* * *
同じような振り子の音が響く『控えの間』
『九尾』は
先輩からキスをされたときの、身体がフワフワとした感じ。
本当に精神を女にされてしまったのかと危ぶまれたものだが。
ふたりで協力してソファーの位置を変え、マントルピース前に。
肩をならべて座り、暖炉の炎に見入ったひととき。
不思議な充足感。
龍ノ口と自分は、人生の様々な局面をいろいろと語り合った。
あくまで『成美』が「雲海探査候補生に伝える」というスタンスでだが。
そして――瞬く間に時間は過ぎる。
まるで『エルジェーベトの間』だけ、
一人を除いて、ダラけきった候補生たちが思い思いに過ごすなか、『九尾』は“奉天”と名づけられた自分の特殊な乗機に想いをはせていた……。
* * *
「雲海探査には、探査院・司法特例機が使われる……」
重々しい声で、龍ノ口は炎から目を離さず、呟いた。
『成美』は、前に学食で教わった機体を思い出そうとするが、
心ひそかに『成美』は、ドレスの下で
「“彗星”ってんだが……これが
――そうだ……“彗星”だ。
三面図が、どうにか思い出せた。
ひと昔まえの、超高々度を戦域とする衛星軌道用・戦爆機めいた姿。
乗員はタンデム。
界面翼のシステム・コントロールも、それに同じ。
しかし、いくら二人がかりとはいえ、今の自分が、ヒョイと乗って、満足に動かせるとも思えない。横で
――“
“彗星”とはベクトルの違った“奉天”の雰囲気
ブリコラージュされたような、不格好な外装。
そのうちに秘められた、暴力的な戦力。
コクピットの一種異様な雰囲気。
コンソール・パネルが匂わす、実戦機のスゴ味。
――完全武装したら、どれだけの
目のまえの暖炉で、よじり、燃え上がる炎を見つめるうち、だんだん自分の中で“たぎって来る”モノがあるのを、『成美』は、しぶしぶながら認めざるをえない。
不覚にも、唇の端に笑みすら浮かんでしまう。
それを見たか、龍ノ口が「よぅし」とばかり、
「イイ
「え?……ゴメンなさい、聞いておりませんでしたわ」
「いや、スマン。こっちの話だ」
「この部屋は監視と録音がされています。めったなコトや、ある種の固有名詞は、出さない方がいいと思いますよ?」
ふぅん、と龍ノ口は、『エルジェーベトの間』を見回す。
「なんか
「イヤなコト言わないでくださいよ……」
「金持ちの趣味は――ワかんね」
『成美』は、龍ノ口の耳もとに口を寄せ、ひそひそと
「ここに並ぶ、ラファエロや、レンブラント。全部ホンモノらしいですよ?」
「!ふぇぇぇ……どッから、そんなカネ出てんだか」
やや久しい沈黙。
幾拍か、経ってから、
「なぁ、『成美』サンよ」
「はい」
「ココは、
「このお店が、わたしに
「そうじゃない――この『世界』が、だ」
龍ノ口はソファーの上でウン、と伸びをして、首を鳴らし、
「言わんでも分かるだろ。こんな国、飛び出してサ?もっと広い世界が待ってるぜ」
「どうですか。ホントにここよりマシな事象面が、あるのかと……」
「ま、ナニをもってマシとするか、だな。考え方次第だ。安全があって、水がタダで、医療保険が完備されてて、法規が行き届いてて、女王のクソったれだなんだと叫んでも「不敬罪」すらないこの国じゃ、逮捕すらされない……」
「先にも申し上げましたが、この部屋は――」
「街を歩いてても、狙撃屋にドタマ吹ッとばされるコトもなきゃ、催涙ガスで吐くことも、ゲバ棒や自爆テロで血まみれになることもない」
調教のためか、もはやおぼろになってしまった図書館での記憶。
もしや、この先輩も、あの
「――平穏で――安全で。いいじゃないですか」
そうか?と龍ノ口は一拍措き、
「だがな、せっかく男に生まれたからにゃ……こう、荒れていても自由な世界を、大股で歩いてみたくもなるじゃないか、えェ?」
「モノ好きな。わざわざアブない目に遭いにいくなんて」
「雲海降下の件、タノんだぞ……
「……その子が聞いたら、多分コシ抜けなんかじゃない!と、
『成美』は、ふと『リヒテル』の言葉を思い出した。
「どうした?」
「まえに『リヒテル』さま……ネイガウス様がいらしたとき、ボ……わたくしに言ってくださったんです。修錬校を見学に来ないか、って」
アブねぇ、と『成美』は冷や汗をかく。
どうも、このチューターのそばに居ると、つい油断して候補生だった頃の
「へぇぇ、あのジイさんが、ねぇ……?」
「つきましては、来週の火曜日。お店は公休となりますので、その時に……」
「わかった、そう伝えとくよ。
「なんのことですの?」
こちらの話さ、と龍ノ口はカラとなったワインのボトルから、
「もう一本、オーダーいたします?」
「いや――いい」
キッパリと龍ノ口は断った。
そしてグラスに残った紅い液体を、背を反らして干すや、タン、とステムが砕けんばかりの勢いで小卓に措くと、
「グズグズになった体調、できるだけ元に戻しておかんと。明日からジム通いだ」
「それがよろしいと思いますわ」
「いつ、お呼びがかかっても、イイように、な」
龍ノ口は、柱時計を一瞥し、次いで自分の腕時計の
「うぇ……!オレの時計、止まっていたよ」
雲海の磁性に合わせて手動巻きなのか、あわてて龍ノ口は自身の古ぼけた航界士用・腕時計のリューズを巻く。
もう帰る。と彼は立ち上がり、16世紀の金銀細工に無造作なかたちで引っかけてあった、自分のボロボロな憲兵隊用コートを取った。
「十分な栄養――そして睡眠、運動ってヤツだ」
「よいことですわ。是非ともお願いしますね」
「ふん!見てろよぉ?」
「コントロール・お客サマお出かけ。用意を」
《諒解――フロイライン》
「暖炉に
『成美』が帳場と交信している傍らで、龍ノ口は天井まで届くフランス窓にコツコツ、ヨタヨタと歩み寄り、掛け金を外すと、両開きの取っ手を押し開いた。
ゴウッ、と窓枠が鳴り、
清冽な空気が流れこみ、暖炉に
『成美』も思わず風の吹いてくる
――あぁ……。
そのどこまでも純粋な、胸を洗い流す一陣。
まるでほんとうに“未来圈”から、透明な、清潔な風が吹いてきたかのよう。
そのままバルコンに姿を消した龍ノ口の声が、間延びしたカタチで、
「おぉい、『きゅ……姫サマよぉ――来てみぃ?」
「なんです?」
「月が……スゴいや」
『成美』も声に誘われ、
とたん、
冬の空気に身体が冷えるが、実は月光が冷温を持っているためとも怪しまれる。
おりしもの微風に、まるで白い花が夜に揺らぐかと見まがう姿。
己の肩を抱いて身体を温めようとしたとき、自身の腕にはめたグローブの白い輝きに魅せられ、腕をのばし、斯かる
その効果の出所は、と夜空を見上げれば、月が、いつもの数倍の大きさで
――あぁ。
すぐに『成美』はピンとくる。
かつて、宮廷秘書官とともに、フリゲート艦に搭乗したときの記憶。
あのときは「蒼を背景の白」だった。
このたびは「黒を背景の白」。
素早く周囲の空域に眼を
かなり大型の航界艦。
航空灯を明滅させ、闇に紛れるように浮かぶ姿。
夜の魔都が発する通奏低音に併せ、切れ目ない遠雷のように、微かな重低音が轟いて。
「すげぇなぁ……フリゲートか?モービー・ディック級くらいはあるな」
龍ノ口の声音は、まるで子供がはしゃぐように。
吐く息が、言葉と供に、白く天に昇ってゆく
そして、いかにも嬉しげな勢いで、
「こりゃ幸先がイイぞぉ?」
「さいさき?――何のです」
「雲海探査の作戦行動に、サ?いい景気づけだ」
「そうかしら?」
「そうさ!」
夜空に向かって大きくそして『成美』の方に目をやった龍ノ口は、そこでようやく“彼女”の白花めく
「
それに応えず、無言のまま杖を突き、真顔で歩みよる龍ノ口。
相手の様子を看て、知らず『成美』は数歩、引きながら、
「どうなさいまして?――
「キレイだ……」
龍ノ口の口から、青年のもてる純粋な祈りにも似た語勢で、言葉が洩れた。
若い胸の内から湧いた、混じりけのない
それが
「――そんな」
それだけ言うのがやっとな“彼女”は、
すでに真夜中も近い、この
二人きりとなった青年と“精神的乙女”は、
無理な姿勢を取らされたことで、『成美』の女体を
近づくふたりの
魅せられたかの如く、互に相手を見入る。
(龍ノ口、センパイ)
『成美』が観念したように目を閉じ、そう呟きかけた、その刹那。
「――誰だ」
龍ノ口は、不意に身体を離し、いま来た
『成美』も視線を追ってギョッとした。レースのカーテン越しに、黒い煙のようなモノが、ボンヤリと
不埒な闖入者。あるいは下賤の気配もてる無粋な
「あの……」
震えるような、か細い声がその影から伝わる。
「お邪魔して、申し訳ありません…… “お供”が参りました」
なんだ、と『成美』は脱力する。そしてなぜかイライラと、
「愛香さん……驚かさないでください」
つられて龍ノ口もいささか興ざめしたように脱力し、
「あぁ、さっきの白拍子か。くそ……それに何だ?“おとも”って」
「御自身の寮までお送りする「リモ」のことですわ」
わきから『成美』がコッソリと。
「りも?」
「リムジン。庭園の外で、お待ちしております」
「いらんよ――そんな。ジジィじゃあるまいし」
「申し訳ありません。弊店にも、体面というものがありますので……」
と、こんどは愛香がレースのカーテン越しに若干のふるえ声で、
「『エルジェーベトの間』を御利用のお客さまが、徒歩でお帰りなどされましたら、弊店の
ふぅぬ、と龍ノ口が口をへの字に腕組みをした折、広間の柱時計が、ふたたび捨て旋律を流しはじめた。その時、彼はふと表情をあらため、腕組みを解くと、
「ほら!この鐘の音。コレだこれ!」
聞いてくれ、と言わんばかりに片腕を、街の方へと差し延べる。
深夜に至っても、ますます加熱するような、旧市街の騒音。
ひくく唸る獣のような、都市の息づかい。
大型戦闘艦艇の稼働音も、併せて。
いったい何を、と口に出しかけた『成美』だが、不意に耳を澄ます。
――あ……。
鐘が、鳴っていた。
遙か彼方から、
粛然と――また隠然と。
よく聞けば、そこには或る種の鎮魂と哀訴、さらには慰撫の気配すら、あわせ含まれるようにも感じられる。
「ほんとうだ……でもどこからだろう、いえ……でしょうか」
「客間の柱時計、鳴ったよな?時間的に深夜0時か。航界艦の八点鐘にしては、鳴らし方がヘンだ。それとも戦闘艦艇は、こうなのかな?」
「さぁ?愛香さん!お姉ぇさま、コチラへ――ほら、聞こえます?この鐘の音」
沈黙。
ややあって、カーテン向こうの舞姫は、わずかに否定の首をふったように思えた。
「いや――ちがう。艦の方向からじゃない」
「じゃぁ、どこから……?」
いつまでも――いつまでも。
やがて、どちらからともなく
次いで、申し合わせたように、まるで凶事から逃れるがごとく露台から広間に入る。大窗を締めて鍵をかけたとき、なぜか二人は、ホッと息をついた。
今宵の主客とホステスは、不吉なものから追われるように、いそいそと『エルジェーベトの間』から逃れ去る……。
――――――――――――――
暖炉の火のおちた『エルジェーベトの間』だった。
すでに冷えが、古い什器のそこかしこから立ちのぼり始めている。
薄暗い雰囲気のなかで、愛香は気のない手つきで小卓の上を片づけながら、先ほど観た景色を
バルコンの上で、じっと見つめ合う、青年と『成美』。
その光景を目の当たりにしたとき、彼女の中に湧き上がってきたのは、覚えたことのない怒りと、そして哀しみだった。
大事なモノが汚されてしまうような焦り。
そして――何よりも戸惑い。
もうすこし愛香の中に、自分を省察する余力があれば、その感情には少なからずの
だが、そんな彼女の
レース越しに観る二人の姿。
その背後に、それぞれ光の羽根めくモノが延びているのを看たからだった。
何度、
月光を浴び、
レース文様の加減かと、カーテンを動かしたとき、青年の方から
そんな心の痛みも冷めやらぬうち、鐘の音に騒ぎだす天使たち。
バルコンに誘われるが、出て行く気はしない。
鐘の音などきこえなかった。
聞こえるはずが無いのだ。
世俗に汚れた、自分には……。
「どなたです!」
視野のはし。
そこに一瞬、黒い老人の姿が、
骸骨のような、
闇にくっきりと、浮き出ていたような。
だが、いま真正面から観れば、視線の先に人影など居ない。
「誰ですの!?――出ておいでなさい!」
愛香は声を
しかし、暗がりには古びた什器たちが立ち並ぶほかは、動くものの気配はない。
ただ、振り子のセコンドだけが、規則正しく
来客が去った後は、入り口を守る衛士もいない。
コントロールと連絡を取るイヤリングも、いまは外してしまっていた。
総毛立つ身体をなんとか抑え、愛香は残り物をワゴンにのせると、足早に広間を後に、そして『エルジェーベトの間』の納骨堂のように重い扉を――
――――――――――――――
龍ノ口をリムジンまで送り届け、フロント係のハッサンといっしょに去りゆくテール・ランプに深々と礼をした『成美』は、何回目かの
壊れたレコードのように、いつまでも同じ演目を
あるいはレールのポイントが故障し、いつまでも同じ線路を走っている印象。
――うまく切り替わらないとしたら、その場所はどこなんだろう。
やはり、雲海探査しかないのかと、ふたたび大きく息をついたとき、ハッサンがドレスの腰に手を回してきた。そして、
「店長ガ、オ見送リ終ワッタラ、店長室ニ来イッテヨ?」
「店長?イェジェヌさんが?」
「ソノ後、ドウ?ボクト……」
ハッサンの手が、『成美』の胸に延びる。
そのまま、無遠慮に胸をひともみ、ふたもみ……。
「そんな!ハッサン、やめてよ」
「ボク、優シクスルヨ?ダカラ『成美』ダイジョウブ」
「そう言う問題じゃ……」
この時、近くの監視システムに付随するスピーカーから、ボソリと一言。
《……ハッサン。早く連れてこい》
中東系の男はブルッと体を震わす。
そしてイソイソと店の方に『成美』をせき立てた。
『成美』は『成美』で、新たな不安が生まれる。
いまの声。
――イェジェヌのものじゃない……イツホクだ……。
不吉な予感が、頭をよぎる。
う~む。
やはりぺダンチックな回になると、皆様敬遠するのか反応がニブくなるような。
さ!次から「弩エチー」な章ですよ!
(本当はエロなんて書きたくないけれど、読者様のために涙を――涙を――涙を――呑んで書きます)