「目的のためなら手段を正当化する」冷徹な情報将校のたぐいにすら見えたものだが。
そういえば――と『成美』は頭を忙しく動かしながら言の葉を継いで、
「――航界士のお話になったとき、
「……」
「こうも仰ってましたわ『理想が高いため、希望と現実のギャップを認められない。これがもう少し経験を重ねれば、それなりに見えてくるものもあるが、
性悪そうな表情を浮かべる大理石のキューピッド。そのほおを、ひとさしゆびで弄そぶ素振りをしていた『成美』は、振り向いたとき、ギクリと身を震わせる。
龍ノ口の瞳に、先ほどの蒼い炎がふたたび灯っていた。
「やっぱりネイガウスに――そう言えと仕込まれたな。あぁ?」
低い、凄味を帯びた震え声。
あの日。学食で感じた危うさ。
また相手の情緒不安定が貌をのぞかせたようだった。
このいそがしいのに!といい加減『成美』もイライラして、
「先ほどから!一体――なんのことですの?」
「ヨめたぜ……今夜の、このワケわからん一席」
龍ノ口は片手杖を取り、ヨタヨタ『成美』に近づくや、
「街中歩いてて、ネイガウスの名前でリムジンに引っ張り込まれたときァ、いったい何ごとかと思ったが……この茶番のためだったんだな!えぇ?」
『成美』は、いきなり手荒く腕をねじり上げられる。
「痛い!」
女の身体を引き寄せられたとき、腕に
「無礼な!お放しなさい!」
「ヤツに何て言われた!ここで懐柔しろとでも?」
「なんのコトです、放して!」
「諦めて通勤電車に乗れと因果を――」
「いい加減に――なさい!」
エルジェーベトの名を冠する広間に、
本人が驚くまもなく、『成美』の体はまたしても勝手に動き、『システマ』めいた身ごなしで龍ノ口の拘束を振りほどくや、手甲タイプのウェディング・グローブをはめた手で、盛大に龍ノ口の横っ面を張りとばす。
乾いた銃声のような、小気味の良い音が広間に響きわたった。
「なんですか!――
龍ノ口の恨みがましい目を、
「考えてもご覧なさい!ここはメゾン・ドール。それも最高ランクである『エルジェーベトの間』ですよ?こう申してはナンですが、
一呼吸措いてから、『成美』は斬りつけるような勢いで、
「思い上がるのも――大概になさい!」
森閑とした『エルジェーベトの間』。
振り子の音にくわえ、ときおり暖炉の薪が
ほの暗い雰囲気に押し包まれ“候補生くずれ”はソファーに座り込み、見るも
やや久しくして、ようやく『成美』は人心地がつく。
いまのひとときの行動は、またもやまるで自分のものではなかったような。
またアレが出たのかな、と畏れつつ“彼女”も、ゆるやかにワインの載る小卓を挟んだ対面のソファーに座すと威儀をあらため、
「ごめんなさい。つい――キツい
「……いや、いいんだ」
対する龍ノ口は、
「
そんなコトありません、と『成美』は、遅ればせながら取り繕うように、
「あなたは、尊敬されたチューターでした。それだけでも立派です。脚の怪我がなければ、超一流の航界士となったに違いありません。チューターの方々って、みんな素晴らしい方々ですのね」
「……どうかな。クズ野郎だって、居るさ」
『成美』はちょっと小首をかしげ、考えをまとめるようにして、
「わたしがココに来るまえ……ひとりの少年候補生に会ったのですが、その子も自分のチューターには、ずいぶん助けられたと言っていました。感謝しています、とも。なんでも雲海の深度探査が、ドウとか」
「……え?」
龍ノ口の目に、また生気が灯る。
「あとは、ご自分のお身体を大切に、あまりムチャをしないで。こう言って――」
「そっ、そいつ!今ドコにいます?」
元・チューターは熱に浮かされたように、ソファーから身を乗り出した。
口の端が、手が。
わなわなと震え、視線もあやうげに。
それでも目は僅かな希望を見いだしたように輝いて。
『成美』は引き気味になりながらも「お前の目のまえに居るだろうが!」と言ってやったらどんなに痛快だろうなと心の端でクスっとしながら、
「さ、さぁ?なんでも特殊な仕事に、ついているとか……」
まぁ、少なくともウソは言っていない。
次いで『成美』は、念のためダメを押すように、
「練成校にもどることは、おそらく出来ないとも言ってましたわ」
ヒューズが切れたように、ガックリと龍ノ口は、ふたたびうなだれる。
ふと、その視線の先に何かをみつけたらしい。拾い上げたのは留め金が外れた黄金のブレスレットと、小さな紙片だ。
――しまった……!
『成美』は胸を押さえるが、もうあとの祭りだった。
さきほど龍ノ口と争った時に、挟んでいた胸から落ちたらしい。元・チューターは座ったままそれらを拾い上げると、折りたたまれた紙片を開き――『成美』を見て、ちょっと
――おしまいね……。
洗脳され。
肉体を改変され。
煽情的な装いをほどこされ。
そして
男だった自分は完全に消え、あとには物欲しげな媚笑をうかべ、さもしく性をねだり、イヤらしいヨダレを垂らした腰をくねらすメス奴隷の
「お気になさらないで。龍ノ口さまは――強く生きてくださいまし」
「オレの名を……さすが名店、なんでもお見通しなんだな」
「それと、先のように激情にかられては、イケませんよ?」
「……」
「感情にかられて自暴自棄にならないように」
「……」
「貴方は強く生きていって下さいまし」
元・チューターは何事か考えるように、紙片と、壊れたブレスレットを『成美』に差し出す。渡し終えたあと、ソファに座るヒザの上に両ひじをおき、組んだ手の上にアゴをのせて上目づかいのまま
微妙な数拍。
ややあってから、かすれたような声で、
「航界士の資質、って――何だか知ってるかィ?」
「……なんです?急に」
「いかな困難な状況にあっても
「ならば――わたしは航界士失格かもしれませんわね」
「そしてもうひとつ……
二人の視線が奇妙な状態で
「えぇと……アンタの名は何だっけ?」
「『成美』、ですわ」
「そうか。だがあえて直感を重んじて『迷いの姫』とでも呼ばせてもらおうか」
暖炉で、
柱時計の、ゆったりした振り子の音が、ヤケに耳に付くように。
「……姫さまは、その雲海探査とか言ってた候補生と連絡がつくんだよな?」
「いえ、そんな。すこし前のハナシですから――」
「つ!く!よ!、な!?」
「そんな……」
「そして姫さまが頼めば、その
凝固したような沈黙。
振り子の
「どうでしょうか。わたしには……」
「いいや、アンタなら――
龍ノ口は、片手杖無しでソファーから懸命に立ち上がると、ふるえる脚を踏みしめ、『成美』の方へと向かう。その瞳には先ほどの
「航界士、ってのは「成る」ものじゃない、「呼ばれる」ものなんだ。それが運命的なものか、あるいは資質からくるものか。資質だとしたら、先天的な物か、後天的な物か。そんなことは、しらん。ただ言えるのは、そこに「
龍ノ口を
だが元・チューターはヨロヨロと歩み寄ると、『成美』を捕まえるやドレスの肩をつかみ、自分の方へと力強く引き寄せた。そして
『成美』の胸は妖しくとどろいた。
全身をめぐる血が、カッとあつくなり、うっすらと汗をかいて。
それどころか夢の中でつけられた女性自身が(ジュン)と熱く
相手の声が、フワフワした『成美』の脳に直接説教するかのごとくに響く。
「下界で
「でも――死の危険が、ありますわ」
ようやく“姫さま”は上ずった
「惨めな
「生きながら地獄を味わう危険に比べれば、羽毛のように軽いさ」
元・チューターの腕の中で、『成美』は手折られた花束のように萎れきった風情で無防備な横顔をさらす。
「――あなたの、その
「――自分でも、この
龍ノ口は熱っぽい眼差しで
興奮した荒々しい男の気配。
きびしく、そして甘美に
――
『成美』の胸のドキドキが、また高まってゆく。
ショーツが、ちょっと熱く湿ってしまったような感覚。
「たぶん「呼ばれている」からだろう。ソレに抗うことは、ヒトには出来ない――許されていない。ボーイ・ミーツ・ガールなんて
ゴクリ、と長針が59分を示す。
振り子のセコンド、その一刻、一刻が、まさに
龍ノ口の熱い身体が、『成美』のなよやかな肢体をきつく抱いて放さない。
自分の言葉の効果が浸透するのを見極めんとするためか、男がしばらく
「さぁ、応えてくれ!雲海探査の約束を!」
「わたしは――そんな……」
柱時計の箱が、奇妙な“うなり”を生じ始めた。
『成美』の頭が、
瞬間的な生と、緩慢な死。
望みすくない希望と、確実だが
白い雲海――ピンクの奉仕部屋。
界面翼――鈴付き乳首ピアス。
リダクション――洗脳媚薬香水。
悪霊――子宮内避妊器具。
ゲシュタルト・スーツ――調教用ハーネス……。
幾重ものフラッシュ・バックに、龍ノ口の声が鞭打つ。
「さぁ!」
柱時計の唸りが高まる。
窒息するような頭の中。降参するように『成美』は、
「わかりました!雲海探査を――伝えますぅ!んうッ」
龍ノ口が、『成美』の
まさに――そのとき。
柱時計に備わる捨て鐘の旋律が鳴り響く。
緩やかに
その数、十
どこかでパーティーでもやっているのか、湧き上がる盛んな拍手の気配……。
注:古い慣習ですと時計は時鐘の最終鐘がその時刻(たとえれば、11時ジャストは11番目の鐘が鳴ったそのとき)らしいですが(19世紀の文献による)、ここでは分かりやすく“捨て鐘”メロディーの鳴り始めが時刻ピッタリであるとしました。